第2話
(広いな……)
馬車の旅を丸五日。グラーツ帝国の王都に入って最初に抱いた感想はこれだった。スケールが違いすぎる。冊封体制を以て多くの国々を従える超大国は伊達ではないようだ。俺の生まれ育ったドルトムント王国の比ではない。整備された巨大な街道は活気に溢れているし地方都市ですらドルトムントの王都と変わらぬ発展ぶり。王都の人口は三百万を超えるとか。
そんな王都は国のシンボルたる王城を中心として区画が完璧に割り振られている。学問、商売、工業など各産業に特化した街がいくつも集まって王都を成すのだ。俺の目的地は第四地区。学問と芸術の中心地らしい。
豪華絢爛。第四地区にぴったりの言葉だ。花の咲き乱れる道に彫刻が配置されている。建築も派手過ぎず優雅。伝統ある街並みというのは素晴らしい。俺の乗った馬車は街の中心部にある宿に案内された。五階建ての宿は国賓専用らしく凝った内装だった。
(落ち着かないな…)
影武者に己の感情は求められていない。故に普段は自分の思いを口には出さないが流石に動揺が抑えられない。こんなに素晴らしい建物はドルトムント王国では王城くらいのものだ。それに国賓として扱われるのは初めてのこと。正直、田舎出身の俺には分不相応の場所だ。
しかし、こんな状況もそつなく乗り切らねば俺の存在価値はない。教育係に血反吐を吐くまで叩き込まれた宮中作法を駆使して何とか部屋に入った。
「はー、疲れた」
警備は厳重。防音も万全。ここなら少しは気を抜ける。
荷を解き剣を取り出す。宗主国とはいえ暗殺の危険がないわけではない。寧ろ属国同士の権力抗争がある故にここの方が危ないかもしれない。何ならテロに巻き揉まれる場合だってある。第一皇子が最低限の警護で来国となれば格好の餌食と思う者もいるだろう。
しかし俺には不安は無い。もともと俺の故郷は他国との緩衝地帯。教育は武術と軍略学を中心に学んできた。軍務大臣の厳しい教育もあり、今の俺は近衛騎士団の団長と引き分けるくらいの個の武を備えている。そこらの暗殺者など敵ではない。何なら敵に来てほしい。殺せば少しはすっきりするだろうか。
そんな期待をよそに夜は拍子抜けするくらい安全に過ぎた。この辺りは流石のグラーツ帝国といったところか。警備の質も量もこれまで見たものとは桁が違う。これが超大国たる所以か。
件の茶会は明日。余裕を持って到着したから今日は一日暇になるらしい。折角だから外に出たいものだが許されるだろうか。
「ヴァレンシュタイン卿の腕なら問題ないかと。ただし変装はお忘れ無きよう」
第一皇子の側近である爺は意外なほどあっさりと了承してくれた。俺の信頼もここまで来たとなると感慨深いものだ。そうと決まれば早速、庶民風の服に短刀を懐に忍ばせ出発だ。初めての大都会に胸が躍る。
第一皇子と同一人物レベルで似ていた俺はドルトムントの街を歩くことが満足に叶わなかった。故に、一国の首都を歩くというのはこれが人生初なのだ。故郷の街とは比較にならない活気。心地いい音楽が耳をくすぐる。
誰にも注目されないとは何と気が楽なのだろうか。思えば第一皇子の影武者となってから自由は無かった。やり甲斐と報酬のみを心の支えとしてきた。こんな時間も良い物だと改めて気づかされる。
とりあえず宿は出た。さて、どこに行こうか。
「失礼。旅のお方かしら」
突然、声をかけられた。横を見れば、俺と変わらぬ年齢の少女。豪商か貴族の娘なのだろうか、美しくカールするブロンドの髪。整った顔立ちは宝石のように輝く碧眼に飾られている。服は庶民風だが優雅な立ち振る舞いからは明らかに『上流階級』のオーラを感じる。
「
「ええっと、それじゃあお願いします。俺は、、、レオンです」
不思議と断れなかった。捨てたはずの本名を言ってしまった。よく分からない雰囲気を少女から感じた。良い人そうというか、信頼できるというか。とにかく悪人ではないと確信できた。理由は分からない。簡単にねじ伏せられそうな華奢な女だから警戒心を抱かなかっただけなのだろうか。
「それでは、参りましょう。レオンはどんな所に行きたいんですの?」
そう言ってマリーは俺の手を取り歩きだした。女の暗殺者は幾度となく屠ってきたが悪意のない女性に触れるのは故郷を発つ時に母の手を握った時以来か。こんなにも人は柔らかく、温かかったのか。不思議と心臓が早鐘を打つ。
「自分は田舎者でして、よろしければ貴方に任せたい」
「勿論ですわ! 私の大好きなこの国をご堪能下さい。最初は、七色の庭園をご案内いたしますわよ。ここ第四地区の中央にある極彩色の楽園です。誰もが魅了されること間違いなしです!」
マリーに促されるまま、街を歩く。改めてとんでもない都市だ。少し歩くと目的の七色の庭園とやらに到着した。
「これは……」
「ふふ。気に入ってもらえたようで何よりです」
天国。桃源郷。極楽浄土。
目の前に広がる景色を説明する言葉を俺は持ち合わせていないようだ。極彩色に煌めく花々の中を美しい蝶が舞い踊る。せせらぎの音が流れ泉の水面が揺れる。
完全に規格外だ。こんなの反則だろう。朝目覚めてここにいたら死んで天国に来たと勘違いすること間違いなし。およそこの世の光景ではない。
「凄い、こんな光景は見たことがありません。流石はグラーツ帝国、格が違う」
「西方諸国の文化の中心地ですものね。最近では東方より伝わった石積や水を取り入れました。悠久の時を超えて日々改良に改良を重ねているのがここ七色の庭園ですのよ。一年後にいらしてください。もっと素晴らしい景色をご覧に入れましょう」
「それは凄いですね。自分のような田舎者にはこれ以上など想像もつきません」
「ふふ。この街の魅力はこれだけではありませんことよ。次、参りましょう」
そう言ってマリーは歩き出した。当然、俺はその背名を追う。
しばらく歩いて第四地区を出た。ここは確か、商業の中心となる第三地区だったか。マリーは大通りには目もくれず一本外れてた裏通りを目指す。微妙に薄暗い通りには露店が所狭しと並んでいる。色々あるが特に目を引くのはいい匂いを漂わせる軽食の屋台だ。
「この通りはお値段が手頃で隠れた名店が多いんですの。特にここですわ。二人前お願いします」
「はいよ、十ベニーだ」
俺は財布を引っ張り出して、金を出そうとするマリーを静止する。
「ここは、自分が」
「いえ、お気になさらずとも」
「自分は気にします。せめて案内して頂いているお礼には程遠いですが、これくらいさせてくださらないと罪悪感で潰れそうです」
「ふふ。面白い人ですのね。それなら、お願いいたします」
俺の手から代金を受け取った店主は手際よく調理を済ませて料理を差し出してきた。
「はいよ、お待ちどう」
「ありがとうございます! ほら、レオンの分ですよ」
マリーに手渡されたのはパンを二つに割って中に食べ物を詰めた料理だった。
「我が国のストリートフード、ハンバーガーと言います。こういうのは食べながら歩くんですのよ」
マリーの見よう見真似で『はんばーがー』にかぶりつく。
(何だこれ、滅茶苦茶美味いな)
「気にいってもらえたようですね」
「確かに、とても美味しいです。なるほど。パンで具材を挟むと食べやすいのですね。しかし、これは少々行儀が悪いのでは?」
食べながら歩くなど軍務大臣に見つかれば殺されるだろう。
「ふふ。貴方、相当育ちがいいんですのね。隠しきれておりませんことよ」
「いや、そういう貴方だって隠してはいるようですがそれなりの身分でしょう。そもそも自分のような者と歩いていてよいのですか? 俺が悪人だったらどうするつもりなんです?」
