第5話 片思い

 どっちがミシェルをより好きか合戦を繰り広げ始めたイリオンとオルドを置き去りに、食堂を抜け出したミシェル。クラスメイトのヒルダはメガネをクイッと上げて首を三十度傾けた。口を開きかけた瞬間、


「で、あの銀髪ちゃんはどういうお知り合いなのかしらっ?」


「……ん?」

 中庭のベンチに並んで座っているのに、声が後ろから聞こえてきたのだ。

 ザザッと音がして、生垣からガサッと顔を出したのはエリシアである。


「ワタクシもお話を伺いたいのっ。あなた一体どんな手を使っておりますのっ? イリオン様だけでなく、あのような銀髪男子までたぶらかしてっ。殿方にしかわからない匂いでも発しておりますのかしらっ?」

 完全に虫扱いだ。


「匂いなんか出してないわよっ。あの銀髪……オルドは、えっと、まぁ、ちょっと困ってたところを助けてあげたら懐かれちゃったっていうか……」

 さすがに『禁断の書から出てきた妖魔の末裔です』とは言えない。

「はぁ? ちょっと助けただけであんな求愛、あるわけないじゃありませんかっ」

「それは私に言われても……」

 望んだわけではないのだから。


「でもさ、イリオン様といいオルド君といい、ミシェルのどこが良くて言い寄ってくるんだろうねぇ?」

 ヒルダが辛辣な一言を放つ。

「本当ですわっ。お家柄も頭脳も見た目も特にどうということのないのにっ」

 エリシアが追随する。さすがにちょっと傷付く。


「だけど面白くなってきたわね。金と銀との闘い……ふふふ」

 ヒルダが笑うと、エリシアは、

「ふんっ、ワタクシは認めませんわ! あなたみたいなイモ女が、見目麗しい殿方たちを侍らせるだなど! いつか目に物見せて差し上げますわっ」

 捨て台詞を吐き、去って行った。


「あ~あ、また怒らせちゃったねぇ。結局、昨日の呼び出しも彼女だったんでしょ?」

 ヒルダに言われ、頷く。

「そうみたい」

「だから行かなくていいって言ったのに」

「だって……だって万が一本物だったら? レイドリック様が私を呼び出してくれているかもしれないっていう状況を無視できると思うっ? そんなシチュ逃せないわよ!」

 力説すると、ヒルダは手足を伸ばし、

「ミシェルがレイドリックに熱を上げてるっていうのもよくわかんないのよねぇ。なんで、レイ? そりゃ、悪いやつじゃないんだろうな、ってはわかるんだけど、特に目立つ要素もないのに……」

 いい人止まりで終わりそうなレイドリックを、思えばミシェルは最初から推していた。


 ──レグラント校に入学したその日、初めて屋敷を離れて寮生活となることに不安だらけだったミシェル。学園には各国から集められた令嬢、令息が集められる。名家の生まれというわけでもない自分。学業も高いものを求められると聞いており、勉強も得意でなかったミシェルはすべてにおいて憂鬱だったのだ。


「もしかして、緊張してる?」

「えっ?」

 入学式。俯いていたミシェルに、最初に話しかけてくれたのがレイドリックだった。少し垂れ目の優しい瞳がミシェルを包み込む。

「学園生活は楽しんでナンボだ、って兄が言ってた。あまり身構えなくてもいいと思うよ」

「あの、えと、ありがとう……」

 誰に馬鹿にされてもいい。この瞬間、ミシェルはスコーンと恋に落ちたのだ。


 そもそも同世代の異性と話すことすらなかったミシェルは、異性から話し掛けられたのも初めてだった。

「あの、あなたはっ」

「ああ、失礼。僕はレイドリック・ザムエ。君は?」

「私は、ミシェル・メリル……」

「ミシェルか。これからよろしくね」

「……はい!」


 今にして思えば、単にレイドリックは隣に座った新入生が緊張した面持ちで俯いていたのを可哀そうに思い、声を掛けただけだろう。レイドリックはいつも優しい。誰にでも、だ。別に相手がミシェルじゃなくても、同じように声を掛けたに違いない。いや、だからこそ、そんなレイドリックの優しさを魅力的に感じたのだと、今ならわかる。


