第17話
ゲームのルールを説明すると、グレースは顔を顰めた。
「もう少し……盤上遊戯や、血生臭いものでも出てくるものかと思ったのだけど……」
「本当言うと、別にグレースを屈服させる必要はないの。ただあなたに負けを認めさせれば良いだけ。そうすればあなたの身体を奪えるそうよ」
「そちらは不穏な話ですこと。さくらは悪魔とでも契約してきたのかしら?」
悪魔ね……彼らの事なら創造主なんだろうけど、欲塗れだからなぁ。ま、神話もたいていは獣欲塗れな神様ばかりだから、あながち間違いでもないか。清廉潔白な神様は崇められてる一部だけ。
「約束したのは、この世界を生み出した創造主よ。教会が祈っている神様とは違うけどね」
「そう……その創造主はどうして……いえ、今更詮無きことね。他に勝利条件は無いのかしら?」
「初めはグレースを攻略しろって言われたの。攻略って言うのは——」
「口説き落とす、と言うことね」
「そうね。だからあなたを傷つける必要はないの」
「これまで散々心を傷付けておいて……まぁいいわ。始めましょう」
「ありがとう、グレース」
「礼は終わってからになさい」
グレースは遮音の魔道具を横に倒すと、その効果を終わらせた。
ゲームの開始。私から一人目の名を告げる。
「ジュリエット・カステル」
「私の取り巻きをしていた伯爵家の令嬢ね。彼女は少し気の小さいところがあったわ。だけど物覚えはよく、指示したことは確実に熟す」
「私の知るジュリエットは迷子になった孤児院の子を送り届けていたわ。怖がらないよう、手を繋いでね」
「……それは知らなかったわ。私のマイナス1ね」
「言ったでしょう。これはプラスを競うものだと。彼女たちのポジティブを口にした時点でプラスよ。だからイーブン。理解した?」
「……ええ、理解したわ。こんな羞恥心を煽るゲーム、よく思いつくものね」
「ふふふ、私はこんな世界にした責任があるからね。受け止める覚悟はしてきたんだ」
オラクルと対話した、数百時間に及ぶキャラクターのシミュレーション。一人一人の姿が思い浮かぶようになってくると、自分のしでかした問題に気づいた。それは町中にいる全ての犬猫に名前をつけ、それぞれと遊んでしまったようなもの。知らないままでいられたら気にもしなかった。でも今は目にしてしまうと声をかけずにいられない。一人でもいなくなると気になってしまう。そんな世界を、私は作ってしまった。私の記憶は有限。きっと殆どを忘れてしまう。だから僅かでも記憶に残るようにこのゲームを考えた。
ゲームが作り出した人格、そんなものに価値はないかもしれない。だけど、それを生み出したAIやプログラムは評価されていいと思う。だって——
「ほら、続けるわよ。グレース」
「お願いします。グレース様」
今がこんなに楽しいもの。
◇◇◇
コトリと音を立て、遮音の魔道具が立て直される。
「私の負けよ。さくら」
「付き合ってくれてありがとう、グレース」
およそ六〇人を超えた頃、グレースは頭を下げた。
彼女にも女郎蜘蛛の会に招待した女生徒の記憶はあるはず。社交が開かれていない時期、あれだけの人数の情報を得られるのは他にはない。そんな絶好の機会を彼女が見逃すはずがない。だからこのゲームに終わりなどなく、どちらかが音を上げるまでの勝負だった。ゲームの仕組みに気づいたグレースが早々にサレンダーを告げようとした気持ちはわからなくもない。それでも聞き耳を立てているであろう人々に、本当の彼女を知ってもらう必要があった。ただの
ここまで付き合ってくれたのも、きっと彼女なりのけじめなのだろう。ただの登場人物である彼女に、初めから勝ちは用意されていないのだから。
「これからどうしたら良いのかしら? 服でも脱ぐ?」
「グレースって、潔いのね。でもすぐにそっちの思考になるのは、欲求不満?」
