171-0021 西池袋一丁目 Nさん

 今から7年ほど前になります。

 春からR大学の一年生として入学するにあたって池袋に上京してきました。

 とはいえ実家はそこまで裕福な家ではなかったので、家賃はあまり多く出せないというのが正直なところでした。ただ、女性なので両親としてはあまり安いところに住まわせるのも不安があったようで、マンションで探していました。

 その時に紹介されたのがこのマンションでした。

 そのマンションは築年数は15年ほどで、”デザイナーズ”というものらしく設備はとてもおしゃれで綺麗でした。ただ、いわゆる事故物件という紹介もされました。

 ただ、別に部屋に何かがある、というわけではないんです。問題は共用スペースにありました。

 このマンションは各フロアの共用スペースとしてお手洗いが設置されているんです。不思議ですよね、だって家の中には当たり前にトイレがあるんです。元々ほとんどの人が使っていなかったように感じます。

 私が住んでいたフロアは8階建ての2階だったんですけど、そのフロアはトイレが使用禁止になっていました。何かが出るとか怪しいというわけではなく故障で使えないという扱いだったんです。だから元々の家賃が安く、また管理費もかかりませんでした。

 当時はそんな理由で安くなるなら全然お得だな、と思ったんですけど冷静に考えたらおかしいですよね。だってその分ちゃんと修理した方がどう考えても安くなりますから。


 実際に住んでみるとやっぱり便利なところでした。

 隣の声は全く聞こえませんでしたし、何より設備も綺麗でしたから受験の時に東京に来て泊まったビジネスホテルを思い出すようでした。

 ただ、本当にホテルのようでしたから隣同士の付き合いとかはほとんどなかったように感じます。幸い両隣の部屋は女性が住んでいて、一人は同じぐらいの学生の方、もう一人は年配の方でした。特に何か付き合いがあったわけではないですがどちらも物腰の柔らかい方でした。

 最初は近隣トラブルとか色々と不安があったんですけど、改めて「良い物件を見つけられたな」、なんて春先は考えていました。


 ただ、4月の最終週から異変が起きたんです。

 例の共用トイレの入り口に盛り塩がしてあったんです。トイレのドアの左右に直径5cm程の皿が置かれて塩が山盛りにされていました。

 やっぱり不気味でしたよね。来てすぐは故障だと思って気にしていませんでしたが、やっぱりこういったオカルト的なものがあるのかな、って。

 その週は月から日まで毎日盛り塩がされていました。エレベーターを降りて自分の部屋に向かおうとすると方向的に見えてしまうんですよね。だから無視しようと思ってもつい見てしまうんです。

 家でも何か変なことがあったら嫌だな、とは思っていましたが結局何も起きませんでした。

 盛り塩をしてあるだけで私自身に何か危険が及びようなことは全くありませんでした。トイレ自体にも何か違和感があったようには思えません。

 結局4月から毎月その月の最終週に盛り塩がされてあったんですけど結局何も起こりませんでした。


 ただ、9月の中旬ぐらいだったと思います。ちょうど大学の前期も落ち着いて夏休みに帰省するかどうかを考えていたぐらいの時期だったと思います。

 コンコン、とドアの扉が叩かれたんです。オートロック式なのでインターホンもなく誰かが来るのはとても怪しかったんですけど、表にいたのは隣に住んでいたOさんでした。


「急にごめんね。Nちゃんはもうわかってると思うけどうちのフロアのトイレの入り口って毎月盛り塩がされてるでしょ?ここら辺の事について不動産屋からどれぐらいちゃんと説明されてるのか気になったのよ」


 Oさんは苦笑い、といった感じでそんなことを話していたと思います。

 私は当時故障で使えなくなっている、ということしかしりませんでしたから、そう伝えました。

 Oさんは「そうだったんだ…」とこちらがまるで可哀想、といった感じでそう呟いていました。

 結局それからOさんの自宅に案内されてお話を聞かせてもらえることになりました。


「まずね、あそこのトイレだけど、実際にはトイレなんてないのよ」

「えっ?どういうことですか」

「ここには元々神社があったのよ。地域の人たちが管理しているような小さな神社だったの。ただ、この土地を所有していた人が亡くなって息子さんが後を継いだんだけど、土地としてはかなり広い土地だったからこのマンションを建てたのよ。ただ、その神社がマンションを建てるには微妙な位置にあったから色々と問題が起こってね」

