空色の季節 夜明け前の出会い

清瀬 六朗

第1話 春の夜明け前

 美和みなは目を覚ました。薄めの布団が肩のところに巻きつくのもかまわず寝返りを打ち、時計を確認する。

 時刻は五時三一分。

 この季節だと、もうこの時間でこんなに明るいのか。

 美和にとっては新しい部屋で迎える最初の朝だ。

 四月になると、美和は、この部屋から、三年間、高校に通う。

 そのあとどうするかは決めていない。コースは進学コースだからたぶん大学受験をするのだろうけど、「ほんとうに大学受験なんかするの?」と訊かれたら、「さあ?」と答えるしかない。

 卒業式は終わったが、美和はまだ中学生なのだ。

 その美和にとっての新しい部屋。

 でも部屋そのものはぜんぜん新しくない。お母さんが生まれたときにはもうあったとかいう古い建物だ。しかも、木造という造りなので、あちこちがゆがんだり、すき間ができたりしている。

 だから、窓の外で、「きゅいっ、きゅん、きゅいっ」と何かがきしむ音がしたときも、美和はぜんぜん意外ではなかった。

 昨日の夜も、建物の外か中かよくわからないところで、繰り返し、がたたたたっ、がたたたたっ、という音がしていた。

 もし美和がそういうのを信じやすい子ならば、当然、心霊現象だと思っていただろう。

 そうでなくても、正体不明の音というのは不安だ。

 だから、美和は、どこからその音が聞こえてくるかを注意深く確かめた。それがこの部屋で使っているエアコンの室外機の音だとわかるまで、十五分ぐらいかかり、美和が寝る時間はそれだけ遅くなった。

 いまの音も、よくわからないけど、それに類した何かなのだろう。

 朝になっているから、たぶん、幽霊的な現象ではない、と思うと、少しは気が楽だ。

 ……と美和が思っていると。

 きゅいっ、とっ、たんたんたんたんたんたん……。

 はいっ?

 階段を上がって行く音。

 ベランダからここの屋根の上に上がれる階段だろう。

 これって……。

 霊どころか。

 もっと怖い、生きている人間の侵入者というものでは?

 美和は母屋に電話しようと身を起こした。

 美和の枕元から手の届くところに「内線電話」というものがあり、それで美和は母屋と連絡ができる。親と叔父さんはもう仕事に行っているだろけど、おばあちゃんか嗣子つぐこおばさんはいて、しかも起きているだろう。

 でも、と思った。

 美和はここで寝て起きるのは今日が初めてだ。

 ひょっとすると、夜明けごろにだれかがこの上に上がるのは、前からやっている普通のことなのかも知れない。そういうことが前からあったのに説明がない、というのは、美和のお父さんお母さんに関してはよくあることだ。

 だとしたら、いま電話したりしたら、うちの朝ご飯のしたくをしているはずのおばあちゃんやおばさんによけいな手間をとらせることになる。

 さっきは徐々に小さくなっていった「たんたんたん」という音が、今度はだんだん大きくなってくる。階段を下りてきたらしい。

 そのだれかは、まったく警戒ということをしていないらしい。

 美和は起き出した。

 スウェットの上に厚手のウールのジャンパーを羽織はおる。

 部屋のなかで音を立てないように。

 外から見ても目立たないように、背を低めてこたつのまわりを回り込んで、窓のところまで行く。

 侵入者はきゅっきゅっきゅっときしみ音を立ててベランダを歩くと、またたんたんたんと階段を上がって行った。

 美和は、すりガラスの内側から左右を確かめてから、窓の二重鍵をはずし、窓をそっと開けてみる。

 空は青い。

 空色、水色……。

 そんな色の空に、薄い雲がたなびいている、という感じ。

 そして、ほどよく冷たい空気が心地いい!

 深呼吸。

 ……いやいや、そんなことをしているばあいではなく。

 美和が首を振って左右を見てみた。

 念入りに見てみたけど、とくに変わったところはない。

 ここのベランダは、部屋のなかよりも少し高いところに青いプラスチックの簀の子を敷き詰めた造りだ。ベランダというより物干し台だろうか。

 ここの建物の二階には、美和の部屋を入れて四部屋あって、その四部屋の外がひと続きのベランダになっている。

 だれもいない。

 防犯的には、このまま窓を閉めるのがいいのだろう。

 でも、美和は、思い切ってベランダに出てみることにした。

 相手は、たぶん、屋根の上だ。

 ベランダからの階段を途中まで上がって、相手に気づかれないように様子をうかがって、危なそうだったら急いで戻って部屋の窓に二重鍵をかける。そして母屋に電話する。もっとやばそうな相手ならば直接に一一〇番する。

 そう決めると、美和は、窓の外に用意してあったサンダルを履くと、できるだけきしみ音を立てないようにして、屋根の上に上がる階段の下まで来た。

 上では何の反応もない。

 美和は、さらに用心しながら、階段を一段ずつ上がってみる。

 四段上がり、五段めに足をかけて、背伸びして屋根の上の様子を見てみる。

 「はあ?」

 声は立てなかったけれど。

 いた。

 美和からほんの二メートルか3メートル先で、少女の脚とお尻が不規則に左右に揺れている。

 たぶん、自分と同じか、ちょっと上ぐらいの年代の少女の。

 すきとおった薄橙うすだいだい色に染まってまぶしい東の空の手前に、半分シルエットになっている。

 そのお尻の向こうは、美和が着ているのと同じようなジャンパーと、そのもっと向こうには、垂れ下がった長い髪?

 思いっきり前屈みになって、何かを屋根の上に立てて、それの操作か調整か、そんなことをやっているらしい。

 少女はその作業に専心しているらしい。美和に気づいた様子はない。

 美和は眉をひそめて

「おいっ!」

と声をかけた。

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