第六章
第六章 ミアと来寿様
不思議な夢を見た。俺が「少女」になって、祖母の「武勇伝」と、自分の半生を省みていた。その中で、俺は少女の名前を知った。
「ウィルミア」
一体、誰の名前なのだろう? 何処かで聞いたことが有るような? そう言えば、祖母の名前も聞いたことは有るような? あれ? 祖母は何という名前だっけ?
俺は「祖母」の名前を思い出そうと、意識を集中した。その瞬間、俺の「目」が開いた。すると、俺の視界に「デコボコの天井」が映った。よく見ると、それは「岩」だった。
ああ、そうか。俺は「洞窟」の中にいたのだったか。
俺は、洞窟の地面の上で、仰向けに横たわっていた。その事実を直感した瞬間、思わず左手で顔を覆った。
まさか、寝てしまったとは。
我ながら油断が過ぎる。このまま恥を晒し続けることは、誠に遺憾に思う。
俺は直ぐ様上半身を起こした。すると、右腕が「何か」に引っ張られた。それを直感した瞬間、俺の脳内に「少し前の記憶」が閃いた。
まさか、また、魔王? いや、そんなことは有るまい。あんなこと、二度と有るまい。
俺は想起した可能性を否定した。しかし、念の為に、恐る恐る、自分の右腕を見た。
そこには、「薄手の黒衣をまとった少女の姿」が有った。
え? 真(まこと)に?
俺の右腕は、魔王の細い両腕と、豊満な双丘に、ガッチリ固められていた。その事実を目の当たりにして、俺は空いている左手で自分の蟀谷を抑えた。
こいつ、どうしてくれよう?
俺は諸々の感情を堪えながら、魔王を見た。すると、彼女は――
「すぅ……すぅ……」
安らかな寝息を立てて、熟睡していた。
「…………」
俺は無言で魔王の寝顔を見詰めた。それを見ていると、守ってやりたい気持ちが沸いた。頭を撫でてやりたい気持ちも沸いた。
しかし、俺は魔王の父ではない。
俺は敢えて「心中に芽生えた父性」を無視した。俺は心を鬼にして、右腕に力を込めて、
「ふんっ」
掛け声と共に勢い良く振った。すると、俺の右腕が魔王の腕からスポリと飛び出した。その行為によって、俺の右腕は解放された。
その直後、魔王の魔の手が伸びてきた。
「う~~っ、う~~っ」
魔王は唸りながら、両手を伸ばして宙を弄り出した。その様子を見て、俺は「母を求める赤ん坊」を想起した。「可愛らしい」とも思った。
しかし、俺は魔王の母ではない。
「起きろっ」
俺は魔王を起こそうと、それなりに大きな声を上げた。すると、宙を弄っていた魔王の手が、凍り付いたようにピタリと止まった。
暫くすると、魔王の瞼が開いた。続け様に、彼女はユックリ上半身を起こして、
「…………」
ボンヤリ前方を見て、それからユックリ俺の方を向いた。
「「…………」」
魔王は、無言で俺を見詰め合った。俺も、無言で彼女を見詰めた。すると、見詰める先の可憐な口がニヤリと吊り上がって、そこから甘い声が漏れた。
「私の王子様ぁ」
魔王は謎の呪文を唱えた。その直後、俺に向かって、しな垂れ掛かってきた。
「!?」
何なのだ? 一体、何が起こっているのだ?
俺は魔王に抱き付かれながら、対応できずに固まっていた。魔王は、俺が動かないのを良いことに、俺に思い切り抱き着いて、
「んふふふふ」
さも心地良さげに笑っていた。
ああ、そうか。これは夢か。俺は夢を見ているのか。そうか、そうか、そう――って、そんな訳有るかっ!!
「おい、ちょっ、お前っ、どういうつもりだっ!?」
俺は声を荒げて魔王を叱責した。すると、
「っ!」
魔王から息を飲む気配が伝わった。その直後、彼女は弾けるように俺の体から離れた。その行為によって、俺の体は魔王の呪縛から解き放たれた。
助かった。しかし、「さっき」のは何だったのか?
俺は魔王の奇行を訝しみ、彼女の顔をジト目で睨んだ。
すると、魔王はアタフタと慌てふためきながら、
「い、いや、寒かったのだ。昨夜は、そう、寒かったな、うん」
早口で「寒かった」を連呼した。それを聞いて、俺は「下手な言い訳だ」とは思った。しかし、
「ああ、寒かったな」
気を利かせて同意しておいた。すると、魔王は「ほっ」と息を吐いた後、「ふん」と鼻を鳴らしてソッポを向いた。その反応に対して、俺は――
「…………」
引き続きジト目のまま、無言で魔王を見詰めていた。
すると、魔王は「ゴホン」と咳払いしてから、腕を組んで踏ん反り返った。その態度を見て、俺は「とても偉そうだ」と思った。すると、見詰める先の可憐な口が開いて、
「お前に聞きたいことが有る」
魔王は、態度に見合った居丈高な口調で、俺に「尋問」を始めた。これに対して俺は、
「…………」
無言で身構えた。
正直、何を言ってくるのかサッパリ分からん。しかし、「俺にとって快いものではない」ということたけは確かだろう。最悪の場合、このまま戦闘に入るかもしれない。
俺は魔王の攻撃を警戒しながら、彼女の様子を窺っていた。すると、彼女は――
「あ――……うっ……う――」
口を開いては閉じ、その合間に意味不明な唸り声を上げた。その奇行を繰り返した後、漸く魔王の口から「真面な言葉」が飛び出した。
「『ケルベロス』のことだ」
「は?」
ケルベロス。俺にとって、全く初耳の言葉だった。意表を突かれて、俺は思わず間抜けな声を上げてしまった。その際、俺の顔も間抜けな表情が浮かんでいたようだ。
魔王は、俺の顔を見ながら「はあっ」と盛大に溜息を吐いた。その反応を見れば、呆れている様子がよく分かった。
しかし、魔王は存外に優しかった。彼女は、俺に「ケルベロス」の意味を教えてくれた。
「ケルベロスというのは、『三つの頭を持つ犬のような魔物』のことだ」
三つの頭を持つ犬のような魔物。その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に「三頭犬」の姿が閃いた。
「あ、あれか――」
三頭犬の姿を想起した途端、当時の出来事が走馬灯のように閃いた。その記憶の中に、「俺が魔王に告げた台詞」も含まれていた。
「お前は、俺が守ってやるからな」
想起した瞬間、顔が熱くなった。余りに火照るので、茨の鞭で叩かれているかのように錯覚した。その拷問に晒され続けるのは、正直辛い。思わず、記憶から削除したい衝動に駆られた。
しかし、「その」記憶を削除することは、魔王が許さなかった。
「お前が、その、ケルベロスから、わ、私を――……その、ま、守ってくれたのか?」
「!」
魔王は悪魔だった。彼女は「俺の黒歴史」を穿り返した。
魔王の言葉を聞いた瞬間、俺の胸が軋んだ。羞恥の余り、眦から涙が零れそうになった。その潤んだ瞳に恨みを込めて、俺は斯様な拷問を強いた魔王を睨んだ。
俺のぼやけた視界には、完熟トマトのように真っ赤になった魔王の顔が映っていた。
え? 何で、そちらも恥ずかしがるのだ?
俺は魔王の反応を意外に思った。しかし、少し考えたところで、「それか」と思い当たる理由が閃いた。
魔王ならば、それなりにプライドは高いだろう。敵に助けて貰うことに恥辱を覚えても、不思議は無い。その可能性を想像した瞬間、俺の心に強い迷いが生じた。
果たして、俺は真正直に答えて良いものか?
俺の行為は、魔王にとって屈辱だろう。俺も「あの台詞」を繰り返す気は無い。互いの利害を鑑みて、俺は――
「…………」
全力で黙秘した。それを貫徹するつもりだった。
しかし、俺の黙秘は、魔王が許さなかった。
((正直に言って欲しい。お願い、お願い、お願いっ!!!))
