3 私の強さを見せてやる!
ワンワン!
ヴィネガーが吠える。八雲は大木の陰に隠れようとヴィネガーを抱える。座り込もうとすると、ヴィネガーがするりと抜けてしまった。それでも八雲の側からは離れない。
「ヴィネガーちゃん、気配とか感じる? 勇者な私が倒すから! そうだ、ステータス見ないとね」
八雲は一旦周りを見渡す。草が動いていないか焼けるような臭いはしないか。音が聞こえないか。八雲はホッと胸を撫で下ろす。
「よし、私の異世界無双はここからだ! ステータスオープン」
神様の指示通り叫んでみる。すると手元に画面が現れて数値やスキルが表示された。HP100、MP5、魔法なし、スキル:飼い主、役職:付き添い。
高いか低いか分からない。それに魔法が使えない。
「神様に騙された! いや実は隠しスキルがあるとか。これチート無双できないよね、どうするの」
八雲は頭を抱える。
クーン、ヴィネガーが鳴く。見てみるとヴィネガーの前にも画面がある。八雲は読んでみることにした。犬の目線に合わせているらしい。木に隠れるためにしゃがんでいるから問題ない。
「ああ、そういうこと、……、流石窓際神様だなあ」
八雲は死んだ目で画面を見る。
HP10,000、MP∞、魔法;全属性、スキル:時間遡行・全消去・無敵時間、役職:勇者。
顔だけイケメンが選んだ勇者とはヴィネガー、つまり犬だ。
「だから飼い主、付き添いなんだ。うわあああああ」
八雲は絶望する。そもそもチート犬は怖い。何をするか分からないし。八雲を下っ端と思っている時点でより恐ろしい。どう考えても母や兄を付き添いに選んだ方が良かっただろう。
ワン!
ヴィネガーは飛び出していった。神様から与えられた能力は身体能力も含まれるらしい。ヴィネガーが通ったときに舞った埃だけを追うことができた。八雲はヴィネガー(飼い犬兼勇者)を完全に見失った。
「どこ行ったの? まじかあ」
八雲は頭を抱える。じっとしていられない。ヴィネガーを探さないと。駆けた方向は分かる。唾をごくりと飲み込んだ。
「一応私飼い主だし? 今は互いが互いに唯一の家族だし?」
覚悟を決める。八雲は走った。草の葉がこそばゆい。足を止めるわけにはいかない。
「ヴィネガーちゃん!」
青々とした森と焦げたような土の中で黒い毛の犬を探すのは難しい。リスクはある。しかし見つけるためには呼び続けるしかないのだ。
「ヴィネガーちゃん、一体どうして走ってるの? ヴィネガーちゃん」
口元に手の平を添えて叫ぶ。喉がずきりと痛んだ。それでも探す。
その時だった。
轟音が鳴って、大地が雄叫びをあげるように響く。ざわざわと草木を掻き分ける音がする。胸が潰れてしまう感覚。喉が上手く開かずに目は渇く。
いる、いやいなくなった。というよりも、きっとこれは。
「ゴオオオオオ」
山が噴火した?
それにしては近い。山が近いというよりも近づいている。
八雲は顔を上げ、それでも捉えられない姿を確認する。
天を見上げるつもりでようやくその巨躯の正体が視認できる。光沢のある硬い皮膚、背に付いた木々を薙ぎ倒す両翼、禍々しい棘を宿した尾、憐れむような皺だらけの眼窩。斧のように鋭利な爪、支柱のように力強い後ろ足。
「あ」
八雲は唖然として一瞬立ち尽くす。
「これは、……、ドラゴン。ドラゴン?」
口にしてようやくその危うさに気づく。美しさや恐ろしさに足を止めている場合ではない。
八雲はドラゴンの反対方向に駆ける。その向こうに土の匂いを嗅ぐヴィネガーがいた。
「ヴィネガーちゃん一緒に逃げよう、ドラゴンだよドラゴン。逃げた方がいいから」
より木の多い方向へ。先ほどの不気味な擦れるような音。これは何かが向かってくる音ではなく。
「森には他にも生き物がいて、ドラゴンを見て逃げていたんだ」
ヴィネガーに追い付く。必死に手を伸ばす。
ワン!
