電車

@Ryo_88

雨の日は、なんとも好きである。雨に霧かかれた景色を見るも、傘をさす人々の行列を見るも、好きであった。特に私が通学に使う路線は前々は田んぼと疎らにある家々だけであり、まさに趣き深い雨景色を電車の窓から臨める。後々からは街になっていき、通勤通学している人々の傘をさすこととは、非常に見るかいがあるものなのである。


その日も雨であった。前の晩から続く雨に少し慣れた私は、「雨」を楽しみに早く家を出るくらいである。私は街の中にある高校に通うために電車を使う。日頃の満員に揉まれるような電車は嫌いだが、雨の日はもはや、高校に行くからなんぞではなく、雨の日だから電車に乗るといっても過言ではない。なんせ、早く家を出るのもホームに早く着いて電車を並ぶ列に早く並ぶためであり、それも椅子を確保して窓からの景色を楽しむためである。


私の家は駅から近い。徒歩で5分歩けば着く距離にある。雨の日、空の向こうは見えない。私は家に出るとまず周りを見渡す。左から田んぼ、家、家、真ん前に駄菓子屋、また田んぼ、そして少し向こうに商店街。この田んぼの中に佇む商店街を抜けると、すぐ駅がある。


今日も今日とて、いつも通り準備をするふりをして誰にも悟られないよう早く家を出るのである。悟られようなうなら、雨で少し遅れるかもしれないからという言い訳も用意してある。まさか、雨が好きとは思われまいし、思われても困る。


家を出ると、田んぼがまず広がる。道路のコンクリートはところどころ凹んで削られているが、田舎らしくそんなの気にせず多くの車が通る。歩道なら草木があらゆる隙間から生え、とうていきれいには思えない。しかし、そんな道でも雨の日なら美しく見える。

凹みに溜まる水ならば暗い雲を写し、灰色に彩りを与える。草木に積もる雨粒なら、緑に映えてまた美しいのである。


商店街は、ガラス張り天井があるため雨を感じないが、湿気による重苦しい空気と人々の憂鬱な背中はまるで、そこに雨が降ってるかのように思わせる。さすがの私といえど、重苦しさに長く耐えられる力はないので、商店街は小走りになる。


魚屋の田中さんは発泡スチロールの箱を台の上に乗せると深い溜め息をつくし、八百屋の佐田さんは大根の土を払ったかと思えばその目には生気がない。まあ、私が雨を特別に思っているからかもしれないが、私からみれば雨は人々を暗くさせている。だが、それさえ凌駕する雨の美しさというのを私は知ってもいる。


商店街を抜けると、真正面にすぐ駅が見える。そこまでの道は周りに民家が立ち並ぶだけの面白みのない道である。しかし、雨が降ると変わって見える。


民家の屋根から滴る水、ポトポトと鳴る美しい音、私を反射させる水たまり。全てが趣にあふれるのだ。特に、駅の出口の前を横切る道路と、私が駅へ向かう道路との角にある家に住む「青木さん」である。青木さんはアラフォーの会社員らしいが、それに反して見た目は若い。オールバックが似合ういわゆるイケオジというものである。


そんなイケオジはいつも私がその角に差し掛かるときに家から出てくる。電車通学になって2年、毎日顔を合わせるのだから今では世間話くらいはするようになった。青木さんは謀ったかのように私とばったり会う。青木さんと私は偶然にも同じ方向の電車に乗るものだから、椅子が空いていれば隣に座って話し込むなどもある。


青木さんと私が話す内容といえば、やはり勉強や受験のことであろう。青木さんは関東某一流大学卒業である。そこから今、銀行の専務というのだから私としては尊敬の的である。私も一流大学を目指して高1の頃からコツコツ勉強しているのだから、せっかく青木さんと話すのならそういう話をしよう、というわけである。


そして今日も今日とて青木さんの家の前を通ろうとしているのだが、雨の日ならではのことがある。


「おはよーう」


私が青木さんの家の前を通り過ぎ、道の向こうにある駅へ向かうために信号を待っていると、青木さんが後ろから挨拶してくる。前述のとおり、いつも(雨ではない日)なら私が通るのと同じくらいに家から出てくるはずなのだが、雨の日に限ってなぜか家を出るのが遅くなるのだ。そして私を追いかけ信号を一緒に待つ....という流れなわけである。青木さんは高貴に着整ったスーツを濡らしながらも私の背中に小走りで走るのだからそれは趣を感じぜずにはいられない。雨粒で点々と濡れたスーツを払いながら、いつも第一声はこうである。


「昨日はどのくらい勉強した?」


さて、これも恒例。私は正直に丸裸に言う。


「昨日は全くしてないよ」


こういうと青木さんはニヤリとして更に言う。


「だめじゃないか、僕に追いつけないよ」


青木さんは限って私の肩を叩く。私は慣れたことに、ふん、と鼻息を鳴らしながら信号を待った。



信号が赤から青に変わり、青木さんが私より一歩先に歩道へと踏み出した。白線と白線の間にある水たまりを青木さんはいとわず踏み込む。結構に溜まっていて、他の人は避けるくらいなのであるが青木さんにとっては屁でもないらしい。



駅の改札は駅の入口からすぐ行けばある。都会の駅のように迷宮迷路みたくないのが田舎の良さでもあろう。青木さんは駅のホームへ行くまでは私の1メートル先ほどを歩き、まあまあに速い足である。ICカードを胸ポケットから取り出し慣れたようにかざす....


