クリサリスのリング
第1話
翌日ノアはいつも通りにホームワークを済ませた後ラボームへ寄った。
なんとなく気詰まりな挨拶を凍汰と交わして、仮眠室と応接室の掃除を始めた。
モップをかけながらノアは昨夜のできごとを反芻する。
時空双子であるといわれれば理屈抜きでその相手を助けねばならない。
それが自分の運命を左右することになるのだから。
大部分の人がたとえそんなのまやかしさと嘲笑ったとしても。
それが本当にあることなのだと知ってしまっている自分は、それを否定するわけにはいかない。
そう、知ってしまったのだから。
アロマダウザーとして。
他人に無理強いするのではない、他ならぬ自分の為なのだから。
けれど、自分一人でできるのだろうか。
やはり叔父の夢惣に相談してみなければ。
そうしなければどう一歩踏み出していいのかすらノアにはわからないのだった。
「ただいま」
タイミングよく夢惣が帰ってきた。
花の香りが漂ってくる。
朝摘みの花の香りだ。
その新鮮さに今年の花の出来の良さが伺われる。
「あ、夢惣おじさん、おかえりなさい」
「ノア、ちょっとラボルームへおいで」
夢惣は蓋つきの四角いバスケットをソファに置くと、そのまま部屋を出ていった。
「おそうじ、まだなの、ごめんなさい」
「それよりだいじなこと、あるのではないかな」
夢惣の後姿にノアはうなずくと、モップを置いて後を追った。
ノアの叔父の夢惣は扉を開けるとラボルームへ入る前に一礼して中へ入っていった。
ノアもそれに倣った。
夢惣は南面している壁に飾ってある公認アロマダウザーの証明書の額に、今日もつつがなく務められますようにと軽く会釈した。
それからサイドボードの上に「新しい花の分」と呟きながら小さな青い遮光壜を並べた。
いつも通りに柔らかな物腰でラボルームの四隅それぞれにたまっているほこりをほうきで集めはじめた叔父に、ノアはどう話しかけたらよいのか迷っていた。
「その先の世界を知ることができる、唯一の感覚だよ、嗅覚ってのは」
夢惣は香粉を撒き終えると誰に言うでもなくそんなことを言った。
「つまり、目でも耳でも舌でも手でも到達できないもう一人の自分がいる世界に、唯一到達できるのが嗅覚による導きなのさ」
その話は今までにも折にふれ聞かされてきた。
ノアがアロマダウザーになると入門してから、アロマダウジングの原理についてはそれこそいやというほどみっちりたたきこまれてきた。だから頭では理解しているつもりだった。
でも、今日の夢惣の口調はいつもとは違っていた。
穏やかに語り口の中に何か心配ごとが潜んでいるような感じがした。
「アロマダウジング。それを極めることができれば、香りを構成している物質の中から固有のアロマ因子を探りあて体内に取り入れることによって、肉体を次元を超える物質に変化させて、不調の原因を探し当てて、人の心の調整をすることができるようになる」
夢惣はゆっくりと語り続ける。
「これは、まあ、上級のさらに上、特級、つまりスペシャルでなければできないことなんだ。訓練を積んだからといってできるとも限らない。けれど、偶然のいたずらで、できることもなくはないんだ」
そこで夢惣は息をついた。
「初級のうち、未熟なうちに、うっかりできてしまうと、まあ、だいたい勘違いするんだ。自分はすごいんだ、って」
ノアはどきりとした。
正しく、自分がそうだったのを、見抜かれたような気がした。
「できてしまって、勘違いしても、相手も、本人も、安全だったらいいんだけどね」
夢惣はそこでせきばらいをした。
ノアは両腕を交差させて自分で自分をぎゅっと抱きしめた。
夢惣は今度はラボルームの備品のホワイトボードに書きながら話しだした。
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