171-0014 池袋二丁目 Sさん

 今から4年ほど前に住んでいた家の話になります。

 笑われるかもしれませんが、宮城の田舎から友人(以下N)とお笑い芸人を目指して上京したんです。ほら、宮城といえば「サン●ウィッチマン」の出身地でしょう?僕らも彼らに憧れて目指そうと思ったんです。

 物件は北池袋にある2DKのマンションでした。マンションとはいっても中の設備はかなりボロボロで、手すりなんかもところどころ錆びているし、エレベーターも上下に動くだけでそれなりに揺れるような、そんないつ倒壊してもおかしくないようなマンションでしたよ。


 そこに引っ越したきっかけはとにかく家賃が破格だったことでした。

 池袋駅まで徒歩で15分ほどで、家賃は管理費込みで65,000円でした。不動産屋からは建物がかなり汚くて入居する人が全然いないと説明を受けていましたが、2DKだったら二人で折半して一人当たりが33,000円程度ですからすぐに飛びつきましたよ。

 なにせ都会の繁華街のすぐそばにこれだけ安く住めるんですから。特に私もNもアニメやゲームが好きでしたから、そういう意味でも本当に都合が良かったし、当時は神が応援してくれてるんだなんて思いました(笑)


 でも今思えばもう少し周りの相場を見て多少は疑うべきだったなって思います。



 その部屋は玄関に入るとすぐ右手にキッチン、左手はトイレとお風呂があります。

 正面には部屋が二つに分かれていてそれぞれのドアが並んでいます。二つの部屋の広さは6:4ぐらいでしょうか。当然広い部屋の方が嬉しいのですが、狭い部屋には一応バルコニーがあるので、洗濯が干しやすいぐらいのメリットはあったと思います。

 私は煙草を吸いませんが、Nは喫煙者だったので必然的に私が広い部屋になりました。Nは「なんかずるい」なんて言ってましたね。とはいえ部屋内で喫煙をすると壁の張替えなんかで修繕費がかなりかかるとも聞いていたので、渋々了承してくれました。


 最初は不安こそありましたが、いざ住んでみると不安なんてすぐに消えましたよ。やっぱり池袋だとコンビニもすぐ近くにありますし、ドン・キホーテみたいな便利な店が深夜もやっているので生活に困ることはありませんでしたね。

 家のすぐ近くが飲み屋街なのもあってすぐにバイトも決まりましたし、時給もそんなに悪くなかったので、生活の基盤は割とすぐに作れたような気がします。


 異変が起きたのは引っ越して大体3か月ぐらい経ってからだったと思います。夜中に部屋でお笑いのネタ作りをしていた時でした。

 

 コンコン。

 

 扉がノックされたんです。

 コンビとはいえプライベートもありますから、共同生活のルールとして勝手に互いの部屋には入らない、何かあったら扉を叩く、というのをルールづけていました。

 まあ、大体LINEで「そっち行ってもいい?」なんてやりとりをして行き来することが多かったのですが。

 とはいえ、扉を叩かれるだけだったら別にいいんです。問題は叩かれた扉が普段の入り口ではないことでした。

 この家は互いの部屋のちょうど真ん中に二つの部屋を繋ぐ扉があるんです。本来であれば二部屋を行き来しやすいように作られたものだと思うのですが、私たちは互いの部屋として使っていましたから、普段は全く使用していませんでした。というより、使わない前提でしたから私の部屋は扉の前にハンガーラックを置いて完全に塞いでしまっていました。実際Nの部屋も扉の前にテレビを置いていました。

 そんな普段使用しない部屋から扉が叩かれたんです。

「どうした?」

 Nにも聞こえるように少し大きめの声を出しましたが反応はありませんでした。不思議に思っていたらその数秒後にまたコンコンと扉が叩かれたのです。

 変な感じがしました。Nも私の部屋の位置を知っていましたからなんでわざわざそっちの扉から入ろうとするんだろうと疑問に思いました。もしかしたら向こうの部屋で何か簡単な工事でもしてるのかな、とも考えましたが、Nは割とまめなタイプでそういうことをするなら普段はちゃんと報告をしてくれるんです。特に時間は日付変わりの深夜でしたから普通なら間違いなく連絡をしてくれるはずです。


 最初は気にしないでおこうと思いましたが、あまりにも何回も音がするので流石に我慢が出来なくなりました。LINEを送っても既読はつかないし、声を出しても全く反応がありませんから、ちょっとイライラしていた気もします。

