第二章

 第二章 封印の壺


 俺が思うに、人間には様々な考えが有り、それぞれの正義や常識、幸せが有る。自分の想いや考えは、他者のそれとは違う。

 だからこそ、他者と共存する為には、互いの想いを伝える必要が有る。その為の手段として、我らの造物主、創造の女神ネフィリアは「言葉」を与えたもうた。

 女神が伝えた言葉を、「ネフィリム語」という。

 現在のネフィリムに於いて、ネフィリム語を母国語にしている国や地域は存外に少ない。そこから派生した独自の言語が用いているところの方が多いだろう。

 しかし、ネフィリム語は未だ有用だった。女神の言葉は「世界共通語」として活躍していた。そのお陰で、アシハラのような島国の人間であっても、他国で自分の意思や想いを伝えることができた。

 しかし、言葉で想いを伝えることができても、解釈が一致するとは限らない。そもそも、本心を口にすること自体が困難な場合も少なくはなかった。

 俺の場合、嘗ての上司(藩主)とは分かり合えなかった。彼に本心を打ち明けることに、俺は強い抵抗を覚えていた。

「武士の第一義は忠義」

 アシハラでは目上の者の言葉に対して「否」とは言えなかった。時として、本心を押し殺す必要があった。しかしながら、斯様な不便はアシハラに限った話ではないようだ。

 人間の心の中には、何かしらの「精神的拘束」が有った。対人関係に於いても、彼我を隔てる「精神的障壁」は存在した。それらに加えて、本人達が企図せずとも、結果として裏切り、或いは裏切られる場合も有った。

 斯様な経験をする度に、俺は腹の底から全力で叫びたくなる。

「何故なのか?」

 これが女神の仕業であるならば、「意地悪だな」と、俺は思う。


 俺、愛洲来寿は武士の本分、忠義を尽くした。武士の手本を示したはずだった。

 ところが、俺は武士としての地位や名誉、その全てを失った。今は一介の浪人として、幕府の交易船に揺られて他国に渡ろうとしている。

 何で俺がこんな目に遭うのか? 

 船に揺られている間、俺は延々怨嗟と慚愧の念に駆られていた。視界に「海」が映る度、「いっそ、このまま海に――」と、愚考していた。

 しかし、俺は船縁で踏み止まった。入水を躊躇わせる「希望」が、俺には有った。

 俺には未だ「剣」が有るではないか。

 俺が評価されたのも、剣術指南役に成れたのも、「剣の腕前」が有ったればこそ。新たな地でも、剣で身を立てれば良い。

 俺は一振りの打刀、名刀ムラマサを心の支えにして、未知の世界、フォリス大陸東端の大国、「シグムント王国」に入国した。


 シグムント王国。そこは「山の民(マウンテン・バーバリアンズ)」と呼ばれる戦闘部族が建てた、百年ほどの歴史を持つ国だ。

 アシハラ出身の俺にとって「戦闘部族の国」というのは比較的馴染み易いと思えた。

 俺の剣の腕前が認められて、あわよくば要職に抜擢されるのでは?

 俺が淡い期待を抱いたのも、宜なるかな。しかし、現実は俺が考えているほど甘くはなかった。

 シグムント王国は、あらゆる意味で「山の民の国」だった。国王は元より、国内唯一の軍隊である「シグムント騎士団」の騎士、その末端に至るまで、山の民の直系で固められていた。

 アシハラより狭量な完全世襲制。どれだけ剣の腕前に自信が有ろうと、余所者が騎士団に加わることは許されなかった。

 この国で、立身出世は無理なのか?

 王国の実情を知ったとき、俺は絶望して天を仰いだ。俺の立身出世街道は、完全に閉ざされた――かに思われた。

 しかし、未だ道は続いていた。この国には剣で身を立てる手段が、もう一つ有った。

 それが、「冒険者」。

 冒険者とは、簡潔に言えば「魔物退治を生業とする民間の戦闘職」だろう。斯様な職業が有ることを、俺は全く知らなかった。

 基本的に、アシハラでは戦闘は武士、或いは浪人の仕事だった。「魔物退治の専門職」というのは存在していなかった。

 しかし、シグムント王国を含めて、フォリス大陸に於ける魔物退治は「冒険者の専売」だった。

 冒険者に、俺は成る。

 俺が決断を下すのに、それほど長い時間は要しなかった。俺は直ぐ様冒険者を統括する民間組織、「冒険者組合」(通称ギルト)の門を敲いた。


 かくして、俺は「冒険者、愛洲来寿」となった。しかし、「魔物退治の専門職」のはずが、何故か「直ぐに剣の腕前を披露する」という訳にはいかなかった。

 冒険者稼業を始めた頃、俺は「お使い」程度の最下級の依頼ばかりを熟す日々が続いていた。そこで信用を得て、それで漸く魔物退治に関わる依頼を受けることができるようになった。

 当時の生活に付いて語ると、「辛い」の一言に尽きる。なまじ剣の腕前に自信を持っていただけに、それを発揮できないことが悔しかった。

 しかし、思い返してみると、俺を真に苦しめていたのは、その「剣の腕に自信有り」という傲慢な拘りだった。

 やれることが有る内は希望が有る証拠。今は、それに専念すれば良い。

 斯様な考えに至るまで、俺は自分自身を苦しめ続けていた。何度も心が折れ掛けた。

 しかし、俺は頑張った、耐えることができた。それを可能にしたのは、俺の心を強固に支える「二人の相棒」がいたからだ。

 一人、いや、一つは、「ムラマサ」。こちらは説明不要だろう。

 もう一人は、「オリアニス」という、同期の冒険者だった。

 オリアニスとは、俺が冒険者組合の門を敲いた「その日」に出会っていた。俺が組合の受付で冒険者登録をしていたとき、一緒に登録していたのが「奴」だった。

 俺の隣で、俺と同じようなことをしている奴がいる。

 斯様な状況で完全無視できるほど、俺の好奇心は大人しくはなかった。

 俺は横目でオリアニスを見た。その姿が目に入った瞬間、俺は奇妙な親近感を覚えた。

 何か、俺と似ている気がする。

 俺は、オリアニスに興味を持ってしまった。暫く見ていると、奴の方も俺を見て、

「あれ?」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら、首を傾げていた。その反応を見た瞬間、俺は声を上げていた。

「ちょっと宜しいか」「ちょっと良いかな」

 俺が声を掛けると、オリアニスも同時に声を掛けていた。

 その瞬間、俺達の「縁」がガッチリ繋がった。

 話をしてみたところ、俺達は「同い年」で、しかも、「異邦人同士」だった。

 互いの素性を知った後、オリアニスは「泣き顔」と錯覚するほど歪んだ情けない苦笑を浮かべた。多分、俺の顔にも似たような表情が浮かんでいただろう。

 俺達は、どちらも独りぼっちだった。その寂しさが、それぞれの胸に込み上げていた。その感情に駆られて、俺達は同時に声を上げていた。

「共に働かないか?」コンビを組んでくれないか?」

 次の瞬間、俺達は右手でガッチリ握手を交わした。以降、俺達はコンビを組んで、一緒に依頼をこなすようになった。その中で、「俺達の相性が抜群である」と確信した。

 俺も、オリアニスも、互いに剣士だった。その為、戦闘時に於ける互いの考えが、手に取るように分かった。その幸運に加えて、オリアニスには俺には無い才能が有った。

 オリアニスは、魔法も使える「魔法剣士」だった。

 魔物討伐の際、侍である俺は前衛を主務とした。これに対してオリアニスは、時に後衛、時に前衛と、所謂「中庸」として八面六臂の活躍を披露してくれた。

 俺達は互いの特性を活かし、互いの弱点を補いながら、より高難度の依頼を次々達成していった。

 今の俺達は「最高ランクの冒険者」となっていた。シグムント王国の民衆から、「英雄」と持て囃されるようになっていた。

 ああ、冒険者になって、本当に良かった。

 俺は「今が人生の絶頂期」だと確信した。このまま冒険者を廃業しても、「とても幸せな人生だった」と断言できた。

 しかし、世界は俺に厳しかった。人生の絶頂期を迎えた俺に、人生最大の試練が訪れた。


 その日、俺とオリアニスルは冒険者組合の休憩所にいて、朝から他の冒険者達と一緒に酒宴に興じていた。その最中、突然、組合の表に「王家の紋章」を付けた馬車が止まった。

 シグムント王家の馬車が、何の為に組合に来たのか?

 俺達が不思議に思いながら首を傾げていると、馬車の中から「ジークジオ王の使者」を名乗る中年男性が現れた。彼は、俺とオリアニスの前に来て、

「王命である、登城せよ」

 俺とオリアニスを王城に拉致、いや、招待した。

 え? 何で?

 俺も、オリアニスも、只々困惑していた。そもそも、理由が良く分からん。使者に聞いてみると、「城に行けば分かる」の一点張り。その返答を不満に思ったものの、

「じゃあ」「行ってみますか」

 王命を断る訳にもいかず、俺達は王の使者と共に王城へと向かった。

 道中、俺達は「きっと日頃の活躍が評価されたのだろう」とか、「褒美を賜るのだろう」などと、楽天的に考えていた。

 しかし、王城の「謁見の間」に入った瞬間、俺も、オリアニスも、「来るんじゃなかった」と後悔した。

 謁見の間、その広大な白亜の空間には、白銀の鎧をまとった騎士達が勢揃いしていた。

 何とも物々しい雰囲気だった。「完全武装の騎士達」が、向かい合わせの二列横帯で並びながら、奥に進む道を作っていた。

 俺とオリアニスは、王の使者に先導されて、騎士達が作った道を歩かされた。その間、騎士達から「殺気」と錯覚するほど剣呑な気配を覚えていた。

 もしかして、俺達は「処される」のではあるまいか?

 今直ぐ逃げ出したい。しかし、ここで踵を返せば、最悪の可能性が具現化する。

 ここは我慢。

 俺達は前に進み続けた。広間の中ほどまで来たところで、俺の視界に広間最奥の光景と、騎士以外の人物の姿が映った。

 広間最奥は、床が「階段状」になっていた。その最上部には、「巨人の椅子」と錯覚する大きな「玉座」が有った。

 そこに、豪奢なマントを羽織った中年男性が座っていた。彼の傍らには、ローブをまとった老齢の男性が立っていた。

 玉座の男は頭に「王冠」を被っていた。それを見止めた瞬間、俺達を先導していた使者が跪いた。その様子を見て、俺も、オリアニスも、その場で脚を止めて跪いた。

 その直後、老齢の男性、侍従長が声を上げた。

「第四代シグムント王国国王、ジークジオ・シグムント陛下であらせられる」

 しわがれた声が耳に入った。その瞬間、俺とオリアニスは同時に頭を下げた。すると、俺達の頭上に低音の美声が降り注いだ。

「よく来てくれた」

 ジークジオ王の声は少し弾んでいた。その口調に気付いた瞬間、俺とオリアニスは安堵の溜息を吐いた。続け様に、現況に対する感想を小声で述べあった。

(良かった)(処刑は無いな)

