第16話
「グレース・ローゼンベルク様! お時間をください!」
「あなた……確か、グレース・ラヴァレン……ベルシア自治領の」
「はい! ご存じいただけて光栄です!」
図書館へと向かう廊下でグレースを呼び止めた。私のことは耳にしていたようで、目を見開いているところから、初手は成功といったところかしら。
カリーナからは急ぎの用事ではないけれど、学年の違う生徒達に情報を行き渡らせるため、拠点で打ち合わせをする予定を聞いていた。時間がわかっているのなら、待ち伏せするのに何も問題はない。
今のグレースに取り巻きはおらず、学園内の移動はたいてい一人らしい。それでも数人の女生徒が声をかけあって集まる。グレースは学園の中で長話をすると通りすがる人に迷惑がかかると、できるだけ短く挨拶をする。私はその一人に紛れ込んでいた。
「私の時間を費やす価値があなたにあるのかしら?」
少し悩んだ様子だけど、留学生相手だもの、人気を取ることを優先したようね。
頭ひとつ分ほど高い位置にあるグレースの目が、私の髪と胸を行き来する。自分でそうさせるように仕向けたとはいえ、案外気づいてしまうものね。
その興味、無視できないようにしてあげる。
「あります! グレース様の負担を軽くして差し上げます!」
「……どう言う意味かしら?」
「グレース様がお作りになられた派閥、私が引き継ぎます! ですから、もうご卒業まで何もなされなくてもいいんです。同じグレースですから、名前も変わらないし、いいアイデアだと思うんです!」
無茶苦茶な理由だもの、グレースが困惑するのも手に取るようにわかる。
変われるものなら変わってみなさいと言いたいところでしょう。でも、そんなことをしたら折角築いた派閥が奪われる。将来の手土産がなくなってしまう。グレースにとって、それは絶対に認められない。
「本気で言っているのなら、留学生としての自覚に欠けるわね。先達に対する配慮も尊敬もない。ましてや引き継ぎを決めるのはあなたではない。ベルシア自治領というのは、そんな勝手が許される野蛮なところなのかしら?」
「父祖の業については言の葉に乗せる必要はないでしょう。当家よりもご立派な実家をお持ちのようですから」
「なんですって!?」
王国の安定は貴族の下支えによるところが大きい。そのため、清濁併せ持って政治をしている。だからこそ、ローゼンベルク家が酷い領政をして、他の貴族に借金をさせて、肩代わりして従属を強いる。なんてことは目を瞑れる範囲なのだ。けれど、貴族に対する侮辱は違う。中身は腐っていても高位の貴族。侯爵家を維持するのは名前だけではなく、実績が必要。特に国に貢献していることを示し続けなければならない。高位貴族が傲慢であるのは
「私の要望はひとつ、あなたの実績、すべて私に譲ってください」
「ふざけているのかしら? これ以上怒らせないうちに立ち去りなさい」
グレース愛用の扇が目の前を通り過ぎる。
久しぶりに目にしたけれど、置き忘れていたものが奪われた気分になるわね。
「グレース様! あなたに勝負を挑みます!」
「勝負? くだらない。私に何のメリットがあると言うの。わがままが許されるのは自分の庭だけよ」
「グレース、私に勝ったら……あの人をあげるわ」
「……っ!? おまえ、美良さくらか!」
咄嗟に
静まり返った廊下には誰もいなくなっていた。周りにいた生徒達は皆、教室に入り息を潜めている。注意すべき教師も、私達の雰囲気を危うげなものと見たのか、そそくさと教室に逃げ込んでしまった。
グレースは扇を閉じては開き、パチリパチリと鳴らし私を睨みつけた。
「ついてきなさい」
◇◇◇
無人の図書館、そして出迎えたカリーナを見て、グレースが小さく息を吐いた。
「そう、カリーナもすでに堕ちていたのね」
「人聞きの悪い。彼女には人払いを頼んだだけ。どちらにも与しないようにお願いしているわ」
「本人の意思を確認しての言葉かしら?」
「本人の意思を確認したことがあったの?」
返事はなく、グレースは応接室に改造された収納庫に先に入った。そしてテーブルを挟んで平行に並ぶソファーの片側に座る。勧められることもなく、私も対面に座った。
カリーナが給仕するお茶が二人の前に並べられると、グレースは無言で一口をつけ頷く。その合図を持って、カリーナはこの部屋から辞した。卓上には円錐型をした遮音の魔道具と、
「用意がいいのね」
「相手があなただもの」
もともと二つの魔道具はこの部屋に用意されていたと聞いている。グレースが拠点と認めた時点で、部外秘の会議が行われることが想定される。用意がいいのはカリーナの仕事ね。そのことを正直に言ってしまえば、グレースは対等な話をしなくなる。彼女は人を使うのが当たり前の思考をしている。それに合わせられない時点で、私の負けとなる。
カップに注がれた紅茶で喉を湿らせる。この薫りはいつものお茶ね。気の配りようが彼女らしい。ふと気になって、私の方から尋ねてみた。
