第6話 回る回るよみんなで回る

 ミシェルは学園中の注目を集めていた。食堂での騒ぎが尾鰭付きで校内を飛び交っている。ミシェルとオルドは何代も前から決まっていた許嫁同士である、だの、血の契りを結んだ婚約者であるだの、微妙な噂で持ち切りだった。


 イリオンの告白も話題ではあったが、そっちは信憑性に欠ける、と勝手に切り捨てられているようなのだ。『イリオン様の冗談は面白いですわ』と取り巻きがもみ消しているらしい。


「本当のところ、オルド様とはどのようなご関係ですの?」

「やはり婚約者なのですか?」

 授業前の休み時間、クラスの数人に好奇心いっぱいの眼差しで聞かれる。

「赤の他人だし婚約もしてません」

 と答えるも、

「でも、本人がそう言っているのですよ?」

「ねぇ?」


 見れば、オルドが複数の男子に囲まれ、自慢げに話す声が聞こえてくる。

「ってなわけでミシェルは俺の婚約者だから絶対に手を出すなよ!」

「いや、そう言われてもなぁ」

「ミシェル・メリルだろ?」

「……なぁ?」

 元より眼中にありませんが? 的な失礼極まりない台詞が聞こえてくる。


 ミシェルはズンズンとオルドに歩み寄ると、オルドの耳を掴み引っ張る。

「あのさぁ、変なこと言い触れ回るのやめていただけるかしら?」

 オルドの耳に向かって言い放つ。

「ミシェル!」

 声を掛けられたオルドは耳を掴まれているにもかかわらず、話し掛けられ、単純に嬉しそうである。尻尾があったら振っているだろう。


「あのね、何度も言うけど、私はあなたと婚約なんかしてないし、許嫁でもないし、変な噂が独り歩きして困るんだけど?」

「なに言ってるんだよ。俺たちはもう、切っても切れないえにしで繋がってるってことはわかってるんだろ?」

「わかるわけないでしょそんなこと! 大体、そんなえにしどこにもないし、」

「あるって、ほら!」

 パッと手を出しミシェルに見せる。オルドの左手薬指に、うっすらと光る輪のようなものが浮かぶ。

「ミシェルにもあるぜ?」

「はぁ?」

 言われ、左手を見る。

「……う、そ」

 ミシェルの左手薬指にも、うっすら光る輪が見えるのだ。


「な?」

「な? じゃないわ! なによこれ!」

「だから言ったろ? あの禁断の書にはそういう仕掛けがなされてて、俺を開放したお前は俺と一生を添い遂げる運命なんだって!」

 サーッと血の気が引く。

 オルドが口から出まかせを言っているのだとばかり思っていたのに、どうやら彼が言っているのはまんざら嘘ではないのかもしれないと、今更ながらに感じ始める。


「……これは、ヤバい」

 ぼそっと呟き、踵を返す。

「おい、ミシェル、どこにっ?」

「……トイレ」

 そう言って、駆け出す。


 行き先はもちろん、トイレではない。

「どうしようどうしようどうしよう~!」

 走った先は、図書室だ。もちろん、禁断の書に関する文献を調べるためである。オルドを再び封印するための方法を探さなくてはならない。

「禁断の書、禁断の書、禁断の、」

 棚ばかり見ていたせいでそこにいた人に気付かず、肩で思いっ切りぶつかりに行ってしまう。


「きゃっ、」

「いてっ」

 勢いよく突撃したせいで、相手はよろけて尻餅を突いた。

「やだ、ごめんなさいっ!」

 駆け寄ると、

「レ、れれレイドリックしゃまっ」

 噛んだ。

「ああ、ミシェルか。どうしたの? そんなに慌てて。もうすぐ午後の授業始まるよ?」

 立ち上がりながら微笑む。


 ミシェルの心臓の動きがスピードを上げる。そのまま頭から煙が出そうなほどだ。

「あにょっ、私、午後の授業はおやしゅみしまし!」

 まともに話せていない。

 しかし、そんなミシェルを気にもせず、

「具合でも悪い? 一緒に保健室、行こうか?」

 と、レイドリックはミシェルの顔を覗き込む。優しい! 優しすぎる! 好き!

