三章 羅稲とはまさしくその木である

いつからか私は人間という生き物に興味が湧いた。

最初私に意識が生まれた時人間などという生物など存在しなかった。周りは緑に覆われて有象無象と歩く生物しかそこには存在しておらず、ましてや意識を確立する生命体などいる訳もない時代だった。

だが今は違う 世界各地に人がいる。人口は八十億人を突破しており、産業の発展は止まる事を知らない。

最初は本当に憎たらしい奴らだった。

世界各地 私と意識を共有している木はかなり伐採されてしまい、砂漠となった地もある。

人間はとても自分勝手な生き物で、自分たちが良ければ良いと思っている。

でもあの日から、私は救わないといけない人間もいると思った。人間が全員悪だと決めつけた私が悪かったのかも知れない。どうやら人間は、全員が違った感性や思考を持っているようだ。



日本という国にある木に意識を移して人間を観察していた時、ある少女が私に近付いてきた。

白いワンピースに麦わら帽子 白いスニーカーを履いた

可愛らしい少女だった。

その子は、公園で皆んなが遊んでいることになんて目もくれず、端にひっそりと立つ私の元に歩いてきた。

少女は言った。

「貴方は..優しそう」

何を言う人間。

少女は私に優しそうと言った。その時の私には理解出来ない事だった。私の木陰の上で、私の方をしっかり見て、溢れんばかりの笑顔で少女はそう言った。

「私の名前は木下冰里花ひりか、貴方の名前は?」

いくら私に害の無い人間とはいえ、話す事は出来ない。

この世界では木は喋らない。

「じゃあ貴方は羅稲 こんにちは羅稲」

私は何百年と意識を繋いできた中で初めて、名前と言うものを付けられた。羅稲 少なくともこのような名前は聞いた事がない。見知らぬ謎の少女にいきなり命名されるとは、日本というのは不思議な所だ。

少女は私の根元に腰掛け、私にもたれた。

「ねぇ羅稲聞いてよ、私ね遠く無いうちに死んでしまうのだって。お医者さんに言われた。私は何か重い病気を患ってしまっている様で、見た目はこれ程元気なのに

長く生きられない。世界の何処でも有効な治療法が見つかっていない極めて稀な病気。それを聞かされたのは

今日の朝。」

可哀想に、見た目からしてまだ小学生低学年と言った所、そんな精神年齢で自分の死を現実的に受け止めるのは不可能に近い事だ。ずっとずっと長い間人間を観察し続けている私には分かる。その様な状況ならば、木に話しかけてしまうのも無理は無い。

