その高鳴る鼓動は...

「あっ、旭さんが目を覚ましました。先生!」

 

「う〜ん、大丈夫そうですよ。肌ツヤもすごくいいですし、旅の方ですよね。疲れが出たのでしょう。それよりも吾郎さんが、ずいぶん体調良さそうですね。特別な処置をしましたか?」


「いえ、わたしが用事から帰ってくると、母が父を別の部屋に隔離していて……旭さんが倒れていたので、どうしていいのか分からず、慌てて先生を呼んだのです」


「吾郎さんの流行り病が進行しそうだったのですが、いい方向に向いています。どうやったらこうも良くなるのか……分かれば、他の者も救えるのですが……」


 

「……【阿木先生】……体調の悪い人は、隔離してください。あと嘔吐物、排泄物も健康な人が、処理してはダメです。遠ざけてください……呼気でも感染うつるので清潔な布で口を覆って……それと水が汚染されています。井戸水が病の原因である可能性が高いので、口にしないように……水は、ここ暁月あかつき家の井戸水を使ってください。使わせてもいいですか?晴さん」


 横になっている自分を見つめる晴と阿木に、目を覚ました旭は、なるべく端的に「コレラ」について伝えた。


「「――!」」


「旭くん?でしたか。どうして僕の名を?いや、今は、それどころではないようですね。とても的確な目利き……いえ、すでにこの病を知っている」


 長めの髪を一束に結び、華奢で中性的な男性。丸メガネが印象的だが、すごく端正な顔立ちは、昔からよく知っている。


 あの【阿木先生】なら、この世界でもきっと理解してくれる。スポーツ医療のエキスパートだが、俺にとって【弓術】の兄弟子。


 【弓聖きゅうせい 阿木賢生あきけんしょう】……こっちではどうなんだ、医者であることは間違いなさそうだ。


 相変わらずの物腰の柔らかさ、その佇まいは【弓術】を極めている。


「阿木先生、時間も遅いようですが、出来るだけたくさんの人に、今のことを伝えてもらえませんか?おそらく、阿木先生が伝えたほうが、街の皆は信じると思います。きっと僕が言っても信じてもらえません」


「……ふむ、そうですね。旭くんが言っていることは、かなり信憑性のある見解だと思います。他にも何か気をつけることは?」


阿木の質問に対し、上半身だけ起き上がった旭は、安心してその旨を伝える。


「明日の朝、日が昇る前までに、本当に体調の悪い者だけを一箇所に集め、隔離してもらえませんか?そして、僕をそこに連れて行ってください」


「――どういうことですか?日が昇る前である理由も分かりません」

「……すみません、お答え出来ません。信用してもらうしか……」


「そうですか……分かりました。最善を尽くします」


「――!ありがとうございます。さすが阿木先生です」


「その根拠はよく分かりませんが、吾郎さんの病が好転しているという状況……もう、旭くんにしか頼れる人がいません。明日、日の出前に迎えに伺いますので、よろしくお願いします」


 阿木の下げた頭を、必要ないです。と言いつつ、握手を求めた旭は、それに応じた阿木の手を握り、確信する。阿木先生は、こっちでも達人か……


 吾郎さんの体調がいいということは……あの時の【浄化】の影響だろう。


 つまりあの時、【浄化】エリアに入っていたからだ。


 人体も【浄化】可能ということ。ただ、これは俺自身の体力の問題もある……マジックポイント的なもの、精神力かなぁ、それとも生命力?レイメイに聞かないといけないけど、あの時にすぐに止められなかったから前者だな。


 鍛えれば、もっと使えるのかな?極力、明日から1日1回は、使うようにしよう。病で苦しんでる人を救えるし、慣れもあるかもしれない。


 ただ見られないようにしないと、目立って影沼に目をつけられる。あっちの世界でのことを考えると、影沼は気に入らないやつには、とことん嫌がらせをする。


 なるべく関わらないようにするべきだな……。


「旭さん、お身体は大丈夫ですか?」


「晴さん、ありがとう。俺……倒れてたんだね。晴さんは具合悪くない?」


「はい、わたしは大丈夫です。父のこともありがとうございました。母にすべて聞きました」


「うっ……すべて、ってまさか……」


「はい、【五皇様】である【ミツハノシズク様】と同じ【水のおう】であると……」


 マジかぁ……咲子さんに見られたもんなぁ。でも【浄化】は見られてないようだ。このぶんだと、吾郎さんも知ってるだろうし、阿木先生も、かな。


 まぁ、だからすんなり、俺の言うことも信じてくれたんだろう。とりあえず、ここまでにしないと、街中に広がる。


 旭は、晴に聞いてみる。どうやら、気の利く晴が、情報を阿木先生までで、止めてくれていたようだ。


 さすがだ、晴さん。俺のお忍び設定を信じて、うまく立ち回っていてくれたようだ。阿木先生も大丈夫だろう。


 言いふらしたりはしないと思うが、明日は念を押しておこう。


「晴さん、俺は【ミツハノシズク様】なんて知らないし、「五皇様」でもない。ただ「水の能力」は持っている。だけど、使いすぎると倒れてしまうんだ。今回のようにね……だから暁月家と、阿木先生以外には知られなようにお願いします」


