甘えられる相手
『希代の英雄』
ロストディア王国周辺に住まう人々ならその言葉を聞くだけで良い返しをしてくれるだろう。
絶大な知名度と人気を誇るその通り名は、何百人にも及ぶ人々を助けてきた実績により周辺国から正式に与えられた称号である。
神出鬼没な精霊、特殊民族の生き残り、様々な正体の憶測が飛び交う中、その正体がついに白日の下に晒された。
その正体とはクズで名高いクズ侯爵ことファレオール・シュリーブスである。侯爵家次男である彼は、16になった今でも領地に引きこもり社交界にも出ずに日々を送っている。社交界に出回る噂は留まることを知らず、無能、侯爵家の汚点、出来損ない、といったフレーズがついて回ることになった。
挙げ句の果てには自身の住む町の住民にまで嫌われている始末。優秀な兄と姉、そして妹がいるせいで弟の評判は地の底だ。
貴族としては落ちぶれているとも言える評価を受ける彼だが、実は『希代の英雄』は彼だった、という噂が流れたのはほんの数日前だった。
最初は噂として民衆に広まっただけだったが、出てきた証拠が決定的となってしまったのだ。
民衆や貴族社会に流れたものは魔道具で記録されたファレオールが酒に酔った勢いで、普段『希代の英雄』が身に纏う『ジェネシスの外套』をファレオールがどこかから取り出しそのまま着用するシーン。
あのクズ侯爵が『希代の英雄』?ありえないだろう、と人々が嘲笑う中、この映像が広まったことにより信じられるようになったのである。
ファレオール自身、そのような噂が流れていたのは知っていた。とある情報筋から得る情報は信頼できるし、何よりいつも最新の情報を送ってくれるのですぐに知ることができた。
ただ、大丈夫だろうと高を括ったせいで対応することができなかったのだ。
本人は映像として撮られているとは知らなかったのでしょうがないとも言えるが。
「はっ!ここはどこ、私は誰!」
瞼を勢いよく開けたファレオールは目に飛び込んできた双璧に動揺する。
思わず上半身を起こそうとしていたので、ギリギリのところで踏みとどまることができた。
双璧の向こう側に覗く男を魅了する表情でリールがファルを見つめている。
「あら起きたのね」
「……おいおい、膝枕か。焦らせないでくれ」
「急に気絶した貴方が悪いでしょ。この変態」
「おっと、気付かなかったんじゃないのかい?」
「貴方が突然気絶したんだから気付くわよ。まったく、貴方だけなんだから…」
「?最後の方なんて?」
「何でもない!」
双璧を避けて上半身を起こしたファレオールはリールとそのような会話をする。
最後の方で難聴系主人公が発生したのはきっと気のせいだろう。
むくれたような表情をしてファレオールを見つめていた姿から一転、顔を真っ赤にしたかと思えばファレオールから顔を逸らしてしまう。
ツンデレとはこうあるべきなのだ。
「それにしても良い感触だったなぁ」
「はぁ?」
「まるで夢心地…」
「てやッ!」
「ゴベアッッ!」
ファレオールが思い出した感触とはどちらだったのだろうか。
膝枕のリールの太ももの寝心地か、首を絞められた時の胸の感触か、どちらにせよリール自身は後者の事を言っていると判断してファレオールの腹を思いっきり殴ったのだった。
「は、話が進まねぇ…」
「貴方が悪いんでしょ」
「ごもっともで…」
ふぅ、と溜息をつく。溜まっていた疲労が少しでも抜け落ちた気がする。
気を取り直して近くにあった椅子にファレオールが座るとリールも近くにあった椅子を取り寄せて隣に座ってくる。
お互いいつもはこんな距離感なので何かを言うようなことはない。
「というか、ギルバードさんには相談したの?あの人ならある程度の疑惑は種の内なら消せたでしょ?」
「あーはー。リールは知らなかったもんなぁ」
直接とある情報筋であるギルバードとはやり取りはしないリールが、王都に流れていた噂を知るはずがない。
そのことを呟くと、リールの瞳が一際鋭くなる。まるで獲物を逃がさんとする肉食獣のような目だ。
「ファル?何か話してないことでもあるの?」
「いやー何て言うかさー、新聞に載る前にも王都では噂になってたんだよねぇ」
「…それで?」
「ギルバートさんにその情報をもらって、信じんだろうと高を括って放置するように伝えときました」
「ほんとバカみたい」
「ド直球な罵倒は突き刺さるねぇ!」
普段の怠慢が生んだ結果なのだ。自業自得と言ってもまったくもって差し支えがない。
「…貴族社会にも知られてるんでしょうしね…。とんでもないことになりそうね…」
「??確かにバレたのは少し落ち込むけど…、とんでもないことって…、流石に大袈裟すぎ」
「貴方『希代の英雄』がどんな評価を受けてるか実感してる?現代に現れた勇者の一人みたいに注目を浴びてるのよ」
「だから、言い過ぎだって。確かにある程度の称賛や言い寄りは覚悟して「そのレベルじゃないわよ」」
ファレオールことファルが喋っていた途中でリールが口を挟む。真剣味が濃密に込められた声で呟くものだから思わず言葉を止めてしまう。
「称賛や言い寄るってレベルじゃないの。たぶん、執着や即日婚約の申し込みってレベルで……」
「やめてぇ!怖いんだけどそれ!脅かすんじゃねぇって!」
「確実にあるわ。油断してたら既成事実でも作られてそうね」
何てことのない表情でリールが呟く。
ぞおぉ、と背筋に寒気が吹き通った。今までに感じたことのない恐怖が体を透き通る。
とりあえず怖いのでリールに抱きつくことにする。リールはいざとなったら矢面に立って守ってくれると思うので甘えるのは正しい選択だ。
リールの胸に当たらないように彼女の首筋に顔を埋める。何度かしたことがあるので安心感がすごいことはよくわかっている。
リールも不快には思っていないのか手をそっと添えて受け入れてくれる。
正直そこまで恐怖が体を襲っているわけではないのでここまで甘える必要はないのだが…。男として今の彼女の匂いを思いっきり感じることが最優先だと判断する。
「貴方が恐怖をほとんど感じていないことには気付いているんだけどぉ…」
「ビクゥッッ!!」
「私としても心地好いからもう少しこのままでいようか」
彼女の声には女神でも宿っているのだろうか。甘い言葉を耳元で囁かれたのでくすぐったい感触がするのだが、不思議と彼女の魅力に焦がされて抱き締める力が強くなる。
彼女を恋愛的に好き、というのはまだわからないが、間違いなく好きという言葉は当てはまっていると思うので、これからも信頼して前を向きながら甘えられる。
そして、甘えるファルと同じくリールもすぐそばにいるファルの匂いを際限なく嗅ぎ続けるのだった。
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