「おだまりっ! そうさせる理由に心当たりがないとは言わせないわよ」
赤くして顔を背けるのはグレースらしくない……そうか。枷が外れた姿。これがエリが見ていた
確かにイベントシーンでは見られない貴重な顔だわ。
「自分の裸ぐらい見たことあるから、着たままでいいわよ」
「……っ! そうね、そうだったわ。あなたには純潔以外全て奪われたもの」
「ずっと起きて見てたんだ。エリとリアナはプライバシーを守っていたそうよ」
「当たり前でしょう。人の身体で……さくら、もういいわ。落ち着いているうちに始めてちょうだい」
余計な気遣いは怒らせてしまうだけみたいね。
「そうね……お茶を淹れていただけるかしら?」
「わかりました、さくら様」
何気なく使うポットもお湯を適温に保つ魔道具。カップは冷めてしまったけれど、温かいお茶が注がれる頃にはそれも気にならなくなっていた。
二つのカップに立ち昇る湯気が僅かに揺れる。
一瞬停電になったように全てが真っ暗になったかと思うと、急に視点が高くなり、背の低いグレースが目の前に座っていた。本当にあっという間だった。peace_makerはやるべきことをしてくれたようね。
前にあるカップを手に取り、口をつける。嗅ぎ慣れた薫りが鼻を通ると少し肩の力が抜けたような気がした。反対に、これまで人形のように動きがなかった小さなグレースは、目を見開くと急に立ち上がり声を張り上げた。
「これはどういう事!?」
「ハッピーバースデー、グレース。お目覚めの気分はいかが?」
「説明なさい! さくら! 私の身体が——」
「ええ、あなたの身体は私が全て貰い受けたわ。これからはグレース・ラヴァレンとして生きなさい」
「嘘……どうして……こんな、酷いことができるの……」
ポタポタと涙を落とす姿は先程までの令嬢のものではなく、幼い子供そのものだった。私は彼女に何も説明しなかった。故に、彼女は私が身体の中に戻って来るだけだと勘違いをした。
「こんなのって、あんまりよっ! どうして私ばかりがこんな目に遭わなくていけないの! 私の心も、身体ですら、どうして……」
小さなグレースは大粒の涙を流し、誰にはばかることも無く、大声で泣き出した。子供が泣き叫ぶ姿は身につまされる。だけど、これは私が選択し、手を下した。その私が慰めるわけにはいかない。
声が掠れるほど泣き続け、やがて呟きのような声が耳に届く。
「……ニールセン……せめて……ひと目、お会いしたかった……」
それほどまで……ニールセンを愛していたのね。
ゲーム本編ではこの時期、顔を合わせても言葉をかけられることはなくなった。それでも気を引こうとし、派閥を立ち上げ、ニールセンに捧げようとした。それすら、今の彼女には叶わない。彼女が持とうとした力、その全てを私が奪った。
私が頷くと、グレースの後ろに立つ少年がそっと肩に触れた。
「グレース、もう泣かないで。僕はここにいる」
「え……この声、ニールセン殿下……? だって、まさか……」
振り向いたグレースを少年はぎゅっと抱き締める。自分がここにいると証明するように。
しかしグレースは思考が追いついていないのか、されるままになっている。
さまよう瞳が私に向けられる。
「グレース、私にはリアナに心を奪われたニールセンを取り戻す事は出来ないの。だからお詫びに、もう一人のニールセンを用意したわ。その少年は学園に入る前のニールセン。つまり、リアナと会う前の彼よ。あなたが不要だと思えば、彼を消すわ。必要なら受け入れなさい」
「本当に、殿下……?」
「ええ、peace……創造主の一人に約束させたの。グレースを説得するためにニールセンを用意して欲しいと。同じ年齢は無理だと言うから、グレースの身体も新しく用意する事にしたの。少しだけサービスしてあげたのよ。ニールセンも喜んでいるでしょう?」
