第18話

「そうですか。ありがとうございます」


 入室してきたアドリエンヌさんは役目を与えられたことを誇らしげに頬を染めていた。

 そして、カリーナ様からの伝言を口にすると、退出の礼もそこそこに部屋を後にする。きっと、これから始まるであろう、お祭りに心躍らせ、友人と分かち合うのでしょう。

 告げられた言葉はあまりにも短い。それなのに絶大な魅力を持っている。


『卒業前に一度だけ、女郎蜘蛛の会を開きます』


 今や全女生徒の憧れともなっている、女郎蜘蛛の会。影響が大きくなりすぎたからと、一年以上も休止していたその会合を開くという。それも最後の一度きり。胸を昂らせないわけがない。以前の会に参加した半数ほどはすでに卒業し、残りの半数は「楽しかった」とだけ語る。秘密という言葉は甘い果実。次の機会を望んでも「あの方」には時間がない。同時にもう二度と開かれないと思われていた幻の会合。

 これまで男子生徒を誰一人参加させたことはなく、偏見や嫉妬もあったけれど、参加した彼女達は取り合うこともない。詰め寄る男子には、自分達もすればいいじゃないと逆に言いくるめる。しかし、立場が上のものを差し置いてできる企画でもなく、おまけにあれほど立場を忘れた王子殿下に、魅力は欠片も残っていなかった。


 だけど、そんなことはどうでもいい。私にはカリーナ様が伝えてきた言葉そのものに意味がある。これはとりもなおさず、女郎蜘蛛の会を開くことが出来る女主人がいるということ。

 すっかり慣れ親しんだソファーに身体を横たえると、大きくため息が出る。


「あのとき、真っ先に気づいていれば……」


 つまりあの留学生、グレース・ラヴァレン様の正体はさくら様だ。あまりにも行動が幼く、似つかわしくない。それゆえに見過ごしてしまった。だからこそグレース様も足を止めてしまい、子供じみた挑発を受けざるを得なかったのでしょう。対決は密室で行われ、聞き耳を立てていた者たちからも内容については漏れ聞こえてこない。ただ頬を染め、どちらも人を見ていると当たり前の答えが返ってきただけだった。


 現在、二人のグレース様は常に行動を共にしており、上位はグレース・ローゼンベルク様、従者のように行動しているのがグレース・ラヴァレン様であるようだ。でも、さくら様が後者なら元のグレース様に従うのはおかしい。絶対に負けるはずがないもの。だったら、まだグレース様を利用する理由がある……今回の女郎蜘蛛の会を開くため? 他にもまだやるべきことが残っている? そこに私の役目はある?


 次に届けられた情報は、私をますます混乱させるものだった。


◇◇◇


「お義姉様!」


 何の前触れもなく個室の扉が開かれると、小柄な少女が飛び込んできた。

 その顔は私に似て、違いは混じり気のない金髪と——


「グレース! 今日はこちらに来ない約束でしょう?」

「ええ、でも給仕の行動が身に染み付いているみたい。仕事をしないと落ち着かないのよ……です」


 小さなグレースは正面から抱きつくと、私に豊かなものを押し当てる。それはこれまでになかったものを得た喜びと、私に対する嫌がらせなのだそうだ。心は身体に引っ張られると聞くけれど、随分と幼くなってないかしら?

 満面に笑みを貼り付け私を困らせる様子を、脇に退けられた二人は呆然と眺めている。

 軽く咳払いをすると、ようやくこちらに気づいてくれた。


「シャル、フェリシア、こちらは小さなグレースリトル・グレース、仲良くしてあげてね」


 私の口からではないが、シャンティリーにも正体は知られている。グレースの身体を乗っ取ったことは怖がられず、それどころかリトル・グレースと見比べ、「おめでとうございます」と言い出す始末。リトル・グレースにはグレース・ローゼンベルクの記憶と意識が封じ込められているというのに、ねぎらいの一言もなかった。