「いえっ、そんな、レイドリック様にそのようなお手間を取らせるわけにはまいりませんのでっ」

 手をブンブンと振りながら、お断りをする。一緒に保健室、など、考えただけで鼻血が出そうだった。


「そう? 大丈夫ならいいけど……」

「れ、れれレイドリック様は、なにか調べものですかっ?」

 これはチャンスだ! 今日は見ているだけではなく会話まで出来ている! なんてラッキーな日か! 何とか話題を見つけて、この幸せな時間を引き伸ばしたかった。

「あ、うん、調べものというか……、」


 一瞬、レイドリックの目が右に動いたのをミシェルは見逃さなかった。彼の視線が追いかけているものを、ミシェルは知っている。さっきまで高鳴っていた心臓が、今度は止まりそうになる。


 ラスティ・コルバート。コルバート子爵家二女。今年入ってきたばかりの中等部一年生で、亜麻色の巻き毛にハニーブラウンの瞳。背も小さく顔も小さく、まるで妖精のような女の子。一年の間ではかなり話題になっている可愛いと評判の令嬢だ。


 新入生が入ってきてしばらくした頃、ミシェルは異変に気付いた。移動教室で廊下を歩いている時、レイドリックはよく立ち止まる。それは決まって、一年生の教室が見える渡り廊下。視線の先にいるのはいつも、亜麻色の巻き毛。小さくて可愛い、ラスティ。

 その目の優しさを、その唇の笑みを、ミシェルは理解した。


(……ああ、やっぱりそういうこと、か)

 最近休み時間に教室からいなくなっていたわけは、彼女だったのだ。


『可愛いよな……』

 レイドリックの声が聞こえた気がした。


「ところでミシェル」

「はい?」

「あの編入生……オルドだけど、」

 そう言えば、エリシアの一言に賛成してお世話係を免れた結果、面倒を押し付けられることになったのはレイドリックなのだ。

「あ、オルドがなにか? ご迷惑をおかけしてますかっ?」

 慌てて身を乗り出すが、レイドリックは笑って首を振る。

「迷惑なんてかけられてないよ。オルドは、すごくいい奴だな、って言おうとしたんだ」

「……は? あいつが……いい奴??」

 耳を疑う。

 どこをどう取ったらあの煩い自己中野郎がいい奴になるのか?


「話は面白いし、博学だし、気持ちはまっすぐだし」

 物は言いようだ。

 口数は多いし、無駄に長生きしてるし、しつこいし、の間違いだろうと喉まで出かかったミシェルである。


「ミシェルは彼のこと、嫌いなの?」

 レイドリックにそう聞かれ、返答に困る。嫌い? いや、別に嫌いなわけではないと思う。ただ、好きじゃないだけ。自分が好きなのは、オルドじゃない。

 二年も片思いをしているのに、ミシェルはまだレイドリックに気持ちを伝えてはいなかった。告白どころか、普段は遠くからその姿を眺めるばかりで、こうして会話することすら、ほとんどできていないのだ。

「嫌いなわけじゃ……ないですけど、」

 当たり障りなく、そう答える。

「そっか。ならよかった。じゃ、そろそろ行くね」

 そう言うと、ひらひらと手を振り教室へと戻っていく。その後姿をじっと見送る。すると今度は後ろから声が聞こえてきた。


「あ、ほらあそこっ!」

 ラスティとその連れ数人が窓から外を見ている。その中の一人がラスティの肩に手を置き、言った。

「あ、今こっち見たかも! きっとラスティのこと見たのよ!」

「まさか! でも、そうだったらいいのになぁ~」

 外を歩いている誰かの話をしているようだ。一体誰を? と気になって、別の窓へ近寄り外へ目を遣る。そこにいたのは、


「あ、」

 瞬間、目が合ってしまった。慌てて顔を引っ込める。が、

「きゃ~!」

「こっち見て手を振ったわ!」

「イリオン様ぁぁ!」

 ラスティとその御一行は、黄色い声を上げながら外に向け、一生懸命手を振っていた。


「……そっかぁ。私はレイドリック様が好きで、レイドリック様はラスティが好きで、ラスティはイリオン様が好きで、イリオン様は……私が好き? は? なにそれ!」

 オルドは入れてもらえなかったようだ。


「ビックリするほど循環しちゃってるわ」


 ガックリと肩を落とす。その時、予鈴が鳴った。ラスティとゆかいな仲間たちは図書室からいなくなった。ミシェルはふぅ、と息を吐き出すと、禁断の書に関する本を再び探し始めたのである。

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