アロマダウザー・ノア

美木間

プロローグ

プロローグ 少年王の首飾り

 最初に感じたのは、におい。

 甘く青い、リンゴのにおい。

 近い記憶に残っている、におい。


 そう、それは、さっき飲んだハーブティーから漂っていたのと同じ、心にふれる、やさしい手のようだったにおい。

 においに導かれるように視線をたどると、そこには、自分と面差しの似ている少年が立っていた。


「え、わたし? 」


 ノアは首をかしげる。



 ちがう。



 目をこらしてよく見たら、彼は、この春三月に十二歳になったばかりのノアより、小指の爪一つ分だけ背が高い。

 

 それに、マントから出ている手足の肌の色が、日光でひと刷けしたように浅黒い。


 髪型だって、色は黒くて同じだけれど、くせっ毛セミロングのノアとちがって、さらさら光って揺れている。


 服装にいたっては、ロングTワンピースにスリムジーンズにスニーカーといったカジュアルガーリースタイルのノアとは似ても似つかない、神話を思わせるしなやかな絹織物の布を優雅にからだに巻きつけて、凝った織り地のサッシュで留めている。 

さらに時間がたつとともに面差しが似ていると思ったのもノアの見間違いだとわかってきた。

 すっきりとした鋭角的な輪郭に、強い光を宿す瞳。

 いずれもノアとは正反対だった。


 なのに、なぜだろう。


 やっぱり、どこか似てる、との思いがノアの中にすっと沈んで消えずにいる。



「だいじょうぶ? 」


 と、突然発せられた声はまだ幼さを残し澄んでいた。

 が、目の前の少年が、自分と同じ年頃にしてはしっかりとした様子で威厳のような

ものを持っているのにノアはどきりとした。


「あの、あ、ありがとう。助けてくれたんだ」


 ノアの声に少年がうなずく。



 助けてくれた。


 何から? 



 ノアは、自分がどのような状況にいるのかわからず途方にくれた。


 と、また、においがした。


 少年が動くたびに、においがたつようだった。


 よく見ると、少年は、首に何か小さな白い花の首飾りをしている。

 

 カモミールの花の首飾り。


 カモミールは古代エジプトで愛されたという野辺の花。


 とある少年王のミイラの首にも、この花が飾られていたと博物館の資料に書いてあった。


 でも、と、ノアは思いなおす。


 確か王墓で見つかったのは黄色い花を咲かせるあまり匂いのしない種類のカモミールだったはず。


 鮮やかな黄色を敷き詰めた花畑は、太陽の光を浴びて、きっと、黄金色に輝いて見えたことだろう。


 ゆえに、自然を崇拝した古代の人々は、その花に太陽の力の宿りを感じ、恵みの光を望んで、太陽に捧げたのだ。


 少年の首を飾っているのは、その花ではない。


 そういえば、熱を下げる作用があるというので、この花を月に捧げた人々もいたんだよ、と、叔父の夢惣むそうから聞かされたことがあったのをノアは思いだした。


 そちらの方は、確か、少年が身につけている白花のカモミール。


 古代エジプトの神官たちは、熱を下げることは即ち頭を冷やし正常にすることだと思っていて、心の病にもこの花を煎じて使っていたらしいと、叔父は言葉を継いで説明してくれた。


 その後は、助手の礼基れいきさんがカモミールティーを好きなのは、ついつい叔父のペースに引きずられそうになるのを防ぐ為なのかな、と、いった他愛話題になって笑い合ったのだった。


 そんなことを思い浮かべながら、ノアは改めて目の前の人物をまじまじと見つめた。


 その時、ノアの足元を掠めて、白いけもじゃの塊が少年の胸に飛びついていったのだった。


「あ、ポワゾン」


 白いけもじゃはノアの家の猫、ポワゾンだった。ポワゾンは箱入りおぼっちゃんの割には、気の向くままにふらふら出かけることが多い。


 さて、そのポワゾンの様子が、おかしい。なんだか妙によそよそしい。でも、少年には、昔馴染みのようにべたべたと甘えまくっている。


「ポワゾン、それが、この子の名前なんだ」


 少年は、のどを鳴らして腕の中でくねる猫とノアを交互に見やった。


「そう。ポワゾンって、毒って意味。名前は物騒だけど、魅惑的な匂いがする香水の名前」

「毒だから、魅惑的、なんだね」


 少年は猫をなでながら、今度はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


 その笑みに、にわかに少年が現実味を帯びて感じられ、ノアの頬はほてってきた。


 全身の血の流れをじかに感じてるように、鼓動は耳鳴りとなってノアを内側から侵食していくようだった。

 

 そこまできて、ようやく、ノアは思い出した。


「そっか、わたし、アロマダウジングしてるんだった」

「アロマダウジング、では、きみは、アロマダウザーなんだね。名前はなんというの」

「ノア」


 ノアは、なぜか少年の問いかけにつられるように自分の名前を告げていた。


「アロマダウザーのノア、なんだね」


 少年の様子は、再び元の威厳あるものになっていた。


 ノアはその様子に気おされて、うなずいていた。


「ならば、ノア、きみは、ぼくといっしょに来てもらわねばならない。きみは、ぼくの時空双子なのだから」

 

 時空双子……「ときそらのふたつご」または「じくうそうし」といわれる存在のことは、叔父の夢惣からきいて知っていた。

 夢惣はノアの母の弟で、そろそろ三十才に手が届く青年だ。

 時空双子 、それは、アロマダウザーとしてのノアの師匠であるその夢惣が考え出した、宇宙の成り立ち、人間の在り方に関係のあるものなのだと、彼から説明を受けた。



 人は、誰でも、もう一人の自分がいる。


 そのもう一人の自分を時空双子ときそらのふたつごという。


 時空双子は、時空を超えた、もう一つの世界にいる。


 その世界は、人の心の中にあるらしいとも、この宇宙のどこかにある惑星にあるともいわれている。


 そのことは、まだ、完全には解明されていない。


 けれど、その世界は、どこかでつながっていることは確かなのだ。


 なぜなら、自分の世界から別の世界に不必要に干渉すると、バランスがくずれて、こちらの世界に影響が出るからだ。


 もちろん、その逆もある。


 そのもう一つの世界から誰かがやって来るってことは、自分の調子が悪いってことも考えられる。


 そうした不具合を、香りを使って調整するのが、アロマダウジングの究極の目的。 




 ノアは、アロマダウジングのレッスンを受けた時にきいた話を思い浮かべていた。


 その時は、まだむずかしくて、ノアには、なんとなくしかわからなかった。


 けれど、今、目の前にいる少年が時空双子だというのなら、ノアにとっても大事な存在なのだということはわかった。


 少年はおごそかに告げると、カモミールの首かざりをはずし、ノアの首にかけた。


 どう答えていいのかわからず、ノアは、首かざりの花を指先でいじった。


 ふわり、と、甘酸っぱい青さがたちのぼる。

 

 それに反応して、ポワゾンが総毛だった。


 にわかに目の前の景色がゆらぎ、青いリンゴのにおいもゆらぎ、薄れた。

 

 少年が何か叫んでいるのも聞き取れず、飛びかかってきた猫に押し倒されると思った途端にノアの視界は闇に閉ざされた。







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