第5話
グラーツ帝国第一皇子の死から五か月後、ドルトムント王国
「ヴァレンシュタイン卿。事態は混沌を極める。政争は激化し、いつどこで誰が殺されても不思議ではない状況だ。よって、皇太子殿下の出席が予定されている来月グラーツ帝国で行われる会議には貴公に影武者として出席してもらうこととなる。特に心配することはない。我が国が第三皇子派であることは揺るがん。第二皇子派の劣勢は明らか。貴公の仕事はグラーツの王族貴族相手に頷くことだけだ」
「了解しました」
俺はいつものように無機質な返事をして部屋を出る。
(丁度マリーの死から一年か)
この半年間は激動だった。属国のドルトムントでさえこの混乱ぶり。グラーツ帝国に行くのは一年ぶりだが向こうはどうなっているのやら。考えたくもない。
来月でマリーが死んでから一年が経つ。
いつも考える。マリーが死んだのは正しかったのだろうか。マリーが生きていれば事態はもっと悪かっただろう。多分、第二皇子はもっと善戦できたはずだ。それでも、同時に民の犠牲はもっと大きくて。そしてマリーはきっと、そんなこと望んでいなかった。
『人望に特化した責任』
マリーはあの時そう言っていたっけ。この展開を読んでいたのか。この未来を予想して自ら命を絶ったというのか。
マリーは第二皇子派が自分のことを利用すると知っていた。だけど、そこに彼女の意思はあったのだろうか。ここから先は妄想だ。でも自身をもって言える。きっと無かった。マリーはこんなことを望む人じゃなかった。ほんの二日、一緒に過ごしただけだ。でも、俺が出会ったマリーは自分よりも民を大切に思う人だった。
だからこそ、マリーは死んだ。人望に特化したのは罪でも何でもない。生まれた時から決められた運命に抗うための力だったはずだ。でも、それは利用された。だから命を絶った。
だったら。
マリーは何も悪く無い。
責任なんて、負う必要は無かった。
「畜生ッ」
嗚咽がこぼれる。マリーは何も悪くないじゃないか。ただ生きるのに必死で、生きる術を手に入れたのにそれは悪魔の力で。マリーは最初から最後まで周りの都合に縛られて。
そして、死んだ。独りで全部背負って。
◇ ◆ ◇
(変わったな。何というか、静かだ)
一年ぶりに訪れたグラーツ帝国。視界に飛び込んでくる景色は同じはずなのに何かが違った。あんなに活気あった王都なのに、人々の顔に笑顔が感じられない。まあ、王家が揉めていれば統治も腐るのは道理だ。民なんてどうでもいいってのが既得権益に縋る外道共の答えか。
マリーは民のことを想っていた。なのに、今の現状はどうだ。
「ヴァレンシュタイン卿、お顔が優れませんが大丈夫ですか」
「問題ない。少し街を歩いても構わないか?」
「ええ、問題ないありません。しかし十分にお気をつけて」
「勿論だ」
宿に着いたらすぐに変装を済ませて飛び出した。行き先は決まっている。
(確かに、変わった)
七色の庭園。閑散としていて美しい蝶は悩みなんてなく優雅に飛び回り、柔らかい日差しは燦燦と降り注いでいる。
一年前よりもずっと洗練された姿がそこにあった。恐らく、極東にあると噂の黄金境の意匠を取り入れている。一年前はあれ以上のものなど想像もつかなかったが、これは確かに一年前より素晴らしい。
それでも。
「楽しくは、無いな。貴方と見たあの景色の方が余程綺麗だ。マリー……」
橋桁にもたれかかって溜息をついた。そよ風がそれを掻き消す。
一年前はマリーがいた。マリーがいたから楽しかったのだ。俺の死んだ感情はマリーがいたからあの時息を吹き返した。再び死んだ心はもう何も感じない。美しいという事は理解できるのだがそれ以上が出てこない。
「どうしました? 浮かない顔ですね」
いつの間にか俺の隣に見目麗しい少女がいた。どことなく懐かしい雰囲気を感じる。丁度、マリーのような。
「ええ、まあ。昔出会った人を思い出していまして。短い付き合いだったけれど、楽しい時間だったんです。もう戻ってこないと思うと寂しくって。はは、たった二日で別れたのに見苦しいですね」
口から紡がれた言葉は、殺していた本心だった。そうだ、俺は寂しいんだ。ここに来てようやく分かった。
そんな弱い俺に、まだ幼さの残る少女は大人びた顔で微笑んだ。
「付き合いの長短は関係ありませんよ。大切なのはどんな関係を築いたかです。生涯をかけても分かり合えない人がいるならば、逆も然り。一瞬で仲良くなれる人だっていてもおかしくないでしょう?」
「なろほど、確かに道理だ」
「貴方と姉がそうだったようにね。レオン=ヴァレンシュタイン卿」
「……は?」
俺の頭にいるのは当然、マリーだ。この少女は姉と言ったか?