 コンコンという音が一定なのも若干腹立たしかったですね。

 あまりにしつこいので洋服をかき分けて扉を開けようとしたその時でした。


 がちゃり。


 音がなったのは玄関の方からでした。

「ただいまー」

 Nの声でした。

 部屋から出ると赤ら顔のNがコップに注いだ水をごくごくと飲んでいるところでした。

「どうしたの?」

「いや、今扉がずっと叩かれてて…」

 そうは言ってもNも簡単には信じませんでした。なので実際に私の部屋に入ってもらったのですが、扉を叩く音はぱたりと止まってしまいました。

 結局Nには説明しても信じてもらえず、「きっと疲れてるんだよ」と何故か励まされる始末でした。

 念のためNの部屋からも扉を見させてもらったのですが、なにかおかしなところはありませんでしたし、扉の前にはテレビ、そしてゲーム機やら漫画がずらっと並んでいて扉を叩くのも一苦労な配置でした。


 そんな状態でしたから、その時は私もちょっとしたストレスを抱えてたのかな、なんて軽く考えていました。よくホームシックになりやすいのは離れてから2,3か月後くらいなんて言いますから、無意識的に何か抱えているのかな、なんて思っていたんです。

 ただ、それ以降この異変は度々続きました。


 コンコン。


 一定のリズムで扉が叩かれるのです。

 特に気味が悪いのがそれが決まってNがいない時に起こること、そしてNは同じような体験を全くしていないことでした。

 二人とも夜の居酒屋のバイトをしていましたが、Nが家に一人でいる時は全くそんな様子はないんだそうです。

 最初はNがバイトの日は早めに寝るようにしたりしていましたが、やはり扉を叩く音で起こされますし、結局Nがバイトの日は彼が帰るまでキッチンに小さな折り畳みテーブルを置いてネタ作りをするようにしていました。

 そうしたら不思議と扉を叩く音が聞こえなくなったんです。もしかしたら実際には扉を叩かれていたかもしれませんが、いずれにしてもキッチンからはあの不快な音は聞こえませんでしたから本当に安心しましたよ。


 でもそんな状態も長くは続きませんでした。

 キッチンで過ごすようになってから2週間ほど経ったころだと思います。


 コンコン。


 扉を叩く音が聞こえました。

 しかも自分の部屋の入り口の扉からです。

 今までにない状況でした。もしそれまで何かが扉を叩いていたのだとすると自分の部屋に侵入されたわけですからとにかく焦りました。

 目が離せない状態でした。扉の奥に何かがいるかもしれない、そう思うと冷や汗が止まりませんでした。

 でも幸いなことにその日はすぐにNがバイトから帰ってきてくれました。

 Nは様子のおかしい私を見てかなり心配してくれていたと思います。この時ばかりは彼が友人であったことを本当に感謝しました。

 Nが帰ってきた後はやはり扉を叩く音がぱたりと止まりました。

 私は怖くて自分の部屋の扉を開けられませんでしたが、代わりにN開けてくれました。ですが、室内に目立った以上はありませんでした。

 当時の私はお化けとか幽霊なんてオカルトなものを信じていませんでしたが、このあまりの異常さに流石に怖気づいてしまいました。

 結局この日は私の部屋にNが来て隣で寝てもらいました。本当はNの部屋が良かったんですが、元々私の部屋より狭い上に床にものを置きすぎて寝るスペースがなかったんです。


 流石にこのままではまずい、Nと同じバイトに申し込もうか。そんなことを考えていた翌日の夜、

 

 コンコン。


 自分の部屋の扉を叩く音がしました。

 今思えば相当に参っていたんだと思います。その日の私は「ふざけんなよ!」「いい加減にしろよ!」と扉に向かって怒鳴り散らしました。

 とはいえ全く効果はなく、扉は一定のリズムで叩かれるのです。

 しびれを切らした私はいよいよ扉をあけてやろうと立ち上がりました。

 そしてドアノブに触れたその時です。


 「あけて」


 女性の声でした。

 扉の向こうから、というよりはまるで耳元で囁かれるような、そんな低い声がはっきり聞こえました。

 流石我に返りましたよ。そしてあまりにも恐ろしくて家を飛び出したんです。

 でも玄関を開けた瞬間に


 「あいた」


 そんな声がまた音を耳に直接注ぎこまれるようにはっきりと聞こえたんです。


 振り向かなければいいのに振り向いてしまったんです。

 目に入ったのは不思議な光景でした。


 私の部屋の扉が完全に開いていました。

 でも中が真っ暗で見えないんです。

 普通は真っ暗と言ってもキッチンの光なんかが少なからず差し込んで多少は何かがあるぐらいは分かるじゃないですか。でも本当に真っ暗で何も見えないんです。

 真っ暗というよりはそこだけ写真のように黒く塗りつぶされたような状態です。

 ベンタブラックという光を99.9%吸収する物質があるみたいなんですが、まさに部屋の入り口がそれで覆われているような、そんな真っ暗闇が部屋の中に広がっていたんです。


