第5話

 私が記憶を取り戻してから一年が経った。

 その間にあったことは、エリの教科書が消えたり、エリの外套が泥まみれになった。エリが護身で使う盾に持ち手が無くなっていたり、エリの相手だけ居なかったりする。それらに私やフェリシア、カリーナ、ミスティアは関わっていない。なのに、悪評が付き纏う。

 それは私達の身近に居る、不満分子落ちこぼれがエリを攻撃していたからだった。そのうちの幾つかのグループを捕まえ、話を聞く尋問すると、貧乏子爵なのに生意気だ、ニールセン殿下に気に入られているのが気に入らない、教会のコネで出席日数を誤魔化していると、聞けば聞くほどにくだらない。

 中学時代には悪意は無いという建前の虐めを受け続け、高校では目立たないように背を丸め、周りに気を遣って過ごしてきたエリに、ここでもこの仕打ちなのかと怒りが抑えきれなかった。


「真っ先に三人を引き入れた意味がないじゃない」

「あはは、やっぱりそうだったんだ」

「グレース様、私達にも教えてくださっていれば——」

「気持ちは受け取るわ。でも、不満分子の中に、私の取り巻きが居たのよ。カリーナが動いても難しかったと思うわ」

「教会のコネという言い方は好きではありません。お姉様は請われて教会で学んでいらっしゃるのに……」

「上に不満をぶつけるのが叶わないなら、下に当たる。自分より下がいないのであれば、目立つ存在の足を引っ張るのよ」

「随分と詳しいこと。まるで見てきたように話すのね」

「……さぁ、どうだったかしらね」


 ここにいる彼女達には多少の差異はあれど、エリと私が別の記憶を持っていることを納得している。その顕著な例がエリに心酔するミスティア。反対に納得はしても信用していないのがフェリシア。その間がカリーナというのが、なかなか面白いメンバーになったと思う。


「賢者様、そろそろ落ち着いたかしら?」

「……そうね。フェリシア、先に行って、道を空けてくださる?」

「御意のままに」


 今日は学園二年目最初の実力考査、その発表の日。普段は目立たない生徒も、成績優秀者になれば名前が張り出されるという栄誉を受けることができるため、この試験は競争が激しい。そして、上位者は生徒会に入ることが推奨されている。

 高位貴族の子女であれば優秀な成績がなくても生徒会に推薦されるが、それはプライドが許さない。侯爵家の令嬢としては実力で上位に居なければならない。そして今年は私よりも高位の王族ニールセンがいる。ゲームのグレースはニールセンに配慮していた。だからこそ、彼女の成績はリアナに負け、三位に甘んじていた。

 けれど、今の私に負けは許されない。


 先を進むフェリシアが何事か声をかけると、掲示板を取り囲むざわつきは途絶え、人の道が開かれる。その先にある白い壁に、数十名の名前が貼り出されている。私達はその中央部へと足を向けた。


特別成績優秀者

一位 グレース・ローゼンベルク

一位 フェリシア・ロレンツィオ

一位 リアナ・ウィンスロー

四位 カリーナ・シュトラウス

五位 ニールセン・ヴァンデルベルク

五位 ミスティア・ラファエリーニ

七位 カルフェス・ラウザール

八位 ベルトラン・マーセルローズ

九位 アルフレッド・フォーガードン

十位 カタリナ・ランデンベルク


 見事、私達の名前が上から連なった。唯一ミスティアだけは家格の低さからニールセンの下となったけれど、結果は上出来。驚いたのはフェリシアが私達に並んだこと。彼女はカルフェスを立てるため、わざとミスをすると思っていた。


