第9話 虎の巻に書かれていたこと

 遡ること少し前……。


「あの……少しだけお時間よろしいでしょうかっ?」

 勇気を持ってそう口にしたのは、エリシア・ラングル。学園では、中等部生でありながら高嶺の花ベストスリーに入るであろうである。


「何か御用?」

 軽く微笑むその顔を見ただけで、気を失ってしまいそうな美貌。エリシアは飛んでいきそうな意識を手放すことなくガッチリ掴み、イリオンに告げた。

「どうしてもイリオン様にお話しておきたいことがございますっ!」

 見目麗しきその姿に圧倒されながら、それでも足を踏ん張り、エリシアは続けた。


「ミシェルのことなのですけれど、」

 キラッ、とイリオンの目の色が変わる。

「ミシェルがどうかしたのっ?」

(ほら、食いついてきましたわ!)

 してやったり、なエリシア。


「あの、ワタクシもこんなことは言いたくないのですが、最近のミシェルはなんだかその……人気のない場所でコソコソと殿方と密会しておりまして、今日も……、」

「なにっ?」

 聞き捨てならない一言である。


「イリオン様が、その、ミシェルに興味をお持ちなのは存じておりますが……ああいうふしだらな女性はイリオン様にふさわしくないのではないかと」

 イリオンはショックを受けているようだ。しかし、それでいい。ミシェルになど幻滅して、とっとと悪い夢から覚めてほしいのだ。もっとお似合いの人物がいるではありませんか! と言って胸に飛び込んでしまいたい衝動に駆られながら、エリシアは必死に訴えかける。


「たまたま聞いてしまったのですわ。あの編入生とわざわざ旧校舎の方に行って密会する約束をしておりましたのよっ。人気のない旧校舎で会おうなどと、一体なにをする気なのでしょうねぇ? 紳士淑女がとる行動ではありませんわっ」

 少し大袈裟なくらい、芝居じみた言い方でそう告げる。イリオンはその美しい顔に翳を落としながら、なにかを考えている。

(ああ、悩ましい顔のイリオン様も最高に素敵ですわっ……)

 ほぅ、と溜息をつきながら見入ってしまうエリシアである。


「エリシア嬢」

 名を呼ばれ、心臓発作を起こすかと思ったエリシアである。

「ふぁい!」

 噛んでしまう。

「よく知らせてくれたね。ありがとう」

 礼を述べられ、エリシアは満面の笑みで、

「どんでもございませんわっ。ワタクシはイリオン様が悲しむ姿など見たくありませんものっ。もう、これを機にミシェルのことはすっぱりさっぱり諦めて、」

「ミシェル嬢は……、」

 話途中で割り込まれ、とりあえず黙る。


「はい?」

「ミシェルは可愛いから……」

「は?」

「見染められてしまったんだな」

 この上なく真剣な眼差しで、イリオンが呟いた。

「はぃ?」

 エリシアが眉を顰めた。


「ミシェルは可愛らしいだけでなく、言いたいことをハッキリと言う強さを持った素晴らしい子だ。そのことに……気付きはじめたんだ」

 今にも膝から崩れ落ちそうな勢いで、イリオンがそう言った。


「え? せか……い?」

「もしや、あの編入生はミシェルの魅力が世間に知れ渡り始めたことに焦りを感じてわざわざ編入を……? 一体いつからミシェルを狙っていたんだ! まさか、ずっと幼いころから……? 俺の知らない小さなころのミシェルを知っているのかっ? ああ、ミシェルの幼少期、考えただけでもうっとりだ」

 目を閉じ、腕を伸ばす。

「え? あの、はぃ?」


 エリシアは困惑気味だ。しかし、一部始終を黙って傍で聞いていたサーディスは、小さく息を吐き出すと、落ち着いた様子で言った。

「また始まったよ、ハリボテの太陽神め」

 ミシェルが絡むと途端にこれだ。いつもの聡明で美しい、女生徒の憧れの的であるイリオンはどこに消えるのか、不思議なほどだった。


「俺のフォンダンショコラちゃんが狙われている! あんなに可愛くていい子なんだから、そうなる可能性を充分危惧するべきだったのに、どうして俺は今まで気付けなかったのだっ。このままでは俺のチョコムースちゃんが危ない! そうと決まれば旧校舎に行かなくては!!」

