第2話 廃村は悪童の声を響かせる
2-1. 誘われた元A級冒険者リッド
森。木々が生い茂るその場所に、1人の男、1人の女、そして、1匹の動物がいた。
男の名はリッド。彼は未開の地やダンジョンを探検したり、さまざまな任務や依頼をこなしたりする冒険者にあって、今でこそ中堅クラスのC級ではあるが、かつて最上級のA級冒険者にまで上り詰めた男である。
彼は少しばかり日に焼けた肌に灰褐色の髪、赤い色の瞳を持ち、厚布の長袖長ズボンの上に、皮のベスト、マント、ニーブーツを身に着け、赤い鉢金と赤い
「クレア……これは……もしかしたら……迷ったみたい……だな?」
リッドは少しばかり躊躇いがちに言葉を選びつつ、先頭に立つ女をクレアと呼んで細切れにした言葉で話しかける。
クレアは聖女見習いという立場にありつつも、最近リッドのパーティーに参加したため、E級冒険者、すなわち、冒険者見習いとしての側面も持つようになった。
彼女は透き通るような色白の肌、眩いばかりの金色をしたセミロングほどの長さの髪、長く細く多いまつ毛を持つ瞼が開くと見える水色の瞳、少し薄めの厚みをした桃色の唇、それらを組み合わせてまるで絵画や彫像ようだと思わせる整った顔と男好きのする身体つきから彼女を誰もが認める美少女だと印象付けている。
彼女はタートルネックでフードが付いている白地の厚布シャツを着て、その上に網目を粗くすることで軽量化している鎖かたびら、さらに、矢避けか聖職者としての矜持か純白のハーフローブを羽織っている。下側もやはり白地で厚布のスカートも付いているロングパンツを穿いた後に左脇腹あたりにポーチのついた革のベルトを締め、膝まで覆う焦げ茶色のロングブーツを履いていた。
「……あれ? えへへ……おかしいですね? いつもの道を歩いているはずなのですけど……あはは……」
クレアは不思議そうに周りを見渡した後、自分が迷っていることを自覚したのか、少しばかり苦みを感じている笑顔でリッドの方を振り向いている。
「そ、そうか。ま、まあ、まだ時間はあるからな。遅くなりそうなら引き返せばいいだけだから」
リッドはバツ悪そうにしているクレアを怒る気にもなれなかったようで、短く肯いて彼女の不安を流そうといくつかの言葉で取り繕ってこの場を誤魔化そうとしていた。
ふと彼は隣で音も立てずにスタスタと歩いている動物の方を見る。
動物の名はウィノー。
サイアミィズと呼ばれる種類であり、特徴的なサファイアブルーの瞳、オフホワイトの身体、凛々しい顔とツンと尖った耳、スラっと伸びた手足や尻尾の先にチョコレート色のポインテッドカラー、全体的に短毛であって非常に美しくもあり愛くるしくもある容姿をしている。
「…………」
ウィノーは鳴き声の1つも出さずにクレアの方を見て、リッドの方には視線の1つも寄越しはしなかった。
「ちょっと待ってくださいね? 今、思い出しますから。以前、みんなと行った薬草摘みで見たことがありますから、大丈夫ですよ。そう、今回の依頼の毒消し草も薬草の近くにあったんですよ。私、しっかりと覚えていますから」
「そ、そうか」
「はい、だから、大丈夫です!」
クレアが少し慌てたようにいくつかの言葉でまくし立てて、両手を彼女自身の身体の前で小さくぶんぶんと振って必死に訴えかけていたので、リッドはただただ頷くほかなかった。
クレアが再び前を向いた隙を見計らって、リッドがウィノーの首根っこを掴んで持ち上げる。
ウィノーは抵抗することも鳴き声を発することもなく、その美しい四肢をだらんと下げてなされるがままでいた。
「おい、ウィノー……お前、知っていただろ?」
「……にゃはは……な、何のことかニャ?」
ウィノーは動物の姿をしているが、話すことができた。鈴が鳴っているような甲高い声をさせて、バツ悪そうな曇りがちの言葉をもごもごと口から発している。
「お喋りのくせに、都合が悪くなると途端に口数が減るのは言っても治らないようだな? さて、本題だ。お前、クレアが方向音痴って知っていたんだろう?」
ウィノーは観念したような素振りを見せた。
「……そんなことないこともないこともないこともないこともないこともないこともないニャ」
素振りとは裏腹に、ウィノーは観念していなかったようで、どうにかはぐらかそうと曖昧な言葉を立て続けに紡いでいく。
「いや、どっちだよ、露骨にはぐらかそうとするな。なんで言わなかった? 分かっていたら、俺が地図を見て歩いていたんだが?」
「その答えは簡単ニャ。クレアちゃんが絶対に大丈夫って言ったんだから信じるほかないニャ」
ウィノーは今までに度合いの軽重を考えなければ、数度ほどクレアの迷子に付き合わされたが、クレアを好きなこともあって強く指摘できないようでいつもなあなあにしていた。