 二人の相性は悪いと聞いていたけれど、このときまではまだ、王女殿下の口から棘のある言葉が出るとは思わなかったのよ。


「お義姉様、どうしてにお義姉様なんて呼ばせているのですか? 元は異国の娘でしょう」


 抱き着いたままのグレースがころころと笑う。


「あら、お姫様は外交が苦手かしら。私、グレース・ラヴァレンはこの度ローゼンベルク家の養子になりましたの。ですから、グレース・ラヴァレン・ローゼンベルク。歴としたエルドリア王国の貴族、ローゼンベルク侯爵家の次女ですのよ。長姉をお義姉様と呼ぶことに、誰に断る必要もありません」

「うそ……そんなのずるい……」


 妬ましそうな目を向けられても困る。

 あの日、グレースにはうまく立ち回られてしまった。彼女の感情を揺さぶり、完全に勝ったはずなのに、結果を見れば判定負けした気分よ。私の計画では学園でグレース・ローゼンベルクに無礼を働いた事を理由に、貴族子息に声を上げさせ、グレース・ラヴァレンを退学に持っていくつもりだった。本編に関わりのないグレースはこれで退場、そう思っていたのに……生まれたばかりの種が遠方で芽吹くどころか、その場で果実に育つなんて思ってもいなかった。


「さくら様、私も聞いていなかったのですが……」

「ごめんなさい、フェリシア。私も抵抗はしたのよ……」


 長くなりそうなので、二人には着座を勧めると、グレースは私の膝の上を我が物のように座る。シャンティリーの目が吊り上がるが、本人はどこ吹く風だ。

 フェリシアがお茶の用意を整えると、彼女の着座を待って、話を始めた。


 グレースは貧乏な男爵家ベルシア自治領に行くのは嫌だからと、私に侯爵家の養子にするよう頼み込んできた。侯爵領であればもこれまで身に付けてきたことは無駄にならない。将来確実に優秀になるであろう二人がローゼンベルク家の後継者になれば、私も楽ができるでしょうと説得をする。

 元々、ローゼンベルク家はグレース以外に子はおらず、ニールセンとの間に子を成せば、第二子は養子にする予定をしていた。だからこそ甘やかし、好き勝手をさせて将来の楔としていた。その事を誰よりも理解しているグレースは、私に子を持つ事は無いのでしょう?と詰め寄り、自分をその場所に入れろと捩じ込んできた。確かに残る家のことは想定していなかった。目論見の甘さを突かれ、すぐに反論できなかった私は頷くしかなかった。


 あの少年については余談になる。シャンティリーやフェリシアにも聞かせられない話ね。

 彼の処遇はローゼンベルク家で執事見習いとして雇い入れた。本人も納得し、今はニール・エヴァーグレンを名乗っている。素性が素性だけに、理解は早く礼儀の指導など必要はなかった。なお、ニールセン・ヴァンデルベルクには存在を秘している。見つかっても然程のことはないのだが、混乱することは目に見えている。もちろんお兄ちゃん子のシャンティリーにも会わせていない。興味を持つとまずいので本邸で匿ってもらっている。結構な爆弾なのだ。

 唯一、リアナに侍る様子はニールに見てもらった。少年は考えに耽り、付き添ったライテリックに「あぁはなるまい」と零していたそうだ。元々はしっかりとした王子様だったのにね。唯一、依頼したライテリックが動揺していたのが気になるけれど、いい友人関係が築けたらしく、お互い握手を交わしたそうだ。


