第3話


 渡良瀬川に思川と巴波川の2つの川が合流する地点である渡良瀬川下流部一帯にはかつて、赤麻沼・石川沼・赤渋沼・前原沼、さらに板倉沼などがあった。そのような、地形的には周辺より一段と低く洪水が自然に遊水する大湿地帯が、堤防によって囲われ、遊水池となっている。足尾鉱毒事件の発生当時は、鉱毒対策が目的で設けられたのではなく、洪水防止が目的とされたが、1903年の大日本帝国政府の第二次鉱毒調査委員会が、足尾銅山の渡良瀬川下流部に遊水池を設置する案を提示したことを受けて造成されており、鉱毒対策目的であることは明白であった。

 谷中湖の美しい湖畔で、葛城烈は偶然にもさまざまな人物たちが集まる場面に遭遇した。それぞれが個性的なメンバーであり、この集まりが一体何を意味するのか、烈の興味は尽きなかった。


## 登場人物たち


### 犬飼賢也

犬飼賢也は、地元の名士であり、企業経営者としても知られている人物だ。彼は谷中湖周辺の環境保護活動にも積極的に参加しており、この日もその一環で訪れていた。


### 吹石ますみ

吹石ますみは、人気女優であり、最近では環境問題についてのドキュメンタリー映画の制作に関わっている。彼女もまた、賢也の招待を受けてこの場所に来ていた。


### 山本ユリエ

山本ユリエは、有名なフリージャーナリストであり、常に話題の中心にいる人物だ。彼女は環境保護活動に関する記事を書くためにこの集まりに参加していた。


### 深見小夜子

深見小夜子は、地元の伝統工芸の職人であり、環境保護と伝統文化の継承をテーマに活動している。彼女はこの集まりに招待され、湖畔で展示会を開く予定だった。


### 塩屋善司

塩屋善司は、大学の教授であり、環境科学の専門家だ。彼は今回の集まりで講演を行うために呼ばれていた。


### 高橋奈緒子

高橋奈緒子は、地域の自治体で環境政策を担当している職員であり、今回のイベントの企画者の一人だ。


### 小西光彦

小西光彦は、企業の広報担当者であり、環境保護に関するプロジェクトを推進している。彼は企業と地域住民との協力関係を築くためにこの場に来ていた。


### 星河英姫

星河英姫は、地元の高校生であり、環境保護クラブのリーダーを務めている。彼女は若者の視点から環境問題に取り組む意欲を持ち、この集まりに参加していた。


### 甲本透

甲本透は、地元の警察官であり、地域の安全を守るためにこのイベントの警備を担当していた。


## 事件の発生


烈がこの異色のメンバーたちに囲まれていると、突如として異変が起こった。湖の近くで何者かが倒れているのを発見したのだ。警察官の甲本透が急いで駆けつけ、状況を確認すると、倒れているのは深見小夜子だった。彼女は意識を失っており、周囲には奇妙な薬品の匂いが漂っていた。


## 謎の解明


現場にいた全員が動揺する中、烈は自らの探偵魂を発揮して調査を始めた。まず、周囲の聞き取りを行い、誰がどこにいたのかを確認した。次に、倒れている小夜子の周囲を詳しく調べ、奇妙な薬品の正体を突き止めるべく証拠を収集した。


彼の調査の結果、事件の背後に隠された陰謀が明らかになってきた。どうやら、環境保護に反対する勢力がこの集まりを妨害しようとしたらしい。そして、その勢力の一員がこの中に紛れ込んでいる可能性が高いことが分かった。


## 犯人の特定


烈は集まった全員をもう一度集め、証拠と証言を基に論理的に犯人を突き止めていった。そして、最終的に真実が明らかになった。犯人は、表向きは環境保護を支援しているふりをしていたが、実は自分の利益のために環境破壊を推進していた企業の広報担当者、小西光彦だったのだ。


