第2話 清純少女と読みの問題

 相手の少女はさっと身を起こし、すばやく美和みなのほうを振り向いた。

 上半身を起こしたところで髪の毛がばさっと垂れる。

 長い。

 腰まではないけど、胸よりも下まである。

 しかもその髪がすなおで、しなやかそうだ。

 体の前に垂れたその髪を両手で思い切りよくばさっと背中にやってから、少女は振り向いた。

 薄橙うすだいだい色の空を背景に。

 背が高い。

 美和も、階段のところから顔だけ出して話す、というのもよくないと思う。正体不明だけど同年代の女の子に対して。

 それで美和も階段を上まで上がった。

 でも、相手が侵入者であることはまちがいないので、眉をひそめて、にらむ、という表情は変えないようにする。

 「ああ、おはようございます」

 少女の声は、「ザ・清純少女」という感じの、高くて艶のある声だ。

 家庭科か何かのお手本のようなお辞儀をして、お手本のようににこっと笑う。

 お辞儀で髪の毛がまた前に落ちたのを、今度は、右、左と順番にかき上げ、首をふるふるっと振って整えた。

 この動きもやり慣れている感じだ。

 カチューシャかリボンか、そういうので、その長い髪を押さえているのもわかった。

 「何してんの?」

 美和は不機嫌にきく。

 相手が侵入者だから、という以上に、容姿もしぐさも声も清純そう、というこの少女に反発した、または嫉妬したから?

 「ああ。今日、小清おさやかやまの山頂からの日の出を撮影できる場所、って、ここだけなんですよね」

 小清山というのは、この川路かわじの盆地の東、特徴的なまんまるの山頂をもつ山だけど。

 その山頂からの日の出を写真に撮りたい、というのは、わかった。

 「はあ」

 つまり、この子はカメラのセッティングをしていたらしい。

 「それで、すえ幸吉こうきち様にお願いして、ここを使う許可をいただいたんですけど」

 何?

 その虫酸むしずが走るような敬語の連続。

 虫酸って何かしらないけど、そういうのが走りそうだったので、美和が、ぶすっ、と言う。

 「うちの父ちゃんだな」

 「じゃあ、すえ様のお嬢さん?」

 今度こそ、すごく気もちの悪い感覚が胸の横から首筋までぞわぞわぞわっと上がって来た!

 一つには、「陶様のお嬢さん」なんて言われたことなどほとんどないから。

 しかも、それを言う声が、ほんとうに作り物のような清純ボイスときている。

 「お嬢さんとか、たいしたもんじゃなくて、まあ」

 ちょっとためらう。

 「陶美和みなっていうんだけど」

 説明しなければいけない。

 めんどくさい。

 だが、相手の少女は、美和の「言うんだけど」に答えるように、すでに三脚を立てて、その上にセットしていたスマホを手に取った。

 その画面を美和に見せる。

 「わたしの名まえ、こう書くんだけど」

 文字から先に自己紹介?

 変わったやつ。

 その画面には、黒地に白で、書道っぽいフォントで

「河辺初子」

と書いてある。

 何?

 自己紹介用の名刺みたいな画面、最初から用意してるの?

 なんだろうねぇ?

 自己顕示欲強い?

 まあ、清純美少女が自己顕示しても世のなか的にはあんまり害にはならないだろうから、いいんだけど。

 その清純少女が言う。

 「これで、こうべ、はつね、って読むんだ」

 「はいっ?」

 はいっ?

 「この文字だと、普通は「かわべ・はつこ」だと思うけど、こうべ・はつね」

 河辺初子と書いて「こうべ・はつね」と読む河辺こうべ初子はつねがその清純な声で言う。

 ……声は、作っているのではなく、地声らしいな。

 地声が清純、容姿も地で清純。

 でも、突然、親近感。

 「わたしも、普通に読んだら、「すえ・みわ」なんだよ。ときには「とうびわ」とか漢字読みされることもあって」

 「ああ」

 清純少女ではなく、いや、清純少女の河辺初子が言う。

 「美しい、に、平和の和?」

 「はいっ?」

 美和は目をまんまるにした。

 というか、まんまるになっているだろうと思う。

 「わかるの?」

 「それは」

と、河辺初子が軽く口ごもる。

 「陶さんの陶は、ここで撮影する許可をいただきに行ったから知ってるし、「みわ」って読み間違えられる「みな」だったら、美しい、と、平和の和、じゃない? 漢字読みで「びわ」なら、なおさら」

 「はあ!」

 感心する。

 「いや、そのとおりなんだけど」

 そこで疑念が生まれる。

 背の高い清純少女。

 そのうえ、知能もこんなの。

 ということは、もしかして、この河辺初子、歳上?

 歳上どころか、大学生とか?

 「ところで、河辺さん、さっきから、わたし、ため口きいちゃってますけど」

 ここで首をぴくっとすくめてみせる。

 「何歳ですか?」

 「十五歳ですけど?」

 河辺初子が答える。

 どーっと安堵感が天上かどこかから美和の体のなかに降り注ぐ。

 「美和さんは?」

 「わたしもいっしょ」

 その降り注いできた安堵感が声にも出た。口もともゆるむ。

 「この四月から高校生」

 「じゃあ、いっしょだね」

と言って、河辺初子は、にこっと笑う。

 うん。

 こうやって見ると、たしかに清純少女のおすまし笑いだけど、口もとの肌も唇も人並みにざらついている。

 この世離れした清純美少女ではなく、清純美少女だけど美和と同じような生きものだ、ということはわかった。

 それで、美和は、初子に

「うん、いっしょだ。よかった」

と言って、ほっ、と息をついた。

 何がよかったのか、自分でもわからないけど。

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