 処刑の心配から一転、俺達は「きっと褒美を賜るのだ」と、勝手な期待を抱いていた。

 そこに、再び低音の美声が耳に飛び込んできた。

「我(われ)は、其方らのような英雄が現れることを待ち望んでいた」

「「!!」」

 国王からのラブコール。その想いを知らされて、俺とオリアニスの口許が一瞬、キュッと引き締まった。しかし、直ぐに緩んだ。

(きっと凄い褒美が貰えるに違いない)(爵位も有り得るかもな)

 俺達の「褒美」への期待が一層高まった。

 しかし、残念ながら俺達の想像は外れていた。その事実を、ジークジオ王自らが教えてくれた。

「英雄である其方らに、『魔王討伐』を頼みたい」

「「ははっ――……は?」」

 魔王討伐。その依頼を聞いた瞬間、俺達は一旦頷き掛けた。しかし、直ぐに首を捻った。

 今、ジークジオ陛下は何と仰ったのか?

 俺達は、暫く首を捻りあった後、互いに顔を見合わせて、小声で聞いた内容を確認した。

(えっと、陛下は『魔王討伐』と言われたか?)

(ああ、そう聞こえたな)

 俺達は同じ言葉を聞いていた。その事実を確認して、「幻聴」に対する疑念は消えた。

 しかし、代わりに新たな疑念が生じた。

(『魔王』って――何だ?)

 魔王。そんなものが実在するとは知らなかった。オリアニスも同様だろう。そう思いながら、念のために確認した。

 すると、俺の予想に反して、奴には思い当たる節が有った。

(もしかして、あの『デストラ樹海』の奴か?)

 デストラ樹海の魔王。それは巷間に上がっていた「眉唾な噂話」だった。

 シグムント王国の北方には「デストラ樹海」と呼ばれる広大な森林地帯が有った。そこの樹木は、奇妙な形に捻じ曲がっていた。「新種の樹木」という訳ではなく、それぞれ俺達の良く知るものが、有り得ない形に変形しているのだ。中には編み物のように絡み合っているものも有った。

 変形した樹木に付いて、王国に住む学者や魔導士達は、あれやこれやと議論した。その結果、様々な仮説や憶測が生まれた。

 その中の一つに、「魔力の干渉」というものが有った。それを簡単に説明すると「強力な魔力に中てられて、樹木の組成が変質した」といったところか。

 魔力干渉説は、巷間に上っている間に余計な尾鰭が付いた。それが、オリアニスがいうところの「デストラ樹海の魔王」だった。

 要するに、魔王は「架空の人物」だ。その存在を信じる者は、殆どいなかった。「いる」と公言した者は、周りから「狂人」と揶揄された。その事実を想起した瞬間、俺の背中に嫌な汗が流れた。

 まさか、国王が狂人だったとは。

 俺の胸中に不安が募った。そのせいで、俺の脳ミソが漬物石化したと錯覚するほど重くなった。頭を支えきれず、思い切り項垂れながら、

「「はぁ」」

 口から重苦しい溜息を零してしまった。それは、隣のオリアニスのものと重なっていた。

 架空の人物の討伐。如何に優れた冒険者でも成功する見込みは無い。俺達は狂人の依頼に振り回される羽目になりそうだ。その可能性を想像すると、不安と絶望で脳ミソの重みが増していった。

 しかし、俺達は大きな勘違いをしていた。そもそも、ジークジオ王の言う「魔王」とは、俺達が知るものと全く「別物」だった。

「魔王とは、我が父の姉君にして我が叔母、『ウィルリル』のことだ」

「「!?」」

 魔王は実在していた。それも、シグムントの王族だった。その事実を聞いた瞬間、俺は「魔王は本当にいたんだ」と驚いた。その一方で、俺も、オリアニスも、身の毛の弥立つほどの強い危機感を覚えていた。

(これは拙いことを聞いてしまった)(これで依頼を断ったら――)

 俺とオリアニスは、思わず顔を見合わせた。オリアニスの顔には、今にも泣き出しそうな情けない表情が浮かんでいた。きっと、俺も似たような表情をしていただろう。

 王族の秘密を知って尚、「断ります」と言う勇気は、俺にも、オリアニスにも無かった。

 居並ぶ騎士達も、「断ろうとは思うなよ」と言わんばかりに、俺達をキツイ視線で睨み付けていた。

 俺達に逃げ道は無かった。互いに「俎板に乗った鯉」のような諦めの境地で、この国で最も強い権威を持つ依頼主達の声を聞くしかなかった。

 ジークジオ王が王族の秘密を明かした後、彼の隣に立つ侍従長が声を上げた。

「ウィルリル様は、第二代ジークフリ陛下の第一王女にして稀代の、いや、『人知を超えた魔力を持つ魔導士』であった。だが――」

 人知を超えた魔力を持つ魔導士。その言葉を聞いた瞬間、俺は「強化版オリアニス」を想像した。しかし、件の王女は、英雄であるオリアニスとは真逆の存在だった。

「ウィルリル様は、『魔』に魅入られておった」

 侍従長の話によると、ウィルリルは相当な「魔法狂」だったようだ。その内容を簡潔に、侍従長の恨み節を交えてまとめると、以下の通り。

 ウィルリルは、王女の特権を行使して、王城内に自分専用の魔法研究室を造った。そのくせ、王女の役目を放棄して、そこに籠り切った。その上、魔法絡みの事件(詳細は語られなかった)を幾つも起こしていた。その果てに、

