第36話 アンチだけどこれは泣く

 地下30階にいるはずのボスモンスターが、下層である地下20階に姿を現した。

 この異常事態を生配信していた高橋竜牙のチャンネルには、視聴者たちの阿鼻叫喚のコメントが殺到していた。


〈竜牙さん逃げて!〉

〈正直嫌いだったけど、こんなところで死んでほしくない〉

〈髭もじゃのおっさんも逃げろ!〉

〈二人で共闘すればなんとか……〉

〈深層ボスなんてAランクじゃ太刀打ちできねぇよ!〉

〈逃げる一択。異論は認めない〉


 配信者である竜牙本人には、当然コメントを確認している余裕などない。


「は、はは……はははは……ぼ、僕は、夢でも見ているのだろうか?」

「夢などではない! 正気を保て、竜牙殿! あれは恐らく深層ボス! 我らの力では敵わぬが、逃げるだけなら希望がある! この場を切り抜け、他の受験者たちにこの事態を知らせるのだ!」


〈さすが権蔵氏〉

〈言ってることが常に正論〉

〈惚れるわ〉

〈見た目で判断してごめんなさい〉

〈竜牙ちゃん、権蔵さんと一緒でよかったね〉


「わ、分かった……っ! けど、どうやって逃げるんだ!?」

「吾輩がやつの気を引く! その隙に――」


 ブォンッ!


「え?」


 フォレストドラゴンが振るった尾だった。

 それが権蔵に直撃し、軽く100キロを超えるだろう彼の巨躯がサッカーボールのように吹き飛んだのである。


 権蔵は遥か先にあった岸壁に叩きつけられた。


〈あ〉

〈ちょっ〉

〈うえ〉

〈やば〉

〈これは……〉

〈権蔵氏いいいいいいいいいいいいいいいいいい!?〉

〈ええええええええええええええええええええっ!?〉

〈Aランク探索者が瞬殺……これが深層ボス……〉

〈頼みの綱だった権蔵氏が!〉

〈竜牙も終わりか〉


「き、貴様ああああああああああっ!!」


 気づけば竜牙は激高し、フォレストドラゴンに躍りかかっていた。


〈マジ!?〉

〈落ち着けって!〉

〈逃げるんじゃなかったのか!?〉

〈竜牙、意外と熱い男やったんか〉

〈けどこの状況じゃ最悪だろ! 敵うわけがねぇ!〉


 竜牙の剣に猛烈な電流が帯びる。

 さらには地面を蹴ると同時に足元で電気を爆発させ、凄まじい加速を見せた。


「はあああああああああっ!!」


 フォレストドラゴンの胴体に斬撃を叩き込む。


 バリバリバリバリバリッ!!


 轟音が響き渡る。

 竜牙の剣は深層ボスの木肌を黒く焦がし、その一部を抉り取っていた。


〈すげええええええええっ!〉

〈ダメージ与えたぞ!〉

〈フォレストドラゴンの身体って金属並みに硬いはずだよな!?〉

〈さすが竜牙!〉


 それだけで決して満足することなく、竜牙は次々と雷撃をお見舞いしていった。


〈これが竜牙の強さだ!〉

〈配信者としての話題が先行しがちだけど、ガチで強いんよ〉

〈なんか信者らが陶酔してるけど、どう見ても大したダメージになってなくて草〉

〈フォレストドラゴンからしたら小動物に齧られてる程度だろ〉


 ブォンッ!