顔を赤らめる少年を見て、小さなグレースは驚いていた。これまでのグレースは大切にされた事はあっても、好意を向けられたことはなく、ましてや紅潮する姿を見せられたことはなかった。それは悪役という役目を負わされ、本当に欲しいものが手に入らない不満を背景にするために用意された設定。今のグレース・ラヴァレンには
抱き締める力を緩めると、お互いに顔を見つめ合わせる。既に覚悟は決まっていたグレースは間も無く口を開く。
「ニールセン殿下、私はあなたをお慕い申し上げております。あなたが隣りにいない未来を経験しました。それはとても辛く、悲しみと、悍ましい気持ちを持つことになりました。もう二度とそんな思いをしたくはありません。どうか、私を、グレースを側に置いてください。そのお約束をいただければ、いくらでもお待ちできます、耐えられるのです。ですから、どうか……」
「グレース、僕はさくら様によって用意されたもう一人のニールセンだと理解している。だから君が望む公爵位は得られない。王族でもなくなるんだ。それでも僕を選んでくれる?」
「ええ! もちろんです! 私も今は男爵令嬢、王族との結婚なんて叶いませんわ!」
「ありがとう、グレース。君は以前より可愛くなったよ。今みたいに笑ってくれたら……いや、それは失礼だったね」
「前のグレースはさくら様に奪われましたから構いませんわ。でも私、とっても嫉妬深いみたいです。余所見されますと、これまでと同じ事を繰り返してしまうかもしれません。前の私ですら不快に思うかもしれませんわ。ですから、ニールセン様。ずっと私だけを見ていてくださいまし」
「はは、は、そうだね。僕も精進するよ」
二人は顔を寄せ合うと、何事かを囁いて軽く口付けを交わす。ようやく叶った想いに、はにかみながらもお互いに手を重ねて見つめ合う。おめでとう、グレース。これで悪役令嬢は卒業ね。
まぁ、私としてはそんなラブコメを目の前で見せつけられ、紅茶ではなく苦い珈琲が欲しいところね。この世界には用意されてないのだけれど。
「グレース」
「はい!」
二人はすぐに私の前に並ぶ。その微動だにしない姿勢からはさっきまでの甘い雰囲気は微塵も感じられなかった。
邪魔をした私に不快気な態度は全く向けてこない。本当に別人になったみたいね。
「さくら様、今回の配慮とても有難く存じます。ですが、一つだけお答えただけないでしょうか」
深々と頭を下げるのはこれまでのグレースにはなかったこと。それだけ感じ入ってくれたのなら良いかな。
「もう追加はないわよ」
「それは残念です。お聞きしたいのは、間もなく卒業されるニールセン殿下のことです。無事に公爵位は賜われるのでしょうか?」
どこまでも、気にするのはニールセンのことなのね。
「そうね……それはエリ次第だけど、恐らく公爵にはなれても、可能性のあった大公にはなれないでしょうね。だって……私が邪魔するもの」
小さなグレースは、「あはははははは!」と、ひときわ大きな笑い声をあげると、目の端に涙を浮かべて私に跪いた。
「今、初めてさくら様が身体に宿って良かったと思ってしまいましたわ。私を顧みないニールセン殿下は将来に不安があり、愛しいニールセン様にはまだ見ぬ未来がある、そして私にはやり直しの機会を与えて下さった。全てを叶えて下さるさくら様はきっと、人を服従させる悪魔ですわね」
「そこは神の使いとかではないの?」
「では、神使様にお願いがございます」
交渉からゲームに至るまで、随分と時間をかけ、疲れていたんだと思う。
「一つだけって、言ってなかったかしら」
それでも、グレース相手に油断するべきではなかった。
「まあいいわ。それで」
あんな事を言わなきゃよかった。
「何が望み?」
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