第五章

 第五章 魔王


 俺は「夢」を見ていた。しかし、夢の中の俺の意識は明瞭で、五感に伝わる刺激も鮮明だった。その為、幾度か「現実では?」と錯覚した。それでも、

「これは夢だ」

 俺は断言できた。何故ならば、俺は「少女」になっていたからだ。


 俺――いや、「私」は、華美な調度品が並んだ木製の広間の中心に立っていた。私の周りには、幾人かの侍女達がいた。私は彼女達に傅かれていた。

 私は立っているだけで良かった。侍女達が勝手に動いて、私の身なりを整えていった。

 その間中、侍女達は口々に私を褒め称えた。

「ジッとしていてくれて助かります」「とてもお美しいです」「お世話できて光栄です」

 この国、デストランドの人々にとって、私は「そういう存在」だった。

 私は、この国の初代国王、「シュバリス・デストランド」の「孫」だ。その事実だけでも特別扱いされるには十分な理由になるだろう。しかし、それ以上の理由が、私には有った。

 私は「魔王の後継者」だった。

 魔王。その呼称は、世間一般的には不吉な「忌み名」だろう。しかし、デストランドに於いては特別な意味を持っていた。

 魔王は、デストランドの「守護神」だった。

 その忌み名を最初に受けた者の名前は、「ウィルリル・シグムント・デストランド」。

 ウィルリル様は、そのミドルネームが示す通り、シグムント王国の王族だった。そんな彼女がデストランドに現れたのは、未だ国ができる以前のことだった。


 当時、デストランドの人々は「森の民」と呼ばれていた。その呼称は、「デストラ樹海」に集落を構えていたことに由来していた。

 デストラ樹海は、フォリス大陸の北東部に広がる森林地帯だ。しかし、人間にとっては忌むべき場所でも有った。

 デストラ樹海は、「魔物の巣窟」だった。そんな場所に「住みたい」と思う者は、人間の中では少数派だろう。実際、樹海内で森の民以外の人間の姿を見ることは稀だった。

 森の民の境遇は「孤立無援」といえる。しかし、我らの祖先達は「それ」を望んでいた。そうすべき理由が、彼らには有った。

 それが、「女神の大魔法」。

 その名前が示す通り、女神級の奇跡を起こす魔法だ。それを記した魔導書が、森の民の族長の許に有った。

 大魔法を秘匿する為、我らの祖先達はデストラ樹海で隠棲し続けていた。しかし、このまま朽ち果てるつもりも無かった。

「いつか女神の大魔法を使い熟し、ネフィリムを統べる王となる」

 それは、きっと人の身に余る野望なのだろう。しかし、それを可能にする力が、大魔法には有った。少なくとも、我らの祖先達はそう信じていた。

 実際、大魔法の効果は既存の魔法を凌駕する。その内の幾つかは、「造物主の領域」までシッカリ踏み込んでいた。それを使い熟せたならば、世界を統べることも夢ではなかった。しかし、大魔法の使用に際して「大きな問題」が有った。

 大魔法に必要な「魔力」、或いは「魔力量」は、常人のそれを超えていた。

 この世界、ネフィリムには「無尽蔵」と思えるほど魔力が有る。しかし、人間が蓄えられる魔力量には限界が有った。

 大魔法の使用には、それなりの魔力が必要だった。その条件を満たす魔導士は、少なくとも森の民の中にはいなかった。だからと言って、「外」から呼び込むことも、孤立無援の境遇である祖先達にはできなかった。

 いつしか、大魔法は「失われた女神の大魔法」と呼ばれるようになっていた。森の民は「叶わぬ夢」に囚われ続けたまま滅亡する運命に有った。

 しかし、運命を打ち破る存在が「外の世界」から現れた。

 その人物こそ、ウィルリル・シグムント。彼女はどこからか「失われた女神の大魔法」の存在を知った。それを研究する為に、彼女の祖国を捨てて森の民の許へとやってきた。

 当時、森の民には外の者を受け入れる器量は無かった。しかし、ウィルリル様は諦めなかった。彼女の熱意と才能が、森の民と、我が祖父、シュバリスの心を動かした。

「彼女ならば、大魔法を復活させることができるやもしれぬ」

 祖父の期待に、ウィルリル様は十全に、いや、それ以上に応えてくれた。彼女は「失われた女神の大魔法」、その内の幾つかを復活させたのだ。

 百を超える魔法の矢「星屑の雨(スターダスト・アロー)」、直径一メートルを超える火球群「炎神の礫(アグニス・グラベル)」、魔法の矢の超上級呪文「雷神の矢(インドラズ・アロー)」、素材を直接道具に変える「加工創造(プロセッシング・クリエイション)」、そして、死人を蘇生する「反魂(リターン・ザ・ソウル)」――等々。

 それらの大魔法を得たウィルリル様は、「実験」と称して、デストラ樹海に巣くっていた魔物共を一掃した。

 デストラ樹海、少なくとも集落の周辺にいた奴らは、その殆どが死滅した。生き残った魔物は、二度と樹海には戻ってこなかった。

 かくして、森の民は名実共にデストラ樹海の盟主となった。しかし、ウィルリル様にとって、「盟主の座」は副産物に過ぎなかった。

 ウィルリル様の「実験」は、尚も続いた。

 ウィルリル様は「領地も増えたことだし、城が欲しいわね」と言って、大魔法「加工創造」で周辺の木々を操り、それらを用いて「城塞都市」を創り上げた。

 ウィルリル様のお陰で、森の民の棲み処は「集落」から「国」へとランクアップした。それに伴って、人々は「王」を欲した。

 初代国王に相応しい人物は誰か? それは、満場一致で決まっていた。

「「「「「ウィルリル様を、我らの王に」」」」」

 人々はウィルリル様の治世を希求した。当時の部族長であった祖父も、彼女を王にして、自分は王佐に甘んじるつもりだった。ところが、

「他を当たって。私は魔法の研究で忙しい」

 ウィルリル様は、全く個人的な理由で王位を拒否した。

 かくして、初代国王には我が祖父、シュバリスが就任した。その際、彼は国名を自身のファミリーネーム、「デストランド」とした。

 ウィルリル様は、彼女の希望で王の伴侶、即ち「王妃」となった。彼女がデストランドの王族になったことは、デストランドの人々にとっては僥倖ではあった。

 しかし、王位を巡る一件は、デストランドの人々の心に少なからず影を落としていた。

「ウィルリル様は魔法のことばかり。我らのことなど眼中にないのでは?」

 斯様な噂が、頻繁に巷間に上るようになっていた。

 実際、ウィルリル様は魔法に心囚われていた。王妃の仕事をおざなりにして、「実験」に明け暮れていた。それが原因で、事件や事故が幾つも発生した。その度に、彼女の評判が悪化した。その果てに、彼女に不名誉な忌み名が付けられた。

「ウィルリル様は、正しく『魔王』だな」

 魔王。その呼称は、実はウィルリル様の耳にも入っていた。しかし、

「捨て置いて。シグムントでも、そんな風に言われてたから」

 ウィルリル様は、全く気にしていなかった。その為、人々の間で「魔王」という呼称が定着してしまった。

 祖父から「その話」を聞いたとき、私はデストランドの人々に憤りを覚えた。「何と恩知らずな」と罵倒した。そのような想いを抱いた者は、私だけは無かったようだ。

 ネフィリムの造物主、創造の女神ネフィリア様も、きっとお怒りになられたのだろう。彼女はデスランドの人々に罰を与えた。

 女神様は、デストランドから「ウィルリル」という希望を奪ってしまわれた。


 その日、ウィルリル様は「王城地下研究施設」にいた。そこで、「空間歪曲(スペース・ディストーション)」という空間を操る大魔法の実験を行っていた。

 その最中、何らかの事故が起きた。

 一体、何が起こったのか? 当事者であるウィルリル様なら知っているだろう。しかし、彼女に聞き出すことはできなくなってしまった。

 ウィルリル様は、「異界の裂け目」に吸い込まれて、消えてしまわれた。

 その現場には、祖父を含めて数名の魔導士が居合わせていた。しかし、彼らは何もできなかった。ウィルリル様が消えていく様子を見ていることしかできなかった。

 ウィルリル様の消失。この事件は、デストランドに住む全ての人々を震撼させ、同時に絶望させた。その中で、特に大きな衝撃を受けていたのが我が祖父、シュバリスだった。

 祖父は、一人の男として最愛の妻を失い、一人の王として国防の要を失った。その余りに大きな損失は、彼を狂わせた。

「女神様、どうか再びウィルリルを、その『後継者』を我らに与え給え」

 祖父はウィルリル様の後継者を求めた。最初に白羽の矢が立ったのは、ウィルリル様が残した一人娘、「ウィルエマ・シグムント・デストランド」、即ち我が母だった。

 祖父はウィルエマ様に期待した。しかし、彼女は「あのウィルリルの娘」だった。彼女もまた、とてもとてもとても――「自由な人」だった。

「私は私の人生を生きるから」

 ウィルリルエマ様は、嘗てのウィルリル様同様、国を出奔した。

 当時、ウィルエマ様には夫と娘がいた。彼女としては、二人と一緒に国を出たかったのかもしれない。しかし、彼女の父、即ち我が祖父が許さなかった。

「その子だけは置いていって貰う。その子はデストランドの『最後の希望』なのだ」

 ウィルエマ様は、祖父の願いを聞いて「娘」を置き去りにした。

 その娘こそが、この私、「ウィルミア・シグムント・デストランド」だった。

 私は祖父に連なる唯一人の王族にして、ウィルリル様の後継者候補だった。その事実が、私を祖父以上に特別な存在にしていた。

 誰もが私に気を遣った。私と対等に言葉を交わせる者は、祖父だけだった。そもそも、私が「家族」と呼べる者は祖父だけだった。

 私にとって、祖父は特別で、絶対的な存在だった。だからこそ、私は彼の言葉に従った。彼に喜んで貰えることが嬉しかった。彼の期待に応えることが、私の生甲斐だった。

「私はお婆様のように、ウィルリル様のようになる」

 私は祖父の望みを叶えるべく、魔法の勉強に励んだ。それ以外、私にできることが無い、いや、「それができる能力持つ者が、私しかいなかった」と言うべきか。

 私は、確かにウィルリル様の血を引いていた。私には、彼女譲りの魔法の才能が有った。

 不断の努力の果てに、私は幾つかの大魔法を習得することができた。その成果は、祖父を始め、デストランドの人々を大いに喜ばせた。

 私は、祖父からは「ウィルリルの再来」と呼ばれた。祖父以外の者からは「新たな魔王」と呼ばれた。

 かくして、私はウィルリル様の後継者、二代目魔王となった。祖父が身罷られた後は、王位を継いでデストランドの第二代国王となった。

 私に逆らう者は、誰もいなかった。私に本気で意見をする者も、誰もいなかった。私を守ってくれる者も、誰もいなかった。

 王となって以降、私は誰にも心を許せなくなっていた。私は「魔王」として振舞う以外、他者との接し方が分からなくなっていた。

 デストランドの人々は、「魔王としての私」しか知らない。「本当の私」を知る者は誰もいない。

 私は一生魔王として生きる覚悟を決めた。決めていた。しかし、ううん、それなのに、その決意を意識するほど、私の心底に「真逆の想い」が膨らみ続けていた。

 ああ、「王子様」。私の王子様。どうか私を見て欲しい。どうか私を助けて欲しい。どうか――私を守って欲しい。

 この際だからハッキリ言おう。私には意中の人が居る。

 それが、「王子様」。

 幼少期の頃、私は魔法の修行の合間に童話を読んでいた。その中に出てきた「王子様」に、私は憧れていた。私は「彼に愛されるお姫様」になりたかった。その想いと相まって、私は「私の王子様」が現れる日を待ち望むようになっていた。気が付くと、いつも心中で「王子様」と叫んでいた。一人になる度、何度も「来て、来て、私の王子様」と念じ続けていた。