「!?」
俺の脳内に「魔王の思念」が伝わった、それを聞いた瞬間、俺は「やられたっ!?」と、敗北を直感した。その直後、俺の口が開いて、
「まあ、その、成り行きで――」
「成り行きで?」
「助けた」
俺は魔王の求めに応じて、彼女を守った事実を認めてしまった。すると、
「やっぱり――」
見詰める先の魔王の瞳がキラキラ輝き出した。彼女は食い入るように俺を見詰めながら、
「うふふふ」
不気味な笑い声を上げた。それが俺の耳に入った瞬間、何故か俺も可笑しくなって、
「はははっ」
笑った。すると、見詰める先の魔王の表情が固まった。その直後、
「ふんっ」
魔王は鼻を鳴らしてソッポを向いた。その態度を見て、俺は「彼女の機嫌を損ねた」と直感した。
しかし、魔王の本心は、態度のそれとは真逆だった。
((やっぱり、やっぱり、やっぱり――この人は、この人は私の王子様なんだっ))
魔王の思念は、俺の脳内で歓喜の想いを爆発さていた。
((うふふ、私の王子様、私の王子様っ、私にも王子様がいた。嬉しい、嬉しい、嬉しいな))
魔王は、とても喜んでいた。それを聞いていると、俺の心も弾んだ。
気が付くと、俺は魔王の声(思念)のリズムに合わせて踊っていた。それが存外に楽しくて、夢中になっていた。
その最中、俺の顔に冷たい視線が突き刺さった。
「…………」
魔王は、能面のような無表情で、俺を睨んでいた。その様子に気付いて、俺は躍るのを止めた。
「「…………」」
暫く無言の時間が続いた。その沈黙を破ったのは魔王だった。
「もう一つ、聞きたいことが有る」
魔王の尋問が再開された。俺は「何だろう?」と首を傾げながら、「どうぞ」と許可した。
すると、魔王は地面を指差しながら、苛立っているような固い声を上げて、
「『ここ』は、何なのだ?」
恐らくは、現在地に付いて質問した。それを聞いた俺は、辺りを一望してから、
「さあ」
首を捻った。すると、魔王は厳しい視線で俺を睨み付けた。続け様に「はあっ」と溜息吐いた。その落胆する様子を存分に見せ付けた後、同じ内容の質問を、今度は表現を変えて告げた。
「『この世界』のことだ」
「!」
この世界。その答えを、俺は知っていた。
女神の神器、「封印の壺」。それを使って、俺達は魔王を封じた。その事実を告げれば、きっと彼女は激怒する。腹を括らざるを得ない。
ここは武士らしく、召すか? 腹を。
俺は自分の最期を直感して、その覚悟を決めた。ところが、いざ真実を告げようとしたところで、
「えっ~~とぉ――……」
肝心の言葉が、直ぐには閃かなかった。俺は必死に思考回路を大回転させながら、事の次第を穏便に伝える言葉を探した。その際、嘘を吐くことも考えた。
しかし、嘘の証言は、魔王が許さなかった。
((正直に言って欲しい。お願い、お願い、お願いっ!!!))
魔王の思念は、俺に「真実の証言」を強請った。それを聞いた瞬間、俺は強い義務感、或いは使命感に駆られた。その衝動に、俺は屈した。
「実は――」
俺は「魔王討伐」に関わる情報を、依頼主はおろか、「壺」のことも含めて、全て魔王に伝えてしまった。すると、見詰める先の魔王の顔が一層歪んだ。
ああ、やはり。俺は魔王に殺されるのだな。
俺は切腹の体勢を取ろうとして、両膝を着き掛けた。その瞬間、魔王の声が上がった。
「お前に――」
「!」
来た。これは絶対「腹を召せ」。
俺は地面に両膝を着いた。しかし、続け様に魔王が告げた内容は、「切腹」でもなければ、「処刑」でもなかった。
「『提案』が有る」
「え?」
提案。その言葉の意味は分かる。しかし、だからこそ、魔王の意図が分からなかった。
一体、魔王は俺に何を望むのか?
俺は首を傾げながら、魔王の言葉を待った。すると、見詰める先の可憐な口が開いて、そこから意外な、しかし、今の俺達にとって「最優先願望」と言える言葉が飛び出した。
「お前、『壺の外』に出たくないか?」
封印の壺からの脱出。その可能性を想像した瞬間、俺の心に光が射した。
「出たい」
俺は素直に答えていた。それを躊躇う理由は、俺の中には無かった。
俺の回答を聞いた魔王は満足そうに頷いた。その続け様に、先程告げた「提案」の内容を告げた。
「ならば、私に『協力』しろ」
「!」
魔王との共同戦線。その可能性を想像すると、脳内に「裏切り者」という言葉が閃いた。その一方で、「最善手」という言葉も閃いた。
さて、俺はどうすべきか?
彼我の関係性を鑑みると、魔王に裏切られる可能性は否定できない。
しかし、「封印の壺の中」という現況に付いて考えると、魔王の助け無しに生きていけるとは、全く思えなかった。
「…………」
俺は無言のまま、頷くでもなく、首を横に振るでもなく、「首を上下左右に揺らす」という奇行を続けていた。その間、俺の脳内には「保留」という第三の選択肢が閃いていた。
しかし、今の俺に「保留」は許されなかった。魔王が許さなかった。
((貴方と一緒なら、私、何でもできる。何でもします。だから、お願い、一緒に頑張りましょう。お願い、お願いしますうううううううううううううううううううううっ!!!))
お願いされたあああああああああああああああああっ!!! これで言うことを聞かなきゃ男が廃る。俺の思考のベクトルは、魔王に思念によって、百八十度「強制回頭」させられた。
そもそも、今の俺が「魔王の前で迷う」ということは、「選択を放棄した」という愚行に等しかった。
「承知した」
俺は全力で首を縦に振った。その様子は、魔王の目にシッカリ映っていた。
「良かった」
魔王はポツリと小さな声で呟いた。その瞬間、彼女の顔に心底嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
俺は魔王の笑顔を見て、「引き受けて良かった」と思った。その一方で、「魔王の思念に屈した」と、悔しい想いが募っていた。
俺は複雑な想いを視線に込めて、魔王を見た。すると、見詰める先の美貌が歪んで、
「ふん」
魔王はソッポを向いてしまった。その態度を見て、俺は「魔王に嫌われたな」と思った。それに伴って、脳ミソが漬物石化したような憂うつさを覚えた。
しかし、例によって、魔王本心は、態度のそれと真逆だった。
((わーいっ、やった、やった、これから宜しくお願いします。嬉しい、嬉しい、嬉しい))
魔王は、とても喜んでいた。それを聞いていると、俺の心も弾んでくる。思わず踊りたくなった。しかし、それは堪えた。二の舞は踏まなかった。
俺が心中で「耐えて、偉い」と自分を褒めていると、魔王の声が耳に飛び込んできた。
「お前――」
「!」
他所事を考えている間に声を掛けられた。それに驚いて、俺は思わず息を飲んだ。
今度は、何を言われるのだろう?
俺は直ぐ様顔を上げて魔王を見た。すると、見詰める先の可憐な口から意外な、しかし、「初対面の人に有りがちな質問」が飛び出した。
「『名前』は何と言う?」
そう言えば、名乗っていなかったか。
一般論として、「初対面の相手に名乗るのは常識」とは思う。その一方で、「他人に尋ねる前に、先に名乗るのが筋だろう」と、魔王に礼儀を説きたい衝動にも駆られた。
さて、何と答えたものか? 本名か? 或いは通り名か? それとも偽名? いっそ、「オリアニス」――は、親しき中にも礼儀有り。止めておこう。
俺は迷った。その最中、脳内に魔王の思念が伝わる気配を覚えた。それを直感した瞬間、
「俺は――来寿。愛洲来寿という」
俺は本名を告げてしまっていた。すると、魔王の可憐な口が開いて、
「あいすらいす」
抑揚の無い、無機質とも思える声音で、俺の名前を復唱した。その口調からは興味関心の欠片も覚えなかった。ところが、実際は真逆だった。
((素敵いいいいいいいいいいぃっ!! あ、い、す、ら、い、す、あい、す、らい、す、あいすっ、らいすっ。ああ、あああ、何て、何て素敵なお名前なのかしら))
魔王の思念は、俺の名前を大事に、情熱を込めて連呼していた。それを聞いていると、俺の心も弾んだ。その一方で、「フルネーム」で呼ばれることには抵抗を覚えていた。
俺をフルネームで呼んでいたのは、アシハラ時代の「藩主」だけだった。
俺の脳内で、「黒衣の美少女の姿」が、「厳めしい顔をした中年男性の姿」と重なった。いや、重なり掛けた。その直前で、俺は声を上げていた。
「『来寿』で良い」
「何?」
「『来寿』がファーストネームだ。アシハラの言葉で『目出度いことが来る』という意味だ」
俺は敢えて自分の呼称を指定した。すると、
「ふん、『お目出度い来寿』――か」
魔王は詰まらなそうに俺のファーストネームを告げた。その言動を目の当たりにして、俺は「言うんじゃなかった」と後悔を覚えた。
しかし、例によって、魔王の本心は、態度のそれとは真逆だった。
((ら、い、す、来寿うううううう、来寿様あああああっ。ああ、来寿様っ。本当に、何て素敵なお名前なのっ。もう好きっ! 世界一好きな名前っ!!))
