三杯目 自分好みの喫茶店で雨宿りする話



(ざああ、と強い雨が打ち付ける音。遠くからゴロゴロと雷鳴も聞こえている)


(水を跳ねさせながら走っている音。続いて扉を開ける音、カランカランとベルの鳴る音)


「いらっしゃいませ……って、びしょ濡れじゃないですか! 早く入って入って」


(扉を閉める音。雨音が地面ではなく窓を叩く音に変わる)


「今、タオルお持ちします。ちょっと待って下さいね」


(バタバタと遠ざかる足音。ややあって、足音は再び近づいてくる)


「お待たせしました。失礼します」


(店員さんがわしゃわしゃと髪の毛を拭いてくれる。タオル越しに、店員さんの心配する声が聞こえる)


「体、冷えてないですか? 急に土砂降りになって、びっくりですね」


(大丈夫、とうなずくあなた)


「もしよかったら、上の住居に乾燥機があるので、お洋服乾かしますよ。その間、従業員用のワイシャツをお貸しします」


(申し訳なさそうにお願いするあなた)


「ふふ、気にしないでください。私があなたの世話を焼きたいだけですから」


「じゃあ、お着替えを……あちらの、お手洗いでもいいですか?」


(お手洗いで制服のワイシャツに着替えるあなた。濡れた洋服をビニールに入れて、店員さんに渡す)


「わぁ、すっごくお似合いです! 本物の従業員みたい。格好いいです」


(すぐ近くで、うっとりした声で話しかけられる)


「ふふ、お世辞じゃないですよ? 今、乾燥機にかけてきますね」


(遠ざかる足音。扉が開き、ベルの音と雨音が聞こえる)


(入ってきたのは、先日、店員さんを舐めるように見ていた常連客の男。制服を着たあなたの姿を見て舌打ちをし、すぐに出て行く)


「お待たせしました……あら? 何かありました?」


「まあ、あのお客さんが……でも、もう帰ったんですね。大丈夫ですか? 何もされていませんか?」


(うなずくあなた)


「自分のことより君が心配、だなんて……そんな。あなたは本当に優しい人ですね」


「えっ……私が心配だったから、雨でも引き返さず、お店まで来てくれたんですか? そ、そんな、私のために」


(顔を真っ赤にする店員さん)


「えっ? 私が、あなたを迷惑に思ってないかって? 全然そんなことないです! むしろ……嬉しいです」


「本当はここでバイトできたらいいんだけど、って? そ、それはすっごく嬉しいですけど……私の一存では決められないし……」


(うーん、うーん、と唸りながらもじもじする店員さん)


「えっ、あ、冗談……ですよね。そうですよね、もう、別のお仕事されてるんですもんね。……でも」


(やや間をあけて、ぽつりと呟く)


「……本当に、あなたと一緒に働けたら、楽しいだろうなあ」


「あっ、ごめんなさい。どうぞ、お好きな席に……カウンターでいいんですか? ふふ、嬉しいです」


(お冷やを用意する店員さん。氷水の注がれる音。外の雨音がうるさくて、店内のBGMは控えめ)


「ご注文はどうされますか?」


「かしこまりました、ホットコーヒーですね。あ、そうだ……もしよかったら、なんですけど」


(棚から、見たことのない器具を取り出す店員さん。カウンターの上に、ことりと置く)


「これ、コーヒープレスっていうんです。紅茶とかでも使えるんですけど、見たことありますか?」


(首を横に振るあなた)


「この器具で淹れたコーヒーは、同じ豆を使っていても、ドリップコーヒーとは異なる味わいになるんですよ」


「今日はお客さん、もう来ないと思うんです。だから、実を言うと、コーヒーマシンを温めていなくて」


(てへへ、といたずらっぽく舌を出す店員さん)


「もしよかったら、今日はコーヒープレスで、淹れてみませんか?」


(うなずくあなた)