「フェリシア、ごめんなさい。それからおめでとう」

「ありがとう存じます。グレース様、今回は私が勝ったと思っても?」

「あら、結果は数字に出ているのではなくて?」

「ふふ、そうでしたね。この場は言葉一つ多くいただけた事で満足といたします」


 クスクスとフェリシアらしくない笑みを残し、彼女は人の道を開けさせて去って行く。そしてフェリシアを学園で見るのはこれが最後となった。


「グレース様、私も勝ったと思っていたのですよ」


 さっきまでの静寂とは打って変わり、辺りがざわめき立つ。私の後ろから前に出たリアナは堂々としたものだったから。


「見くびらないでいただけるかしら。初めから負けるつもりなんてなくてよ?」

「わかりました。次こそ勝ってみせます!」

「ふふふ、試験に上限があるのが無粋ですわね」


 ゲームでは必死に勉強するリアナの姿があった。プレイヤーとしてはニールセン攻略のためだったけれど、何が目的であったとしても、それは褒められるべき努力だった。

 手を差し伸べると、指先ばかりに堅さがある手が握り返してくる。このシーンはゲームでは存在し得ないもの。それができたことに、私は満足を覚えていた。


「グレース!」


 突然、人壁の向こうから声が上がる。声の主を確認するまでもなく、ゆっくりと頭を下げる。グレースを呼び捨てにできる存在など、この学園には一人しか居ないもの。


「殿下、ごきげんよう」

「あ、あぁ……いい成績を残せたようだな」

「ありがとう存じます」


 だけどおかしい。この場にニールセンが来ることがあったかしら。いえ、そもそも、グレースも掲示を見に来ることがない。プレイヤーとして掲示を見るのは当たり前だったからすっかり勘違いしていた。

 このイベントではリアナが成績に大喜びして、生徒会から声が掛かる。そして、案内された生徒会室でニールセンと三人、そしてグレースに会うことになっていた。そのトリガーでもある。

 いつまでも次の言葉をかけてこないニールセンを伺うと、掲示に魅入られている。


「まさか、本当に……」

「殿下、どうかなさいましたか?」

「グレース、これはいったい……」

「リアナさんはとても優秀な方だったのですね。私、彼女のことを見誤っておりました。殿下のご慧眼、改めて称えさせていただきます」


 これまでにわかったことのひとつ、グレースの謝罪や賛辞はニールセンに対してだけは容易に行える。それでも人前で行えたことに違和感を覚えた。自由度が上がっている? グレースの意識が薄れて感じ取れない。今もニールセンに会えて嬉しいという気持ちが湧き上がってこなかった。


「……そうだな。だが、この成績は誠なのか?」

「はい、殿下。リアナさんとは時間を合わせられませんでしたが、友人達と不足を補っておりました。元より優秀な方々でしたから、私も熱が入ってしまいました」


 いつも使う喫茶店のあの個室は、もはや私の私室同然になっている。貴族が使う個室なだけあって、音は漏れず、複数の出入り口があるため、誰と会っているかわかりにくい。授業がない日などは、別邸よりも個室に居る時間の方が長いぐらいね。

 そんな場所をただ会話だけで終わらせるのは勿体ない。ニールセンに話したように、リアナが不在イベントの日は、カリーナとミスティアの勉強を見ていた。元より、成績上位に名が上がるメンバーなだけに、ミスがあったのも僅かな覚え違いだけ。だからこの結果は少しおかしい。きっと二人はうっかり遠慮して書き間違えてしまったのでしょうね。フェリシアも途中から勉強会に参加するようになった。ツンツンとした態度は変わらなかったものの、二人に教えるのは私よりも上手だったように思う。


「なるほど、道理だな。リアナ、グレース、良く秀でた成績を収めた。皆も、優秀な成績を収めた彼女達に賛辞を」


 ニールセンの音頭で掲示板に集まっていた生徒達からグレースとリアナに祝福と拍手が重ねられる。後ろに隠れていたカリーナとミスティアが恐る恐る前に出ると、拍手がまた大きくなる。そして、軽く頭を下げ、誇らしくも柔らかな笑みを返していた。


