カモミールとミルク

第1話

 鼻先に気付けのDベチバーベースの香油。


 香油に使われているベチバーは熱帯の植物で、抽出された精油は湿った大地に燻るスモーキーな香り。

 

 ぼんやりとした視界に香油を保存する遮光の青い小壜。


 かなり希釈してあるといっても、つんと鼻から脳へ刺激は駆け抜ける。


 閉じた瞼に浮かぶ風に揺れる簾からもベチバーの香りが漂ってくる。


 まだ、まどろみ浮いている気持ちが穏やかにもどされる。



 アロマダウジング――フィニッシュ――グラウディング。



 Dベチバーはグラウディングの香油に使われる。

 これはノア専用にアロマダウジング専門の調合師礼基れいきがつくってくれた香油で、ミネラルアロマエリキシルというものだ。


 アロマダウジング用の精油や天然石などのマテリアルは、すべて専門の調合師がその生成に携わる。

 よって、それぞれのマテリアル名称の前にダウジングのDがつく。

 それらは通常の用法でも使用可だが、アロマダウジングの使用時にのみ特別なその効力は発揮される。


 ノアは、最初の頃、甘くブレンドされていたミネラルアロマエリキシルからDはデザートの頭文字だと思っていた。

 DベチバーにDイランイランにDグレープフツールのブレンドオイル、それに、ミネラルストーンを使ったDアゲートなど種類はとても多い。


 上級者になると香油を使わなくても香りをイメージするだけでアロマダウジングができるようになるらしいが、今のノアにはどんなにがんばってもとてもできるようになるとは思えなかった。




 香りを吸い込んで、息をゆっくりと、吐いて、吸って、をくり返す。


 もどってきた、自分に。


 肉体の感覚が、確かになる。


 ボトルを受け取って、しばらく、香油のたゆたいに身を任す。


 それから、はっとして、唐突な覚醒に目をしばたたく。




 自分をのそきこんでいるのがペンデュラムヒーラーの凍汰とうただとわかり、ノアは慌てて起き上がろうとした。


 凍汰はノアと同じ学年で今は同じく見習いだが手先が器用で細かい仕事が好きなので工匠を目指している。

 工匠は、アロマダウジングを行う時により能力を発揮できるように、また確実にアロマダウジングできるように、ダウザーが身に着ける装具を開発する仕事だ。


「めまい、しばらくおさまらないだろ。寝てろよ」


 ぶっきらぼうな言葉とはうらはらに、差し出されたカップのミルクは、ほんわか甘い湯気がたっている。

 とくに手を入れてない自然な流れの毛先に縁どられたクールな顔立ちが目を惹く。



 甘い湯気に漂う花のにおい。


 カモミールだ。


 カモミールはミルクとよく合う。


 あれ、カモミールって、このにおいって。



 凍汰は、カップをノアに渡すと、テーブルに三つ並んだ切子細工の小さなガラスボウルから、アニスドロップをつまんで口に入れた。

 あとの二つには、薄荷糖とステビアのグミが入っている。

 どれもきれいなサイコロ型をしている。


 ノアの叔父夢惣むそうの学生時代の友人が、パリから毎年クリスマスにどっさり送ってきてくれるのだ。


 子供の頃は薬っぽい味がして、あまり好きではなかった。


 今でも薄荷糖以外はさほど美味しいとは思えないのだけれど、生まれ月が早く年上のような落ち着きのある凍汰がけっこう好んで口にするのを見ていると、自分が妙に子供っぽいような気がしてしまうのがノアにはしゃくだった。






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