「得体の知れぬ魔法を求めて、デストラ樹海へと行ってしまわれた」

 ウィルリルは出奔した。しかも、その行き先が「魔王がいる」と噂された樹海だった。

 まさか、あの眉唾話と繋がってくるとは。

 俺は、オリアニスと顔を見合わせて、互いに「こんなことも有るのだな」と頷き合った。

 このとき、俺達は「ウィルリルの樹海入り」という事件を他人事のように考えていた。しかし、これは俺達「シグムント王国の冒険者」にとっても係わりの深い出来事だった。

「ウィルリル様が樹海に入った後、王国領内に頻繁に魔物が出るようになった」

 魔物の出没率の増加。シグムント王国で働く冒険者にとって、それは僥倖だった。「飯の種が増えた」と歓喜する者も多いだろう。

 しかし、シグムント王国を治める為政者達にとって、それは忌むべき状況だった。「頭痛の種が増えた」と、地面に減り込むまで頭を抱えた者も多かったろう。当時の王も、その内の一人だった。

「この事態を重く見た我が君――第二代ジークフリ陛下は、樹海の調査を行った。そこで、『魔王の居城』と思しき不気味な建造物を発見した」

 王国の調査隊が発見した「居城」とは、「無数の樹木が絡まった『城塞都市』」という、何だかよく分からないものだった。

 そんなものが、あの樹海に有ったとは。

 騎士団に緘口令でも敷いていたのだろうか。シグムント王国に住んでいても、全く聞いたことの無い話だった。しかし、「それ」に係わる話は、実は巷間にも上っていた。

 デストラ樹海の樹木が捻じれた原因が、本当に「魔王の仕業」だったとは。

 デストラ樹海の謎が解けた。しかし、その真相が巷間に上ることは、絶対に無いだろう。

「そこには、大量の魔物の死骸が転がっていた。恐らく、ウィルリル様――いや、魔王が実験に使ったものだ。そのように、ジークフリ陛下はお考えになられた」

 王国の均衡に、魔物の発生源と思しき場所が有る。しかも、その原因が「元シグムントの王族」らしい。

 斯様な事実を、シグムント王国の人々に知られる訳にはいかないだろう。王国の為政者としては、秘密裏に処置したいところだろう。

 実際、当時の為政者達は実力を行使した。

「ジークフリ陛下は選りすぐりの精鋭を集め、魔王城の攻略をお命じになられた。私も、その戦いに参加した者の一人だ」

 シグムント王国は、嘗ての山の民、戦闘民族が建てた国だ。今は「騎士の国」として、近隣諸国(アシハラを除く)に勇名を轟かせている。その精鋭部隊となれば、「フォレス大陸随一」と言わないまでも、それに迫るものだ。

 如何に「魔王」と言えど、彼らには及ぶまい。

 俺は「自分が剣士」ということも有って、シグムント騎士団の勝利を予想した。それに期待した。

 しかし、俺の予想が当たっていたならば、俺達が召されることはなかった。

「我らは敗北した」

「「!」」

 シグムント騎士団の敗北。その事実を知らされて、俺とオリアニスは同時に息を飲んだ。

 一体、現場で何が有ったのか? 騙し討ちにでも有ったのか? 或いは、大量の魔物に襲われたのか? まさか、たった一人の魔導士に負けた――いや、そんなことはあるまい。

 俺は様々な可能性を想像した。その最中、侍従長の「答え合わせ」が始まった。

「ウィルリル様と思しき漆黒の鎧をまとった騎士が、城(城塞都市)を囲む城壁(高壁)の上に現れて――」

 相手は単騎のようだ。いや、まさか単騎で挑む訳が無い。その後ろにゾロゾロと――

「『麻痺の魔法』で我らを拘束した」

「「え?」」

 魔王は単騎でシグムント騎士団に挑んでいた。その際、彼女が使った魔法は、魔導士間では「春風の誘い(インビテンション・オブ・スプリング・ブリーズ)」と呼ばれる中級のものだった。

 普通の中級魔法ならば、騎士の中にも抵抗できる者がいただろう。もしかしたら、殆ど者が抵抗できたかもしれない。

 しかし、魔王の「春風の誘い」は、その範囲も効果も桁違いだった。

「我らは、誰も身動きができなくなってしまった。そこに――」

 この時点で決着は付いていた。しかし、「それ」は更なる悲劇の序幕に過ぎなかった。

「森からオーガの集団が現れて、我らに襲い掛かってきたのだ」

 オーガ。俺達冒険者間では「中の上」と評価されている人型の魔物だ。シグムント騎士団ならば、容易に返り討ちにできたはずだ。

 しかし、如何に精強であろうとも、「体が真面に動かせない状態」では成す術が無かった。

「我らは身動きできないまま、オーガどもに蹂躙された。だが――」

 騎士団の全滅は確定していた。しかし、そうであったなら、侍従長は生還できなかっただろう。その運命を覆したのは、全く意外な人物だった。

「オーガもまた、魔王の手によって葬られた」

「「!?」」

「恐らくは、『用済み』として処分したのだろう」

 魔王がオーガを蹴散らした。その行為に対して、侍従長は魔王を散々にこき下ろした。その迫力に気圧されて、俺も、オリアニスも、何となく「そうだね」と頷いた。しかし、直ぐに「そうかな?」と首を傾げた。

(もしかして、ウィルリル様は無傷で騎士団を追い返そうとしたのでは?)

(だな。オーガが現れたのは偶然で、彼女は騎士団を助けようとしたのかもしれん)

 俺はオリアニスと頷き合い、同時に顔を上げた。俺達は「騎士団の勘違い説」を主張しようと、同時に口を開き掛けた。

 しかし、残念ながら、俺達が口を挟む余地は無かった。

「魔王ウィルリル、許すまじ」

「「「「「許すまじ」」」」」

 侍従長が吠えた。それに、騎士達が同調した。

 謁見の間には、「刃を喉下に突き付けられた」ような殺気が渦巻いていた。斯様な状況で「魔王を弁護したい」と思えるほど、俺も、オリアニスも、彼女に思い入れは無かった。

「生き残った者は、討伐隊の隊長殿と二十三名の近習だけ。その一人が、私だ」

 侍従長は話を終えた後、右手で両目を覆って嗚咽を漏らした。すると、周りの騎士達も嗚咽を漏らし出した。その「悲しい重唱」は、俺にアシハラ時代の最悪の記憶、「決闘」にまつわる出来事を想起させた。

 俺はまた、他人の諍いに巻き込まれてしまったのか。

 一介の冒険者に過ぎない俺にとって、「魔王」は他人事だった。少なくとも、王国の為政者達ほどの思い入れは無い。それどころか、魔物の出没増加を歓迎したいくらいなのだ。

 魔王のことは放っておいて良いのでは?

 実際、ジークフリ王は「再戦」を命じなかった。次代の王に至っては、一度も交戦していなかった。当代、ジークジオ王にしても、「今まで」無視していたはずだ。

 何故、今になって藪の蛇を突こうとするのか?

 俺は訝しんだ。何度も首を捻った。しかし、答えは直ぐ目の前、いや、「ここ」に有った。

「今の我らには、其方ら『英雄』がいる」

「「!!」」

 俺達の存在。それがジークジオ王の「ヤル気スイッチ」を目一杯押し込んでいた。

 シグムントの国王が、俺達に期待している。

 俺とオリアニスは「真(まこと)に?」「本気か?」と小声で呻きながら、口許に微笑みを浮かべた。しかし、それもほんの一瞬だけだった。

 俺達の口は、直ぐに「へ」の字に曲がった。眉も、「八」の字に歪んだ。

 俺達に、魔王が倒せるものなのか?

 侍従長の話を聞いた上で、「魔王の勝てる」と断言する自信は、俺にも、オリアニスにも無かった。むしろ、俺の本能は「依頼を断って、今直ぐ場を辞せ」と警告していた。

 俺とオリアニスの腰が、僅かに浮いた。その瞬間、騎士達の列の最奥から、野太い声が上がった。

「我らと共に、魔王を討ってくれまいか?」

「「!」」

 声を上げたのは、騎士団の中で最も豪華な鎧をまとった壮年の男性――騎士団長だった。それと殆ど同時に、居並ぶ騎士達の右手が、それぞれの腰に帯びた剣の柄に伸びていた。

 下手に動けば、その場で斬られかねない。

 俺も、オリアニスも、最悪の可能性を想像していた。そこに、低音の美声が静かに響き渡った。

「其方らと、我が騎士団の精鋭で魔王を討ってもらう」

 ジークジオ王は、第二次魔王討伐戦を宣言した。しかし、

「「…………」」

 俺も、オリアニスも、即応しかねた。むしろ、作戦の失敗を予想して、「反対したい」とすら思っていた。その想いを、俺達は必死に隠していたつもりだった。

 ところが、ジークジオ王は意外に目敏かった。

「ふふふっ、案ずるな」

 ジークジオ王は、俺達の不安を見抜いていた。しかし、彼は俺達を咎めようとはせず、不敵に笑った。その反応に対して、俺は違和感を覚えずにはいられなかった。

 このお方は、「俺達ならば可能」と本気で信じているのか? それとも――

「勝算は有る」

「「!!」」

 勝算。有るのか、そんなものが?

 俺も、オリアニスも、「そんなものはない」と思っていた。その為、ジークジオ王の言葉に驚いた。思わず面を上げて、玉座に座る中年男性の顔を見詰めてしまった。

 その直後、俺達の耳に「未知の言葉」が飛び込んできた。

「『封印の壺』だ」

「「?」」

 封印の壺。全く初耳の言葉だった。それが「どんなものか?」と想像していると、見詰める先の中年男性、ジークジオ王が口を開いた。

「これは、我が『王家の秘宝』――」

 王家の秘宝。その言葉は、俺に「高価なもの」という印象を覚えさせた。しかし、件の壺は値段が付けられるような代物ではなかった。

「この世界を創りし創造の女神、ネフィリア様がお使いになられていた『神器』だ」

 神器。滅多に聞かない言葉だった。しかし、俺にとっては未知の言葉ではなかった。

 アシハラにも「三種の神器」と呼ばれるものが存在している。他国に神器が有ったとしても、「そういうこともあるだろう」と納得できた。

 しかし、神器が本当に存在するか否か、確認した経験は無い。使った経験も、当然無い。その為、どのような性能を持つ道具なのかは、正直良く分かっていなかった。

 シグムント王国の神器、「封印の壺」とは、如何なるものなのか? 

 俺は件の神器に付いて、あれやこれやと想像を巡らせていた。すると、ジークジオ王が「こういうものだよ」と教えてくれた。

「その効果は、『あらゆるものを封じる』という。但し――」

 あらゆるものを封じる。その効果を聞いた瞬間、俺の脳内に「巨大な黒騎士(イメージ)」が壺に吸い込まれていく様子が閃いた。

 その効果が真(まこと)であれば、相手が「魔王」と言えども勝てるのでは?

 俺は勝利の可能性を直感した。その際、隣のオリアニスの反応が気になって、横目で奴の顔を見た。

 すると、オリアニスの目が「好物のお菓子を貰った子ども」のように輝いていた。俺の目も、きっと似たような状態になっていただろう。

 このとき、俺達の脳内には「魔王討伐の英雄」として、市中を凱旋している光景が閃いていた。

 しかし、偉業達成に続く道は、俺達が思うより細い、所謂「綱渡り」だった。

「一回限りだ」

「「え?」」

「壺には『一回分の魔力』しか込められていないのだ」

 一回限り。それを聞いて、俺は「けち臭い」と思った。しかし、魔法をよく知る相棒、オリアニスは、

「まあ、それを使えること自体が奇跡だしな」

 渋々ながらも「仕方ないね」と納得していた。

 オリアニスの言う通り、女神でない人間が「神器を扱える」というのは奇跡以外の何ものでもないだろう。一回分だけでも魔力が残っていたことは僥倖だった。

 しかし、俺は大きな勘違いをしていた。そもそも、女神の手から離れた時点で、神器に魔力は残っていなかった。

 ならば、神器に魔力を込めた者は誰なのか? その「魔王討伐最大の功労者」と思しき者の名前が、ジークジオ王の口から飛び出した。

「そも、これに魔力を込めた者が『ウィルリル』なのだ」

「「!」」

「女神の神器を使用可能にできる者など、あの魔王を措いて他におるまい」

 ジークジオ王の顔に、今のオリアニス以上に渋い表情が浮かんだ。その際、彼の近習達、侍従長や騎士達は、「顔の神経を痛めるのでは?」と思えるほど表情を歪めていた。

 見ているだけで、痛々しい。しかし、斯様な表情を浮かべる心情は、武士であった俺には痛いくらいよく分かった。

 まさか、倒すべき敵の「置き土産」に頼ることになろうとは。

 魔王を目の敵にする人々にとって、これ以上無い屈辱だろう。その忌むべき「置き土産」を騎士達に託すことに、為政者達が躊躇いを覚えるのも宜なるかな。

 だからこそ、この場に俺達が呼び出された。

「この壺を、其方らに託す」

 ジークジオ王は、俺達に神器を託した。これを拒否すれば、赤い絨毯に「新たな赤色」を加えることになる。

 僅かでも望みが有るならば、それに賭けるのが「冒険者の矜持」だろう。

「「承知、仕りました」」

 俺達は、今度は躊躇うこと無く、「魔王討伐」の依頼を引き受けた。


 謁見の間の件が有ってから、一週間ほど経った頃のこと。

 俺とオリアニスは、シグムント騎士団と共にデストラ樹海の中を歩いていた。

 第二次魔王討伐隊。その主力であるグムント騎士団は、謁見の間で見えたときと同様、全身に金属鎧をまとっていた。

 重装だ。これで行軍するのは苦行が過ぎる。

 俺は騎士達に同情した。しかし、俺も、オリアニスも、彼らに付き合う気は無かった。

 俺とオリアニスは「簡素な革鎧」という軽装だった、それに加えて、革製のリュックを背負っていた。

 宛ら「登山家」と言ったところか。その表現は、的を射ていた。

 実際、俺達は山登りならぬ、「木登り」をするつもりだった。その役目を申し付けたのは、本時作戦の考案者、侍従長だった。

 侍従長は、第一次魔王討伐戦の出来事を鑑みて、「魔王は城壁の上に現れる」と予想した。その可能性に全てを懸けて、彼は「シグムント騎士端を囮にした奇襲作戦」を提案した。

「騎士団と魔王が戦闘状態に入ったところで、遊撃隊(俺とオリアニス)は城壁を登攀し、魔王に接近する」

 俺達は「直接魔王を攻撃する」という重要な役目を与えられた。それを成功させる為に、先ずは「木登り」が必須だった。

 魔王城の城壁は、複数の樹木を編み上げてできている――らしい。それを登り切る為に、リュックの中には、「鍵爪」や「ロープ」などの登攀道具を入れてきた。それらに加えて、俺は打刀(ムラマサ)、オリアニスは直剣を一振りずつ腰に差している。それらは攻撃用の武器ではあった。しかし、俺達の主要武器は別に有った。

 オリアニスのリュックに入っている、全高、及び直径十センチほどの「小さな丸い蓋付きの壺」。それこそが、ジークジオ王から託された「封印の壺」だった。

 壺は「魔法の道具」ということで、魔法剣士であるオリアニスに預けていた。しかし、事前に聞いた「使用方法」は、魔法の知識が無くとも問題無いと思えるようなものだった。

「蓋を外して投げ付ければ良い」

 魔法の扱いより、投擲の能力を問われている気がしないでもない。しかし、それでも、俺は敢えてオリアニスに壺を託した。その判断の裏には、「武士」としての拘りが有った。

「俺は剣で勝負する」

 敵わないと知って尚、敵には刀剣で挑みたい。その想いを伝えたところ、オリアニスは「全く、呆れた奴だ」

 苦笑しながらも、「壺の担当」という大役を引き受けてくれた。

 果たして、この判断が正しかったのか否か。その答えを知る機会は、「今」訪れた。

 魔王の居城は、樹海の中と思えないほど広く開けた場所に有った。しかし、地面をよく見ると「樹木を引っこ抜いた」と思しき痕跡が、幾つも残っていた。それらの跡を辿っていくと、最奥に樹木を積み上げた「山」が有った。

 それが、魔王の居城だった。

 樹木を編み上げた高壁、それに囲まれた「城塞都市」。その外観に付いては、事前に侍従長から説明されていた。しかし、実際に目の当たりにした瞬間、

「「…………」」

 俺も、オリアニスも、驚きの余り絶句していた。しかし、呆けている場合ではなかった。

「オリアニス殿、来寿殿」

「「!」」

 名前を呼ばれて振り向くと、至近に白銀の鎧に身を包んだ騎士が立っていた。

 その騎士は、シグムント騎士団の副団長にして、魔王討伐隊の隊長だった。彼は周りにも聞こえるよう、一層大きく声を張り上げて、

「これから作戦を開始するっ」

 第二次魔王討伐戦の火蓋を切った

 俺とオリアニスは、魔王城を正面に見て左手側の樹木群に飛び込んだ。直ぐ様身を低くして、そのまま捻じれた樹木の間を疾駆した。

 俺達は魔王暗殺部隊。その役目は魔王を殺す、或いは「封じる」だ。

 俺は樹木の間を縫うように走りながら、城塞都市と、その前に広がる更地、及び騎士団の様子を同時に観察していた。

 城塞都市の高壁上には人影は無かった。これに対して、シグムント騎士団は、既に突撃隊形を整えていた。

 精鋭を前面に押し立てた、矢印型の「鋒矢陣形」。その様子は、敵方からもハッキリ確認できたはずだ。

 シグムント騎士団は、魔王の気を惹く「囮役」。しかし、それが嵌るかどうかは相手次第。果たして、魔王は現れるのか否か?

 俺は城塞都市の高壁に視線を向けた。すると、その頂に「黒い点」が現れた。それが何なのかは、俺の視力では確認できなかった。しかし、その正体は直感していた。

 あれが――「魔王」か。

 終に、俺達の討伐対象が現れた。その事実を直感した瞬間、俺達の後方から聞き覚えの有る壮年男性の声が響き渡った。

「全軍、突撃っ!!!」

「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」」」」」

 隊長の号令一下、重装の騎士達が雄叫びを上げながら突撃したその様子は、宛ら「雪崩」、或いは「津波」を彷彿とさせた。

 この勢いなら、高壁毎城塞都市を押し潰すかもしれん。

 俺は勝利の瞬間を想像した。しかし、それを許すほど、魔王は甘くはなかった。

 魔王と思しき黒騎士の頭上に、突然「無数の光点」が現れた。

「あれは――」

 俺は目を凝らして光点を見詰めた。その光には、見覚えが有った。

 魔導士間で「最強」と呼ばれる攻撃呪文、「魔法の矢(マジック・アロー)」。最強の代償として、魔力を限界まで消費する。その為、使用回数は「一日一発」が常識だった。

 ところが、魔王の頭上に浮かんだ光点は、恐らく「百」を超えていた。

 目の錯覚か? それとも、幻覚か? あれらが本物ならば、魔王は人間ではない。

「あれは――幻覚だな?」

「ああ、幻覚だ」

 俺も、オリアニスも、「幻覚」と決め付けた。ところが、その思い込みは、魔王によって木っ端微塵に打ち砕かれた。

 魔王の頭上に輝いていた無数の魔法の矢が、シグムント騎士団に向かって降り注いだ。その光景を目の当たりにした瞬間、城塞に押し寄せていた「雪崩」が止まった。

 魔法の矢は、俺達が知る通り「一撃必殺」の魔法だった。その効果を如何なく発揮した。

 結果、鋒矢陣形の先端部分にいた騎士達は、全員地面に倒れ伏した。その光景を見て、俺は最悪の可能性を直感した。

 このままでは、全員魔王に殺される。

 俺の脳内で「何か」が弾けた。それを直感するや否や、俺は更に増速、限界を突破して走った。その負荷に耐え切れず、俺の心臓が破裂し掛けた。その危険領域に手を掛けたところで、何とか敵城の城壁まで辿り着いた。

 死ぬほど息が苦しい。しかし、ここで立ち止まっている訳にはいかない。

 俺は急いで「靴」を脱いだ。その奇行は、オリアニスの目にも映っていた。

「来寿っ!?」

 背後からオリアニスの声が上がった。その切羽詰まったような声音や口調から、驚いているような印象を覚えた。

 しかし、説明している暇は無かった。俺はオリアニスを無視して、今度は背負っていたリュックを下ろした。その中から、「鍵爪」と「ロープ」だけを取り出した。それらを腰紐に突っ込んで、続け様に腰に差していたムラマサを背中に括り付けた。

「よしっ!!」

 俺は気合を入れるや否や、樹木網の高壁に飛び付いた。その瞬間、

「来寿っ!?」

 再びオリアニスの声が耳に飛び込んできた。それを、俺は今度も無視した。いや、するつもりだった。しかし、それを躊躇う想いが、俺の胸中に過った。

 もしかしたら、これが今生の別れになるかもしれない。

 俺は振り返って、オリアニスに向かって叫んだ。

「先に行くっ。後から来いっ!!」

 俺は叫びながら、高壁を構成する樹木に飛び付いた。その瞬間、俺は「猿化」した。

「うっきいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!」

 俺は雄叫びを上げながら鍵爪で樹皮を掻き、風のように樹木を駆け上がった。

 間に合えっ、間に合えっ!!

 俺の脳内には、騎士団が壊滅する様子が閃いていた。それを具現化させまいと、必死に高壁を上った。

 このとき、俺は恐らく猿すら超えていた。猿より早く、俺は高壁上に到達した。その際、俺の視界には横倒しになった樹木しか見えなかった。

 魔王の姿が見えない。奴のところまで走って行かないと。

 俺は今直ぐ駆け出したかった。しかし、その前に「やるべきこと」が一つ有った。

 俺は腰紐に突っ込んでいたロープを外して、高壁の上から地上へと垂らした。そのまま垂らし続けて、先端部分が高壁下のオリアニスまで届いたことを確認して、

「よし、行こう」

 俺は直ぐ様魔王の許へと走った。

 暫くすると、俺の視界に「小さな人影」が飛び込んできた。

 そこにいたかっ、魔王。

 魔王の姿を見止める否や、俺は直ぐ様自分の気配を抑えた。

 魔王の視線は高壁の下、恐らく騎士団の方を向いていた。その為か、俺の接近に気付いていない様子。

 これは僥倖。今の内に、一気に打刀の間合いまで接近する。

 俺は気配を消しつつ、超速で駆けた。その間、魔王は動かなかった。

 彼我の距離が超速で縮まっていく。それに伴って、魔王の姿が鮮明になっていく。

 魔王は、意匠を凝らした漆黒の鎧をまとっていた。その鎧を見て、俺は威圧的な印象を覚えた。しかし、魔王の「全体像」から受ける印象は、全く異なるものだった。

 こいつ――「子ども」か?

 魔王は小柄だった。その事実を直感した瞬間、俺は奴の殺害に躊躇いを覚えた。「今」が平時であったなら、俺は絶対に打刀を抜かなかっただろう。

 しかし、今は平時ではなく戦時。それも一刻を争う危機的状況だった。

 ここで魔王を仕留めねば、俺達は全滅する。

 俺は魔王に向かって突進した。魔王は未だシグムント騎士団の方を向いていた。

 好機到来。俺は高速で魔王に迫りながら、超速で背中に背負ったムラマサを抜いた。

 その瞬間、魔王の頭が僅かに動いた。

 俺の接近に気付いた? だが、遅い。

 俺は既に「霞の構え」を取っていた。ムラマサを水平に構えて、刀身を自分の顔の横に引き付けながら。切っ先を魔王に向けていた。その状態から、左手の力だけでムラマサを突き出した。

 ムラマサの切っ先が、魔王の兜に触れた。その刹那、俺は右掌でムラマサの柄頭を思い切り叩いた。

 アシハラ流剣術奥義、「鎧通し」。

 鎧通しは、その名の通り「敵の鎧を貫く為に考案された技」だった。

 左手の「押し込み」と、右手の「掌底打」による二段構えの一点集中攻撃。その威力は鋼も断ち割り、岩をも突き崩す。その例に、魔王の兜も漏れなかった。

 漆黒の兜にムラマサの切っ先がズブリと減り込んだ。その光景が目に入った瞬間、俺は勝利を直感した。

 このまま頭を貫いて――魔王を殺す。

 俺は両手に力を込めた。その刹那、視界に映っていた漆黒の兜が消えた。

「!?」

 俺は虚空に向かってムラマサを突き出していた。その事実を直感した瞬間、俺の足下に魔王の黒い兜が転がった。その中に「魔王の頭」は無かった。

 外したっ!?

 俺は咄嗟に辺りを見回して、魔王の姿を探した。すると、俺から二メートルほど離れた場所に、黒騎士の姿が有った。

 魔王は咄嗟に後方に飛んで、俺の攻撃を躱していた。

 まさか、剣士の俺より速いとは。

 速いなんてものではない。「突き」の最中に、それ以上の超速で飛び退いたのだ。とても魔導士とは思えない。

 こいつ、人間か?

 俺は化け物でも見ているようなつもりで、魔王を見た。その際、俺の視界に漆黒の兜に隠れていた奴の素顔が映った。

 魔王の髪は、宝石のように煌めく白金だった。それに覆われた顔は、「天才彫刻家の最高傑作」と思えるほど完璧に整っていた。

 こいつ、美人だな?

 女神と錯覚するほどの美貌だった。見惚れたとしても、不思議は無いと思えた。しかし、俺が魔王の素顔に覚えた印象は、「美しい」だけではなかった。

 こいつ、本当に魔王なのか?

 俺の視界に映った魔王の素顔は、「子ども」と錯覚するほど幼かった。どこをどう見ても、「ジークジオ王の叔母」とは思えなかった。

 魔法で若返ったか? 或いは別人か?

 シグムント騎士団を半壊させた実力を鑑みれば、「こいつが魔王に間違いない」と思える。しかし、見た目が若過ぎる。

 俺は魔王の美貌を見詰めながら、その正体に付いて考えてしまった。その行為は愚行、「自殺行為」だった。

 魔王は右手を掲げていた。その指先から「魔法の刃」が伸びていた。それが、俺に向かって振り下ろされた――と、直感した瞬間、

「来寿っ、避けろっ!!」

 切羽詰まったオリアニスの声が響き渡った。

「「!」」

 オリアニスの声は、俺の耳だけでなく、魔王の耳にも届いていた。俺達は、揃って息を飲んでいた。

 このとき、俺はオリアニスの言葉を「魔王の攻撃を避けろ」と解釈していた。ところが、それは大きな勘違いだった。

 オリアニスの声を聞いた瞬間、俺の周り、いや、世界が「真っ暗」になった。

「「!?」」

 一瞬、俺は自分の視界の異常を疑った。しかし、直ぐに「それは違う」と気付いた。

 俺の目に「自分の姿」がハッキリ映っていた。「魔王の姿」もハッキリ映っていた。その事実を直感した瞬間、俺と魔王の視線が重なった。

 もしかして、魔王も俺と同じ状況なのか?

 俺と魔王は、揃って「真っ暗闇の中」にいた。その事実の意味を考えた瞬間、俺の脳内に「蓋付きの壺」が閃いた。

 もしかして、「封印の壺の中」なのか?

 オリアニスは、俺を助けようとして、封印の壺を投げた。そのファインプレイの陰で、俺は魔王に斬られずに済んだ。

 しかし、「助かった」とは言い難い。むしろ、「最悪の窮地に追い込まれた」と言える。

 現況に付いて考えると、オリアニスの所業に文句の一つも言いたくなる。しかし、それを躊躇う気持ちも、俺の中には有った。

 あの状況で、他に方法が有ったのか? 俺は、どうしたら良かったのか?

 俺は自問自答を繰り返しながら、魔王と共に「壺の底」へと落ちていった。

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