「っとぉっ! はっ、その攻撃は一度見ている! 僕に通じると思うな!」


〈権蔵氏を瞬殺した尾の一撃を躱した!〉

〈やっぱ竜牙は強い!〉

〈行け、竜牙! お前ならできる!〉

〈アンチを見返してやれ!〉


「オ~~~~~~~~~~」


〈何だ、この音?〉

〈フォレストドラゴンの声?〉

〈なんか口を大きく開けてるんだが〉

〈やばい、ブレスだ!〉


「ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオッツ!!」


 直後、フォレストドラゴンが衝撃波のブレスを吐き出した。


「~~~~~~っ!?」


 反射的に横に跳んだお陰で直撃だけは免れた竜牙だったが、衝撃波の一部に巻き込まれて弾き飛ばされてしまう。


「ぐぅっ……な、なんて威力だっ……って、また!?」

「ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオッツ!!」


 間髪入れずに放たれたブレスを、竜牙は今度もギリギリ直撃を避けたものの、やはり吹き飛ばされて地面を何度も転がる。


〈竜牙!?〉

〈まだ来るぞ!?〉

〈双頭だから連続で放てるんだ!〉

〈そんなんありかよ!?〉


 辛うじてブレスの直撃を回避し続ける竜牙だったが、どんどん動きが鈍くなっていく。


「ぐ……あ……」


 やがて地面に倒れ込んだまま、立ち上がることができなくなってしまう。


〈死ぬな!〉

〈まだお前の配信を見ていたいんだ!〉

〈アンチだけどこれは泣く〉

〈立て、竜牙! ボスが追撃してくるぞ!〉


「……こ、こんなところで、死ぬ僕じゃあない……っ!」


〈立ち上がった!〉

〈さすが竜牙!〉

〈惚れる〉

〈けど立つだけで精一杯って感じだぞ?〉

〈もうボロボロだ! どうする!?〉


 ふらつく竜牙。

 構えた剣が帯びる電流も、もはや最初とは比較にならないほど弱々しい。


 そんな彼にトドメを刺そうと、フォレストドラゴンが鋭く尖った槍のような枝を伸ばして身体を貫こうとする。


〈竜牙あああああああああああああああああ!?〉

〈死ぬなああああああああああああああああ!〉

〈逃げてえええええええええええええええっ!〉


 ブシュッ。


〈竜牙……〉

〈お前の勇士を忘れない……〉

〈いや待て、まだ死んでないぞ!〉


 枝の槍が突き刺さっていたのは、全長五メートルを超す巨大スライムの身体だった。

 粘液性の身体によって、どうやら槍を受け止めてくれたらしい。


「うふふ、危ないところだったわね。あたしのスラたんがいなければ、今頃はお腹にぽっかり穴が開いちゃっていたわ?」


 竜牙の頭上から降ってくる声。

 見上げると、そこにいたのはグリフォンの背に跨る妖艶な美女、清水雫だった。


〈美しい〉

〈え、こんな美人な探索者もいるん?〉

〈キャバ嬢っぽくて俺はタイプじゃないな〉

〈向こうもお前みたいなチー牛に好かれたくないだろ〉

〈彼女は魔物使い?〉

〈雫さん、竜牙くんを助けてくれてありがとう!〉


 雫が使役するスライムは高い消化能力も持つようで、フォレストドラゴンの枝が見る見るうちに溶けていく。


「た、助かった!」

「まぁ、本当は危ないから加勢なんてしたくなかったんだけど、さすがに見殺しにはできなくって。でもこれで限界。早々に逃げさせてもらうわねー」


 そう言い残し、雫はグリフォンに命じて上空に逃れようとする。


〈自分の身が一番大事やからな〉

〈でも危険を顧みずに助けてくれたんやな〉

〈見かけによらず良い人じゃん〉

〈ファンになりました。どこの店で会えますか?〉

〈キャバ嬢じゃねぇから〉


 だがそのときだった。

 フォレストドラゴンが全身を大きく揺らしたかと思うと、黄色い靄のようなものが周囲に充満していく。


〈何だあれ?〉

〈まさか花粉?〉

〈うえええっ、見てるだけでくしゃみが出そう!〉


 さらにフォレストドラゴンが背中にある翼のような器官を羽ばたかせると、それが一斉に雫と彼女が使役するグリフォンに襲い掛かった。


「ちょっ!? これはっ……」


 花粉には吸った者を一時的な麻痺状態にする効果があったらしい。

 咄嗟に鼻と口を布で覆った雫は僅かに吸い込むだけで済んだものの、グリフォンの方はそうはいかなかった。


 意識を失い、雫を乗せたまま墜落していく。


〈やばい!〉

〈雫ちゃん!?〉

〈髭もじゃはともかく、若い女の子が死ぬとこなんて見たくないよ!〉


 しかし地面に叩きつけられそうになった彼女を、すんでのところでキャッチした者がいた。


「がははははっ! お嬢さん、大丈夫であるか?」


〈え?〉

〈あ?〉

〈マジ?〉

〈権蔵だ!〉

〈生きとったんかワレ!〉

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