「もちろんです!この「聖水」のおかげで、父も良くなってきています。これを街の皆に飲ませるといいのでしょう?」


 え?それ、いいね!晴さん、グッジョブ。そういうことにして【浄化】をごまかそう。


 朝方、阿木の到着を待つ旭は、井戸の前で一人佇む。旭のなかで、一つ確信していることがある。レイメイは【薄明の刻】しか会えない……。


「結局、君は、みんな助けちゃうんだ。いいのか?」


 青く薄暗い庭に、美しい声が響く。振り返る旭は、安堵とともに笑顔を向ける。

 

「レイメイ!いつも急にいなくなるから、心配になるよ」


「……もう分かっていると思うが、【薄明の刻】しか君とは会えない」


「そっか、じゃあ、貴重な時間だね」

「ふん、その貴重な時間に、君は人助けするんだね」


「ごめん、でも今だけだから」

「べっ別に、まるで私が会いたいみたいではないか。私はただ、それでいいのか、と思うだけだ」


「ありがとう。なるべく、うまくやるよ。そういえば聞きたいことがあるんだけど、【マジックアワー】って、その……レベルというか……鍛えると、倒れないで済むとかあるの?」


「――!君、倒れたのか?」


 レイメイの表情を見て、鼓動が高鳴る……会って間もない俺を心配するレイメイ……会って間もないレイメイに胸が高鳴る俺……きっと俺の知らない何かが、「俺とレイメイ」にはあるんだろう……


「いやぁ、ちょっと調子に乗って【マジックアワー】を連発し過ぎたんだ……」


「君ねぇ、まだよく分かってないくせに、よくそんなこと出来るね」


「反省してます。それでどうなの?鍛えることって出来るの?」


「……出来る。【マジックアワー】には【いちこうてん】とチカラの大きさが違う。君が使った「水の皇」は「市」のくらいだ。もちろん「天」が最上位。基本的に精神力だと言われているから鍛えればもっと強力にもなるし、使える限界も伸びていくだろう。ただ、精神力なんて、そうそう、鍛えることなど出来ない。自分自身との戦いでもあるからね……え?」


「じゃあ、これはどれくらい?」

旭が、空に向かって両手を伸ばしている。とてつもない量の水が、真上に浮かんでいる。旭が右手を振り下ろす!


 ドバァッと井戸の中に流れ込む大量の水!激しい轟音に、当の本人が驚き、上空にあった水は激しい音とともに弾けて霧散した!


「「――!」」


 綺麗な水が、土砂降りの雨のように降り注ぐ。


「「……」」


「ごめん、レイメイ。びしょ濡れにさせちゃった……」


「……君、今の【航】だったよ……どうなってるの?」


 水も滴るいい女……ってそんなことを考えてる場合じゃない。要領は、なんとなく、つかめてきた。あとは人助けでバレないように【浄化】を使いつつ、【マジックアワー】を鍛えていこう。


 この世界を生きていくには、ひ弱な俺には無くてはならない能力だ。


「レイメイ。俺、頑張って強くなる。だけど知らないことも多いし……あの……会える時は会って欲しいんだけど、どこにいけば会える?」


「【薄明の刻】……私は君のそばにいるよ。だが極力人がいないほうが、好ましいな」


「わかった!じゃあ今から阿木先生と出かけてくるね。……また夕方会えるかな?」


「ああ、君が望めば会えるよ」


「いってきます!」


「……ああ」


 旭がそう言うと、目の前にいたはずのレイメイは音もなく消えた。そのすぐあと、バタバタと音を立てて、晴と咲子が慌てて駆け寄って来た。


「旭さん!大丈夫ですか?凄い音が!」

「まぁ!ずぶ濡れじゃないですか!」


 ヤバいな、このままでは阿木先生とは出かけられない。


 そう思い、晴と咲子の心配をうまくかわしつつ、吾郎の服を借りることにした。


 弓道の袴のような上下に、ゆったりした上着を羽織り、スカーフを巻いて、この世界らしい服装へと変わった。


 おお、カッコいい。これで街を歩いても視線を感じることはない!しかも袴は落ち着く、ありがたい。


「すごくお似合いです!旭さん」

「ありがとう、晴さん。サイズもいいみたいだよ」


「結城様、うちの人の若い頃の服で申し訳ございません」

「咲子さん、出来たら敬称は無しでお願いします。いろいろと都合がありまして……すみません」


 咲子さん、【五皇様】!とか言ってたもんな……吾郎さんも普通に接してくれたらいいけど……


「では……結城さんで……いいで……いいの?」

「はい!そのほうがいいです!」


 旭は、晴と目が合い笑顔で頷く。少し照れた様子の晴に「いってきます」と告げ、迎えに来た阿木とともに家を出た。

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