四杯目 自分好みの喫茶店で……
(扉が開き、カランカランとベルが鳴る音。蝉の声はもう聞こえない。街の喧騒が聞こえる)
(店員さんの声も、BGMも聞こえない。扉が閉まる音。街の喧騒が小さくなる)
(静かな自分の足音。カウンターの椅子に座る音。続いて、上の方からばたばたと急ぐ足音が聞こえる)
「あっ、こんにちは。来て下さったんですね」
「でも……すみません。もう、お店を閉めるところなんです」
「まだいつもなら営業している時間なのにって? そうなんですけど……。あっ、そうだ。ちょうどいいですし、とびっきりのコーヒー、飲んでみませんか?」
(カチャカチャと戸棚から器具を出してくる)
「じゃじゃーん。これ、見たことあります?」
「そうです、サイフォンです! 今日はこれでコーヒーを淹れましょう」
(ポットでお湯を沸かし、濾過布を水洗いする。水音と、湯沸かし音)
「豆も特別なもの……ブルーマウンテンにしましょうか」
(銀色の袋から豆をザラザラと取り出し、ミルに入れる。ハンドルを回す音、豆を砕く音、湯沸かし音)
「ブルーマウンテンはご存じですか? 有名ですもんね。でも、希少な豆なんです」
「ブルーマウンテンのある中南米地域のコーヒーは、バランス感覚の優れた子たちが多いんですよ。アフリカ産とかアジア産のコーヒーに比べると、クセがあまり強くなくて、飲みやすいものが多いです」
(店員さんがテキパキと器具を準備する音)
「お湯が沸きましたね。フラスコとコーヒーカップをお湯で温めます」
(お湯を注いで、流しに捨てる音)
「それから、フラスコに、飲む分より多めのお湯を入れて」
(お湯を注ぐ音)
「アルコールランプに火をつけます」
(鎖の部分にボコボコと気泡が上がってくる)
「漏斗にさっき挽いたコーヒーを入れて、フラスコに差し込んだら……」
(ガラス音、お湯の沸くゴポゴポという音)
「お湯が上がってきたら、時間を計って、漏斗内を攪拌します。一分経ったら火を消して、もう一度、ぐーるぐーる。後はコーヒーがフラスコに落ちてくるのを待つだけです」
(アルコールランプの蓋を閉める音。それを見て、懐かしがるあなた)
「ふふ、これですか? うちの店、古いから、ビームヒーターじゃなくてアルコールランプを使ってるんですよ。フラスコといい、漏斗といい、理科の実験みたいですよね」
(くすくすと笑う店員さん)
「サイフォンがいいってこだわる人も昔はいたらしいんですけど、最近は棚の奥に入りっぱなしだったんです。きっとこの子も、最後に使ってもらえて喜んでますね」
「え? 最後ってなに、って? それは……その……。あ、コーヒー、落ちきったみたいですね」
(漏斗を外して、フラスコからカップにコーヒーを注ぐ。水音と、ガラスの音)
「お待たせしました。どうぞ」
(カウンターから出て、隣に座る店員さん)
「あ、そうだ。あの本、読み終わりました?」
(カバンをがさごそと漁る音)
「持ってきてくれたんですね。ありがとうございます」
「続き……ですか? 続き、読みたいですよね。でも、これ、最終巻なんです」
「そうですよね。すごく気になるところで終わってますもんね。私も、続きをずっと楽しみにしてたんですけど」
(語尾が小さくなり、しゅんと項垂れる店員さん)
「あの……」
(何かを言おうとするけれど、言葉が出てこない様子の店員さん。あなたは、じっと待つ)
(意を決した店員さん)
「お察しだと思うんですけど、このお店、今日で閉店なんです。今まで、ありがとうございました」
「悲しんでくれるなんて……幸せですね。このお店も」
「え? このお店の跡地はどうするのかって? それは、上に住居があるので、借り手が見つからなければそのままになる予定です」
「……店の備品ですか? 買い手がつく物は売りますけど、どれも古いから、きっと難しいです」
「私ですか? 私は……どうしようかなあ。祖父母もいますし、この近くで働けるのが一番いいんですけど」
(考え込んでいるあなたを見て、不思議そうに首をかしげる店員さん)
「少し待っててって……それは、いいですけど。え、もうお帰りになるんですか?」
(コーヒーカップをソーサーに置く小さな音。続いて財布から紙幣を出し、カバンを閉める音)
「あ、待って下さい、おつり……え、いらない? だめです、一万円だなんて! こんなにいただけません!」
(慌てて立ち上がる音と、あせり声)
「また来るから、とびきりのコーヒーとケーキを用意しておいてって……? それでも余っちゃいます」
「……わかりました。そこまで言うなら」
(背伸びして、肩に両手を置いて、耳元でささやく店員さん)
「あなたが来るの……ずっと、待ってますね」
(足音。扉の開く音。ベルの音。そして、扉が閉まる音)
「はやく、来て下さいね。約束ですよ」
(店内でひとり呟き、しばらくその場に佇む店員さん)
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