第5話 サックスブルーのセーラー服

 月が変わって四月になった。

 それだけ暖かくなったと感じるけど、今年はここまでが寒かったからか、桜はまだ咲かない。

 新しい制服ができあがったという連絡があったので、美和みなは店まで制服を取りに行った。

 試着もしてきた。

 サックスブルーというらしい。薄めの水色のセーラー服で、見た目は清楚そうだが、汚せない。

 それに、冬服は、重い。

 小学校は制服はなく、中学校はジャンパースカートにボレロという制服だったので、セーラー服は初めてだ。白姫しらひめ高校に決めたのは、近いから、自分の実力で入れそうだったからということもあるけれど、このセーラー服の制服を着てみたかった、ということもあった。

 それが、重い。

 考えてみれば、しっかり裏地がついているのだから、重くてあたりまえなのだけど。

 サイズは問題がないというので、持って帰ることにしたのだけど、持って帰るのも重かった。

 それで、母屋おもやには寄らずに、自分の部屋にまっすぐ上がって、持って来たばかりの制服をハンガーに掛ける。

 トイレと洗面台は廊下の奥なので、そこまで行って手を洗ってくる。設備がかなりボロだけど、自分一人の部屋をもらっているのだから、ぜいたくも言えない。

 自分の部屋に戻ってきて息をつく間もなく、廊下に足音がして、木の扉をノックするガタガタという音がした。

 ノックなら「トントン」だろうけど、古い建物で立て付けが悪いから扉全体が揺れて「ガタガタ」になる。

 「お母さんだけど」

 「うわっ」

という反応は、母には聞かせられない。

 「はい。何?」

と、そっけない反応をすると、母は無遠慮にそのたてつけの悪い戸を開けた。

 「美和ねえ、帰ったんなら一度は母屋に顔出しなさいよ」

 「ああ」

 美和は正直に言う。

 「制服が思ったより重くてさ、早くハンガーに掛けてしまいたかったから」

 「ふうん」

 母は無遠慮に部屋に上がってきた。

 美和がハンガーに吊ったその制服に向き合って立つ。

 「美和も、もうすぐこれを着て高校に通うのね」

 それはそうだ。美和にとってはあたりまえのことだ。

 でも、母は感慨深げにそのサックスブルーの制服を見つめる。

 「こんな萌え制服を着たら、美和も悪いことはできないわよね」

 「……なんじゃそれ?」

 美和は正直に心の声を口に出す。

 いや。萌え制服を着た萌え悪役、なんていうのも、いいんじゃないか、と思うけど、それは言わなかった。

 母はそれに答えず、脇に抱えて着た大きめの茶色い封筒を美和に

「はい」

と手渡した。

 受け取る前に、美和がきく。

 「何これ?」

 「こんどいっしょの高校に通うんでしょ? 河辺こうべ初子はつねさんってひとが持って来てくれたって」

 「ああ」

 普通は、河辺初子というひとが持って来た、が先で、「いっしょの高校に通う」が後ではないかと思うのだが。

 「嗣子つぐこおばさんが受け取ってくれたんだけど」

 「はい」

 美和は無感動に言って、母からその封筒を受け取る。

 「っていうか、お母さん、龍田たつたやまのキッチン行かなくていいのか?」

 「いまちょっと戻ってるだけ。今日は瑠琳るりん美羽みうさんが来てくれてるからね。ちょっと余裕がある」

 事情を知らない人にはとても謎の会話。

 順を追って言うと、まず、この冬、美和の家が開いている「中華料理その他定食屋」の「清華せいか」が、駅前の商店街にある瑠琳飯店という中華料理の名店を買い取った。

 瑠琳飯店では、名シェフだったという先代が亡くなり、その先代の奥さんが店を継いだのだが、先代の弟子に裏切られたとかで、店を続ける意欲をなくしていた。それを知った美和の叔父の荘吉そうきち叔父さんが、「川路かわじの駅前に瑠琳飯店がなくなるなんてあり得ない!」と言って、「清華」でお金を出してその店を買い取るという思い切ったことをした。

 そのおかげで、「清華」の「厨房」のうちテイクアウトの惣菜や弁当を作っていた部分がその瑠琳飯店のほうに移転し、その空いた建物の二階に、母屋の部屋から美和が移って来たのだが。

 瑠琳飯店の元オーナーが美羽さんというおばさんで、そのひとが、もとは瑠琳飯店のものだった台所をいまも取り仕切ってくれている。そこが「龍田山のキッチン」というところで、美和のお父さんとお母さんは、この三月からその「龍田山のキッチン」に通って仕事をしている。

 で、いま、母屋と「清華」の本店のほうには、荘吉叔父さんの奥さんの嗣子おばさんがおばあちゃんといっしょにいる。その二人と荘吉叔父さんで本店を切り盛りしているのだが。

 今日も母は龍田山のキッチンに行っていたのだが、その美羽さんが来たので、一時的に帰って来たのだろう。

 「じゃ、お母さんはまた龍田山行くから」

と母は言う。美和が偉そうに

「ご苦労さん」

と言うと、母は軽く手を挙げて出て行った。

 「初子……」

 初子とかいて「はつね」と読む変わったやつ。

 あの朝の出会いのあと、アドレスを交換した。

 スマホで撮っていた写真はすぐに美和に送ってくれた。三十秒ごとに自動でシャッターを切る設定になっていたらしいけれど、太陽が昇ってきて、最初は暗い色に沈んでいた手前の小清山が明るく見えてくる様子が一枚ごとに切り取られていた。

 こんなのは、美和では撮れない。

 いくら「スマホを自動でセットしただけ」でも、無理だ。

 それからしばらくして、デジタル一眼で撮った写真をファイル共有サイトで送ってくれた。こちらは、シャッターを切ったのが美和だから、出来が悪ければ美和の責任だと思ったけど。

 美和が言ったとおり、山は暗く沈んでいて、空のこまやかな表情がよく写っていた。

 そのやり取りのあと、しばらく連絡がなかった。

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