第2話 「同人ゲーム」

第2話 「同人ゲーム」


 愛用の扇を、パチリ、パチリと指で弾く。

 そして、深いため息が漏れた。


「エリ、あなた、どこまで覚えてる?」

「んー、二人で同人ショップを出たくらいかな? 突っ込んできたのは新型SUVよね。市街地の自動運転、まだ過渡期だったから——」


 エリは一度眉をひそめた後、腕を組み、少し考える仕草をする。


「もしかして、データの誤作動だったのかなぁ……衝突防止の補助システムって、理論上は——」


 私は扇を開き、パチリと鳴らした。


「話が逸れているわよ。」


 エリは「ごめんごめん」と肩をすくめる。

 令嬢たちを遠ざけて正解だったわ。

 私を心配する令嬢たちにはついてこないように命じ、リアナだけを連れ、木々に隠れられる場所へと移動した。


 エリの車好きは可愛い従弟くんの影響。興味を惹こうと演じたら、後に引けなくなっただけなんだけど。

 前に「タイヤが四つあれば車なんでしょう?」と言ったら、「お子様ね」と返されたこと、忘れたことはないわ。


「車の話はどうでもいいの。答え合わせがしたいのよ。そうね……あの時、エリが買った本、男の子が闇堕ちするストーカーになるのよ」

「ちょっと待った! 帰ってから読むから、ネタバレしないでって言ったじゃん!」

「お姉さんの手ほどきを受けて、布団に逃げ込むまでは良かったのにね」

「なんで!? そこまでいって、闇落ち!? あああああぁぁぁ……んの原作者! 何してくれてんの! 神絵師に何を描かせようとしてるの!? いや、見たいけど……あとで全部教えて! できればシーンの再現つきで!」


 しばらく悶えたあと、私の両肩を掴んで力いっぱい揺らす。


 その反応を見ていると、私の記憶と大きく変わることはなさそうね。

 つまり、あの交通事故は本当に起こったこと。私たちはそこで一度終わった——だったら、ここにいる私たちは……?


 目の前の少女は、間違いなくリアナの姿をしている。

 けれど、視線を向けると、まるで自分の正体を見抜かれたかのように目を逸らし、ゆっくりと伏せる。


「やっぱりそうね。人と目を合わせられなくて、すぐに下を向く。考え込むときは、口元に手を添える……リアナにそんな仕草は似合わない。それに、私を『みよちん』なんて呼ぶのはあなただけよ、左藤絵里さん」


 まだ幼さの残る整った顔。その小さな唇がツンと尖る。

 その仕草もリアナにはふさわしくないわね。


「そっちこそ、ゲームに誘ったら、設定全部覚え込むくらい無駄に熱心だもんね。それでゲームが終わったら、『普通ね』なんて言ってたっけ。でもさ……ひどいことを言わなかったのも、美良さくらさんだけだったよ」


 ぎゅっと締め付けられる感覚が心地いい。だけど力加減がどこかぎこちなく、こちらが力を入れて返すと怖がるように緩められる。


 私たちは中学で同じクラスになった。調子に乗りやすいエリは、最初に印象を付けようと幼いながら考えた。だけど、あの自己紹介がまずくて——


『左藤絵里です。甘くない方のサトウで、人偏がないんです』


 その日から、エリは「人でなしのサトウ」と揶揄されるようになった。その辛い出来事が私たちを結びつけ、親友にもなったのだけど……それからは何度も喧嘩もした……一度も口にできなかった言葉もある。だけど今さら口に出来るはずがない。


「覚えてないわ。過去を振り返らないのが良い女でしょう?」


 私の言葉に、エリは呆れたように肩を竦ませた。それを合図に、抱きしめていた両手をゆっくり解いて、少し距離を取る。


 ここは迷い込むように足を踏み入れた木々の並ぶ小道。見上げれば銀杏のようにも紅葉のようにも見える、変わった葉が連なる。今は花粉を飛ばしていないのか、植物よりも土の匂いが強く薫った。


