第一章
第一章 忠義
俺が思うに、人には様々な考え方が有り、それぞれの正義や常識、幸せが有るのだろう。それら個々の価値観は一括りにできない、いや、すべきではないと思う。
しかし、相手、或いは周囲を制する場合は、価値観を「一括り」にした方がやり易い。周囲に向かって声高に「正義」を訴える者には、斯様な思惑が有るのかもしれない。
事実として、多くの人々をまとめる為には「万人が認める正義」、所謂「法律」が必要だ。それを大多数の者が守るからこそ、社会や国家が成り立っている。
俺もまた、社会を構成する一員として、国が定めた「法律」を守り、大勢の人が認める「常識」に気を遣った。
しかし、それらが要因となって、俺は「国外追放」という憂き目に遭う羽目になった。
俺、愛洲来寿の生国「アシハラ」は、フォリス大陸の東端の海に浮かぶ小さな島国だ。
アシハラの特徴を一言で言えば、「『武士』の国」だろうか。他国に於いては「『侍』の国」と言われている。その表現は、或る意味「当たり」ではあった。しかし、正確な表現ではなかった。
アシハラの戦闘職である「侍」には、大きく二種類あった。
一つは、「武士」。仕官(公務員)している侍。もう一つが、「浪人」。仕官していない侍。
戦時は兎も角、平時に戦闘職が生き残ることは難しい。浪人になって、長生きした者は稀だろう。それに対して前者の武士は、アシハラに於ける「実質的な支配階級」だった。
武士による支配を「幕藩体制」と言う。その呼称は、「幕府」と「藩」という二つの要素が合わさったものだ。
前者、「幕府」は、アシハラで最も力を持つ武家で構成された「中央組織」。
後者、「藩」とは、地方の有力武家が統治する「地方領」。
組織の構成上、幕府がアシハラに於ける「最高意思決定機関」といえる。しかし、地方に於ける実質的な支配者は、藩の頂点、「藩主」だった。
幕藩体制とは、基本的には「地方分権制」なのだ。
地域毎に個別の支配者がいて、それぞれ武力を有している。斯様な事態を鑑みた場合、「反乱」を想像する者は存外に多い。その可能性を最も恐れていた者は、他ならぬ幕府の為政者達だった。
何とかして、何とかしなければ、幕府の存続は危うい。
幕府の為政者達は、色々な方法を考えていた。しかし、選択肢は存外に少なかった。
「武力で強硬に対処すれば、その行為自体が『反乱の口実』になりかねない」
武力に頼らず、それでいて強力な強制力を持つ手段。その限られた条件の中で、彼らが捻り出した作戦、それが「精神の統制」だった。
「アシハラの武士の第一義は『忠義』」
忠義とは、幕府の思惑通りの解釈をすれば「主(あるじ)に絶対服従の精神」となる。
武士に生まれた者は、例外なく「忠義」を叩きこまれた。武士以外の者には、「忠義無き者、武士に非ず」と広く喧伝された。
俺が生まれたときには、既に「武士の忠義はアシハラの常識」だった。それを疑うこと自体が「武士にあるまじき行為」だった。
斯様な状況の中で、俺は武士の家、即ち「武家」に生まれた。
俺の家は、どちらかと言えば「下級」の方だった。それでも、「忠義」の教えは容赦無く叩き込まれた。
当時の俺は、とても素直な「良い子」だった。
幼少期の頃、俺は藩校(藩の普通教育機関)の先生から「真面目」と評価されたことが有った。それ以降、俺は「真面目であろう」と努力した。
すると、今度は剣道場の師範から「努力家」と評価された。それ以降、俺は昼夜問わず剣の修行に明け暮れた。
素直な俺は、褒められると、その気になった。褒めてくれる周りの人々に対して好感を持っていた。だからこそ、俺は彼らの期待に応えようとした。
「僕は、父上や母上、皆が望む、皆の手本になるような立派な武士になりまする」
「よくぞ申した」「それでこそ我が息子」
「えへへ」
俺の親達は、俺が藩内の名誉職、「藩主の剣術指南役」になることを望んでいた。だからこそ、俺は毎日品行方正を心掛けた。毎日剣術の修行に明け暮れた。
結果、俺は藩内の剣術大会で優勝した。その功績によって、俺は名刀「ムラマサ」と、念願の「剣術指南役」という役職を得ることができた。
当時の俺は「武士に生まれて良かった」と、自分の境遇に感謝していた。
しかし、俺の「武士人生」が順風満帆であったのは、「ここ」までだった。
或る日、俺は藩主に「御前の間」(他国で言う『謁見の間』)に呼び付けられた。それも、何故か勤務時間外に。
一体、何なのだ? こんなこと滅多に、いや、今まで一度も無かったぞ?
奇妙に思った。しかし、藩主の命令に背く訳にはいかなかった。俺は疑念で傾き掛けた首を元に戻しながら、「只今参上仕りました」と御前の間に入った。
そこは、奥に厚畳を設えた、二十人くらい入れそうな畳敷きの大広間だった。しかし、中にいたのは三人の男性だけだった。
厚畳の手前に、厳めしい顔をした老齢の男性(筆頭家老)が正座して控えていた。
厚畳の上には、二人の男性の姿が有った。
一人は、鞘入りの刀を掲げながら正座している美少年(小姓)。もう一人は、木製の膝立に左膝を置いて胡坐を掻いている小太りの中年男性。
その小太りの中年男性の方が、俺が仕える藩主だった。
藩主は、俺の顔を見るなり「近こう寄れ」と命令した。それを聞いた瞬間、俺は自分の顔が強張っていくのを自覚した。
恐らく、碌な話ではあるまい。
嫌な予感が一層高まった。だからと言って、それを理由に場を辞する訳にはいかない。
俺は平静を装いながら、言われた通りに厚畳の手前で平伏した。すると、
「今から言うことを、よく聞け」
藩主は「よく聞け」と言いながら、俺の方へと身を寄せてきた。その気配を察した瞬間、俺の腰が勝手に浮いた。叶うならば、そのまま全力で後ろに飛び退きたかった。
しかし、武士の常識と、俺の立場が、俺の愚行を全力で諫めていた。
「…………」
俺は平伏したまま固まっていた。そこに、至近に迫った藩主が声を上げた。
「愛洲来寿」
「はっ」
「其方に『決闘』を申し付ける」
「は?」
一瞬、俺は聞いた耳を疑った。それを確認しようと、藩主の許しも得ずに顔を上げて、その顔を見てしまった。
藩主は、どこか切羽詰まっているような、悲壮感すら覚えるほど真剣な顔をしていた。その「顔面圧力」が、俺に言葉の意味を思い知らせていた。
この人は、俺に「人を殺せ」と申し付けたのだ。
言葉の意味は理解した。しかし、戦時なら兎も角、幕藩体制に移行して以降の平時に、殺し合いなど有り得ない。きっと、冗談だろう。冗談でであって欲しい。
俺は「他の者は苦笑している」と期待して、先ずは筆頭家老の顔を見た。すると、彼は真顔でコクリと頷いた。
え? 真(まこと)に?
俺は念の為に小姓の顔も見た。すると、彼は「頼んだ」と言わんばかりに、俺に向かって深々と頭を下げた。
二人のあからさまな反応を見て、俺は「決闘の話は真(まこと)である」と直感した。
ああ、まさか、こんな日が来ようとは。
武家に生まれた以上、外敵や魔物との戦闘は覚悟していた。しかし、いざ「人を殺せ」と言われると、とても気が重い。俺は脳ミソが漬物石、いや、鏡石(城の石垣に使う最も大きな石)になったかのように錯覚した。
そこに、追い打ちを掛けるかのように、藩主の声が耳に飛び込んで来た。
「良いか愛洲来寿。此度の一件、これは我が藩の威信を掛けた大事な戦であるぞっ」
藩主は口から唾を吐き散らしながら、興奮気味に「決闘に至った事情」を説明し出した。それを要約すると、
「全国の藩主が集まる定例会の席で、他藩の藩主と諍い(詳細は『言えない』とのこと)が有った。その決着を『剣術指南役同士の決闘』で付けることが決まった」
どうやら、俺は「藩主の代役」にされたようだ。それは全くの初耳の話で、当然ながら了解した覚えは無い。
しかし、藩主は「既に了解した」ものとして、
「お前に我が藩を救う名誉な役目を与えたのだ」「我が藩の面子を掛けて必ず勝つのだ」
芝居がかった台詞で、「お前の為」、或いは「藩の為」と何度も繰り返して主張していた。それに対して俺は、
「…………」
何も言わなかった。このとき口を開いていたならば、「拒否」、或いは「怒り」の言葉が飛び出していただろう。しかし、それらを口にすることは、当時の俺にはできなかった。
武士の第一義は「忠義」。
幕府が掛けた呪いが、俺の心を縛っていた。その思惑に従って、俺は「アシハラの武士」として正しい選択をした。
「承知仕りました」
俺は藩主の命令を受け入れた。相手方の指南役も、俺同様受け入れていた。
かくして、指南役同士、互いに何の恨みも無いのに真剣で斬り合う羽目になった。
決闘当日。
俺と相手方指南役は、人里から離れた小高い山の頂で対峙した。
俺達は、互いに示し合わせたように「白装束」を身にまとっていた。
どちらかが、或いは二人とも、ここで死ぬかもしれない。
俺達の「死に場所」は、更地を白幕で囲んだだけの、簡素に過ぎる寂しい決闘場だった。
斯様にみすぼらしくなった理由は、場所を提供した他藩の藩主が、「人目に付かない場所」とか、「片付けは宜しく」とか、色々と注文を付けたからだ。
自領での決闘に忌避感を覚える気持ちはよく分かる。その一方で、「それほどお嫌ならば断られても良かったのでは?」と進言したい気持ちも沸く。
しかし、状況がどうであれ、武士に二言は無い。何が有っても、決闘自体が無くなることは無かった。
俺も、相手方指南役も、ヤル気満々――とはいかずとも、覚悟は完了していた。
それぞれが、実力を発揮できるよう、鉢巻を撒き、袖が暴れないよう襷掛けした。その上で、腰に差した打刀を抜いて、俺は正眼に、相手方指南役は上段に構えた。
俺達の視界には、それぞれの姿しか入っていなかった。しかし、この場には俺達の他に「三人の武士」がいた。
彼らは、互いの藩と、幕府から派遣された「検分役」だった。三人とも胡床に座って、俺達の様子をジックリ観察していた。
他に人はいなかった。決闘を命じた藩主達も、この場にはいなかった。
何で来ないのか? その事実を鑑みる度、声高に、文句を言いたい気持ちが沸く。相手方指南役の顔を見ると、時折苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
俺も、相手方指南役も、この決闘に納得はしていなかった。しかし、それでも、俺達は武士の本分、忠義に殉じた。
「始め」
幕府の検分役が、抑揚の無い無機質な声で決闘の開始を宣言した。それを聞くや否や、俺達は真剣で散々に斬り合った。
互いの実力は伯仲していた。その為、勝負は長引いた。
時間が経つほどに、互いの体が傷だらけになっていく。俺は大量の血を失って、意識が朦朧とした。両手に握っているはずの柄の感触すら覚えなくなっていた。視界も、薄膜が掛かっているかのように朧げになっていた。
これが稽古であったなら、絶対に中断していた。途中で「負け」を認めていた。しかし、真剣勝負に「待った」は無かった。
俺は必死に打刀を振るった。途中から、自分が何をしているのか分からなくなっていた。それでも、何となく打刀を振るっていた。
すると、いつの間にやら相手方指南役が倒れていた。
どうした? 何で倒れている?
