第3話 山の上の小さな雲

 初子はつねは三脚を三つ持って来ていた。

 脚の細い一つにはスマホをつけ、まんなかの頑丈な三脚には大きいカメラをつけている。

 これはデジタル一眼レフという種類だろうというのはわかるけど、右側の、同じように頑丈そうな三脚につけた小さい箱みたいなものは何だろう?

 同じ方向に向けているということは、たぶんカメラなのだろうけど。

 初子が時計を見て、言う。

 「あと七分ぐらいかな?」

 その小清おさやかやまからの日の出が、だろう。

 「こういうの撮るの初めてなんだよね。スマホはアプリに任せるし、一眼もデジタルだからそんなに手間かからないけど、二眼はぜんぶ手動だからね」

 初子は、手に持った何かの計器とか、カメラについた何かとかをせわしなく見たり、何かを動かしたりしている。

 美和みなは、見ているだけ。

 初子が何をやっているのかすら、わからない。

 「あのさ」

 初子の動きが少し緩やかになったところで、美和が声をかける。

 「初子って、専門の写真家? っていうか、写真部の人?」

 「うーん」

 作業の手を止めずに、清純声で言う。

 「まあ、写真家になりたい、っていうのは、あるよね。だから、高校に写真部があれば、入るかも」

 「どこ高校?」

 気軽に訊いて、美和はすぐに「よかったのかな?」と思った。

 どこか遠い街の進学校とか有名高校とか、そんなのじゃないか?

 初子なら。

 そういうところに入るぐらいの能力はあるんじゃないかと思う。

 ところが、初子は、「ふん?」と顔を上げる。

 こういう顔をすると、顔がちょっとだけたぬき顔だ。

 「白姫しらひめ高校だけど」

 「なんだ」

 いや、「なんだ」とか言ってはいけないけど。

 さっきと同じように、安堵感が降り注いでくる。

 「じゃ、わたしもいっしょだ」

 白姫というのは川路市のなかでもこのあたりの地名だ。白姫高校は、ここから北に行ったところ、山への坂道を少し上がったところにある。

 県下の公立では難度最高ランクという話だけど、すごい難関という印象はない。実際に、美和の学力で入れた。

 初子だったら、もっと楽々入れたんだろうな。

 「じゃ、よろしくね、美和」

 初子は、いまはその一眼レフというほうをいじりながら、振り向いて言う。

 かがんで、カメラの後ろから何かをのぞいている。きっと、これで何が撮れるかがわかるのだろう。

 美和はいまは写真を撮るのはスマホを使っていて、カメラは持っていないけど、小学生のとき、親から小さいカメラをもらって使っていたことがある。お父さんが使ってきたカメラのお古だったのだけど。

 そのときも、美和は何が撮れるかは液晶画面で確認していたけど、お父さんは

「最近のカメラはファインダーがないから不便だ」

と言っていた。

 いま初子がのぞいているのが、その「ファインダー」というものなのかも知れない。

 そうやってお尻を不規則に揺らしながら何かやっていた初子が、また振り向いて

「ね、美和」

と呼びかける。

 「ん?」

 その生返事で、美和はさっきの「よろしくね」への返事をする機会を失った。

 初子が訊く。

 「山のこちら側の景色が明るく写って、空が白く飛んじゃうのと、山のこっち側はまっ黒だけど空がきれいに写るのと、どっちがいい?」

 美和は「はあ」と答えそうになった。でも、「生返事二連発」はよくない、と思い直す。

 だから、かわりに

「うんっ、と」

と言って間を持たす。

 さて、何を言おう?

 「わたし、関係ないから」とかは、たぶんだめだろう。

 「わかんない」も、よくないと思う。

 「そうだな」

 そう言って、美和は、初子がカメラを並べている近くまで行く。

 ここに来ると、手を少し動かしただけで初子の体に触れてしまいそうなのだけど。

 美和は、初子の横で同じように身をかがめて、カメラが向いているほうを見る。

 たしかに。

 右にある幼稚園の園庭に植わっている木と、左に見える普通の民家の庭木とのあいだに、ぽこっ、とドーム型の小清山の頂上が見えている。

 美和は産まれてからずっと隣の母屋に住んでいた。ここの建物の屋上に上がろうと思えばいつでも上がれたのだけど、ここからこんなふうに小清山の頂上が見えるとは思わなかった。

 上の空は、もう「薄橙うすだいだい色に染まっている」どころか、その色に透明に輝き始めている。

 山の向こうなのか、出ている小さい雲が、雲がこんなに輝くのか、と思うくらいの輝きを放っていた。

 美和は、断然、空を撮るべきだと思った。

 だから、言う。

 「小清山って、木が茂ってるだけで、明るくしてもあんまり目立たないから、それは、空がきれいに写ったほうがいいんじゃないか?」

 「そうだよね」

 初子は言って、少しあいだを置いて、

「それでやってみよう」

と言う。

 初子はデジタル一眼の設定をやって、右側の箱形カメラのところに移る。

 こんどは屈んだりせず、箱の上に首を伸ばしている。

 こうするとその長い髪が垂れてくる。

 それが肩の前に垂れないぎりぎりまで頭を下に向けている。

 上から箱をのぞき込む。横顔が凜々りりしい。睫毛まつげも自然にカールしている。

 髪の毛が肩のところから前に落ちるのをときに手をやって止めながら一心に作業する。

 手もとの何かの計器を見ながら、箱についた何かの装置をちょっとずつ動かしたり、逆に動かしたり、止めたりしている。

 ふーん。

 写真ってこうやって撮るものなんだ。

 「まず、一眼のほうを、美和の提案どおりで撮ってみるね」

 そう言って、カメラの上のほうから伸びていたコードのようなものの先をつかんで、ボタンか何かを押したようだった。

 かしゃっ、と、カメラらしい音がする。

 カメラの後ろの画面が暗くなり、しばらくして、そこで撮った写真が表示される。

 小さい画面でよくわからなかったけど、それでも、美和が見た、太陽と同じように輝く小さい雲は写っているのがわかった。

 手前が暗いかわりに、空は、その雲と、背景の薄橙色の空がきれいに写っていた。山のすぐ上にくらべて空の上のほうが暗いのも、山のが、山をふちるように明るく輝いているのもわかる。

 「目で見るよりもきれいに見えるじゃん?」

 目を上げると、すぐ近くで初子と目が合った。

 初子は目を細めて笑っている。

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