「英単語帳は開かないのか?」


生ぬるい空気とふれあいながら駅のホームの椅子に座っていると、青木さんはそう言ってきた。

たしかに、私はいつもなら英単語帳を開くだろう。食事、睡眠、トイレ、風呂などという必須級のこと以外全て勉強に費やすような私なのだから、電車の待ち時間なら尚更のはずだ。無論、私の勉強の相談相手かつ唯一の共有者である青木さんもそれを知っているから、そういうのも無理はない。私は2番ホームのさらに向こうにある山を眺めながら、答えた。


「今日は見ない。たまには景色も見たい」


青木さんは首を傾げた。私と同じ山に一度ピントを合わせたのちに、更に言う。


「雨だよ。霧かかってよく見えたもんじゃない」


そういうのも無理はなかった。事実、雨に遮られた空気は灰色みを醸し、眺める山こそなんとか見えるものの、その山頂部分となれば霞はひどい。おそらく、青木さんは私のことを変とでも思っているはずだ。


「雨は好きなんだ。雨の雰囲気って言うのかな、なんて言う、ううん」


私は雨好きを明言したものの、その理由を青木さんにしかと伝えることができなかった。雨が好きなのは間違いなしに、その理由を考えると上手く言葉がついてこない。


そんな私を見て青木さんはクスッと笑った。青木さんに雨が好きなんていうのは初めてだし、きっとおかしく思われたに違いない。


「そうか、そうか。そりゃあいいじゃないか」


青木さんは昂揚のついた声で言う。


〜1番乗り場、まもなく電車到着いたします〜


そんなこんなしてるうちに、乗るべき電車が来た。いつも通り、人なんてほとんど乗っていない。まあ、雨だから少しばかり人が増えているだけである。とは言っても少ないことには変わりないので、いつも通り空いてる席に青木さんとともに座った。





ガタンゴトンガタンゴトン.....

電車の窓から覗くに、景色は灰である。流れる家々は水を滴らせ、田んぼはその水面に雨粒が無量に突き刺さっている。雨音こそ聞こえないものの、電車のレールを走る音は少し鈍く感じる。

それとともに私の胸に雑な思いが湧いた。


「青木さんはなんで良い大学目指してたの?」


青木さんは怯んだような素振りを見せた。少しギョッとしたような、聞かれて驚くようなで目を少し見開いた。


「特に理由はないよ。ただ目指すべきだと思ってたのかな。なんだろう、特にあの頃の僕は趣味もなかったし、打ち込めるものも勉強しかなかった。悲しいことに、たくさん遊べるような友達にも恵まれなかったからね、ははっ」


青木さんは私と目を合わせなかった。霧がかったはずの向こうに目をやっていた。更に続けた。


「じゃあ逆に、なんで良い大学目指してる?」


私は怯んだ。頭に鋭い雨粒が刺さったような気がした。


「そうだね、そこに行ったら何か得られるかなって思ってる。何かもらえるかなって。例えば、知識、賞賛とかね。それこそ学歴だ」


青木さんは頷く。最もだと言うとともに、そう言いたかったとも言いたげである。


「一理ある。間違いじゃない。しかし、そもそもそれらは本当に得られるのか。満たされるのか」


「どういうこと?青木さんは得られなかったの?満たされなかった?」


違う違うと青木さんは首を振らなかった。なんなら、言うことの「無言のイエス」のように私の向こうを見ていた。


青木さんはしばらく答えなかった。私もあまりの気まずさに青木さんの見る向こうを見た。

雨はさっきよりも少しばかり激しくなっていた気がした。聞こえなかった電車に打ちつける雨の音もかすかに聞こえ、田んぼには深い溝が開けられては平たくなっていた。


青木さんはというと、ボーっと向こうを見続けた後に、一言言った。


「いや、満たされたよ。学歴も今の職も得られて家族友人からは偉い偉い言われたよ。だけど、それは空虚なものだったんだ。どういうことかって、良い大学に行って名誉でも称賛が増えたわけじゃない。ただ、虚しい勉強生活において僕の『満たされる器』が小さくなっただけだったんだよ。ひたすらにやり過ぎたってことさ」



......「満たされる器」.....


それは何かと私は考える。今において私は模試の成績が上がれば「満たされる」。もしくは推しの女優が出演する映画を見たとき「満たされる」。


それが私にとっての満たされ方であった。よく考えればちっぽけであるのかもしれない。


将来の私、特に大学に受かった私にとっての満たされる器とは何になっているだろうか。今の私は大学受験をゴールとしている?...そうかも知れない。打ち込めるものとそのゴールに執着しすぎているかもしれない....