「もしかしてあのトイレの中って…」

「そうよ、あそこはトイレなんて書いてあるけど、神社がそのまま残ってるの。1階と2階のトイレのスペースを空っぽにして今もそのまま管理してるのよ」

 Oさんは「Nちゃんってやっぱり頭いいのね」なんて言いながら話していました。

「最初は息子さんが神社も取り壊すなんて言ってたんだけどね、それはもう私も含めて地元の人が大反対したのよ」

 この時初めて知ったのですが、2階に住んでいる方は8部屋のうち6部屋が元々すぐ近くに住んでいたでした。もっと言うと管理人さんもこの地元の昔からの方の様で、マンションというか、神社の管理を地域全体で行っているというとても特殊な物件でした。

「だから、あそこはトイレとは書いてあるけど、実際には扉だけで何もないの。扉も鍵がかかって開けられないようになってるの」

「そうだったんですね…。でも神様がいるのに盛り塩をするんですか?」

 私の中で盛り塩は何か穢れというか嫌なものを払う時に使うイメージでしたから、神社の神様に使う、というのはどこか違和感を感じました。

「神様と言ってもみんながみんな良い神様かっていうとちょっと難しくてね…」

 Oさんは歯切れ悪く答えました。

「やっぱりこのマンションのせいだとは思うんだけど、あれを置いておかないと部屋にへんなのが来ちゃうのよ」

「へんなもの、ですか…?」

「そう、初めの頃は盛り塩なんて置いていなかったんだけどね。そうしたら扉を一日中叩かれたり、”開けて”なんて声が玄関から聞こえたり散々な目に遭ったのよ」

 色々と言われましたけど最初は信じられませんでした。そもそもマンションの中に神社が入っているのもおかしな話ですし、そんな怪奇現象が起きるというのもにわかに信じがたいことでした。

 でもそんな私の様子を察してかOさんが信じられないなら案内してあげようか?と言ってくれたのです。最初は良いんだ?、という感情と不安がありましたが、ちょっとした興味があったのも事実で見させて頂く事にしました。


 扉の鍵はOさんが持っていました。この時聞いた話ですが、基本的に盛り塩や扉など、ここの管理はOさんが任されているようでした。他にも当時から住んでる方はいるようですが、高齢なのもあって、その中では比較的若いOさんが管理をしているようです。


 いざ扉を開けると本当に神社がありました。

 トイレの扉は本当に形だけで、実際には開けると柵があってまるでバルコニーのような作りになっていました。

 2階からは屋根とおそらく古くからあるであろう大きな木がそびえたっているのが見えました。そして下を見下ろすと床は土になっていて、そこだけ別世界というか当時の状態が残されている状態でした。

 壁は大きな窓があって、その日は曇りでしたが晴れていればちょうど太陽の光が差し込むようになっているのだと思います。上からだったのでよく見えませんでしたが、下には賽銭箱や大きな鈴などもあり、本当にそのまま残している状態だったように見えます。

 このマンションはおそらくオーナー用の駐車場があるのですが、そこと繋がっていて、一部の人しか入れないように管理をしているのだと思います。


 非現実的な光景を目にして驚いていた私にOさんはこれで信じてもらえそうね、と満足そうにしていたのを覚えています。


「なんでこんな話をするかというとね、色々と知っておかないと10月は危険なの」

 貴重なものを見れたな、なんて思っていたのもつかの間。Oさんも神妙な顔でそんなことを言いました。

「10月は神無月っていうでしょ。全国の神様が出雲に集まるって聞いたことある?」

「はい、聞いたことがあります」

「これは噂でしかないんだけどね、ここの神社は子供の神様がいるみたいなの。それも沢山。八百万なんていうけどおそらく本当に沢山の神様がいるみたいでね、その神様が一斉にこの神社から出雲に向かうの」

 神社を見て信用はしているものの改めて聞くと本当に現実離れしていますよね。でもOさんの表情はいたって真剣でした。

「神様が出ていくときね、それはもう大はしゃぎで出ていくみたいで。さっき言ったように玄関を沢山叩かれたり声が聞こえてくると思うわ。正直私達もどうなるかなんてわからないの。でもとりあえず扉は絶対に開けちゃだめよ。例え知り合いの声がしても開けちゃだめ。神様は悪気がなかったとしても家をめちゃくちゃにされるから。もっというと家だけで済むならいいけど、Nちゃんもどうなるか分からないから。神様に何かされちゃったらお化けじゃないから祓えないのよ。だから9月30日と10月1日は絶対に家から出ないようにしなさい。あとはそうね、神様が帰って来るのが10月31日だからここも絶対に外に出ちゃだめよ」