## 事件の解決


 甲本透が小西光彦を逮捕し、事件は解決を迎えた。小夜子も無事に回復し、集まりは再開された。今回の出来事を通じて、集まったメンバーたちはさらに結束を強め、環境保護活動に一層の力を注ぐことを誓った。


 烈は、この事件を基に新しい小説のプロットを練りながら、谷中湖の美しい風景を再び楽しむことができた。そして、彼の探偵としての能力が再び証明されたことで、今後の執筆活動にも大きな自信を得ることができた。


 現在の渡良瀬遊水地の中央部の原野を開墾して成立した栃木県下都賀郡谷中村は、周辺に比べて標高が低いため水害を受けやすく、村の周囲には囲堤(堤防)が築かれていて輪中地域であった。谷中村や周辺の村では、各家で洪水に備えて水塚や揚舟などがあった。村では、水田、畑作を行うほか、周りには多くの池沼や水路があり、魚捕りや湿地の植物ヨシ、スゲを使ったヨシズ、スゲ笠作り、養蚕業なども行われていた。


 明治20年代になると、渡良瀬川最上流部に位置する足尾銅山より流出する鉱毒の排水による被害が大きくなり、農民の鉱毒反対運動が盛り上がると、1905年、政府は谷中村全域を買収して、この地に鉱毒を沈殿する遊水池を作る計画を立てた。ただし、これは、鉱毒反対運動の中心地だった谷中村を廃村にすることにより、運動の弱体化を狙ったものであるという指摘が、谷中村に住んでいた田中正造によって既になされている。


 谷中村は全域が強制買収され、1906年、強制廃村となった。1907年までに立ち退かなかった村民宅は強制破壊された。ただし、一部の村民はその後も遊水池内に住み続けた。最後の村民は1917年2月25日ごろこの地を離れた。


 政府は、1912年から1918年にかけての工事で、この地を堤防で囲い、遊水池とした。ただし、赤麻沼・石川沼・赤渋沼・前原沼以外の中央部の谷中村の部分には囲堤があって通常は水はなく、洪水時に水が貯められる仕組みであった。同時期に川の付け替え工事も行われ、栃木・群馬県境をうねるように流れていた渡良瀬川は、藤岡町(現栃木市)東側を流れるように変更された。しかし県境の変更を行わなかったため、かつての流路の痕跡が陸上などに県境として残され、その中には栃木・群馬・埼玉の三県境も含まれている。


 この時代、遊水池の拡張も行われ、旧谷中村以外の下都賀郡部屋村(現栃木市)、同野木村(現野木町)群馬県邑楽郡海老瀬村(現板倉町)、茨城県猿島郡古河町(現古河市)の一部も遊水池の内部となった。


 この後、調整池を作る計画があったが、第二次世界大戦により中断。1963年(昭和38年)から1998年(平成10年)にかけて、全域を堤防で囲う工事が行われ、第1・第2・第3調節池の3地域に分けるほぼ現在の形となった。第1調整池は1970年(昭和45年)、第2調整池は1972年(昭和47年)、第3調整池は1997年(平成9年)完成。第1調整池内に1989年(平成元年)、第1貯水池である渡良瀬貯水池(谷中湖)が造成された。


 1972年の谷中湖(貯水池)造成時には、旧谷中村の中心地(墓地、寺社、役場などの跡がある)を守る激しい反対運動が起きた。村民の子孫たちは、共同墓地の墓石を運び出そうとするブルドーザーの前に座り込み、工事を中断させた。結果として楕円形になる予定であった湖は、署名活動と交渉の末、旧谷中村の中心地を避けるようなハート型に設計変更された。


 1970年代までは銃猟が規制されておらず、シーズンにはハンターが猟を行っていた。1990年(平成2年)に栃木県側が銃猟禁止区域に設定され、その後、この地での猟銃による銃猟は行われなくなった。遊水池内には、東武鉄道が設置した有料猟場が存在した。この猟場は、栃木県内で最後の有料猟場であった。2012年(平成26年)にラムサール条約に登録されたことに伴い、国指定の鳥獣保護区となり、猟は不可能となっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る