「このお茶はグレース……様の趣味なの?」
「今更、様付けなんてよして。私もあなたのことはさくらと呼ぶわ」
「異物とは呼ばないのね」
「みよちんと呼んだほうが、あなたの関心が買えるかしら?」
もう一口を付けると、グレースは諦めたように息を吐いた。
「そうよ。気付いたらこのお茶を飲むようになっていた。きっと、私の機嫌が良い日が続いたからでしょうね」
「そうだったのね。だったら私もカリーナに躾けられたのかもしれないわ」
言葉は部屋の外にいるであろう、カリーナまでは届かない。ここではいくら音を立てても、外に聞こえることはない。そうするように私が頼んでいる。ここでの会話を他の誰にも聞かせられるはずがない。
しばらく無言が続いた後、グレースが口を開いた。
「ねぇ、さくら。どうして私だったの? 私にならどんなことをしても許される? 私を弄ぶのが楽しかったから?」
これはグレースの本音。ゲームでは悪役を任されてはいるけれど、彼女自身が自由が奪われるなんて想定はしていなかったのよ。私も初めから罪悪感を持っていなかった。彼女はただのキャラクター、ここはゲームの世界だと思っていたから。
「あなたは不快に思うかもしれない。だけど、私も望んであなたの中に入ったわけではないの。これは……ただの、偶然だったの」
言葉が言い終わる前に、テーブルが強く叩かれる。カップが揺れ、数滴がテーブルに残される。
「偶然なんか認められるわけないでしょう! あなたは周りの全てを知っていた。あのリアナの中身までも! それなのに、偶然? 嘘よ、私は選ばれたのよ。あなたがエリのライバルになるためだけに!」
「知って、いたんだ……」
「当たり前でしょう! どれだけ同じ身体で見聞きしてきたと思っているの! あなたが私の行動を理解したように、私もあなたの行動を理解する時間ぐらいあったわ!」
そう……私が知るようにグレースも私を知った。その想いも。
「さくら、あなた左藤絵里のことを愛しているのでしょう?」
ええ、私はエリを愛している。
「だから、自分なんてどうでも良く、男にも興味がなかったのよ」
このゲームをしていたのもエリと話を合わせるため。
「だから、殿下のことだって……」
ごめんなさい。そればかりはどうしても駄目だったの。
「グレース、私がエリのライバルでいたかったのは本当。でも、この世界に現れた理由はわからないの。エリと再会した最初はニールセン殿下や、ライテリックになって、この世界を一緒に楽しめれば良かったのに思った。でもね、違ったの。エリのことは愛してる。それはなんていうのか……親愛であって、グレースのように肌を寄せ合いたい愛情ではないの。この世界にやってきて、エリが失敗したり成功したりしているのを見たり聞いたりするのが楽しかった。私が暗躍することでエリを驚かせたのが一番楽しかったかもしれない。エリが男性を侍らせる悪女と言われているなら、彼女を高笑いで貶してもいい。エリが逆境に立たされて、足掻いているのを眺めるのも良いわ。だけど、それはエリが一生懸命楽しんでいるのなら。彼女が困っていたり、助けを望むのなら手を差し伸べたい。私の
自分勝手な望みである事は承知してる。
「だからって、私の身体を好きにしていいはずがないでしょう!」
ああ、やっぱり……グレース、あなたは既に……
「それに、さくら! あなたの考えも気に入らない! 欲しいなら、欲しがりなさい! 側にいる理由を遠回しに納得なんて……納得するなんて馬鹿じゃない! そんなの、私と……」
「グレース……」
グレースの恋はリアナが望む限り悲恋で終わる。それはわかりきっている。だから彼女も精一杯の抵抗している。そんな彼女に私は——
「さくら! 私と勝負なさい!」
挑んだの私じゃなかったっけ?
「私が勝ったら、ニールセン殿下とあなたを貰うわ。性根を叩き直してあげる!」
「ちょっと待って! なんで私が賭けの対象になってるのよ!」
「あなたの考えぐらい理解できるって言ったでしょう。私の身体が欲しいんでしょう? だったら自分を賭けなさい」
「確かにそうだけど、言い方がいやらしい」
「いやらしいって……同性でしょうに」
「欲しがりなさいって言ったの、グレースじゃない」
自分で身体を抱いても隠すほどじゃないでしょう。こっちの方が立派なんだから。
「自分に欲情するなんて、とんだナルシストね」
「なんかムカつくわね」
「あら、地が出てるんじゃありません? 美良さくらさん?」
「ええ、元はただの平民よ!」
お嬢様言葉なんて張りぼてよ!
「ふふふ、決めたわ。負けたら、あなたに忠誠を誓ってあげる。侯爵家の姫が平民に頭を下げるの。これなら釣り合いが取れるわね」
まるで勝利宣言のように突きつける。
そこには私の見たことのない、柔らかな笑みを浮かべたグレースがいた。
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