「青木さんは今幸せ?」


「ああ、もちろん。やりたいことできて好きなように生きられる環境に感謝さ」


「勉強のおかげだと思う?」


「そうだね、もちろん。あの苦しみあっての今だよ。だから、今はやるべきことをするべきだ」


私の肩を青木さんは叩いた。鼓舞。



「さっきの話、雨の何が好きなんだ」


青木さんは重苦しい雰囲気を打ち消すように、話を転換した。私はこう答えた。


「雨が好きなのはみんなを中に閉じ込めるから。私が家にこもって勉強しているときに、雨は賑やかや外を静かにしてくれる。勉強を『正当化』してくれる」


青木さんは笑った。そして、そうか、そうかと頼もしい声で言ってまた私の肩を叩いた。







.......ガタンゴトン.....


私たちが乗る駅から降りる駅までは約25分かかる。南の方の街から北の方の街をつなぐこの電車は私たちの降りる駅で終点を迎える。今向かっているのは北の街ということだ。北に行くにつれ、空はだんだんと晴れていった。



青木さんと私は無言を貫く。私というと窓の先の出っ張りに肘を乗せ、顎を手に置いてボーッと景色を傍観していた。青木さんは、そんな私をときどき見ては私とは逆の景色を見ていた(私と青木さんは向かい合わせに座っていた)。

電車に乗っていると、あたかも灰色の雲が後ろへ後退しているように見える。そして、それを抜けて行くにつれ、隠れていた太陽の日が眩しく当たる。田んぼはみずみずしく光を持っていた。



終点一つ前の駅ぐらいになると、だんだん景色は街に覆われていく。住宅街、ビル、工場などと人の気配が脈々と感じられる。


そして、終点一つ前の駅を出発した頃に青木さんは言った。


「雨はいつかは上がってしまうんだ。いくら長く続こうが、雨はいつかは上がる。さみしいものだよね。求めている人がいるのに、ずっとはいれないんだよ。そして無慈悲に晴れが来る」


「青木さんは晴れが嫌いなの?」


「いや、好きだよ。晴れは元気を齎すからね。事実、学生の頃だって晴れにやる気をもらっていたからね」


「じゃあ、なんで雨を求めるの?」


青木さんはここで会話の調子を崩した。深く悩むような感じで下を向いて、熟考した。微妙に生えた青ひげをジョリジョリ触りながら、思いついたかのように言う。


「隠すからかな。雨音も霧も曇天も、何か嫌なことを隠してくれる。例えば僕にとったら、そうだな。君と似ているけど、輝かしい青春とか。悩みとかだね」


なるほど、私は一つ頭を縦に振った。それは同意を示すのもあるが、なにより青木さんもそうだったのかという「安堵感」があった。青木さんは私と同様、机ばかりに向かう日々に虚しさを覚え、それを隠す幕を求めていた....というより、外界の光を遮断したかったのかもしれない。



ガタンゴトンガタンゴトン



まもなく終点...


その頃には雨の様子などなく、晴れ一面であった。私はそれに飽きて、仕方ないようにカバンから英単語帳を取り出した。パラパラと見て、本当に頭に入っているのかもわからない状態で、見ていた。


「distinguish...わかるよね?」


「区別する、でしょ。さすがに分からなきゃだよ」


「まあまあ、portion...は?」


「部分、だよね。なんとかわかるよ」


「さすがだね!やっぱり僕が見込んだだけがあるよ」


青木さんは自慢げに言った。


そういう一言一言、青木さんにとっては何気ないのかもしれないが、それが背中を押すから、私は勉強を続けられてきたとも言える。


私は心のなかに雨を降らした。英単語帳と向き合うためであるのか、それとも雨に包まれたいからであるのか。きっとこの雨は止まないであろう。心の器が雨で満たされていく。ポツポツポツポツ...





プシュッー


電車は駅についた。青木さんは早足に改札に向かう。私を待つ様子など微塵もない。そして、駅の右側の出口を出たあと、少し遅れてやってきた私の方を向いてこう言った。


「雨は好きだよ、僕も。雨は美しいよ。雨は確かに太陽の光を遮って、道を濡らすかもしれない。だけど、水の美しさに飾られた街、風景はなによりも価値がある。それのごとく、今の、苦しい時期にも、美しさがある。それに気付くのが、そもそも気付かないかもしれないが、いつになってもその美しさは残り続ける。それが人生さえ彩ってしまうんだよ」



青木さんは珍しく真面目に言った。その顔には一つの冗談もなかった。


私は青木さんの目を見ながら頷いた。力強く、激しく同意を示すように。青木さんもそれに呼応するように、いつものように私の肩を叩いた。そして、また英単語帳を開いて、青木さんと反対の道へ歩いた....













雨が降っていた。ウシガエルとアマガエルが話しこんでいた。彼らは互いに背を押し合い、大きく激しい雨粒に押しつぶされそうになりながらも、頑張っていた。そして、何かを示し合わせたように、彼らは別れた....素晴らしいハレノヒに向かって....


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