魔王の思念は、俺の脳ミソを揺らすほど弾んでいた。それを聞く俺の心も弾んだ。俺の顔もだらしなく緩んだ。その間抜け面を晒しながら魔王を見た。すると、
「ふんっ」
魔王は鼻を鳴らしながら、何と目を閉じた。その態度を見て、俺の緩んだ顔が強張った。「魔王に嫌われた」と思って肩を落とした。
その直後、魔王の声が耳に飛び込んできた。
「私の名は――」
魔王は目を閉じたまま、彼女の名前、恐らくは本名を告げた。
「ウィルミア・シグムント・デストランドだ」
ウィルミア。その名前に、俺は強い既視感を覚えた。
それって、あれだっ、思い出したっ。「『夢』に出てきた少女の名前」だっ!! これは偶然か? あれは正夢か? それとも――
「『ミア』だ」
「え?」
魔王の名前に付いて考えていたところに、本人から意味不明な言葉を告げられた。
「だから、『ミア』だ」
ミア。全く初耳の言葉だった。その意味が、俺には直ぐには分からなかった。その時、俺は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたのだろう。
俺の顔を見た魔王は、怒ったように顔を真っ赤にして、「ミア」という言葉の意味を教えてくれた。
「私のことは、『ミア』と呼ぶが良い」
ミアとは「愛称」だった。その事実を知って、俺は「なるほど」と納得した。しかし、その一方で困惑していた。
俺のような一介の冒険者が、魔王――一国の王を愛称で呼んで良いものか?
ここがアシハラで、俺が武士のままであったなら、不敬罪で極刑だろう。最悪の場合、「市中引き回しの上、打ち首獄門」も有り得る。斯様な無礼を働く勇気は、俺には無い。
「…………」
俺は口を閉ざした。しかし、今の俺に、「魔王の意に沿わない黙秘」は許されなかった。
((『ミア』と呼んで下さいっ。お願い、お願い、お願いしますっ))
「!!!」
魔王の思念が、俺に「命令」した。それを聞いて、俺は――
「承知した」
魔王の提案を受け入れてしまった。
俺は、またしても魔王に敗北した。しかし、心は侍。サムライ・ハートが俺には有った。
「ミア『陛下』」
俺は愛称に敬称を付けた。相手の要求を飲みながら、俺は礼儀を貫いた。その心意気を我ながら「天晴れ」と思った。
ところが、俺が使った敬称は、魔王の気に召さなかった。
「違う」
魔王は、超速で駄目出した。その上で、続け様に彼女の呼称を指定した。
「『ミア』だけで良い」
まさか、呼び捨てとは。
武士として、或いは冒険者として生きてきた俺にとって、目上の、それも国王を愛称で呼び捨てることは、万死に値する無礼だった。
ここがアシハラで、俺が武士のままであったなら、俺は不敬罪で極刑――
((呼び捨てっ、絶対呼び捨てっ))
市中引き回し――
((呼び捨てじゃなきゃ嫌っ))
打ち首獄門――
((来寿様から呼び捨てにされたら、私が来寿様のものになったみたいで――嬉しいっ))
もう良い、分かった。
「…………ミア」
俺は、またしても魔王の思念に屈した。俺は罪悪感と敗北感を噛み締めながら、魔王の要求通りに呼び捨てで愛称を告げた。すると、
「来寿」
ミアは、何故か俺の名前を呼んだ。それを聞いて、俺は――
「ミア」
再び魔王を愛称で呼び捨てた。すると、
「来寿」
魔王――「ミア」も、俺を呼び捨てた。「それ」が俺達の「不文律」だった。
ところが、ここは不文律を破る者が、一人いた。
((来寿『様』。ああ、来寿『様』、来寿『様』))
ミアの思念は、俺の名前を敬称付きで連呼していた。
何て勝手な奴だ。
俺の脳内には、ミアに対する文句の言葉が幾つも閃いていた。しかし、その全てを俺は飲み込んだ。
「まあ、宜しく頼む」
俺は、ミアに向かって右手を差し出した。すると、ミアは、
「ふんっ」
ソッポを向いてしまった。しかし、右手を前に突き出して、俺の右手を思い切り掴んでいた。
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