自由意志の無限後退のエッセー
「自分で選んでよかったこと」って一個の人間の自由意志を信頼し過ぎてて嫌な言葉だ。「自由意志なんて存在しない!」とまでは言わないけど、あらゆる選択の大体は環境に流されているだけだし、本当に自分で決めることなんて実は殆どない。嫌、というか馬鹿な言葉と言ってもいい。
環境とはつまり自分でない人間の選択・結果の集合だ。例えばあなたがアクエリアスを飲みたいと思ったとする。でも残念ながらそれは100%自分の意志じゃない。「喉が渇いたから何か飲みたい」まではあなたのものだけど、無数の飲み物の中からアクエリアスをあなたの手に取らせたのはコカ・コーラ社の意志だ。日々広告を打ち、成分を見直し、容器を改良し、時代に適応していこうとする意志が、あなたにそうさせた。あなたの意志が選択に占める割合なんてほんのちょっとでしかない。
大抵の人は俺が言いたいことを何となく理解したと思うが、やっぱり「いやいや、違う。私が自分で選んだんだ」と言いたい人もいると思う。ではそういうお前は自販機の前でアクエリアスのあの爽やかなCMを一切想起せず、そこに流れていたイカしたBGMのことを全くかんがえなかったんだろうか? よぎった時点でお前の負けだ。よぎらせることが彼らの目的で、意志だ。
こうして、知らん奴Aの意志が自分の意志を決定するように、Aの意志もまた別の知らん奴Bの意志によって決定されている。BはCによって決定され、CはDによって決定され、これがループしている。俺たちの人生は全部誰かのおさがりのパッチワークだ。オリジナリティなんて端から存在しない。人間に真の意味では個体差なんてないし結局全部運だってこれは極論だろうか? ちょっと言い過ぎ感はあるけど、否定する動機もないし俺はこれを認めている。いつか間違ってるなって思ったときに撤回するだろう。ただ、「間違う」って相対的だ。間違っていたから撤回という行為自体が、他人の意志がすごい強く作用するものだし、やっぱり本当に人間に個体差なんて存在しないのかもしれない。
「人間に個体差なんてない」とかカッチョいいニヒルにハマる自分は端から見りゃ大分イタいんだろうと思うけど、俺はまあ若さを言い訳にできるから別にいい。若さなんて言い訳にならないことを、どこかでは自覚したつもりになっているから今はこれでいい。死ね殺すがまだ面白い、恥じなんてない自分が大好きだ。万歳。
最近環境が変わって、人間のカスさについて、どうにかこうにか理屈を付けたがっているような気がする。カスの環境を選んだからこうなのか、俺自身がカスなだけなのか、あるいはその両方がカスのクソボケだからなのかは知らない。だけど本当にうんこ大盛りおかわり付きみたいなことしか毎日やって来ないから、本当に辛い。辛い? ああそうか、俺は単に辛いって言いたかったんだ。馬鹿らしい。回りくどすぎる。
下らねえオチがついた。
大大大学生 偽泥棒 @fakethief
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。大大大学生の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます