第3話 「強制力」

第3話 「強制力」


「はぁ……」


 ため息がまた一つ漏れる。

 どうして私は、あの場所にリアナを連れ出したのか——。

 校舎を出て、東屋ではなく、木々の並ぶ小道を進み、そして脇にそれた。

 意識してそうしたわけではない。ただ、ただそこへと足が向いただけ。


 そしてまた、私たちはイベントで使われた場所にいる。


 エリが言いたかったことが、今ならよく分かる。


「これって、シナリオの強制力よね」


 わかっていたはずなのに、言葉にすると、ひどく現実味を帯びる。

 選んだつもりのない道を辿らされ、望んだわけでもないイベントに巻き込まれる。

 つまり——このゲームでは、「シナリオに逆らう」ことができない。


「だから、説明しようとしたんじゃん!」


 先の出来事を鮮明に覚えているらしく、エリは身振り手振りを交え、頬を染めて早口で語る。

 男子生徒——グレースの婚約者、第三王子ニールセン・ヴァンデルベルク——が、私たちのやり取りに諍いがありそうだと聞きつけ、当然のように仲裁に名乗りを上げる。見ていなくても、そのシーンは知っている。グレースイベントのトリガーだもの。

 そうして探しに出たニールセンは、林間でグレースがリアナを問い詰めている場に出くわす。

 まだ物語の序盤でよかったのかもしれない。


「そう……これから私は、あなたに生殺与奪を弄ばれるのね」


 軽い冗談のつもりだった。

 だけど、口にした瞬間、胸の奥に冷たいものが流れ込む。

 ——まるで、誰かと意思が混ざり合ったかのように。

 気づけば、口の端に笑みが浮かんでいた。


「『婚約者のある異性に侍るのはよろしくなくてよ?』」


 何の気なしに口をついて出た貴族らしい物言い。

 心臓が鈍く跳ねた。

 これは私が考えた言葉ではない。ただよく知っている——グレースの言葉。


 イベントの進行通り、リアナの顔が青ざめる。


「ほんっとう、ごめんって!」


 結局、私は「グレース・ローゼンベルク」という役割を演じるしかないということ。

 私よりもリアナには自由があるみたいだけど、それでも進行に阻害を齎さない。


 この場は、ニールセンに宥められたグレースがリアナをお茶に誘い、双方で詫びをさせられるシーン。密かに相対させることで、体面を守ろうとしてくれる配慮はある。しかしながら侯爵令嬢のグレースがそのまま受け入れるはずがなかった。

 ニールセンに手間をかけさせるのは本望ではないと、彼を説得してこの場には近寄らせなかった。また、令嬢たちにはと伝えた。それがどういう意味を持つのかは、推して知るべしだろう。

 そしてこのお茶会以降、二人の関係はどうしようもなく決裂していく運命を辿る。


 グレースの口が開かないでいると、青い顔をしながら言い訳を口にする。


「いやだって、ゲームの看板キャラ、超美形のニールセン様が顔を寄せてくるんだよ? 照れるなって言う方が無理じゃん!」


 さっきのは……三枚目のスチル。

 グレースの行動を詫び、痛いところはないかと顔を寄せるニールセン。もう少し仲が良かったら、顎を上げさせていたかもしれない。

 背中がぞくりとする。


「ねぇ、エリ。今ね、胸の奥がざわついているの。まるで熱を持った何かが疼くように。これは私の感情? それとも、グレースのもの? ……この扇、結構重いの——どこに置いたらいい?」

「いや、待って! 本当に待ってよ! このまま進めたら、まずいって! 私——リアナのせいなんだけどさぁ!」


 私たちは敵対したくない。

 だけど、このゲームにはリアナとグレースが手を結ぶ「友人エンド」なんて都合のいい選択肢は存在しない。

 唯一、二人が争わずに済むルート。

 それは——リアナが誰も選ばなかったぼっちエンドの世界線。

 そしてその道は、既にない。リアナ自らが閉じたのだから。


 リアナはテーブルに頭をぶつけそうになるくらい、ペコペコと頭を下げている。ニールセンに仲裁された以上、グレースも謝罪せざるを得ない。離れているニールセンと取り巻きの令嬢たちに、このシーンがどう映っているのか……主人公側では見えなかったものが、今なら悪役令嬢の視点で理解できる。


 リアナは居住まいを正して、聞いて欲しいと告げた。


「……私の中にもあの子がいて、勝手に動き出そうとするのがわかるの。ここに座ってからは落ち着いてるけど、なんだかオートモードがあるみたいでちょっと不思議な感じがする」

「オートモード……なるほど、選択肢まで進めてくれる便利な機能よね。この世界でも同じなのかしら?」


 エリの言うようにオートモードがあるのなら……おそらく、グレースはリアナとまともに対話することさえしなくなる。謝罪したことにして、強く注意する。それでこのイベントは終了。ここで別れてしまえば、残るは敵対イベントばかり。そうなっては手遅れになる。できる限りの情報を集め、共有しておかなければいけない。


 試しに、私はグレースにはそぐわぬ行為——つまり謝罪をしようとした。

 けれど——身体が動かない。

 頭を下げようとして、それ以上は動けなかった。

 まるで、見えない鎖に縛られているように、指先すら、思い通りに動かない。

 さっきまで揺れていた髪も、空気に固められたように静止している。

 理由はわかる。グレースの謝罪はそんなに安易なものではないからだ。


 やはり私たちの行動は制限されている。

 目を閉じ、口元を扇で隠すと、私は呟いた。


「エリ、人目があるところでは、どうしても強制力に負けてしまうわ。明日、学園の外で会いましょう」

「うぅ……お願い、あの子らに注意してね」


 目だけは辛うじて動いた。横目で取り巻きたちを見れば、不快げに眉を歪ませる令嬢たちの顔が映る。

 余計なことはするな、その一言だけ伝えればいい。しかし、それを口にした後、何が起こるかを、つい口元が歪むのがわかる。


「……善処するわ」

「グレース様!」


 その声とともに、私は席を立った。そして、リアナの縋る声を聞いても振り返ることはできなかった。


 心配そうな令嬢たちが私の元へ集まる。

 ニールセンはしょうがないと目配せをした後、リアナの元へと向かう。

 まるで、シナリオ通りの役割を演じることが決まっているかのように。

 ——私は、動かされている。

 このままでは、グレースは破滅のルートを選ばされる——。

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