普段の俺ならば、見た瞬間「あ、これは拙いやつだ」と理解できたはずだ。しかし、
「…………………………」
俺は血を失い過ぎて、意識が朦朧としていた。真面な思考ができず、無言で倒れた相手を見詰めていた。
暫くして、どこか遠くから「勝負有り」という声が上がった。その「暫く」という僅かな時間が「尊い命を一つ奪った」。
相手方指南役は、一歩間に合わず、出血多量で落命した。真剣での決闘であったが故に、仕方のないことではあった。
しかし、「人が死んだ」という事実は、それなりに重い意味が有った。
決闘が終わった後、幕府から「決闘の結果、及び経緯」が発表された。その際、「発端が藩主同士の意地の張り合い」であったことも露見した。
それを知ったとき、俺は少なからず憤りを覚えた。声に出さずとも、「意地を張りたいならば、当事者同士で殺し合うべきだったのでは?」とは思った。そのような想いを抱いた者は、存外多かった。
世間の人々は、落命した相手方指南役に同情した。その想いが大きくなるにつれ、それぞれの藩主達に対する風当たりも激しくなった。
藩主達は事の沈静化に躍起になっていた。斯様な折に、相手方の藩から火に油を注ぐような事態が発生した。
決闘が終わって一週間ほど経った頃のこと。
「私は、父上の仇を討ちたい」
落命した相手方指南役の御子息が、藩主に「仇討ち」を訴えたのだ。彼が元服していたならば、相手方藩主も許可したかもしれない。
しかし、御子息は未だ十歳になったばかり。当然ながら、相手方藩主は申し出を退けた。
ここで話が終わっていたら、俺の耳に入ることは無かっただろう。しかし、残念ながら、この話には続きが有った。
相手方指南役の「親戚」が仇討ちの話を聞いて、余計な気を利かせた。彼らは「藩主が駄目なら」と「幕府」に訴えてしまったのだ。
幕府は仇討ちを認可した。
後になって考えると、幕府には「藩の弱体化」という目論見が有った。藩主の悪評は、彼らの望むところだろう。
しかし、如何なる思惑が有ろうと無かろうと、建前上、「アシハラに於ける幕府の決定は絶対」だった。そして、俺達はその「建前」に縛られる存在、武士だった。
俺は、再び御前の間に呼び付けられた。そこで、藩主から仇討ちの話を聞かされた。
「今度は十歳の子どもと――ですか?」
流石に、それは無い。俺は御前にも係わらず天を仰いでしまった。
態と負けるべきか? いや、武士として八百長は駄目だ。ならば――どうする?
決闘の結果は予想に易い。それに対する世間の評価も予想に易い。藩主どころか、俺の評価も地に堕ちる。面を出して、外を歩けなくなる。しかし、武士として幕府の命に背く訳にはいかなかった。
俺は縋るような想いで藩主を見た。彼は「う~~っ、ううううう~~っ」と唸りながら、厚畳の上でゴロゴロ転げ回っていた。
藩主は暫く転げ回った後、唐突に「そうだっ」と声を上げた。それを聞いた瞬間、俺は嫌な予感がした。
俺の予感は、藩主が口を開けた瞬間具現化した。
「愛洲来寿。其方は死んだことにする」
「は?」
藩主は「愛洲来寿の病没」を装うことにしたようだ。
「其方が死んだとあれば、仇を討つ理由も無いだろう」
「それは――……」
「作戦をより完全なものにする為に、其方には蟄居(事実上の幽閉)して貰う」
「え?」
「それが嫌なら藩外に――いや、国外に出て貰おう」
「…………」
最悪の二択。蟄居を選べば、俺は部屋の一室に籠り切りになる。そこから出ることは、過去の例から鑑みると「一生」許されない。
他方、国外追放となれば、二度とアシハラには戻れない。親の顔を見ることは、二度と叶わないだろう。
どちらも選びたくはない。しかし、俺は「拒否が許される立場」に立っていなかった。
「其方の家のことは案ずるな」
「え?」
「其方が受け取る予定であった給金。その二倍の額を、毎年其方の家に給付しよう」
「!」
「ちゃんと念書を認める。幕府にも報告する」
藩主は「愛洲家に対する優遇措置」を条件に、俺に二択を迫った。
俺の家の存続は、藩主の胸先三寸で決まる。家が人質に取られているとなると、俺にはどうすることもできなかった。
俺が犠牲になれば、全て丸く収まるのか。
俺は腹を決めた。しかし、剣を生甲斐にしてきた俺に「蟄居」は無理だ。そうとなれば、答えは一つ。
「国を出ます」
俺は剣を選び、武士の身分と国を捨てた。
俺は幕府が所持する「国内唯一の交易船」に乗り込んで、海を渡った。果たして、この判断は正しかった否か?
「本当に、どうすれば良かったのだろう?」
俺はフォリス大陸に向かう船の中で、何度も自問し続けていた。
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