ヴィネガーはさらに奥へ進んでしまった。再び見失う。しかし方向が分かる以上追うしかない。
って。
汗が異様に出る気がする。服は元の世界のままでるため、異世界が熱いだけかもしれないが。……、違う。熱い風が追ってきている。八雲は横目に見た。
「炎? ドラゴンが出してるのって炎だ」
認識した途端、より熱く感じた。八雲は途中で方向転換してドラゴンの視界から逃げ切ることも考えていたが、直接ヴィネガーを追うしかない。
背後から木々の倒れる音、衝撃、煙のような埃。見る暇はない、とにかく走る。
「また見つけた、何をしてるの」
ヴィネガーは土の匂いを嗅ぐ。一瞬目が合った気がした。
「ヴィネガーちゃん逃げるから!」
叫んでから違和感に気づく。熱気がどんどん強まる。背中が焼けてしまいそうだ。
刹那、プシュ―と白い煙が辺りを包む。一気に涼しくなる。
「これは大量の水? 服、結構濡れたかも」
服の背中部分を捩じるようにして前に回す。布の一部の糸が縮れたり切れたり黒くなったりしている。僅かな時間だったが燃えていたのだ。
「ひっ」
これから来る最悪のシナリオを想像して腰が抜けた。湿った土が冷たい。霧が消える。
「ゴオオオオオ!」
ドラゴンの叫び。八雲は耳を塞ぐ。それでも耳を傷めてしまうような叫びが続く。落ち葉が竜巻のように螺旋状に舞う。草は抜けて落ち葉に合流。さらに辺りの木が浮き始める。根は小石や土を掴んでいる。螺旋の風に吸い込まれると、螺旋は土を纏って焦げ茶色へ。
「ゴオオオオオ!」
そこにドラゴンは炎を吐くと、黒くなった灰や石が天からパラパラと落ちてくる。
逃げ場がなくなった。
ドラゴンと八雲の間に障害物は何もない。八雲は手をゆっくりと後ろに動かしながら引き摺るようにして逃げようとする。何度か立ち上がろうとするがバランスが悪い。
「ああ、死んだ」
瞬きをせずに目を見開いてドラゴンを眺めていた。ドラゴンは急ぐ必要なくなったのか、ゆっくり八雲に近づく。舌を出すと涎が土に落ちて炭酸のような音がした。頭を近づけて八雲の匂いを嗅ぐ。
「ああ、ワンちゃんみたいだね、あはは。私その、犬飼ってて。餌をあげる、使いみたいな、……、もちろん私がね」
八雲は渇いた声で言う。顔を引きつらせながらも無理に笑顔を作る。
「グゴ?」
ドラゴンは首を回すようにして頭を傾ける。言葉を紡ぎ続ける八雲に興味を持ち始めたようだ。
「そういう関係はどうかなって、ははは。ここで私を食べたらおしまいだけど、生かしてくれたら私が代わりにご飯持ってきて。そそ、あはは鼻息荒いな、そんなんじゃ女の子にモテないぞ、なんちゃって、あは、……、あはは」
八雲はドラゴンの鼻を指で弾く。
「痛っ」
ドラゴンが爪で八雲を押さえつける。血こそ出ていないものの、横腹を突く爪が容易に内臓まで引き裂きそうだ。八雲は堪えるために唾を飲み込んだまま息を止める。ドラゴンは八雲の目の前で大きな口を開けた。横腹に刺さりかけた爪以上に尖った牙。舌の凹凸が鮮明に見える。
「ちょっと、ちょっと待つなんて選択肢はないかしら?」
「ゴオオオオオ!」
ドラゴンの叫び声で耳がずきりと痛んだ。
「殿方、フリスビーとか興味ない? いやその、なんていうか皿みたいなものを投げて取ってくるっての。ごめんなさい、ちょっとね、あはは、……、今からもっと楽しい遊び教えるから。私学校ではそれなりにモテるしお嫁さんにどうかしら? ほら、殿方ってゴツゴツしてて強いし魅力的ですわよ。私と結婚を前提にお付き合いしない? 私の初めての彼氏ってこと、悪くない条件じゃ」
あ、食べられる。
顎が外れるのではないかと思うくらい大きく口を開ける。そしてだんだん八雲に近づく。
「……、終わった」
その時だった。ドラゴンの巨躯が地面に倒れたのは。
目の前に立っていたのは全身の黒い毛と目の上の眉毛のような白い毛が特徴の柴犬だった。つまりヴィネガーである。
「痛かったあ。ってヴィネガーちゃん?」
「ワン!」
そのモフモフな背中が頼もしく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます