貴方に惚れて救われて

まくつ

第1話

 影。


 俺の人生を一言で表現するならこれ以上に的確な例えはないだろう。


 辺境伯の嫡子だった。裕福でなければ貧しくもない。輝いていなければ暗闇でもない、下の上みたいな貴族人生を送っていくものだと思っていた。特に不満はなかった。人格者の祖父のおかげで領民との関係は良好だったし農業に適した土地。普通の貴族として普通に上手くやっていけば普通に幸せな人生を送れると約束されていた。


 あの日までは。


 二年前、十五の夏。数年毎に行われる王による国内視察団。辺境貴族が王と直接話すことのできる貴重な機会で父は気合が入っていたのをよく覚えている。

 そこに、国の勉強と称してこの国の第一皇子も同行していた。同じくらいの年齢ということであわよくば近づいて王室との繋がりを持てたり、なんて思っていた。結果的にその目論見は思わぬ形で成功することとなる。


「皇太子殿下の影武者になれ」


 随伴していた軍務大臣は俺の姿を見るなりそう言った。その理由はすぐに理解した。

 そっくりだったのだ。第一皇子と俺は。似ているという言葉では言い表せないほどに。最早同一人物だった。


「お前は皇太子殿下の代わりに危険を被る。当然命の危険もあるだろう。しかしそれに見合った待遇は保証しよう。身代わりの任が終われば中央での立場を約束するぞ。どうだ、悪い話ではないだろう」


 父は俺の意思を確かめるまでもなく二つ返事で了承した。実際、俺としても提示された条件は辺境貴族にはあり得ないほどの待遇だったし迷う予知は無かった。


 こうして、影としての俺の人生が始まった。


 俺に課された任務は単純だ。皇太子殿下の危険を肩代わりする。反王党派の跋扈する地域の視察、前線に立って兵士を鼓舞、敵国のパーティーへの出席。

 礼儀作法や軍事、戦闘術は当然、死ぬほど特訓され叩き込まれた。さらに皇子と共に生活し、言葉遣いから一挙手一投足に至るまで完璧に模倣した。何もかも完全に。宰相でさえ俺と皇子の見分けがつかなくなるまで徹底的にやった。


 そこまでやると自ずと皇子としての振舞いもできるようになり、仕事も完璧にこなせるようになった。前線で俺が兵士に声をかけると彼らは獅子奮迅の活躍を見せたし、敵国へ外遊した時には幾度となく暗殺者を撃退した。無論、誰にも影武者と気が付かれなかった。

 やりがいがあったのだ。微妙な将来が確約された故郷よりもずっといい。成果を上げれば待遇は良くなったしお偉方との関係も築ける。宰相閣下と日常的に話す事など二年前の人生を歩んでいたら有り得ないことだっただろう。つまり、満足していたのだ。


 そんなある日。


「ヴァレンシュタイン卿。緊急だ。一週間後にグラーツ帝国で行われる茶会に影武者として参加しろ」

「……はぁ」


 俺を雇った軍務大臣は突然そう言った。

 ありえない事だ。俺の任務はあくまで危険の肩代わり。実際に貴族連中と話す外交や人間関係ではボロが出るのが分かりきっている。ましてや宗主国で、お姫様も出席する茶会など参加できるはずがない。


「貴公の驚きはもっともだ。しかしだ。皇太子殿下が急な病に倒れた今仕方なかろう。何、たいした任務ではない。見知らぬ貴族共と話を合わせておけば良いのだ。ああ、グラーツ帝国第四皇女殿下も出席されるからそこは粗相がないようにな。皇太子殿下とは面識が無いから問題なかろう。まあ所詮は使い捨ての第四皇女。そう気負うことはない」

「了解しました」


 結局、俺に求められている返事はイエスと了解だけ。拒否する権利などない。


「荷物はまとめてある。出発は一時間後だ。武具を整えて西の城門に来い」

「了解しました」


 面倒なことになったがやるしかないのだ。俺が影武者である限り。

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