第3話

 貴族の茶会なんて碌なものではない。腹の探り合いと派閥争い。世界一穏やかに政治闘争が行われる危険な場なのだ。


 (こういう点は貴族連中を素直に尊敬だな)


 周りの者からは俺のような個の武とは異質の強さを感じる。正直恐ろしい。少し気を抜いたら一瞬で場に呑まれてしまいそうな空気だ。貴族というのも大変なんだ。


 (にしても、この服は落ち着かない)


 貴族用の礼服というのは窮屈なものだ。見栄えを重視した故に機能性というものが皆無。俺の場合は背広の中に短刀を隠し持っているから猶更。影武者という仕事から常に武器を持っていないと落ち着かないのだが持っていたら持っていたで気を遣う。暴力がご法度のこんな場所で暗器がバレれば恐ろしいことになるだろう。最悪、ドルトムント王家の名に傷がつく。


 不安を隠して適当にその辺の貴族と話して時間が過ぎるのを願う。クソッ、住む世界が違いすぎて話が通じない。劇とかオーケストラとか言われたって俺はそんなもの見たこと無いんだ。


 (頼むから早く終わってくれ)


 そんな中。


「お初にお目にかかります。わたくし、グラーツ帝国は第四皇女。マリアンヌ=ラ=グラーツと申します」


 不意に声をかけられた。

 そこにいたのは――


「あ、貴方は」

「あら、貴方は」


 そこにいたのは、昨日の少女。マリーと名乗ったその人だった。昨日とは比較にならないほど美しいドレスと化粧。しかし、その碧く輝く瞳は変わっていなかった。間違いなくマリーだ。

 いや待て。今、『マリアンヌ=ラ=グラーツ』と言ったか? グラーツ帝国第四皇女の名前だ。これは一体どういう事なんだ?


「「ど、どうして」」


 二人同時に声が漏れる。


 (って、驚いてる場合じゃないだろ)


「失礼、私がドルトムント王国第一皇子、アドルフ=ドルトムントです。お見知りおきを」

「……」


 完全にバレている。俺が『レオン』だと。この反応、他人の空似などではあるまい。どういうわけか昨日街で出会ったのはこの国の第四皇女様だったのだ。何という数奇、偶然だろうか。そう、考えられる中で最悪の。

 俺はどうするべきだ?

 こうなった以上何らかの策を講じなければ。この場では純粋な武が使えるはずもない。ならば毒殺? いや、リスクが大きすぎる。茶会の終わった後に殺すか? いや、この国の騎士の強さが分からない以上危険すぎる。そもそも昨日彼女に出会った時点で詰んでいたというのか。こんな事で俺は終わるのか?


「まあ、貴方も身分を隠して街を歩いておられたのですね。他国といえど市井を自らの目で見て回るその姿勢、王たるに相応しいですわ!」


 マリー。いや、マリアンヌ皇女殿下は、屈託のない笑顔でそう言った。


「……へ?」


 完全に予想外からの一撃。思考に空白が生まれる。


「これから、よろしくお願いいたします」


 彼女は優雅に一礼して去っていった。


 助かった、のか?

 とんでもない女だ。言葉の隅々に危機感というのがまるで感じられない。多分演技だ。双方にとって最も完璧な一手をこの一瞬で打ってきた。彼女と俺にとってあれが最善手だったのは間違いないだろう。


 使い捨て。それが貴族社会における彼女の評価だ。

 適当な属国に嫁がせられるのならば幸運だ。しかしあの容姿ともなれば外交のカードとしては文句なしの切り札となりうる。そう、敵国に送る人質に最適だろう。ただの政略結婚の駒だ。

 数多とあるジョーカーの中の一枚。使い捨ての切り札たるお人形のお姫様。そんな呪われた人生を生まれた時から決定されているのはどれだけの重課か。逆に言えば、そんな環境が彼女を育てたのかもしれない。


 (何が使い捨てのお姫様だ。傑物どころの人材じゃ無い。権謀術数で国を獲れるレベルの化け物じゃないか)


 噂には聞いていた。『人望』に特化したお姫様がいると。彼女は敵を作らない。誰とでも関係を築き生き残るのが、彼女の選んだ道なのか。いや、それ以外に生き延びる道が無かったのだろう。他の貴族や王族と茶を片手に語り合う彼女の姿を見てそう思う。


 似ている。


 そう感じた。彼女は俺と似ている。

 彼女は己の意思を許されていない。外交カードとして、ジョーカーとして切られるだけの存在。勝手に他のカードに変わることは許されず、最強の切り札以外の存在価値はない。俺も同じだ。俺が俺であることは許されず第一皇子の影武者として生きる。もっとも、彼女と俺では背負う物の重さは違いすぎるが。


「はあ、面倒なことになっちまった」


 静かなバルコニーに出て一息つく。やはり俺はこんな場所に来るべきじゃなかった。戦場で騎士を鼓舞する方が余程性に合っている。

 そのまま何をするでもなくそよ風に吹かれる。茶会が終わるまでこのままこうしていようか。


「少し、よろしいかしら」


 いつの間にか隣にマリーがいた。


「マリアンヌ殿下」

「ふふ。マリーで結構ですわよ」


 そう言ってマリアンヌ殿下は微笑むが俺は落ち着けるはずもない。全身の毛が逆立つ。動揺を隠し通すだけで精一杯だ。手が自然と後ろに回り、指先が短剣に触れる。


「貴方が本物でないというのは分かっております。でも、私は貴方の敵ではありませんことよ。その短剣を仕舞って頂けると助かります」


 クソッ、完全に読まれている。全く隙が無い。考えてみれば当然だ。使い捨ての切り札なのにここまで生き延びてきたのだ。並大抵の傑物という言葉で収まる器なはすがない。目の前にいるのは見目麗しい化け物だ。


「貴方は自分に何を?」

「何でもありません。ただ、昨日のお礼をと思いまして」

「礼をすべきはこちらの方です。そして皇女殿下と知らず、数々の非礼申し訳ございません」


 読めない。この接触に裏がないはずがない。この女の目的は何だ?

 そもそも、昨日俺と出会ったところからだ。あの出会いが仕組まれていたとしたら?


 そんな俺の思いを読んだかのようにマリーは言った。


「本当に、偶然なのです。信じてください、などと都合の良い事は言えた立場ではないでしょう。しかし私は貴方の敵ではないのです」

「申し訳ない。生憎ですが自分は暗部に生きる身です。そうやすやすと人を信じられる立場にはおりません」


 そう、信じられるはずがないのだ。俺だけの問題ではない。二百万のドルトムント王国の民の命を背負ってここに立っている以上、失敗は決して許されない。

 短刀を握る手に力が入る。間合いは五歩。この距離なら瞬きする間で首を飛ばせる。後はこのバルコニーから飛び降りて何事も無かったかのように会場に戻るだけだ。誰も見ていない。ただの皇子がやったとは思われまい。完璧だ。


「信じていただけないのは分かっております。でも、私は楽しかったのです。」

「……」


 予想外の言葉に不意を突かれる。この後に及んで楽しかったとは、この女は何を言っているんだ?


「私はね、もうすぐ死ぬんですの。誰もこの歯車を止めることは叶わない」

「……は?」


 またもや不意を突かれた。


「私の『人望』を効力を発揮しない。気が付いた時には根幹を成す歯車は動き出していた。何もかも手遅れ。無理に止めれば全てが狂う。ただ破滅を待つことしかできない」

「権力闘争、ということでしょうか」

「そう思ってくれれば構いません」


 動揺、混乱。あまりにも突然の話についていけない。

 クソッ、なんで俺なんだ。俺にこんなことを話して何になるというんだ。


「でもね。私、昨日は楽しかったんですの。損得なしに、穢れた権力争いから離れて街を歩くのが。ただ責任から逃げているだけ、と言われればそれまでかもしれません。でも、あの場で私は私でいられた。第四皇女ではなく、一人のマリーとして。貴方との時間が、楽しかったんですの。だからお礼をしたいのです。ありがとう、レオン。そして、お願いです。私を殺してください。貴方なら私という歯車を綺麗に取り除けるはずです」

「………」

「貴方が私を完璧に殺してくだされば、運命の歯車がずれる。民は助かります」


 そう言ったマリーの瞳は真剣で、冗談なんかじゃないって嫌というほど分かる。


 本当に、死を願っている。


 それでも。


「何を言っているんですか!」


 俺は思わず激昂していた。


「貴方は立派な人だ。貴方の死は確かに多くの人に何かを与えるんだろう。でも、だけど。貴方が死ぬ必要なんでないんだ。生きるって道もあるはずだ。だから、だから!」

「ふふ。嬉しいですわ。貴方にそう言って頂けるなんて。でも、仕方ない事ですの。『人望』に特化した私がこれまで生き残ってきた以上、生き残るなど許されません。これは私が背負わねばならない責任ですもの。さあ、どうせもうすぐ果てる命。ならばせめて、貴方の手で」

「……自分も、楽しかったんです」


 俺は震える声で絞り出した。


「自分は、影武者の身です。自分が自分である事は許されず私を滅して、心を殺して生きてきました。でも、昨日は違った。一人のレオンとして貴方と過ごした時間は輝いていた。幸せだった。楽しかった。貴方がいたから!」

「それは結果論です。その場にいたのが偶然私だっただけ。貴方が感謝している相手は私ではなく、貴方の隣にいた人間なのです。私でなくとも構いませんわよ」

「違う! 側にいたのが貴方だったからです。貴方が自分をどう評価しようと、貴方のおかげで自分が救われたことは変わりません。だから、惚れた貴方に生きてほしい。これは自分のわがままです。でも、貴方に救われた人はきっとそう思っている。少なくとも貴方だけが犠牲になって死ぬことなんて誰も望んでいない!」


 全身が熱い。俺は必死になっているのか。


「……少し、風に当たりませんか? このバルコニーからの眺めが素敵なんですの。ほら、昨日の七色の庭園を上から見渡せますわよ」


 マリーに促されるままにバルコニーの手すりへと寄りかかる。眼下には広大なグラーツ帝国の街並みが広がっていた。


「確かに、上から見ても美しいですね」

「でしょう。私の大好きな街と民。この輝きを私は守りたい。だから」


 トンッ


「え?」


 気がついたら俺は、バランスを崩していた。いや、後ろから押されたんだ。

 咄嗟にバルコニーの縁を掴むが無駄に滑る。この動き辛い礼服では体重を支えるのに精一杯で上に上がることはできない。落ちてしまえば大したことはないのだが、しかし。


 二人だけのバルコニー。つまり、これは。


「ごめんなさいね、わからず屋さん」

「マリー、どうして!」


 マリーは、俺が後ろに忍ばせていたはずの短刀をいつの間にかその手に掴んでいた。


「これが、私の責任なのです」


 そう言ってマリーは。


 その短刀を振り上げて。


「さようなら。何度でもいいますけど私、楽しかったんですのよ。貴方に会えて良かった。さっきの言葉、嬉しかった。私、惚れてしまいましたわよ」


 そして。


 マリーはその踵を俺の指先を目掛けて一気に振り下ろす。


 ガンッ!


 辛うじてバルコニーの縁に引っ掛かる指先に激痛が奔った。力が、抜ける。


「マリー!!!」


 俺は一直線に地面へと落ちていく。


 虚空に手を伸ばした先。鮮紅が迸る。

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