 あれから二年。


 ミシェルはずっと、レイドリックの姿を追い続けた。友人思いで、明るくて、スポーツは苦手。けれどいつでも一生懸命で……、

「レイドリック様は私にとって神も同然!」

 若干、行き過ぎるほどにレイドリックへの恋心を募らせているのである。


「……まぁ、ミシェルがレイを好きなのはいいとして、イリオン様はなんでミシェルを好きなんだっけ?」

 ヒルダの疑問は尤もだった。

 イリオンは学年も違うし接点などない。何故イリオンが自分に好意を抱くようになったのか、思い当たる節もなかった。


*****


「あれは忘れもしない、六月むつきと十四日前のこと……」


 食堂ではまだ、オルドとイリオンの口論が続いていた。隣でサーディスがテーブルに突っ伏している。いい加減面倒になったのだ。

 意気揚々と話をしているのはイリオン・フレスト。


「俺はその日、授業終わりに図書室に行った。ちょっとした調べ物があったからだ。相変わらず俺の周りは女生徒が溢れ、独りになりたくともそうはさせてもらえない。モテる男の性であるためそれは致し方ないのだが、俺は漠然と考えていた。真実の愛とは、一体何なのだろう、と」


 ギャラリーが一斉に歓声を上げる。


「俺は沢山の女性に囲まれ、誰よりも愛され生きてきた。だが己自身の中にある愛というものにはまだ触れたことがなかった。しかしその日、俺は知ってしまったのだ! 自らの内に眠る、愛というものを!」


「イリオン様~!」

「その愛、私にちょうだぁい!」

 おかしな合いの手が入るが、気にしない。


「黄色い声と常に共にある俺に向かって、毅然とした態度で『図書室で騒がないでください』と告げた少女。まるで俺自身には何の興味もないと言わんばかりの眼差し。少し怒ったように眉を寄せ、低く、小さな声で俺の前に立ちはだかった少女。それこそが、ミシェル・メリル……チョコレートババロアちゃんその人だっ」

 拳を突き上げるイリオンの隣で、机に突っ伏したサーディスが

「あの日ミシェル嬢は図書委員の当番だったからな。お前らが煩くて注意したんだろ」

 と呟くが、どうせ聞いていないだろう。


「この俺に向かって、じっと目を見て、図書室で騒いではならないと正論をぶつけてきた少女! 今まで俺の周りにそんな女性はいたか? いや、いなかった!」

 力一杯、叫ぶ。それを聞きながら、半ば脱力しつつもサーディスは『それは、確かになぁ』と思うのである。


 この見た目からか、とにかくイリオンは女性から色目を使われるのが当たり前であり、世界中の女性は皆イリオンが好きかもしれないとすら思えるほど、モテていた。恋愛感情でないにせよ、この顔で見つめられて目を逸らさずにいられる女性は少ないだろう。好意とは別に、美しい見た目というのはそれだけで人を惹きつけ、同時に直視できない恥ずかしさを醸し出すものだ。

 だがミシェルはイリオンの顔を見ても全く、何も感じないようなのだ。それがイリオンには新鮮であった……というか、衝撃だったらしい。


「彼女の凛とした佇まい! 俺を見ても動じないどころかなんとも思っていないかのような視線! 見た目の可愛らしさとそれらの要素が複雑に絡み合い甘い甘い果実のように俺を誘惑する!」

「お前の感覚がよくわからん……」

 サーディスが逐一突っ込みを入れる。


「フン、お前のそれは、ただの片思いということのようだな」

 大人しく聞いていたオルドが今度は自分の番とばかり、一歩前に出る。

「俺はお前とは違う。ミシェルと俺は、を結んでいるからな!」

「なにっ? 契約……だと?」

「ああそうだ。俺とミシェルは切っても切れないえにしでガッツリと結ばれている。一生を共に……という契約をな!」


 勝った、とばかりに宣言するオルドの言葉に、ギャラリーが『わぁぁ!』と沸いたのである。

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