第4話

 心地の良い陽射しと、穏やかな風が通り抜ける。ちょうど日陰になった東屋には、清潔なテーブルクロスが敷かれ、お茶の用意が整う。その下拵えを終えた使用人は、演者が揃うと一礼して、その場から退出した。


「なるほど、リアナはそう考えたのか」

「はい、殿下。先日も教会で授かった寄付を孤児院へ届けたのですが、育ち盛りの子を何人も抱えては、それぞれに目も行き届かず、心労も溜まる一方だそうです」

「……」

「だからって、学園に来る日数を減らすのはどうかな? リアナも貴族だ。将来のことを考えれば、友人は増やした方がいい。なによりここで受けられる勉強は領地の運営に役立つだろう。私も将来は領地を授かる身、一日でも多くのことを学ぼうと考えているよ」

「ご心配くださって、ありがとうございます。私も貴族院から優遇していただいておりますので、恩は返したいと思っています」

「…………」


 目の前で演じられる劇に、本来の相方はグレースではないかと胸の裡が燻っている。

 この他愛のないイベントに、フラグは全く影響しない。ただ、グレースを怒らせるためだけに存在する。こんな小さなイベントの積み重ねが彼女を凶行に走らせる。避けられるなら避けても良かったのに、強制力を確認したくてお茶会という名の喜劇に参加することにした。

 私はゆっくりと意識を手放す。


「グレースはどう考える?」

「はい、殿下。貴族は貴族の考え、教会は教会の考え、民は民の考えを持つように、彼女も自身の考えを持つのでしょう。私には人の心を読むようなことはできかねます」

「それは、どういう——」

「あ、あの! グレース様、私は——」

「黙りなさい! 殿下の発言を遮るとは何事ですか! あなたは最低限の躾もされていないのですか! ……申し訳ございません。殿下の御前、失礼を致しました」

「いや、いい。リアナも悪気があってのことじゃない、グレースも許してやってくれ」

「はい、殿下」


 グレースはニールセンが蔑ろにされてついカッとなった。それをバネに不心得者に叱責を飛ばして、声を荒げても良い状況を利用する。

 なるほど、ニールセンを慕っているのは間違いない。元は政略結婚だと設定にはあったけれど、それ以上に温かな記憶もある。これを奪おうというのだから、主人公プレイヤーは相当の覚悟が必要だったのね。それに気づかないから……

 リアナはオロオロとして失態を繰り返す。それを笑みを浮かべながら話しかけるニールセンは、まるでグレースがここにいないかのように振る舞っている。今の彼女はペットが粗相しているのだから目を瞑ろうと、心に蓋をする。

 グレースはニールセンに気持ちを伝えていない?

 記憶をたどってみても、靄がかかったように欲しい手がかりは得られなかった。


◇◇◇


「みよちーん、あれ、どうしようもなかったの。ゆるしてー」

「平気よ。気にしてないわ」

「!? いや、待って! 待って!! それ、すっごく不機嫌な時の返しじゃない。えーと、話、しよう?」


 間違いなく、私自身が不機嫌だった。

 さすがに長く一緒に居る親友だけあって、こちらの態度もよく知ってるのね。


「……グレースの感情に引っ張られるの。そのことに私自身が共感しようとしてる。この先、完全に混ざり合ったら、きっと良くない態度を繰り返すわ」

「いいんじゃないの? それが本来のシナリオってことなんでしょう? このまま進めば、そこのリアナが大出世、私は安泰、なのよね? あなたが不在な方がいいじゃない」


 上手く言葉を濁して、目上の名前を出さないようにしている。例え誰かに聞かれたとしても、子女の夢見る戯れ言だと吐き捨てれば、悪影響は残さない。

 今日はカリーナとミスティアが居ない代わりに、協力者としてフェリシアがいる。彼女を引き入れる条件に、情報未来を提供した。私を追い落とせば、リアナがニールセンと結ばれ、大公となる可能性が高まる。それには仲間とともに実績を重ねる必要がある。その仲間にカルフェスや、アインザックの名前を挙げた。それだけで彼女の興味を引けた。すでに聖女としての実力を示しつつあるミスティアはエリに心酔しており、もはや障害になることはない。カリーナに至っては、これからもエリの身の回りは任せてくださいと言ってくれる。

 お膳立ては整いつつある。けれど、実行に移すにはまだ時間が必要になる。それに、一番の問題が目の前ある。


「フェリシア、それは私が許さない」

「様を付けなさい、子爵の娘」


 予想以上に二人の相性が悪い。考えてみれば、ハーレムルートでは近寄ろうとしなかった二人。唯一の和解はフェリシアが無事に結婚に至ってから。結果に繋がるまで心を許さない。思い込みは激しいけれど、それでも常に成績上位にいる令嬢なだけに、是非とも協力者に引き入れたかった。彼女にはやってもらいたいことがあるのよ。


「安心なさい。必要な場では力を貸します。それが契約でしょう、賢者様?」

「ええ、期待しているわ、伯爵の娘」

「っ……!」


 フェリシアを貶める証拠などないけれど、エリに対しての言動は目に余る。多少の叱責反感は必要経費だとする。それに自身で契約と言っているとおり、この話は彼女にメリットが多い。無闇矢鱈に吹聴して、計画を破綻させることはない。仮に私と敵対することになっても問題は無い。彼女がそれを選べば、ドロップアウトすることが確定しているのだから。


◇◇◇


「グレース様、本当にあの二人の仲を僕が取り持つんですか?」

「対価に見合った報酬でしょう?」


 新しく用意させた紅茶を口に含むと、少し力が抜けていく。おかげで目の前に座る少年の困惑を、楽な気持ちで受け止めることができた。

 暗幕に隠れ、一部始終を聞いていた少年は、「さっきのことですが」と言葉を続ける。


「報酬を吊り上げたいとかじゃないんです。あれだけ敵意を向ける姉を見るのが初めてだったので、どうしようかなと……」

「こればかりは、シナリオが影響しているとしか言いようがないわ。あなたも私の無様さを見ていたでしょう?」


 侯爵令嬢である私の噂は瞬く間に広がる。そこに尾ひれがつくと、ただの叱責がカップを投げつけたという三流の演目にまで辿り着く。

 孤児院で私のことを知った少年は、私を見ようと学園に忍び込もうとする。私からもシナリオに沿うリアナの事を見てもらう必要があり、協力を申し出た。少年には次に起こるイベントこそ見てもらいたかったけれど、ギリギリで断念した。次はリアナとフェリシア、二人の対決となる。そのシーンを見せれば、きっとリアナを許すことはできなくなる。少年も貴族の子であり、姉を慕う弟でもあるのだから。


「このシナリオって、変更はできないんですか? ここで見るエリさんがあの方に愛想を振りまくなんて、違和感が凄いです」

「あら? エリは可愛いわよ。リアナで居る方が無理をしてるぐらいかしら」

「はい。僕もエリさんは可愛い人だと思います。ですから、リアナさんが取る態度が正直……」

「ふふふ、考え過ぎると、あなたもリアナに取り込まれるわよ。だから、見るのはエリにしておきなさい。それと……」


 シナリオについては私も断定ができない。基本はハーレムルートを通っているのは間違いない。それなのに更に仲を深めるイベントに違和感がある。そのあからさまなつじつま合わせが、先日起こった暴漢による女生徒の拉致事件イベント。本来はアインザックと同級生が救出する。しかし、解決したのは、ニールセン、カルフェス、アインザック、そしてシルヴィス。リアナはその場には登場せず、四人から自慢気に報告を受けるというイベントに変わっていた。その報告を受けた私は、シナリオライターが代わったのかと思ったほど。

 結果的に、シナリオ通りになってしまったことで、カリーナは怪我を負った。回避できれば良かったけれど、前もって知らせておいたお陰で、本編以上に酷いことにはならなくてホッとする。

 そして、既に好感度が高いアインザックにフラグを立てる必要が無いのか、その治療はミスティアが担当。二人が今日、ここに来られなかった理由。


「ロレンツィオ家で例えてみましょうか。私の知る未来設定資料では、長子ヘルマンがレイラ・コリントスと結婚。血統は続いていくことになるわ。もしヘルマンが後を継げなくなった場合、代わりにライテリックが後を継ぐことになるのでしょうね。それは子々孫々受け継がれる、貴族としての宿命。そうすることでロレンツィオ家が続く。これが一族の意思シナリオ。主たる道筋ルートが定められたもの。同じ結果エンディングにするものと考えてもらえるかしら」

「結果に沿うよう、出来事イベントを変更させる、ということですか?」

「正解。カリーナの事件は、本来はリアナが役目を果たすものだった。出演者が変わったことで、その場面にリアナは必要ではなく、ミスティアが代わりに選ばれた」

「カリーナさんが救われたという結果は変わらないから、どちらでも良かったんですね」

「なるほど、そうね。そうとも取れるわね」


 ハーレムルートに進んでいるから、他のライバルキャラの登場シーンは最小限バックグラウンドにしたいという、思惑も透けて見えるのだけどね。


「でも、リアナさんの視点でシナリオが進むのなら……牢屋にでも閉じ込めますか?」


 さすがはトリックスター。強制的にイベント終了じゃないの。ゲーム中でも、「どうしてこのタイミングで現れるのよ!」と何度も叫んだことがある。

 少年のアイデアを使えば、シナリオのキャンセルは無理でも混乱はするでしょうね。だけど、


「駄目よ。エリとリアナが分けられるならともかく、エリを閉じ込めるのは私が許さない」


 なにより、シナリオから大きく逸脱することで、着地地点が分からなくなる。

 調子に乗りすぎている少年を少し睨むと、クスクスと笑いはじめた。


「自分に酔ってるのかしら?」

「すみません、そういうつもりではありませんでした……でも、エリさんとみよちんさんのお二人はそっくりだなと思って」


 何が、と言いそうになって、さっきのエリとフェリシアを思い出した。フェリシアの態度にエリが怒り、そして少年の態度に私が怒る。二人して、なんて……らしいことを。

 たったそれだけのことで、気分が良くなって、目の前の少年を許すことにした。


「ライト、私のことは「さくら」と呼びなさい。みよちんと呼んでいいのはエリだけよ」


 少年は呆けたように黙っていると、すぐに大きな笑みを浮かべ口を開いた。


「わかりました、さくら様」


△△△


「さて、これをどう見る? 同志諸君」

「メインシナリオに影響を与えず、令嬢キャラのみ攻略とは恐れ入るわ」

「主人公と接触さえなければ、モブに自由行動を与えたけど、彼女達もそうだったのかい?」

「会話次第で変化も起こる。外的要因で行動の変化も想定していた。それでも、メインシナリオに影響を与える場合は補正が働くんだが……」


「あのさぁ、俺のティアちゃんが百合百合してるんだけど? そりゃ、アフター作ったときは叩かれたけどさ、格好可愛いいミスティアが見たかったし? 後悔はない! けど、このルートだったら、確実にお邪魔キャラになっちゃうだろうが!」

「ハーレムルートを選択した彼が悪い」

「その彼は?」

「病院。リプレイをコピーしたから、一人で見るんだってさ」


「まぁ今更リセットもできないし、悪影響が広がるだけだろ。俺達もリプレイ検証するぞ」

「「「おぅ!」」」

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