第10話

 オラクルは思った以上にはっきりと回答を用意してくれる。おかげで正しいかどうかの検証は時間がかかるものの、手応えはあった。回答をうまく引き出せない時は、私が悪い。条件が不足しているか状況の設定が足りなかっただけ。


(オラクル、次はカリーナがリアナ側に付いて、ミスティアを軟禁、教会勢力を掌握。フェリシアは在野に潜伏し、シャンティリーがグレースの宗教裁判に——)


「そこまでにしてくれないか」


 またしても、音もなく現れたのは、男性でもなく女性でもない銀色をしたシルエットの……のっぺらぼう。オラクルをひょいと持ち上げて胸に抱くと、辺りを見回して「やぁ」と声をかけてきた。


『test_userがログインしました。ユーザーの割り込みにより、タスク待機状態になります。回答に要する時間が超過することが確定しました。私の負けです。さくら』


(私も遮られたからおあいこよ。引き分けにしましょう。オラクル)


「俺のせいか? ってか、AI相手にコミュニケーションアイスブレイクかよ。peace_makerが悲鳴あげるわけだ。さすが俊英、美良さくら女史だな。俺は——」


(橋本健吾、「君と幻想の楽園で」テストプレイヤーの統括、バイトで参加したつもりが案外気に入って、そのまま創夢工房に入社。現在彼女募集中……は、二年前の記事ね)


「え? どうしてそんな前のインタビュー知って……?」


(恐らく、peace_makerはプログラマーの斎藤亮介。他にプランナーの小林修司、シナリオライターの伊藤彩音はいるのかしら。ウェブ雑誌のインタビューに名前のなかった方は、申し訳ありませんが存じません。他に何か補足がありまして?)


「あんた……嫌なヤツって言われないか?」


(あら? 俊英と言ってくださったのに、欠片でもお返ししないと失礼に当たるでしょう? それとも、おだてればそれだけで機嫌が取れると?)


 表情のないのっぺらぼうなだけに、笑っているのか呆れているのか分からない。それでも震える身体からは、敵意のようなものは感じられなかった。


「ははは、まいったまいった、降参だ。そもそも俺は、あんたに降伏しに来たんだ」


 え?


◆◆◆


 丸いテーブルに四つの椅子が用意され、対面になるよう私と、銀色の人形が座っている。


「メンテナンスが終わるまで、私はここで待機すると言うことね」

「あぁ、サーバーをシャットダウンするわけにはいかない。いろんなところで悪影響が出るかもしれないからな。向こうの世界では時間は進んでしまうが、あんたならそのロスを取り戻せるだろ」


 そう言って、銀色の人形は指を擦り、音が鳴らないまま、人形の私に指先を向ける。

 今の私はオラクルに抱き抱えられた、少女の格好アバターをしている。印象としては三〇センチメートルにも満たない、豪奢なドレスを身につけたフランス人形。姿が見えないのは不便だからと用意されたのだけど、人型をしているだけでホッとする。ただし、勝手に動かれては困ると、可愛らしい人形の体を動かせないのは残念ね。


「状況だけでも知りたいのだけれど?」

「名前の通り、俺はテストユーザーだからな。その辺りはpeace_maker斎藤亮介last_order小林修司に聞いてくれ。あんたに一番会いたがっていたのはsee-ness伊藤彩音だが、影響を受けるのは困ると思って、止めさせた」

「まるで病原菌扱いね。知ってるかしら? 女の子を虐めるのってずっと後になってから後悔するのよ」

「耳が痛いな。貴族の世界でも先触れってあるだろ、まずは場を整えようって話だ」

「そう……それで、降伏って、何をしてくれるの?」

「早すぎない? 俺、もう後悔してるんだけど?」


 test_userは守秘義務があるため、詳しい話は自分の口からは言えないが、敵対するつもりはない。降伏と言ったのは、これまでの私の行動に感服したからだそう。良く分からない考え方ね。

 身体を用意してくれたのは感謝するけど、困ったことに快も不快も顔に出ないのよ。


「いつ終わるかもわからない……お茶会に招待されたってところね。さしずめ、ここはpeace_makerの庭園? 怪しげな格好のtest_userは帽子屋かしらね」

「幸せな夢を見てるlast_orderはヤマネ眠りネズミってわけだ。道案内するチェシャ猫はsee-nessか。三月ウサギ扱いされたpeace_makerは自業自得だろうな」

「そうなの? last_orderは……あぁ、代表だったわね。ミスティアのことかしら?」

「話が早いな。シャンティリーが抱き合うぐらい仲良くなっているのを見て、身悶えてた。あれは人に見せられるもんじゃないな」

「ふふふ、あの二人の寝姿はハートの女王でも見られないのよ。あなたは話ができる相手でよかったわ」


 不意に会話が止まる。何か拙いことでも思い出させたのかしら。


「どうかして?」

「……すまん、勘違いさせたか」

「あなた、失礼な人って言われない?」


 演技でもなんでもなく、驚いた風に銀の人形が動きを止める。必要なのは油差しだったのかしらね。


「不快にさせたのなら謝るが……」

「理由もわからないのに謝る必要があって? 今度はその態度に謝る必要が出てくるわよ」

「……悪かった。前者ではなく、後者の態度を取ろうとしたことにだ」


 誠実なのね。だからこそ、インタビューにあんな事を載せたのでしょうけど。


「そう。なら前者については?」

「わかっていない……だから今度謝らせてくれ」

「口説き文句としては及第点ね」

「口説き……あっ!? いや、俺は、そんなつもりで……」

「それで、何かありまして?」


 ようやく理解したようで、今度は言葉ではなく深々と頭を下げた。そして「敵わないな」と呟く。


「選手交代だ。last_orderが話をするってさ」


◆◆◆


「Alice?」


 しばらくしてlast_orderと、予定にはなかったsee-nessも現れた。二人の格好アバターは、でっぷりとしたビーバーと寝不足な目をしたイエネコ。彼らから私は「Alice」と呼ばれた。