◇◇◇


 私達が生徒会室に呼ばれたのは、翌々日のことだった。

 成績優秀者であるフェリシアが、あの後すぐに退学届を出して学園を後にした。そのことが問題になって、生徒会への勧誘を止めさせたのが原因ね。


「姉は『少し勉強した程度でトップを取れるのですから、独習で十分です』と言っておりました。それから——」


 少年は私に向かい、深々と頭を下げた。


「『全力を出すことができた』とも言っておりました。その気持ち、場所を用意して下さったグレース様に、感謝申し上げます」


 これまでの彼女はカルフェスを立てるために、身を引いていたのね。ゲームでは常に五位という、上位ではあるものの誰かを引き立てるためにいるという存在だった。そんな彼女に、私は全力でトップを狙うと告げた。ニールセンを超えると発言することがどれほど影響を与えたのか、結果を出した彼女を思い、嬉しい反面、残念な気持ちも心に残る。


「せめて、あと一年ご一緒できれば良かったのですが……」

「それは無理でしょう。フェリシア様は伯爵家の令嬢。今回は殿下が引いてくださったお陰で問題にはなりませんでしたが、翌年も続けばどうでしょう。成績を維持していれば、あの方々よりも上位に、成績を落とせば不正があったと言われかねません。フェリシア様がそれを黙って受け入れるとは……私には思えません」

「それって、つまり……」

「カルフェス様との婚約は白紙になりました。これは先方からではありません。姉が自ら父に申し出たのです。『私は少々出来が良すぎました』と」


 私の後ろに控える少女がクスッと笑いを溢した。それを見咎めるものは誰もいない。それどころから目を合わせても良いものかと、皆の目は困惑を浮かべていた。

 やがて一人の少年勇者が代表して、口を開く。それはまるで自分なら咎を受けても大丈夫と、覚悟を決めた顔をしていた。


「グレース様、自分は後ろに御座す方の御名を存じておりません。どうか御紹介を願えないでしょうか」

「あれ? これってバレてませんか?」

「そうみたいね。一人で出来るかしら?」

「お義姉様、子供扱いは酷いですわ」


 一歩前に出た少女は、こほん、と可愛らしく咳を払い、裾の長い侍女服をスッとつまみ上げると、飾り気のなかったスカートに綺麗な波を打つドレープを作り出した。


「皆さま、初めまして。わたくし、シャンティリー・ヴァンデルベルクと申します。ぜひ、シャルとお呼びください」


 パチリと可愛らしくウィンクをすると、固まっていた三人は慌てて膝を突いた。


「シャンティリー殿下! 御無礼をお許しください!」

「王女殿下とは露知らず、上から見てしまい、申し訳もございません!」

「シャンティリー殿下、知らぬ事とはいえ、え、と、も、申し訳ありません!」


 グレースの婚約者、ニールセンの妹、シャンティリー・ヴァンデルベルク王女殿下。ゲームでは後半にしか出てこないが、女版トリックスターとも言える、強権を持つ少女。

 シャンティリーは十歳、並べば私の胸ほどしかない。私よりも背のあるカリーナでは仕方がないでしょうね。ライテリックは十三歳になったばかりなのに、朧気ながらでも気づくなんて、さすがね。ミスティアは教会に通うばかりじゃなく、社交も出ないと駄目よ?

 頭を下げている彼女達を見て、シャンティリーが口を尖らせる。


「お義姉様! わたくし、ちゃんと自己紹介しましたのに!」

「シャル。自己紹介は良くできました。褒めて差し上げます」

「ありがとうございます!」

「でも、今のはシャルが言いたいことを言っただけ。だから皆も自ら思うことを言ったの」

「だめなんですか?」


 末妹姫だけに、甘やかされたシャンティリーには、付き従う者が皆が意図を組んでくれていた。さっきの言葉もすぐに受け入れられると思ったのでしょうね。

 ゲームではミスティアと共にハーレムを築くリアナと敵対する。ならばこそと、懐柔しようとしたのだけれど、彼女の世界にはこれまで無かった異物に懐いてしまった。


「ええ、駄目よ。あなたは王女殿下。彼女達は王族を支える貴族の子女。本当なら、直接会うことも見ることもできないの。今も皆、頭を下げているでしょう? シャルはどうしてあげたい?」

「……! 皆さま、ぜんぶ許します。顔を上げてください。それから、わたくしとお友達になってください!」

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