「ふふ、優しいんですのね。心配要りませんわよ。私の目に狂いはありません。現にほら、貴方はとっても良い御方でしょう?」
そんなことを言いながら露店街を歩く。ふと、マリーの横顔を見た。
風に揺れる髪。美しい鼻筋。ウチの国の王女様より美人なんじゃないか。
(綺麗だな)
何故か体の奥が熱い。
「どうかしましたの?」
「いえ、何でも。今日は本当にありがとう。貴方のおかげで楽しい時間になりました」
そう言ってふと気が付いた。俺は楽しんでいるんだ、今を。
(『楽しい』か。こんな感情は久しぶりだな)
やり甲斐。充実感。
影武者としての人生で感じて来たのはこんな感情だった。でも、今は違う。純粋に楽しい。心がポカポカするような優しい時間だ。
「嬉しいです。でもまだ一日は終わりませんよ。ほら、次は第五地区です。歴史的な建物が変わらず残る我が国有数の観光地ですの」
「本当に、ありがとうございます」
「不思議な御方ですのね」
◇ ◆ ◇
楽しい時間というのは早く流れるらしい。
ひとしきり歩いて出会った場所に戻って来た。すっかり日は傾いて夕焼けが街並みを橙色に染め上げる。やっぱり、綺麗だ。マリーもこの街も。
「美しい街だ。貴方は、この国が好きなのですね」
「ええ、それはもう。でも、美しい部分だけではありません。明るいほど生まれる影は濃くなり、強い光に目が眩んで見えなくなる物もありますの。おっと、旅の御方にする話ではありませんね。忘れてください」
「そうですか」
マリーは笑ってみせたがその瞳には影が差している。こんな目をする人間は相当な苦労人だ。きっと上流階級なりの辛い経験があるのだろう。この国の闇に関わるような。
(色々あるんだな)
よく分からない感情がこみあげてくるのを感じたが無視する。俺は影武者の身だ。こんなところで出しゃばって何になるというのか。何もできない。だからこれでいいのだ。
なのに、引っ掛かる。
(クソッ、調子が狂う。捨てたはずだろ、人並みの優しさなんて)
非情に徹しろ。王の影であれ。
何度も大臣のおっさんに言われた。それは間違いない、正しい事だ。でも、どうして。納得いかないんだろう。殺したはずの感情がふつふつと湧いてくる。
「俺は貴方の事を知らない。でも、これだけは言えます。貴方は良い人だ。だから、自分を大切にして下さい。俺は貴方に何もできない、何の力も無いちっぽけな人間です。だけど貴方の幸せを信じています。今日は本当にありがとう。よろしければドルトムント王国のヴァレンシュタイン領にお越しください。何もない田舎ですが民は温かく自然豊かないい場所です」
気がつくと、俺はマリーの手を取っていた。
「ええ、必ず」
マリーは優しく微笑んで、俺達は笑顔で別れた。
温かい時間だった。第一皇子の影武者ではない、一人の旅人として過ごした時間。俺としての時間だ。二年ぶりに味わった自由は想像していたよりもずっと甘美だった。甘ったるい程に濃密で美しくて、あっという間に終わってしまった。
(マリーのおかげ、だな)
マリーが声をかけてくれたからだ。彼女がいなければ田舎者らしく道に迷って時間を浪費するだけだったに違いない。よしんば一人で何とか街を回れたとしてもあんなに楽しくはなかっただろう。これは勘だが、確信だ。
(クソッ、やっぱり調子が狂う)
この感情は俺には必要ない。無駄な足枷のはずなのに。
でも、だけど。
「ありがとう、マリー。多分俺は、貴方に惚れた」
久しぶりに声に出した自分の思いは想像よりずっと儚くて、夕焼けにたゆたう花の香りに溶けていった。
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