 しかし、「王子様」は来なかった。私の想いに、誰も応えてくれなかった。誰も気付いてくれなかった。

 当然だ。私自身、誰にも本心を気取られないよう隠し通していたのだから。

 私は「所詮叶わぬ願い」と諦めた。これからも、誰にも本心を明かさず、本当の願いを叶えることなく、「デストランドの王」を演じ続けていくのだろう。そう思っていた。そう思い込んでいた。それなのに、それなのに――

「お前は、俺が守ってやるからな」

「!」

「お前は、俺が守ってやるからな」

「!!!」

 少し掠れた男性の声が、諦めていた夢を呼び起こした。彼の言葉を聞いて、私の脳内で「何か」のスイッチが入った。その瞬間、胸の奥がカッと熱くなった。その痛いくらいの刺激が、私を覚醒させた。

 目を開けると、周りは炎に包まれていた。その中心で、「一人の男性」と三匹――違う、「一匹の犬」が戦っていた。

 あれ、もしかして「ケルベロス」では?

 三つの頭を持つ犬は、ネフィリム創世記に記載されていた女神の失敗作だった。造物主から「人間には絶対勝てない」と太鼓判を押された強力な魔物だった。

 私は「男性の敗北」を直感した。しかし、彼は私の直感を覆した。右腕を失いながらも、剣(打刀)でケルベロスの胸部を貫いていた。

 この人――凄い。

 私は男性が示した「勝利に対する執念」に感動した。しかし、彼の奮闘は「そこ」までだった。

 ケルベロスは存外にしぶとかった。胸部に剣を刺したまま、その場で尻を振って男性に向き直った。それと同時に、三つの口を開けて――

「!!!」

 男性に噛み付き、彼の体をバラバラに引き千切った。その光景が目に入った瞬間、私は彼の「死」を直感した。

 ケルベロスは、千切れた男性の体を食べようとした。しかし、できなかった。奴も直後に倒れて、そのまま動かなくなった。

 私は走った。直ぐ様男性に近付いて、千切れた体を掻き集めた。そのとき、私の視界に彼の顔が飛び込んできた。

 この人、「私を殺そうとした人」だ。

 デストランド防衛戦の最中、単騎で私に挑んできた剣士。彼の剣(打刀)から察するに、アシハラの剣士、「侍」なのだろう。

 何故、侍がこの地にいるのか? その理由は、私には分からない。彼が私を殺そうとした理由も、私には分からない。分かっているのは「この人は敵」という事実だけ。でも、そんなこと、もう、どうでも良い。

((お前は、俺が守ってやるからな))

 この人は私を守ってくれた。だから、私も助けなきゃ駄目なんだ。

 私は、男性に全力で回復魔法を掛けた。

 魔法には自信が有った。実際、彼の体は完全に修復できた。それなのに、心臓は止まったままだった。

 何で? どうして?

 私は取り乱した。女神様を呪いたくなった。しかし、本当は分かっていた。

 彼の魂は、魂が還るべき場所、「魂の座」に向かって飛び立っていた。その事実は、彼の体がケルベロスに引き千切られたときに直感していた。それでも、

「絶対に死なせない。死なせるものか」

 私には「この男性」が必要だった。そう思える理由を、私は見付けていた。

「この人は、私の『王子様』なんだから」

 世界で唯一人、「私」という個人を受け止めてくれる存在。それを手に入れる為に、私は自分の「魂」を捧げた。

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