少女の顔はどんどん衰弱していた。今にも泣き出してしまいそうな表情は、今まで私が見てきた物のどれとも異なる様な表情だった。

「私が死んじゃったら パパもママも悲しむ。私のせいで色んな人が悲しむ。死にたく無い。ずっと家族と一緒にいたいのに。何で..」

この子は一体どうなっている。自分が長く無い命である事を自覚してなお、他人の事を考えている。

自分が稀な病気を持って生まれてきた事を悔いている。

ただ悲しんでいるのでは無い。

やはりこの様な子供に出会うのは初めてだ。

その少女は私が今まで抱いてきた人間という生物の印象をがらんと変えた。

私は少女をよく見た。確かに生命に何か黒い物が取り巻いている様に見える。

「でも 私思ったんだ。羅稲 ここでずっと下を向いて悲しんで落ち込んで、そんな生活を続けていつか死ぬなんて、それこそ皆んな悲しむよね。

私は今日から残された時間 笑って過ごした方が良いよね。もうあまり時間は無いんだと思うけれど、でもやりたい事いっぱいある。行きたい場所いっぱいある。

そうして私が死んじゃった時 冰里花を産んで良かったってパパとママにそう言ってもらいたい。」

「そうだね 冰里花」

「うん羅稲 私は頑張って生きる。毎日笑顔で

毎日楽しく。そうやって演じるんじゃ無い、本気でそう生きるよ。やっぱり貴方は優しい 羅稲」

私がこの子の為に出来ることなんてたかが知れている。

常識の概念をぶち壊して、声をかけてやる事だけだ。

私は初めてこのような人間を見た。

今まで見てきた人間とは違う物を感じる。死期を目の当たりにしてなお、生きる希望を捨てない。残っている未来をギリギリまで楽しい未来として消化しようとしている。

私が人間として生まれたのなら、これは到底不可能な事だ。この少女を見守る

羅稲としての私の役割なんだろう。

笑っている... 少女は今笑っている。

「よし 気が楽になったよ羅稲。病院に戻らないと。

逃げてきたんだ実は。 またきっと来るよ羅稲。」


冰里花の残りの人生が少しでも良いものになって欲しい


それから数日周期に冰里花は私に会いに来た。

一人で来ている訳では無いけど、私を気づかって両親を少し遠い所に座らせる。

冰里花は私に色々な話をしてくれた。私もたまに返事を返す。それだけで少女は笑っている。


しかし、もう二週間来ていない。そろそろ本体である木に帰ろうとした時

一人の少女がこちらに歩いてきた。

体が透けている。生きている人間では無いことなど一瞬で分かった。

「羅稲 これで来るのは最後になっちゃう。」

「冰里花 残された人生は楽しかったか?」

「うん 今日はお礼を言いにきたんだ。貴方のお陰で私は自信を持って最後まで全力で生きられた。」

「私のお陰...」

「そうだよ羅稲 私はこの一年半 色々な場所に行って

色々な体験をして沢山の思い出を作った。でもね、羅稲といる時が一番楽しかった。この木の下で貴方と笑い合った事が一番楽しかった。 本当に本当にありがとう羅稲。」

「冰里花 私は何も出来ていない。君が頑張ったんだ。君が一生懸命生きたんだ。」

「羅稲は素直じゃ無いんだから。でももしそう思うのだったら、羅稲は私以外の人も救ってくれないかな。

こう言った境遇や、もっと浅い事でも良い、何か悩んでいる人を助けて欲しいんだ。」

「冰里花 私はただの木に過ぎないんだ。助けると言ったってどうやってl。」

「私の体を使って。私の声を使って 出来るでしょ?

私はもうここにいられないし。」

「本当に良いの?亡くなったとしても冰里花の体は冰里花の物だよ。」

「えぇ勿論。だって 貴方は優しい木だから。 もう行かないと さようなら羅稲 私は貴方に期待しているよ。ありがとう羅稲。」

新緑の影の上で少女はそう言った。

優しく朗らかな笑顔の少女は優しく暖かい声でそう言った。

冰里花は消えてしまった。でも意識の無い冰里花の透けた体は そっと私に触れていた。

私は意識を集中させる。冰里花が私に託した物を無駄にする訳にはいかないから。

私はその体の取り込みに成功した。やったこやった事なんて勿論ない、完全なアドリブだった。


そこから私は世界にある木を移動しながら、色々な悩みがある人間を見つけて人間として話を聞いた。

冰里花を取り込んだ時何故かタイムスリップの能力が身についた。冰里花が残してくれたものと思っている。

それを使うと、過去の人と対話をさせたり出来て良いから積極的に使っている。

そして冰里花と最後に会った五月二十七日にちなんで

毎月、二十五日から二十八日の間は基本的に日本にいる事にしている。


冰里花、私は今でも元気でやっているよ。今日も悩みを聞いて、少しでも前を向いてもらえる様に心がけている。それが君の望みだろ。

いつか遠い未来で、彼女が生まれ変わる事があれば

私から会いに行こう。




羅稲はゆっくりと息をする。

三百六十度木に囲まれた中にある一つの大きな大きな木。

羅稲とはまさしくその木である。



羅稲とはまさしくその木である 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る