「大丈夫じゃないときほど大丈夫だって言われるだろ」
「ああ……まあ、たしかにそうだニャ。大丈夫って言って、何度も倒れた奴の言葉にはお喋りなオレさえも黙らせるほどの説得力があるニャ」
リッドの言葉に良い反撃材料を得たと言わんばかりに、ジト目でウィノーがリッドを見つめて言い返す。
リッドは大きく、しかし、無音で溜め息を吐いた。
「その返しはやめてくれるか? 俺からそう言ったとはいえ、俺は自分のことを引き合いに出されて納得されたくもないし、そう言われてウィノーと喧嘩をしたいわけでもない。俺は今後の対策をしたいだけだ」
「それもそうだニャ。オレとお前の仲だから、ここいらでお互いに引いとくニャ」
「ところで、今はクレアに聞こえないようにしているんだから、語尾にニャをつけなくてもいいんじゃないか?」
リッドはウィノーの語尾の「ニャ」について、経緯を問いただして、クレアがウィノーにせがんだことを知っていた。ただし、リッドはその顛末について悪い印象もなく、クレアも押しが強い所があるのだな、と感心したくらいである。
「リッドは分かってないニャ。こういうのは習慣にしていかないとすぐにバレるニャ」
「そうか。その女の子に好かれるための努力を惜しまない所は好きだぞ」
「リッドに好かれてもしょうがないニャ! というか、完全に上から目線ニャ! 自分がモテるからってなんて言い草ニャ!」
ウィノーが無抵抗だった手足をぶんぶんと振り回し始めたので、リッドは気を付けながらもウィノーを持ち上げていた。
「そう言ってくれるのは光栄だが、人間だったときのウィノーの方がモテモテだった気がするけどな」
ウィノーは今でこそ動物の姿をしているが、かつては人間として、リッドのパーティーの後衛魔法職を務めていた。
「そんなこと! ……あるニャ、たしかに。数ではオレの方が断然上ニャ! でもニャ? リッドはオレからしたらすっごく羨ましいニャ!」
「おいおい、その言い草こそ、なんて言い草じゃないか? ウィノーを好きになってくれた人に悪いと思わないのか?」
リッドの言葉にウィノーが一瞬言葉に詰まるも、何かを思いついたのか、首を横に振った。
「ぐぬぬ……それを言われたら言い返せないニャ……だけど、オレを好きになってくれた女の子たちだって大事だけど、オレはオレ自身が本当に好かれたかった人からはお前ほど好かれなかった気もするニャ。悔しいけれど、いつもリッドが目の前にいるニャ」
ウィノーが一番に好かれたかった人、ウィノーが最も好きになれた人。その人をリッドは知っており、その人が自身の恋人であることもあって、それ以上何かを言う気にはなれなかった。
リッドとウィノーはお互いに顔を見合わせて、苦々しい笑顔をお互いに見せあって、やがて、お互いに納得したような表情で静かに縦に小さく肯き始めた。
「……もうこの話はやめとくか。誰も得しないし、こんな下世話な話がクレアにも聞こえるかもしれないしな」
「そうだニャ。クレアちゃんには聞かせられないニャ……って、リッド! そうニャ、絶対にクレアちゃんを狙うなよニャ?」
「分かっているさ」
ウィノーは警戒心を高めたように、毛を逆立てながらリッドに忠告した。
今、ウィノーの目下の狙いは、リッドの恋人に酷似しているクレアその人である。
「本当かニャ? ピュリ姉がもしダメ……でも……あっ……」
ウィノーは自分の失言に気付き、細い両前足で自分の口を塞ぐ。
しかし、出た言葉は戻って来ない。
「おい、それ以上はいくらウィノーでも……」
「悪い……今のは本気でダメだったわ、オレ……最悪だよ、オレ……」
リッドはしょんぼりとしているウィノーを見て、小さく溜め息を吐いた。
「……語尾が戻っているから気を付けた方がいいぞ」
「……いいさ。クレアちゃんとリッドのどっちかを選ぶなら、どっちを優先するかなんて決まってるだろ?」
リッドとウィノーは小さく笑う。
そのような男どうしのやり取りをリッドとウィノーが繰り広げている間、クレアは迷子状態を解消しよう、迷子ちゃん認定を返上しようと奮起してずんずんと前に進んでいたが、しばらく藪の中を歩いてから急に立ち止まってしまった。
「え? なんで? こんな?」
「どうした、クレア」
「どうしたニャ、クレアちゃん」
リッドとウィノーが追いつくとやはりクレア同様に立ち止まることになった。
「……村ですよね?」
「……廃村か?」
「……廃村かニャ?」
リッド一向の前に見える光景は薄靄に包まれたボロボロの村だった。
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