第8話

「きみが見ているのは、きみの記憶の中にあるぼく。前に会った時の記憶をカモミールの匂いで呼び覚ましたものなんだ」


「あ、なるほど」


 ノアは納得してうなずいた。少年は続ける。


「残念ながら、ぼくは、完全なアロマダウジングができない。だからそちらには肉体を滅多なことでは移せない。だからポワゾンの肉体を借りている。精神だけを飛ばして、ね。それで、ポワゾンの言語中枢と運動機能を操作して、人語を発声できるようにしたんだ」


「最初会った時は、わたしとあなたは人語で会話したと思うけど。なにより、実際に会って、これをあなたからもらった」


 ノアは首飾りに触れてみせた。


「そう、あの時は、きみがアロマダウジングに入りかけていて、、ぼくは時空双子を探すのに、アロマダウジングを試していて、偶然にも時空が入り混じったんだと思う。だから、ポワゾンもいたのじゃないのかな」


「そう、なのかな」


 ノアは、釈然としなかった最初の邂逅の謎が解け、うなずいたが、すぐに思いなおして尋ねた。


「思うのだけれど、ポワゾンの脳の言語中枢を操作して、なんてややこしいことしなくても、直接テレパシーみたいに話しかけてくる方が、あなただったら簡単じゃないのかな」


「それは、最初の時のように、時空がうまい具合に入り混じった時なら可能。でも、そうでない時は、その場にいる生きものの口を借りる方が確実なんだ」


 少年が一旦口をつぐむと、ポワゾンは前脚で顔を撫で、ふにゃりと伏せって目だけをノアに向けた。

 薄闇の中でポワゾンの目が、きらり、と光った。


「ノア、一刻も早くきみにこちらに来てもらわなければならない事態になってしまったんだ。それで、さっきはきみを探していたんだ。ポワゾンのケガ、すまなかったね。こちらの様子がよくわからなくてうまく動けなくて、どうやらこの辺りの頭領の領分をおかしてしまったらしくて。ケンカになってしまったんだ。」


 ノアは、この辺りのボス猫の野良ノルウェイジャンフォレストキャットを思い浮かべ、あの巨体と野生の爪にはおぼっちゃんのポワゾンはかなわないな、と肩をすくめた。


「争いは、好きじゃない。だから、極力逃げまわったのだけれど、相手がなかなか手ごわくてね。でも、一矢は報いておいたから、ポワゾンのプライドは保たれたと思う」


 一矢は報いておいた、という部分にいたずっらぽい口調がが伺われて、ノアはなぜかほっとした。


「さて、ノア、きみはアロマダウザーなんだよね。とにかくすぐ、来てほしい。言葉で説明するよりも、来てもらう方が正確に伝わるからね」


「すぐ、って、今、ってこと」


「そう、今、すぐに。ぼくは、もうもどらなければならないから、先に行って待っている」


「え」


「その首飾りの花の匂いに含まれるアロマ因子をノアの持つアロマ因子に組み込むことによって、ぼくのいる場所の探査機能が発動するようになっているから。きみがアロマダウザーなら、どうすればよいのかわかっているはず」


 ノアは、確かに自分はアロマダウザーではあるけれど、まだ見習いで実践を本格的にやったことはない、とは言い出せなかった。


「そろそろ、時間切れ」


 声が遠く小さくなっていく。ノアは慌てて呼びかける。


「あ、なまえ、あなたのなまえ、教えて」

「アラバスター」


 少年の声は凛とした響きを持ち、その声が宵闇に吸い込まれていくのとともに、彼の姿はノアの視界から消え去った。






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