第四章

 第四章 失われた女神の大魔法


 愛洲来寿は死んだ。三頭犬の牙に全身を引き裂かれた。即死だった。蘇生が叶うような状態でない。そもそも、回復魔法を掛ける魔導士がいない。

 いや、一人「規格外の魔導士」がいた。しかし、彼女――魔王に俺を助ける義理は無い。俺の最期を見ていたとしても、無視するし、放置もする。

 つまり、俺に助かる見込みは無い。欠片も無かった。そのはずだった。

 ところが、俺は生きていた。

 俺は仰向けで、地べたの上に横たわっていた。俺の視界に映った天井は「岩」でできていた。それがハッキリ視認できた。

 不思議だ。どこかに灯りでも有るのか? いや、そもそも、何で俺は生きているんだ?

 俺は状況を確認すべく、起き上がろうとした。すると、右腕が「何か」に引っ張られた。

「?」

 俺は気になって右腕を見た。その瞬間、俺の視界に「白っぽい肌色」が飛び込んできた。

 え? 人間?

 俺の右腕に人間、それも、「少女」がぶら下がっていた。

え? 誰?

 その少女は、自身の細い両腕をフル活用して、俺の右腕をガッチリ抱え込んでいた。

 俺の右腕は、意外に豊満な「双丘」に埋まっていた。その様子が、俺にはハッキリ視認できた。

 何故ならば、少女は「全裸」だったからだ。序に、俺も「全裸」だった。その事実は、俺を大いに驚かせた。しかし、それ以上に驚きだったのは、「少女の正体」だった。

 その少女は、俺が知るところの「魔王」だった。

 魔王が、全裸で、俺の右腕を胸に挟み込んでいる。その状況に至った過程は何なのか? それを思い出そうとした。

 しかし、「そんな記憶」は俺には無かった。それを知っている者がいるとすれば、それは魔王じかいないだろう。

 尋ねるべきか? 或いは――逃げる?

 俺は魔王の様子を確認すべく、彼女の顔を見た。すると、彼女の瞼は閉じられていた。

「すぅ……すぅ……」

 魔王の可愛らしい寝息が、俺の耳に入ってきた。それを聞いて、俺の混乱は加速した。

 敵を前にして、全裸で眠りこけるとは。

 俺は魔王の安らかな寝顔を見詰めながら、「どうしてくれよう」と考えた。しかし、結論は既に出ていた。

 俺に、子どもは殺せない。

 そもそも、魔王を壺に封じた時点で依頼は完了している。それに、「ここ」で魔王を殺したとしても、追加報酬は望めない。

 俺は魔王討伐を諦めた。しかし、俺が諦めたとしても、相手が俺を見逃す保障は無い。

 魔王が起きたら、俺は殺されるのだろうか?

 現況は、誰が見ても「そんな展開にはならんだろう」と言ったところではある。尤も、戦闘となれば俺に勝ち目は無い。相手が攻撃したいのならば、好きにすれば良い。

 俺は魔王に処される覚悟を決めた。しかし、現状のまま死ぬのは、とても嫌だ。

 兎に角、「魔王の拘束」から脱け出さねば。

 俺は魔王の寝息のタイミングを見計らって――

「すぅ……すぅ……」

「………………今だ」

 素早く右腕を引き上げた。すると、俺の右腕は「魔王の双丘」からスポンと飛び出した。

 魔王の魔の手から、俺の右腕を奪取した。その成果を目の当たりにして、俺は安堵した。しかし、危機は未だ去ってはいなかった。

 俺が右腕を抜いた後、魔王の表情が不機嫌そうに歪んだ。その直後、

「うぅ~ううぅ~」

 魔王の口から不気味な唸り声が上がった。それと同時に、魔王は両手を伸ばして、何かを求めるように宙を弄り出した。

 はて? これは何をやっているのだろう?

 魔王の奇行の意味は、俺には全く分からなかった。しかし、彼女の様子を見ていると、何となく「母乳を求める赤ん坊」を想像した。

 もしかして、俺の右腕を「おしゃぶり」とでも思っているのか?

 魔王の幼児退行振りを見ていると、段々彼女が可愛らしく思えてきた。その感情に惑う余り、「そんなに気に入っているなら」と、右腕を与えたい衝動に駆られた。

 しかし、如何に俺が愚かとて、「その愚行」を実行するほど愚かではなかった。

 ここは、一旦離脱しよう。

 俺は即座に立ち上がった。しかし、全裸のまま移動することには躊躇いを覚えた。

 何か着るものは無いか?

 辺りを見渡すと、至近に「黒い金属鎧」が有った。その傍に、内装と思しき黒い衣服が畳んで置いてあった。明らかに俺のものではなかった。

「…………」

 俺は無言で黒い衣装を見詰めた。それがどんなものか気になった。調べてみたい衝動に駆られた。しかし、それは堪えた。

 他人の服を弄るなど、士道不覚悟にも程が有る。

 俺は心中の「好奇心」という名の悪を成敗した。しかし、「魔王の衣装」に関心を持ったこと自体は、決して間違いではなかった。

 何故ならば、魔王の衣装の傍には「俺の衣装」が畳んで置いてあったからだ。しかも、有ろうことか「鞘に収まった打刀」まで有った。

 え? 真(まこと)に?

 もしかして、「これで魔王を斬れ」という女神の思し召しか? その気遣いには、残念ながら応えられない訳だが。

 兎も角、これで全裸の羞恥は免れた。

 俺は直ぐ様衣服をまとって、ムラマサを腰に差した。この瞬間、俺は「獣」から「人」へと進化した。

 しかし、俺の衣装はズタボロだった。散々に引き千切られていて、「襤褸雑巾」と呼ぶに相応しい状態だった。

 今は我慢。全裸よりはマシ。

 俺は襤褸をまとったまま、出入り口と思しき場所に当たりを付けて、

「おさらば」

 別れの挨拶を零した後、現況から逃げ――抜け出すべく足を踏み出した。その瞬間、

((待ってっ!!))

「!?」

 唐突に、誰かに呼び止められた。そのとき聞こえた声は、風鈴の音のように涼やかで、「女性の声だ」と直感した。

 この場で「女性」と言えば魔王しかいなかった。

 まさか、起きたのか?

 俺の全身が硬直した。心臓だけが狂ったように暴れ回っていた。俺の中の殆どの部分が、「恐怖」一色に染まっていた。

 しかし、頭の片隅に僅かばかりの別の色、「違和感」が染み出していた。

 さっきの声って、直接脳内に伝わっていたような?

 俺の聴覚が反応していなかった。気のせいだろうか? それが気になって、俺は思わず振り返って背後を見てしまった。

 その瞬間、俺の視界に「白っぽい肌色」が飛び込んできた。

「!?」

 そこには、「全裸の少女」が仁王立ちしていた。その堂々とした姿は、正しく「魔王」と呼ぶに相応しい。俺は「格好良い」と思った。しかし、直ぐ様目を逸らした。

 頼むから、何か着てくれ。

 叶うならば、口頭で注意したい。しかし、それを口にすることは、敵に弱みを見せるように思えて躊躇いを覚えた。その代わり、俺は必死に念じた。すると、

((良かった))

「!?」

 魔王の声? いや、これは先程と同じ「脳内に直接伝わる謎の声」だ。それを直感した瞬間、見詰める先の魔王の顔がクシャリと歪んだ。

 魔王が――泣いた!?

 宝石のように煌めく目から、大粒の涙が幾つも零れていた。その光景が目に入った瞬間、俺の心臓に電撃が奔った。

 その涙を止めてやりたい。

 俺は血迷った。魔王の涙に気付くや否や、身にまとった襤褸雑巾の端を摘まんで破った。その切れ端で、魔王の涙を拭くつもりだった。

 ところが、俺がオズオズと襤褸切れを差し出そうとした瞬間、魔王の態度が豹変した。

「ふんっ」

 魔王は、不機嫌そうに鼻を鳴らしてソッポを向いた。その態度を見た瞬間、俺は手の中に有った襤褸切れを捨てた。

「…………」

 俺は無言で魔王の様子を窺っていた。すると、先程俺の脳内に響いた美声が、今度は「耳」に飛び込んできた。

「何か――ん、『問題』は無いか?」

 問題とは? いや、現状は問題だらけなのだか。

 俺には魔王の言うところの「問題」が分からない、いや、特定できなかった。その為、

「…………」

 無言で首を捻った。すると、魔王は横目でチラリと俺を見た後、その可憐な口を開いて、

「おい」

「!」

 魔王は横を向いたまま、再び俺に声を掛けてきた。それを聞いて、俺は思わず身構えた。すると、

「後ろを向いていろ」

「!」

 魔王は居丈高な口調で、敵である俺に「命令」した。その内容は、俺にとっては「死刑宣告」に等しいものだった。

 これは、後ろからバッサリ斬られるやつだ。

 そもそも、俺達は敵同士なのだ。俺は魔王を殺そうとした。魔王も俺を殺そうとした。その事実を鑑みると、とても従う気になれない。俺には「拒否の意」以外、魔王に伝えるべき言葉は無かった。

「いや、それは――」

((お願い))

「!」

 俺が拒否の意を告げ掛けた瞬間、再び脳内に「声」が響き渡った。

((今だけ、今だけで良いから後ろを向いて))

 謎の声は、俺に懇願した。それを聞いた瞬間、俺の心中に「奇妙な使命感」が芽生えた。

 あれ? これは従うべきではないか?

 何故、こんな想いを抱いたのか? 自分でも、よく分からない。しかし、「それ」を直感した瞬間、俺の思考のベクトルが百八十度回頭した。

「分かった」

 俺は魔王の命令に従って、彼女に背中を向けた。その行為に対して、一抹どころか滅茶苦茶不安を覚えた。「このままバッサリいかれるかも」と怯えながら、無防備に背中を晒し続けていた。

 その間中、俺の脳内には「魔王の声」が響き渡っていた。

((何でだろう?))

「!?」

((今まで誰かに裸を見られても、『恥ずかしい』って思わなかったのに))

 何と、魔王は裸を晒すことに抵抗が無かったとは。俺とは人としての器が違う。いや、互いの常識に「ズレ」が有るようだ。

 後で知ったことだが、王侯貴族は「風呂でも他人に世話させている」とのこと。その為、彼らは他人に裸を見られ慣れていた。

 斯様な事情が有るとも知らず、俺は「この子には羞恥心は無いのか?」とか、「露出することが好きなのか?」とか、脳内で魔王に対する失礼な暴言を連発していた。

 しかし、全て俺の誤解だった。魔王にも、ちゃんと羞恥心が有った。

((この人に裸を見られていると――何で? ちょっと『恥ずかしい』。何で?))

「!?」

 俺の脳内に響いた魔王の声が、恐らくは俺を後ろに向かせた理由を告げた。その事実を知って、俺は「それで良い」と頷き掛けた。しかし、俺は引き掛けた顎を首毎横に振った。

 何故、「俺」限定なのだ?

 俺は魔王の言葉の意味を考えた。いや、考えようとした。しかし、その機会は与えられなかった。

「こちらを向いても良いぞ」

「!」

 魔王の声が、俺の「耳」に飛び込んできた。その肉声は、脳内に響いたものと全く同じだった。その事実を目の当たりにして、俺は再び首を捻った。

 何故、魔王の声が「二種類」も有るのか? 同一人物のものか? 或いは別人のものか?

 俺には後者の可能性が高いと思えた。何故ならば、肉声と脳内の声は、口調も、印象も、全く異なっていたからだ。

 しかし、「現況」が俺の推理を否定していた。

 この場には、俺と魔王しかいなかった。そもそも、俺と魔王だけしか封印されていないのだ。その事実を鑑みると、「別人」である可能性は低いと思える。

 一体、この「声」は何なのだ?

 考えたところで、俺には納得できる可能性は閃かなかった。そもそも、この場に答えを知る者がいるとすれば、それは魔王以外にいない。俺としても、「直接本人に聞いた方が、話は早い」とは思う。しかし、

「…………」

 聞けなかった。「敵同士」という呪いが、俺の心を縛っていた。

 俺は何も言えないまま、一先ず魔王の方へと向き直った。すると、俺の視界に「黒い軽装姿の少女の姿」が飛び込んできた。

 魔王は「鎧」を身に着けていなかった。恐らく鎧の下に着ていたであろう薄手の衣装で仁王立ちしていた。

 裸じゃない。しかし、目のやり場に困った。

 魔王の衣服の生地は「極薄」だった。体の線がハッキリと、それこそ「全裸」と錯覚するほど浮き出ていた。

 こいつ、結構――うん、「成熟」しているな。

 俺の視線は、意外に豊満な「魔王の胸部」に吸い寄せられた。思わずジッと見詰めてしまった。

 すると、俺の顔にもカウンター、「誰かの視線」が突き刺さっていた。それが気になって、俺は顔を上げた。すると、魔王と目が合った。

「「あ」」

 魔王は「俺の顔」を見ていた。俺は「魔王の胸」を凝視していた。

 これは絶対嫌われた。その可能性を想像した瞬間、

「ふんっ」

 魔王は不機嫌そうに鼻を鳴らしてソッポを向いた。

「!」

 魔王の態度を見た瞬間、俺は脳ミソが漬物石になったような憂うつさを覚えた。それと同時に、顔から火が出るほどの恥ずかしさも覚えた。

 召すか? 腹を。魔王が望むなら、潔く召そう。

 俺は切腹する覚悟を決めた。そこに、魔王の声が「耳」に飛び込んできた。

「おい」

「!」

 魔王の横柄な口調から、俺は「終に来たか」と腹を括った。ところが、

「それで、その、何だ」

「?」

 魔王は、何か言い難そうに口篭もっていた。その反応を不思議に思っていると、彼女は意を決したように口を開いて、

「お前の『体』、何か問題は無いか?」

「え?」

 魔王が「敵」である俺の体調を心配した? 何で?

 斯様な事態は全くの予想外。しかし、「あれか」と思い当たる節は有った。

「もしかして、その――えっと、俺を助けてくれたのか?」

 魔王が俺を蘇生した。彼我の関係を鑑みれば、信じられないことではあった。しかし、「それ」以外に俺が生きている理由は思い浮かばなかった。

 本当に、彼女が助けてくれたのだろうか?

 俺は期待と不安に駆られながら、魔王の回答を待った。すると――

「ふんっ」

 魔王は不機嫌そうに鼻を鳴らしてソッポを向いた。

 え? どういうこと?

 真面に取り合っては貰えなかった。その反応は、俺にとっては衝撃的だった。しかし、魔王が斯様な反応をするのも宜なるかな。

 俺達は「敵同士」だからな。

 魔王にしてみれば、「敵を助ける」など不本意千万。その気持ちは分かる。しかし、だからこそ「現況」に疑念を覚えずにはいられなかった。

 何故、魔王は俺を助けてくれたのか?

 俺は魔王の横顔を見詰めながら、彼女の意図を想像した。

 このとき、俺は魔王の「へ」の字に曲がった口許を見ていた。それは一ミリも動いてはいなかった。ところが、

((良かった))

「!?」

((私の『王子様』が生き返って、本当に、本当に――良かったあああああああああっ!!))

 俺の脳内に、再び「魔王の声」が響き渡った。その現象には、毎度驚かされる。しかし、今回は「声が伝えた内容」の方が驚きだった。

 俺が生き返って良かった? それに、「王子様」? え? 何? 誰? 俺?

 聞き慣れたネフィリム語ではあった。しかし、俺には理解不能だった。

 誰か教えてくれ。できれば助けてくれ。

 現況は、俺の手に負えそうにない。俺は自分の無力を恥じながら他力に縋った。すると、俺の求めに魔王が反応した。

「あの時――」

 魔王は俺の方を向いて、何事か言おうとした。しかし、直ぐに口を閉じてしまった。

「「…………」」

 暫く無言の時間が続いた。その間、魔王は視線を忙しなく動かしていた。

 何だ? 何か探しているのか? 探し物は何ですか?

 俺は魔王の奇行が気になって、彼女の視線の先を追い掛けた。すると、俺の顔の辺りでピタリと止まった。それに気付いた瞬間、魔王の声が「脳内」に響き渡った。

((どうしよう? どこから言えばいのかな? この人から『守ってやる』って言われて、それが嬉しくて、その気持ちが私を覚醒させてくれて、それから――))

 魔王の声は、俺に直近の出来事、「三頭犬戦」の様子を伝えていた。その中に、聞き捨てならない内容が含まれていた。

 まさか、魔王が「あの台詞」を聞いていたとは。

 俺の背中に嫌な汗が流れた。恥ずかしさが爆発して全身が火照った。

 召すか? 腹を。掘るか? 墓穴を。

 俺は「今の自分に相応しい死に様」に付いて考えていた。そこに、魔王の声が「耳」に飛び込んできた。

「あの時、お前は死んでいた」

「!」

 愛洲来寿は死んだ。残念なことだが、それは事実だった。それを何とかしたのが、俺の目の前にいる黒衣の少女だった。

「私は直ぐに回復魔法を掛けた」

 有難う御座います。

「だが、駄目だった?」

 え? 何で?

「傷は治せても、お前の魂は――既に体から離れていた」

 俺の魂は「あの世」へ、「魂の座」という女神の神器に召されていた。その事実を聞いて、俺の脳ミソが絶望で重さを増した。それこそ、「鏡石でも乗っているのでは?」と錯覚するほどの重苦しさを覚えた。

 しかし、希望は有った。

「だが、私は諦めなかった」

「!」

 魔王が、きっと何とかしてくれた。それが事実であるからこそ、俺は生きている。それはとても有り難いこと。感謝の念に堪えない。「有難う」という言葉が、俺の喉下まで込み上げていた。しかし、「それ」が飛び出す機会は、未だ訪れてはいなかった。

 魔王の言葉には続きが有った。

「『デストランドの王』たる私が、私を救った者を死なせる訳にはいかない」

 デストランド。その言葉は、全くの初耳だった。しかし、言葉の意味は、何となく直感していた。

 あの「樹木でできた城塞都市」のことか。

 魔王は例の城塞都市(或いは都市国家)の「王様」だった。その事実は、俺に「彼女の正体」を確信させた。

 この子は、やはり「本物の魔王」なのだな。

 黒衣の少女が使用した「規格外の魔法」を鑑みれば、「この子は魔王」と納得する他無い。しかし、だからこそ俺は疑念も覚えていた。

 この子、本当に「ウィルリル」なのか?

 ウィルリル・シグムント。彼女は、現シグムント王であるジークジオの「叔母」だった。それなりの高齢であることは予想に易い。

 しかし、目の前の少女は若い。どう見ても十代、もしかしたら二十代かもしれないが、見た目的には十代だ。彼女を「ウィルリル」と呼ぶには、余りに無理が有る。

 魔王、お前は「誰」なのだ?

 俺は魔王を見詰めながら、その正体に付いて色々想像を巡らせていた。その最中、魔王の声が「脳内」に響き渡った。

((この人は、私の『王子様』なの))

「!?」

((未来の『旦那様』なの。だから、絶対に死なせない。死なせるものか))

 王子様? 何なのだ? 旦那様? 何の話なのだ?

 魔王の声が、意味不明な呪文を唱えた。その効果によって、俺の精神は混乱した。その一方で、先の発言の内容から、俺は確信めいた閃きを得ていた。

 この子、絶対にウィルリルじゃない。

 俺は魔王をマジマジと見詰めた。彼女は、今も口を「へ」の字に曲げて、物凄く不機嫌そうな表情を浮かべていた。それを見ていると、「俺と一緒にいることが不満で仕方ない」と思えた。

 しかし、俺の脳内に響く「魔王の声」は、俺に真逆の想いを伝えていた。

((私を守ってくれる人なんて、誰もいなかった。皆、私に守られることを期待していた。それなのに――))

 脳内に響く魔王の声は震えていた。泣いているのだろうか?

((この人は、私を守ってくれた。あんなにボロボロになって、命を落とすことになっても、私を守ってくれた))

 魔王の声を聞いている内に、俺の「封印したい過去の記憶」が次々閃いた。

 そう言えば、「守ってやる」と言ってしまったな。「それ」を魔王に聞かれてしまったな。

 俺は魔王を守る為に三頭犬に挑んだ。命は失ったものの、己の正義、意地を貫くことができた。それだけで、俺にとってはお釣りがくるほど十分な「報酬」だった。

 しかし、俺の行為には予想外の「副賞」が付いていた。

((ああっ女神様、心から感謝します。私の『王子様』に出会わせてくれて))

 俺は「魔王の王子様」という得難い立場を得た。いや、真(まこと)に?

 そもそも、「魔王の声(脳内)」の正体がサッパリ分からない。それを不思議に思えっていると、今度は「耳」の方に魔王の声が飛び込んできた。

「私は、お前を助ける為に――」

 俺は諸々の感情を堪えながら、魔王の言葉に耳を傾けていた。その中で、魔王の正体に関する情報を得ることができた。

「私は、お前を助ける為に、『我が祖母、ウィルリル』様が復活させた――」

 我が祖母、ウィルリル。その言葉は、魔王に関する幾つかの疑問の「答」になった。

 黒衣の少女は、ウィルリルとは別人だった。しかも、彼女は「ウィルリルの孫」だった。

 少女が王位を継いでいるとなれば、彼女はウィルリルの後継者、即ち「二代目魔王」になるのだろう。実際、彼女は「魔王の魔法」を受け継いでいた。

「女神様の秘術、『失われた女神の大魔法』から――」

 失われた女神の大魔法。それもまた、俺にとっては全く初耳の言葉だった。そんなものが有るとは全く知らなかった。しかし、正体を知らずとも、字面で「人の手に余る危険なもの」と直感できた。

 実際、魔王が使った魔法は、俺の直感通り、いや、それを超えて不穏、或いは不吉なものだった。

「『反魂(リターン・ザ・ソウル)』と言う魔法を使った」

「!?」

 反魂。それもまた、俺にとっては全く初耳の言葉だった。どんなものかは分からない。しかし、その効果に付いて想像すると嫌な予感がした。

 もしかして、俺の魂を食ったのか? 或いは奪ったのか? 美味しかったのか? いや、どこにやったのか?

 俺は最悪の可能性を、幾つも想像した。それらが、「脳ミソに鏡石が二個乗っかった」と錯覚するような重苦しい不安を覚えさせた。その感覚に耐えながら、俺は心中で「全部外れろ」と念じた。

 しかし、嫌な予感は当たった。最悪の可能性が具現化した。

「これは、術者が疑似的に『魂の座』となることで、対象の魂を取り込む魔法だ」

「!?」

 どうやら、俺の魂は魔王に取り込まれたようだ。その事実を知らされた瞬間、俺は自分の胸に右手を当てた。すると、掌に心臓の鼓動を覚えた。

 俺は生きている。俺はここにいる。

 俺は「生きている」という事実を、声高に訴えたかった。しかし、もしかしたら、「それ」は錯覚なのかもしれない。そう思いたくなる事実が、魔王の可憐な口から告げられた。

「私は、お前の魂を取り込んだ」

「!!」

 どうやら、俺はこの世の者ではなくなったようだ。どれだけ心臓が「生きてる、生きてるよ」と主張しても、今の俺には錯覚としか思えなかった。

 俺は絶望の余り、口から「ははは」と乾いた笑いが出た。

 しかし、諦めるのは早かった。魔王の言葉には未だ続きが有った。

「その上で、私の生命力を与えてから、再び『お前の体に還した』のだ」

「へっ!?」

「今のお前は生きている。そうだろう?」

「…………うん」

 魂の融合。そして、分離。その行為によって、俺は再び生を得た――らしい。

 俺は生きていた。その事実を魔王に保証されて、俺の口から「はあっ」と安堵の溜息が漏れた。

 俺の中で、疑問、或いは不安が「一つ」払しょくされた。しかし、疑問の種は尽きてはいなかった。それらも解消されることを、俺は欲していた。

 俺の願いは、魔王が叶えてくれた。

「処置を終えた後、私は近くに有った洞窟(現在地)にお前を運んだのだ」

 魔王が、俺を「ここ」まで運んでくれたとは。その事実を知って、俺は一先ず「そうか」と素っ気ない返事をしながら頷いた。しかし、それだけで済ますつもりは毛頭なかった。

 魔王は、俺を救う為に人知を超える奇跡を起こした。その上、俺を安全な場所まで運んでくれた。その「恩」に対して、俺に何ができる? 先ずは――

「助けてくれて、ありがとう」

 俺は魔王に礼を言った。漸く、その言葉を口にすることができた。その事実に安堵を覚えながら、感謝の念を込めて彼女に向かって頭を下げた。すると、

「ふんっ」

 魔王は不機嫌そうに鼻を鳴らしてソッポを向いた。その瞬間、俺の脳内に「魔王の声」が響き渡った。

((わ~い、わ~い。王子様に褒められた。嬉しいな、嬉しいな))

 また、王子様などと。

 変な呼称を付けられて、俺は不満を覚えた。しかし、魔王の喜ぶ声を聞いている内に、俺の心が弾み始めた。いつの間にか、俺は「春が来た」と錯覚するほど朗らかな気分になっていた。

 しかし、春から急転直下、俺の心に寒波が襲来した。魔王の声が伝えたものは、歓喜の想いだけではなかった。

((魔導書に『反魂には、思わぬ副作用が出るかも』――って書いてあったから、体の方は確認させて貰ったけど、何も――))

「副作用!?」

「?」

「いや、いや、何でもない」

 副作用。その言葉は、俺にとっては全く予想外のものだった。しかし、俺には「まさか、『これ』なのでは?」と思い当たる節が有った。

 そう、俺の脳内に響く「魔王の声」。これ、術の副作用なのではなかろうか?

 思い当たってしまった以上、確認したい。しかし、何と言ったら良いものか? 正直に尋ねるか? いや、それは正気を疑われかねない。ならば何と言う?

 俺は様々な質問を考えた。その中で、「最も無難」と思えるものを選択した。

「反魂のことだが――」

「何だ?」

「何か問題が有るとすれば、どんなことが予想されるだろうか?」

 俺は敢えて周りくどい言い方で質問した。すると、

「そんなものは無い」

「いや、しかし――」

「『体』の方は何ともないのだろう?」

「それは――そうだ」

 魔王は即応で否定した。その回答を聞いて、俺は「じゃあ、頭の中の声は何なのだ?」と言いたかった。その台詞が喉下まで込み上げていた。あと数秒経てば、俺の口から飛び出していただろう。

 しかし、俺の愚行は魔王が、いや、「脳内に響く彼女の声」が抑えてくれた。

((今、このお方の魂は、『私が分け与えた』ってことになるのよね? それってつまり、私の魂が『主人』で、王子様の魂が『従者』という関係になるのかな? だったら――))

 魔王の声(脳内)は「俺が求める回答」を考えていた。その言葉の中に、俺が「それだ」と納得できる情報が含まれていた。

((もし、私が王子様に『して欲しい』って念じたら、それが王子様の魂に伝わって、思い通りに動かすことができたり――って、そんな訳、無いよね))

 いや、「そんな訳、無いよね」じゃない。そんな訳、有ったわ。

 俺の魂に掛けられた「絶対服従」の呪い。「それか」と思い当たる節が、俺には有った。

 魔王の声(脳内)から「お願い」されると、俺は謎の使命感に駆られた。彼女に屈してしまったのは、そういう訳なのだ。

 終に、俺は「脳内の声」の正体を突き止めた。やったぜ。しかし、現段階では「憶測」に過ぎない。確信を得る為にも、魔王に確認したいところだ。

 しかし、脳内の声のこと、魔王に伝えて良いものか?

 俺は悩んだ。彼我の関係を鑑みると、悪用される可能性は否定できない。窮地のとき、或いは意見を違えたとき、魔王が俺に「命令」する可能性は――……うん、否定できない。

 絶対に、教えないでおこう。

 俺は保身の為、或いは自分の意思を貫く為、「黙秘する」と決めた。しかし、「隠し事」に関しては少なからず罪悪感を覚えた。

 何とか贖罪したいところだが、何をしたらいいのやら?

 贖罪の方法は、今の俺には直ぐには閃かなかった。それに付いて考えると、憂うつさを覚えて、脳ミソの重量が増していった。頭を支える首が、「重い」と文句を訴え出していた。

 その最中、魔王の声が耳に飛び込んできた。

「一旦話は終わりだ」

「え?」

 一方的に会話が打ち切られた。その唐突さは、俺の意表を突いた。俺の口から間抜けな声が漏れた。俺は魔王の意図が分からず、彼女の顔をマジマジと見詰めた。

 すると、魔王は面倒臭げな表情を浮かべて、

「魔力が回復していない。故に、私は寝る」

「え?」

「お前もそうしろ」

「いや、でも――」

「敵は来ない。ここには『結界(魔法の防護壁)』を張った」

 魔王は言いたいことを言った後、その場でゴロンと横になった。その様子を見て、俺は眉を顰めた。

 こいつ、敵の前で正気か?

 俺に「その気」が有ったなら、魔王は二度と目覚めることは無かっただろう。しかし、今の俺に「その気」は無かった。

「何なのだ? 一体……」

 俺は魔王をジト目で見詰めながら、その場で胡坐を掻いて座り込んだ。暫くすると、

「すぅ……すぅ……」

 魔王から寝息が聞こえてきた。それを何となしに聞いていると、魔王の声が脳内に響き渡った。

((私の王子様))

 また、それか。俺に「王子様」という役割を押し付けるつもりか? しかも、俺はそれに抗えないときている。何と厄介な呪いなのか。

 脳内の声、いや、「思念」と呼ぶべきか。これに対処しなければ、俺は魔王の言いなりになる他無い。

 対策を練らなければ。しかし、どうすれば良いのやら?

 俺は必死に考えた。いや、考えるつもりだった。ところが、俺の思考回路が回り始めた瞬間、突然「瞼」が閉じた。

 これはどうしたことだ?

 俺は直ぐに開こうとした。すると、今度は頭がガクンと下がった。俺が知覚できていたのは、「そこ」までだった。

 これもまた、魔王の魔法か? 或いは呪いか? 俺は瞼を開くことも、頭を持ち上げることもできず、胡坐を掻いたまま眠ってしまった。

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