 とにかく慌てて家を出ました。

 幸いスマホをポケットに入れていたんですが、裸足で外に逃げましたよ。

 西池袋の方に24時間営業のファミレスがあったのでそこに入ったんですけど、店員のお姉さんからはかなり怪しそうな目で見られましたよ。

 まあ、そりゃそうですよね。部屋着で靴も履かないで中に入ってきた人間なんて変人かホームレスと思われて当然だと思います。


 とりあえず何も頼まないのもまずいですから、一番安いパスタを注文しましたが、ちょうど食べ終わったぐらいにNから電話がかかってきたんです。


「なんか玄関空いてるけど大丈夫なのこれ?」

「いや…まじでさ、もうわけわかんなくて」

 Nから電話が来て安心したのか、説明しようにも疲れがどっと出てしまってうまく言葉が出てこなかった気がします。


「というか、お前の部屋から水漏れてるよ!?」

 Nは少し慌てた様子でした。もしかすると慌てて飲み物をこぼしてしまったのかもしれませんが、正直記憶はありません。

 おそらくNが私の部屋の扉を開けたのでしょう。キィ…、と小さく軋む音が電話越しに伝わったその時でした。


「あいた」


 ビクッと身体が大きく揺れて思わず手に持ったスマホを床に落としました。

 また耳元で女の声が聞こえたんです。

 慌ててスマホを拾って耳にあてました。


「てかやばい!こっちの扉からも水が漏れてんだけど!俺の部屋もやばいでしょ!」


 Nがかなり慌てている様子でした。

 どうやら私とNの部屋を繋ぐ扉からも水が漏れているようなのです。

 ただ、直感的にこの扉を開けることが何かまずいことになると感じたんです。

 だからNにはすぐに伝えました。


「待って!そこの扉は開けちゃ」

「あいたあいたあいたあいたあいたあいたあいたあ」






 あの日からあの家には戻っていません。

 お金に余裕はなかったのですが気持ち悪くて家具や服も全部あの家に置いていきました。その後の生活について当時は先輩たちに大変お世話になりましたよ。

 ただ、残念なのは心配してくれたNに最後まで信じてもらえず、今はお互いに別のコンビを組んで活動をしていることです。

 とはいえNは私と解散してすぐに別の相方と一緒に暮らしていたようですが、その相方もすぐにあの家からは出ていったようです。

 だからNも私が言っていたことが本当だったのかもしれないと多少は信じてくれているようです。だからコンビではないものの、そんな話をした今はお互いの関係はまあそれなりです。

 

 結局あの黒いものがなんだったのかは分かりません。

 でもあの時あの扉をあけていたらどうなっていたんだろうと思うと今でも怖くて。

 だから普通に生活していても扉を開けること自体が今も本当に怖いんです。玄関を開けるとき、トイレに入る時、もしかしたら扉を開けたら何か恐ろしいものがいるんじゃないかって。

 開けたら闇が広がっていて、飲み込まれるんじゃないかって。

 その先が見えないことが本当に怖いんです。



 



 Sさんは現在新宿にアクセスの良い東京郊外に住んでいるようですが、Nさんは今も同じマンションに住んでいるようです。

 Nさんはやはりそういった霊障は全くないようで、例の部屋を芸人仲間の飲み会場にすることもしばしばだとか。複数人だとやはり何も起きないようですが一部の芸人仲間の間では「あいつの家はやばい」と噂になっているようです。


 ちなみにインタビューの後佐々木さんにこの物件について何か知らないか尋ねたところ、過去にこの部屋に入居した2名の方が行方不明になっているようです。

 扉を開けてしまったのかは本人に聞かないと分かりませんが、行方が分からない以上真相を追うことは出来ません。

 ただ、Sさんが仰っていたあの暗闇にその2名が吸い込まれていなければいいな、と願うばかりです。


 

 最後にですが、Sさんは「もう本当に、自分の将来以上に怖いですよ」なんて苦笑いで仰っていました。

 こんなに恐ろしい経験の後にオチをつける話が出来るのは流石芸人だな、と感心させられました。



 もしこちらをお読みになられた方で池袋の怪談、心霊体験をされたことがある方がいらっしゃいましたらご連絡頂ければ幸いです。

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