つまり、目の前にいるのは。
「お初にお目にかかります。私、グラーツ帝国第七皇女にして第四皇女マリアンヌ=ラ=グラーツと母を同じくする者。名をイザベル=ラ=グラーツと申します」
「マリーの、妹?」
「マリー? ああ、そういえば姉は市井でそんな名を名乗っていましたっけ」
「答えろ」
俺は可能な限りの威圧を込めて目の前の少女を睨みつける。この少女は、敵だ。二つの意味で。
「俺と接触した目的は? 俺の事を知っているなら分かっているはずだ。ドルトムント王国は第三皇子派で、俺はお前をこの場で確実に殺す力がある。そんなリスクを背負って何を望む?」
「簡単なことです。貴方にこの馬鹿げた争いを止めて頂きたい」
「不可能だな。俺は小国の影武者に過ぎない。お前がマリーを引き合いに出しても無駄だ。マリーが死んだのはお前達が彼女を利用しようとしたからだ。マリーの気持ちがどうであれ、俺はお前達を絶対に許さない」
「マリアンヌ=ラ=グラーツがこの状況を是とするとでも?」
あっけらかんと少女はそう言った。そのまま、言葉の槍で畳み掛ける。
「悲しむでしょうね、今の状況を。自ら命を絶ったというのにこうなっているのですから。まあ、彼女が生きていればもっと状況は酷かったのかもしれませんし案外喜んでいるのかな?」
「黙れッ!」
一瞬にして間合いを侵略し少女の喉元に短刀を突き付ける。
「生殺与奪の権はこちらにあるということをよく考えて喋るんだな。真意は別にありという表情だが、俺はマリーを侮辱するのを許さない」
「失礼、試すような真似をしてしまいましたね。それでは、本題に参りましょう。ほら、恥ずかしいのは分かるけどとっとと来てくださいよ」
「ごめんなさいね、イザベル。でもほら、こっちだって色々ありますのよ。心の準備とかね」
木の陰。一人の人影が。
片腕は無くて、顔には焼けたような傷跡。
それでも。
その優しい声は。その麗しい髪は。そして、その煌めく紺碧の瞳は。
「マリー、なのか?」
「お久しぶりですね。一年後にここに来るという約束、覚えていてくれたようで嬉しいです」
マリーだった。マリー以外の何者でもない、マリーだった。
「どうして!」
思わず駆け寄る。理性なんて吹き飛んでいて、気が付けば俺は。
マリーを抱きしめていた。頬を涙が伝っていた。
そんな俺の頭にマリーはその優しい掌を乗せて、言った。
「戻って参りました。責任を果たすために」
◇ ◆ ◇
「マリアンヌ=ラ=グラーツは、確かにあの場で死にました。しかしそれは生物学的な死とは違っていましてね」
「姉者は社会的に死亡したんです。詳しく言うと胸を完璧な角度で貫いて、右腕を切り落としてね。そのくらいすれば誰でも死んだと思うでしょ? 現にほら、数えきれない程の命を奪ってきたヴァレンシュタイン卿も騙された。流石は私!」
イザベルはさっきまでの態度が嘘のように底抜けに明るい。これが素か。
「私の妹は『技術』に特化しています。医療にも精通しておりましたので一度は死んだ私の命を繋いでくれたのです。一歩間違えれば全てが崩れ去る綱渡りですたが無事に成功。そうして、私は今ここにいるのです」
「なるほど。顔を焼いたのはそのためですか」
「幾らでも偽造の化粧をするって言ったのに、姉者は責任だの何だの言ってこうしたんですよ。折角可愛かったのに」
「イザベル、黙ってて頂戴。それで、レオン。話はこの子から聞いたでしょう? 貴方にはこの争いを止める手伝いをしてほしいのです」
「そんなことを言われても、勿論自分個人は貴方を助けたい。しかし、俺はドルトムントの民を背負っております。そして、影武者たる自分自身の力などグラーツ帝国の前には無いも同然。自分にできることなどありません」
「グラーツ帝国を一人の民の血も流さず共和制に変革する策がある、と言ったら?」
「共和制? あんなもの机上の空論だ」
国民の総意に基づいて選ばれた統領が国を治めるという仕組み。絶対的な権力を持った王が世界を支配する現状では夢物語だ。うまく行くはずがない。
「可能性はあります。私が全て背負うことで、道は開ける」
そう言ってマリーの口から紡がれた言葉は――
「馬鹿な、受け入れられるはずがない! 自分は、俺はッ!」
「信じてください。貴方となら、叶うのです」
「………」
沈黙が場を支配する。俺は、こんなの受け入れられない。
でも、だけど。
マリーの案は完璧で、必死に言葉の一つ一つを反芻しても粗一つ見つからなくって。持てる物全てを懸けて、これを練り上げたのが伝わった。
これがマリーの決めた道なら、俺の答えは。
どれだけ辛い物でも、背負ってみせる。だって、俺はマリーに惚れて、救われたのだから。
「自分は貴方に救われた身。ならば。この命尽きるまで貴方の騎士となり忠義を貫きましょう。我が姫よ」
「……ありがとう、レオン」
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