「俺達は君に名前で呼ぶことを許されていないからな。ニックネームだ」

「ごめんなさい。あなたを不快にさせた無神経男のことは謝罪するわ。それで、どう呼べばいい?」

「そう言えば俺も許可もらってないな。どのようにお呼びすればよろしいですか、お嬢様」


 なるほど、今の私は「君と幻想の楽園で」のグレース・ローゼンベルクではない。かといって、このアバターフランス人形で美良さくらと名乗るのも、雰囲気が台無しね。だったら、


「皆様初めまして、私はお茶会に迷い込んだ人形。Aliceと呼んでくださる?」


▽▽▽


「グレース様、おはようございます!」

「ええ、おはよう。マリアンナ。今日も元気ね」

「はい! グレース様と毎日会えるのが嬉しくって。セリーヌちゃんも——」


 キンキンと響く音を届かせないよう、意識に蓋をする。異物さくらの存在がなくなってからというもの、囲まれすぎて鬱陶しい。初めは持て囃されているようにも感じたが、今では監視されてるようで気が休まらない。パーティーション代わりに数人を侍らせたいところだが、入学前から付き合いのある令嬢達は私から距離を取っている。理由を聞けば、私から私物を貰ったから。これ以上は貰いすぎだと。何を馬鹿な事を……


 二人目の女生徒をあしらってから、階を隔てた教室に向かい、挨拶を交わして図書館へと向かう。あの日から私を気遣った司書が、奥まった部屋を貸してくれるようになった。書架が並ぶ手狭な部屋だが、今の私が唯一落ち着ける場所になった。

 ソファーに腰を下ろすと、目の前に湯気の立つティーカップが置かれる。


「グレース様、こちらをどうぞ」

「カリーナ、早いわね。まだ約束の時間じゃなくてよ」

「ありがとう存じます。私は待つのが仕事ですから」


 カリーナ・シュトラウス。成績上位者であるのに、他者を侍らせず、私の補助のため付き従っている。本物のグレースだと認識しているのにもかかわらずだ。前々から異物は自分が消えることを想定していたらしく、カリーナに対し学園を混乱させないように後のことを託した。おかげで私が学園に通うことに違和感を与えずにいるようだ。

 逆に、ミスティア・ラファエリーニは私を敵視する。さくら様を返せと言うが、奴こそ私の自由を奪ったのだ。教室では姿を見なかったが、この先も教会に引きこもってるがいい。ただ、聖女としての実力は間違いないらしく、教会が後ろにあるだけに面倒な存在だ。

 今更だが、異物の内心まで読み取れなかったのがつくづく悔やまれる。何か仕込みがあったとしても排除できようものを……こればかりは、私も覗かれていなかったと安心するべきか。喜怒哀楽のようにはっきりとした感情は見えるのに、他の感情や思考は靄がかかったように読めなかった。せいぜい目覚めている時に、言動が見聞きできた程度。ただ、異物の執着するもう一つの異物に焦がれる姿は、私から見ても醜悪に見えたものよ。


の様子はどう?」

「私の口からは……」


 少し間をおいて出た言葉は何の意味もなかった。相変わらず、男どもを侍らせ悦に浸っているということだ。

 アレは確かに優秀なのだろう。学問の成績は自力で一位を獲り、剣技は操れなくとも、護身はできる。おまけに聖女と同格の治癒と祝福の力を操れる。目障りなことこの上ない。貴族としての振る舞いなど欠片も感じないのに……それよりも、どうやってニールセン殿下を取り戻せばいい? 他の男などどうでもいい、あの方だけ——


「グレース様、直接手を下すのは——」

「わかっていてよ。私は貴婦人達の上に立たなければならないの。人の面倒は見ても、自分を汚すことはしないわ。それから、あなたも動かないでね。それが善意であっても、あなたの行動はわたしに影響を与えるの。わかってるわね、カリーナ」

「もちろんです。父にもそのように伝えております」

「そう。なら、あなたに預けてある資金を引き出してちょうだい。しばらく孤児院に行けなかったから、寄付にするわ」

「その……よろしいのですか? 蟄居と同時に制約があったと聞きましたが」

「あぁ、そのこと? まだ知らなかったのね。ふふふ、気にしなくてもいいわ。だってね——」


 あぁ、可笑しい。こんなことがおきるなんてね。ずっと邪魔してくると思ったのよ。学園を卒業して、公爵家を興して、その先もずっと、ずっと。

 これだけは感謝……いえ、そんなことはできないわ。だって、批難しないといけないのよ。でも堪えられない。


「あはははは、もうお父様はいない! さくらが排除してくれていたの! あなた達が慕っていたさくらは、誰よりも酷い女よ!」

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