「ありがとうございます、助かります♪ 豆の種類は、どれにしましょうか」


「ええ、どれでも大丈夫ですよ」


「私が一番好きなコーヒー、ですか? それでしたら……」


(うーん、と唸って、少し考える店員さん)


「プレスで淹れるなら、モカ……いえ、マンデリンですかね。コクも苦みもまあまあ強くて、スパイシーな印象のコーヒーです」


「ありがとうございます! マンデリン、用意しますね」


(店員さん、ポットでお湯を沸かすと、棚から銀色の袋を取り出す。ゴー、という湯沸かしの音)


「こちらがマンデリンです。まずはミルで挽いていきましょう」


(コーヒーミルで、豆を挽いていく。ミルを回す音と、豆が削れる音)


「コーヒープレス用の豆は、ドリップのときより粗めに挽く必要があるんです」


「んー、いい香り。豆を挽いているときの香りって、格別ですよね」


(嬉しそうに話しながら、豆を挽く店員さん。激しい沸騰音がポットから聞こえる)


「お湯も沸きましたね」


(店員さんが、あなたの前に置いてあったコーヒープレスの上部分を外し、ポットの湯通しをする。ガラスと金属がぶつかる小さな音と、水音)


「ポットが温まったら、今挽いたコーヒーを入れます。ちゃんと計量するのがコツですよ」


「その上から、お湯を注いでいきます」


(コポコポとお湯を注ぐ音)


「分量のところまでお湯を注いだら、器具の上の部分をポットの上に乗せて……」


(カチャリと器具が触れ合う音。用意してあった砂時計をひっくり返す)


「あ、つまみは上げたままにして下さいね。砂時計の砂が落ちきったら、つまみを押して抽出します」


「それまで……、ちょっとお話ししませんか?」


(カウンターから出て、隣の椅子に座る店員さん)


「……このお店、すいてるでしょう?」


(沈んだ声色の店員さん)


「もうすぐ……ここ、閉めるかもしれないんです」


(ふふ、と寂しげに笑う店員さん)


「悲しんでくれるんですね。ありがとうございます」


(沈黙。雨音が聞こえる)


「ここの上、住居になってるって、さっき言いましたよね。私、祖父母と一緒に、この上に住んでるんです」


(ハッとした顔をするあなた。店員さんは、あなたを寂しげな笑顔で見つめて、うなずき返す)


「そうです。お察しの通り、この喫茶店を開業したのは祖父母なんですよ」


「でも、最近はあんまりお店に降りてこられなくなっちゃって。年ですからね」


「私の両親は、商社に勤めていて、国内外問わず飛び回っています。お店をつぐなんて、無理なんです」


「でも……営業状況も悪いし、そもそも私ひとりじゃ、このお店を守れないんです。だから、さっき、あなたがここでバイトをって言ってくれたとき、つい、本気にしちゃって。嬉しくなっちゃって」


「……ごめんなさい」


(雨の音が、打ち付けるものからサーっという音に変わっている。砂時計が落ちきる)


「時間ですね。つまみをぐーっと押し込んで下さい……そうそう、お上手です」


(カップをウォーマーから出してきた店員さんが、つまみを押し切ったポットの中身をカップに注いでいく)


「コーヒープレスを使って淹れると、ペーパーフィルターを通さないので、コーヒーの油分……コーヒーオイルも楽しめるんですよ。まろやかな口当たりで、コクのある感じがしませんか?」


(かちゃりとカップをソーサーに置く小さな音)


「ふふ、そうですよね。器具によって、味わいがこんなに変わるなんて、不思議ですよね」


「ごゆっくりどうぞ。私、乾燥機見てきます」


(コーヒープレスを片付けて、カウンターの奥に下がっていく店員さん)


(シュガーポットを開けるカチャカチャ音。いつもは入れない角砂糖を、ぽちゃんと入れる)


(雨の音が続く)

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