 ふわりと風がそよぎ、赤みを帯びた豊かな金髪が揺れる。いつの間にか付いていた花びらが目の前を舞い、指先で摘もうとしてすり抜けていく。


 記憶にある私は高校を卒業したばかりの十八歳。身体を壊してからは、こんな風に自然にたおやかな仕草ができなかった。

 この身体は十四歳。学園でも、一、二を争うほどの美少女、ローゼンベルク侯爵家の令嬢グレース。


「でもグレース様は根に持つキャラよね」


 ええ、知ってるわ。

 そして、彼女の姿はウィンスロー子爵家令嬢リアナ。下級でも、貴族の出。元気が取り柄だけれど、軽々しい話し方は決してしない。


「エリ……これって、同人ゲームの『君と幻想の楽園で』よね」


 タイトルを読み上げるところで見事にハモる。そして、同時にため息が一つ。

 認めたくないけど、ここはゲームの世界らしい。


 私たちに生前の記憶を持たせることで、悲しませたかったのだろうか。それとも後悔させたかったのか。私は別の世界にいると、末期の言葉を伝えさせたいのか。

 だけど、まるで蓋があるかように感情を揺さぶられない。それよりも今すぐ前を見ろと焦燥感が募る。

 ゆっくりと顔を向ければ、青い髪の少女が目を逸らす。


「聞いておきたいことがあるのだけれど?」

「言いたくないなぁ」

「そうも言っていられないわ。このゲームのエンディングの数、知っているでしょう? それで、どこまで進めたの? ってチュートリアルが終わってすぐのところよね?」

「んー……まあ、いろいろと……?」

「はっきり言いなさい」

「言ったら怒ると思うんだけど……」


 言葉を濁すなんて……嫌な予感がする。

 このゲームは、攻略対象ごとにノーマルエンドとトゥルーエンドの二種類がある。対象は五人、つまり合計十個。

 さらに、物議を醸したまである。


 ルート次第で、登場人物の出現タイミングやシナリオも変わる。

 グレースとリアナの最初の出会いは、登場人物の紹介が終わってまもなく。一人に絞っていれば最短でday2——


「……全員」

「は?」

「だから全員。隠しキャラまではフラグが立ってないけど、四人のルートはどれもチェック済みよ」


 耳を疑い、もう一度聞こうとして息を止めた。

 そして、リアナが自信たっぷりに——生前にはなかったはずの——豊かな胸を見ると、無性に腹立たしくなる。

 ……いや、冷静になりなさい。

 深く息を吸い、言葉を選ぶ。


「逆ハーなんて、馬っっ鹿じゃないの!?」


 耳を塞いだって駄目よ。

 このゲームの主人公は聖女候補のリアナ、グレースは立ちはだかる悪役令嬢。他にも三人の令嬢たちと競い、優秀な成績で卒業して、イケメンと結婚籠絡に至るまでが本編。


 一人に絞っていれば避けられた衝突も、逆ハーレムなら確実に敵対する。そして、私は表舞台から消える。

 グレースに友人エンドはない。そのこと、エリも知らないはずがない。


「さっきまでこの子自身が行動してたから、どうしようもないじゃない。それに、自分の容姿を理解して動いてるみたい。ふふん、我ながらこの美少女っぷりが恐ろしいわ」

「はいはい、そういうことにしておいてあげるわ」

「ちゃんと聞いてよ。それに、私の本命が誰か知ってるでしょ?」


 私は目を細め、扇を軽く閉じた。


「『ライトくん』、でしょ」


 エリの本命は隠しキャラ。ゲーム開始時は十二歳と幼く、更に物語が進行しないと接触の機会がないのよね。


 不意に、腹立たしいという感情が湧き上がる。

 今の会話のどこにそんな思いをもつ理由がある?

 なのに、感情を抑えられないまま、口が勝手に開き始める。

 ああ、そうか。これは——


「……どういうつもりかしら?」


 低く落ち着いた声が、静かに空気を震わせる。

 自分でも驚くほど、口調が変わる。

 私の唇が、グレース・ローゼンベルクとして形作られる。


「え? いや、本当に……話を聞いてください! グレース様!」


 エリも急に態度を変える。必死な表情はまるでゲームのリアナそのものだった。


「何をしている!」


 突如、鋭い声が響く。

 ひどく馴染みのある、それなのに初めて耳にしたような言葉。

 何かが、確かに繋がった。


 ゆっくりと振り返った瞬間、時間が止まったように感じる。

 黄金の髪が木漏れ日を受けて輝き、強い意志を秘めた瞳がまっすぐこちらを見据えている。

 光と影のコントラスト、隙のない完璧な構図——

 第三王子ニールセン・ヴァンデルベルク殿下。


 ——同時に、ふとこんなことも思う。


『これ、二枚目のスチルだ……』

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