 閑話休題。現在のローゼンベルク家は流行病で当主が判断を下せないため、後継者である私に誰も異を唱えない。いろいろと都合が良いようにできているのよ。

 そして、諸々の手続きが終わったのが、昨日。それからグレースは私を「お義姉様」と呼ぶようになった。


 お茶が湯気を立てなくなるころ、私の話も終わる。


「……そうですか、リトル・グレース様のままローゼンベルク家に入ったと」

「ええ、ベルシア自治領にはローゼンベルク家から支援をすることで納得させたの。高い買い物になったわ」

「あら、お義姉様? 絶対に損はさせませんわ。今後の領地運営はご安心下さいませ。王都で羽振りよく暮らせますよう、これまで以上に上納させていただきます」

「貸し付けと税金は見直すのよ?」


 グレースは私から離れ、くるりと周ると、貴族の笑みを貼り付けた顔でカーテシーをしたのち、深く頭を下げる。


「わかっております。悪政を残させたのは、侯爵領をいつでも奪うためですもの」


 グレースは公爵家に嫁いだとしても、実家から介入される事は想定していた。そのため、どうやって侯爵家を切り離そうか考えていた。その中の一つ、拒むのではなくいっそ取り込んでしまう事を考えた。そのためにはグレースの悪名を残しておく事、そうすれば後から善政を敷くだけで人気取りができる。不良が野良猫に餌を与えるだけで通常以上に評価されるという、アレね。公爵領で成功すれば、里帰りと称して侯爵領に立ち寄り、その領政に涙する。幼い私は気付いていなかったと、そうして手管を使い、侯爵領すら掌に収める。それがグレース・ローゼンベルクの野望であった。


 聞いてしまえば、なるほどと思う。ニールセンを手に入れたグレースに誰も手出しできなくなるわけね。本来支援すべき立場である侯爵家が抱き込まれ、次第に公爵家に取り込まれる。両方を手に入れれば、権力と経済を手中に持つ別の国公国があるようなもの。全ての貴婦人を下に見るという一見無謀な目標も実現可能ということね。

 ある意味、リアナがニールセンを攻略した事で王国は平和になったのかもしれない。


 グレースは私の前に置かれたカップを摘むとそのままこくりと飲み干す。そうして不敵な笑みをシャンティリーに向けた。


「そうそう、シャンティリー・ヴァンデルベルク王女殿下? あなたの方こそ、間もなくお義姉様なんて、呼べなくなりますのよ? そのあたりはどうお考え?」


 シャンティリーは慌てることもなく、さも当然と言わんばかりに淡々と答える。


「問題などありません。家の繋がりだけが絆ではありませんもの。わたくし、人を魅了する性質、身内のように溶け込むその才能に憧れてお義姉様とお呼びさせていただいております。わずか数日餌付けされただけで懐く猫ではありませんの」

「へぇ、お義姉様ってそんなふうに思われてたんですね。私の前ではぐずる子供のようでしたのよ」

「まぁまぁ、お可愛らしい。きっと飛びかかってきた野良猫に驚いたのですね。今は懐いているようですし、次は躾が必要ですわね、お義姉様」


 久しぶりに会ったシャンティリーは楚々とした所作を身に付け、王女らしく優雅に振る舞う様を見せてくれた。それなのに時折、チラチラと私を気にしているのは甘えん坊だった私が出会った頃と変わりがない。今もグレースをやりこめたことを褒めて欲しそうにする。そわそわしている様子に、今一番ため息を吐きたいのは侍女を続けているフェリシアでしょうね。


「二人とも、そのぐらいにしておきなさい。ここは女郎蜘蛛の会ではなくてよ」


 素直に真顔を作るシャンティリーに「おいで」と声をかけると、花開くように笑顔を浮かべ、首を抱くようにしがみついてきた。グレースと違うのは胸ではなく顔を擦り付けるところかしらね。そんなに嬉しそうにされると、拒むのも気が引ける。今日ぐらいは仕方がないわね。

 遅くなったけれど、


「ただいま、シャル」

「お帰りなさい、お義姉様!」


 あんまり近いから顔を舐められるのかと思ったわ。

 それから、グレース。私の手をつねるのはほどほどになさい。染み一つない綺麗な手は、あなたが育てたものよ。だけど今は私のもの、返すつもりはないから。

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