 Oさんは何かあった時のために、と連絡先を交換してくれました。

「ちなみになんで毎月盛り塩をするかというとね、子供だから神様なのに10月がいつなのか分からないのよ。だから盛り塩をして今はまだその月じゃないって教えてあげないといけないの。でも10月はちゃんと出してあげないといけないから。ここは我慢するしかないのよね。」

 実際に神社を見た私としては信じる他ありませんでした。でも当時私の隣に住んでいた方はこの話を信用しなかったみたいです。

 Oさんはこの日の私と同じように隣の方にも説明をしていたようなのですが、信じてもらえなかったみたいです。まあ、実際私も当時はいきなりよく信用したな、とは思ってしまいますね。


 それから9月末になり、本当に扉を叩かれました。

 それもなんというか、いわゆるドラマで闇金の人が取り立てに来るような乱暴な叩き方でバンバンと叩かれるのです。その上外からはドッと大きな笑い声が聞こえてきました。まるでお笑いのライブ会場にいるような感覚でした。

 聞いていたとはいえ、この非現実的な状況に対して私はすぐにOさんに電話をしましたが、Oさんは「大丈夫よ、扉を開けなければ何も起こらないから」と優しく慰めてくれました。

 この騒ぎは1日中続きました。いえ、月末月初の2日間ずっと続きました。ようやく収まったのは10月1日の午前中ぐらいだったと思います。Oさんからは「よく耐えたね」と優しい声をかけてもらったのを覚えています。

 ただ、私には一つ気になっていたことがありました。

「あの、実は言えなかったことがあって…。おそらく隣の方だと思うんですけど悲鳴が聞こえたんです」

 9月30日、この騒動が起こってすぐぐらいのことでした。

 隣から大きな悲鳴が聞こえました。

「えっ!?ちょっと待ってなにこれ!!キャアア!!」

 本当に大きな声が聞こえてきました。さっき話しましたが、この家は防音がしっかりしていたと思いますから、その中で声が聞こえたということは相当大きな声だったと思います。

 悲鳴はおそらく5分ほどで止んだと思います。ギャアアと大きな声が聞こえ、まるで身体にある空気を全て出し切ったかのように切れていった声は今もはっきりと覚えています。

「そうだったんだ…。Nちゃん、教えてくれてありがとう。もしかしたらね、本当に最悪な場合Nちゃんのお家に警察が来て何か聞いてくるかもしれないけど、その時は”隣のOさんに聞いてください”って言ってもらえる?もし怪しまれちゃったらそすぐにうちの扉叩いていいから」

 電話越しのOさんの声は落ち着いていたように感じました。

 とはいえOさんの話しぶりからして隣の方は命を落としていることもあるのだろう、そう察しました。



 あの家には結局大学卒業までお世話になりました。

 勿論不安はありましたが対策さえしておけば何もないということ、それにあの時以来Oさんにはとてもお世話になりましたから、なんだかんだ私には居心地がよかったのかもしれません。

 実は先月Oさんが亡くなられたんです。私の携帯に娘さんから連絡があって、たしか、もうすぐ65歳になるはずでしたからそう考えるとちょっと早いですしとても残念です。

 ちなみにお線香をあげに行ったときに聞いたのですが、今はもう2階のフロアは誰にも貸していないみたいで、多くは空き家になっているみたいです。

 なんというか、こんなこと話しちゃってもいいのかなって思ったんですけど私自身誰かにそんなことがあったんだよって伝えたくなったんです。

 信じてもらえるかはわかりませんけど、でも本当に神様っているんだよ、神様って良い神とか悪い神とかそんな良し悪しで人が決められるようなものでもなくて、でもそういう人の常識で考えられないものがこの世にはあるんだよ、って誰かに話したかったんだと思います。

 


 一通り話し終えたNさんはどこか満足そうに見えました。

 不思議とNさんにはあまり怖いといった考えがなかったようでそれどころか少し楽しそうに話していたようにさえ感じました。Nさんにとってこの体験は恐怖の出来事というよりもOさんとの思い出の中の一つなんでしょうね。

 ちなみにNさんは今年の10月に出雲大社に旅行に行くのだとか。あんなに神様が楽しそうに向かっていたのだろうから、きっと楽しいお祭りなんだろう。そんな興味から計画を立てたそうです。

 「お賽銭に一万円を入れてみようか迷ってるんですよね」

 そのように楽しそうに語る姿がとても珍しく、とても印象に残っています。



もしこちらをお読みになられた方で池袋の怪談、心霊体験をされたことがある方がいらっしゃいましたらご連絡頂ければ幸いです。

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池袋に纏わる話 田宮 @hayanenero

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