 そう言うや否や、急に駆け出す。


「やっぱ行くんだ……」

 面倒臭そうに呟き、サーディスがその後を追った。


「ちょ、待ってくださいませ、一体どういう……イリオン様ぁ?」

 そんなわけで、エリシアも続くしかなかったのである。


*****


「あった、これだわっ」

 資料室に入ると、禁断の書は元のまま、祠の中に置かれていた。そっと触れる。特に熱くなったり冷たくなったりはしていないようだ。


 早速手に取り、中を開く。


「……ん~?」

 予想はしていたが、中に書かれている文字は読めない。古いバルジニア語なのだ。

「ねぇ、オルドならこれ読めるんじゃない?」

「へ?」

「だって、オルドが生きてた時代の文字でしょ? ね、読んで!」

 いつだって他力本願がいい。

「まったく、貸してみろっ」


 ミシェルから本を受け取ると、床に座り込み目を通す。そこに書かれているのは妖魔の扱い方。この書を開き、妖魔の花嫁となってしまった者へ向けた指南書のような本である。いかに妖魔が便利であるか、しかし妖魔の力を悪用しようとすれば危険が伴うこと、手に負えなくなった際の対処方法まで書かれている。


「うわ……これやべぇな」

 相手次第では家畜のように飼い慣らされる可能性すらあったという事実に、軽く震える。

「なに? ヤバいって、何が?」

 本を覗き込んでくるミシェルにドキリと心臓が鳴る。

「ちょ、待てよ。まだ読んでるっ」

 ぺらぺらとページをめくると、契約解消……つまり、縁の切り方もきちんと載ってはいた。しかし……、


「あ、」

「なにっ?」

「……ミシェルと縁切ったら、俺、死ぬみたいだ」

「ええっ?」

 二人の間に、沈黙が流れる。

 本には、禁断の書に捕らわれた妖魔は人間との共存を強制的に義務付けられており、そのため人間との生存共同契約が不可避だといったことが書かれていた。要するに、人間と対でないと生きられない仕組みになっているようなのだ。


「……他には何か書いてないのっ?」

 ミシェルが訊ねる。オルドはページをめくり、

「あ、これは?」

 とあるページで目を止める。

「なにっ?」

「人間になる方法がある」


 妖魔が人間になる。それは力も失い、寿命も格段に短くなるということだ。

 しかし、今や妖魔という存在自体、消えてしまっている世の中。妖魔としてこの世に存在することに、意味などあるのだろうかとも、思ってしまう。だったらいっそ人間になって人間として生きていくのは悪いことではないように思えた。


「オルド、人間になれるのっ? どうやって?」

「えっと……、人間と真実の愛を交わしたその時は、妖魔は人として生まれ変わる……だって」

「真実の……愛?」

 ミシェルの得意分野である。ハッキリ言って、萌える! 妖魔であるオルドが愛を知り人間に! なんと素晴らしいシチュエーションであるか!


「オルド!」

 がし、とオルドの肩を掴む。

「あんた、恋をして愛を知りなさい! そしてその誰かと結ばれて人間になるの!」

 目を輝かせ、言うも、


「恋ならもうミシェルにしてる。ってことで、あとはミシェルと愛を交わせば人間になれるんだけど?」

 と返される。


「……ああああああ、そうじゃないんだぁぁぁ!」

 ミシェルがオーバーリアクションで答える。

 どうもうまくいかない。

 と、その時、急に脳内に流れ込んでくる声。


『くそぅ、なんで俺のスィートキャンディーちゃんが編入生とっ! こんな人気のないところに本当にいるのかっ? 俺だってまだ直に触れ合ったことはないというのに二人で一体何をっ! まさか手なんか繋いでないだろうなっ? 俺だってマイスィーティーと手を繋ぎたい! 可能であればそこからあんなことやこんなことを経て月下のダンスを申し込んで腰に手を当ててダンスが終わった時に目を見て愛を伝えキスをしたいのに!』


 何故か近くに来ているらしきイリオンから駄々洩れてくる声を拾う。

 心の声が聞こえるようになっているという事実と、イリオンの思想のヤバさを知り、肩を落とすミシェルであった。


 

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