第2話 妖魔の末裔

 オルドは妖魔の末裔なのだ。


 かつて、人間たちはオルドを恐れ、この書に閉じ込め封印を施し、祠に祭った。

 禁断の書には呪いがかけられ、万が一誰かの手によって開封されたとしても、妖魔はその相手を好きになるよう術が掛けられている。昔のような悪さが出来ないようにするための苦肉の策だ。

 開封した者がよほど邪悪な心を持っていたりしない限りは、安全だということになる。そもそも『禁断の』と名が付くとおり、人の手に触れない場所に隔離し、管理されていた。されていた、はずだった……。


 あれから時が経ち、時間の経過とともに古の恐怖は人々から忘れ去られてゆく。人の立ち寄らぬ場所に置いて『立ち入り禁止区域』としてはあるが、近寄ろうと思えば誰でも近寄れる場所になってしまっていたのである。


「好きな人がいるって……どういうことだっ」

 オルドが動揺を隠しきれぬまま訊ねる。

「どういうもこういうも、私は今、絶賛片思い中なの。相手はね……ふふ、すごくね、ああ、なんて言ったらいいのかなぁ、すごく……うひひひ」

 おかしな笑い方でもじもじし始める。


 オルドは悶々とする謎の感情に支配されながら、怒りを露わにした。

「俺の花嫁のくせになんで他の男が好きなんだよ! そんなのおかしいだろっ?」

 ちょっと涙が出そうになった。


「ねぇ、その花嫁ってやつだけど」

 ミシェルが腰に手を当て、オルドを睨みつけた。

「あなたは私を好きでもなんでもないのになんで私を花嫁だとか言うわけ? 私だってあなたのこと好きでもなんでもないんだから、このまま他人でいればいいじゃない」

 あまりにもハッキリと『好きじゃない』と言われ、多大なるショックを受ける。


「な……、なんでそんなひどいことをそこまでハッキリ……。お前は妖魔より冷酷なのかっ!」

「いやいやいや、私はただの恋する乙女なんで。変なこと言わないで」

 きっちり訂正させてもらう。

「説明したとおり、私には好きな人がいるの。だからあなたと結婚なんてしないし、そもそもあなた、人外でしょ? 異種婚もないわ~。私にはあのお方だけ! ああ、レイ様ぁぁ!」

 大袈裟に両腕を広げポーズをとるミシェルを泣きそうな顔で見つめるオルド。


「この姿か? この見た目がダメなのかっ?」

 人型になったとて妖魔は妖魔だ。人間からしたら恐ろしいものにしか見えないのだろう。(怖がっている様子は微塵もないのだが)だったら姿を変えればいいのでは、と閃いたオルドが、ブツブツと呪文を唱え始める。


 バフッ、という音と煙。


「うわっ、なに?」

 驚いたミシェルが手で煙を払うと、そこにはさっきとは違う姿のオルドが立っていた。肩で切り揃えられた銀色の髪にエメラルドの瞳。見目麗しきその姿。


「どうだ! これなら俺の花嫁に、」

「ならないってば」

 なびかなかった。

「うがぁぁ! なんでだよっ!」

「……えっと、オルド?」

 名を呼ばれ、またしても胸がきゅんと鳴る。

「ひゃぃ」

 変な声が出た。

「あなた、恋ってものがどういうものか、まだ知らないでしょ?」

「……は?」

「多少見た目がどうこうなったくらいで、私の気持ちは変わらないのよ。いいこと、本当の恋っていうのはねぇ、」


 ミシェルが恋について語り出す。こうなると、長い。ミシェルは恋に熱心な分、常日頃から恋とは何ぞ? のような問答を自分の中で繰り返しているのだ。日記代わりにつけている『私の恋の全問答』という名のノートは、既に五冊目に突入しているほどである。


「……ってことだから、安易に恋だなんて口にするのはご法度でもあるのよね」

 ふぅ、と息を吐き出す。やっと落ち着いたのか。黙って話を聞いていたオルドは、内心ゲッソリだった。


「ねぇ、いい加減私、外に出たいんだけど」

 ミシェルがそう口にする。


 ここはレグラント校旧館中庭奥にある古い資料室の中の立ち入り禁止区域指定されている開かずの間の中だ。開かずの間なのになんで開くんだ! とミシェルは心の中で叫んだが、開けたら普通に開いてしまったのだから仕方ない。それなのに、中に入った途端、閉まった。そして今度は開かないときたもんだ。そんな理不尽、あっていいのか!?


「なんで開かずの間が開いて、入ったら閉まって開かなくなるわけ? 大体、こんなところに呼び出されてホイホイやってきてしまった私もどうなのよ! ほんと、馬鹿……」

 ポケットの中のメモを取り出し、丸めて投げ捨てる。

 それは愛しのレイドリックからの手紙だった。もちろん、今は偽物だとわかっている。が、その手紙を手にしたときは、ついその気になって信じてしまったのだ。


『旧館にある資料室の片付けを頼まれてしまった。よかったら手伝ってくれないか?』


 レイドリックは親切で、先生たちからの頼まれごとも多い。だからなんとなく、信じてしまった。それに、手伝ってほしい、と頼られたことも嬉しかった。


「出たいって? ドア開けて出ればいいだろうに?」

 オルドがあったり前みたいなことをあったり前の口調で言った。

「だから、開かないんだって!」

 ミシェルがドアノブに手を掛け、引っ張る。頑丈な鉄の扉はビクともしない。きっと何かの術が掛けられ、閉じ込められたに違いなかった。


「――それ、押すんだぜ?」

 オルドがサラッと言い放つ。

「……へ?」

 ドアノブに手を掛け、押した。


 ギィィ


 いともたやすく、開いた。


「なんじゃそりゃぁぁ!」

 変顔でそう叫ぶミシェルを見、またしてもオルドの胸は高鳴った。


「ばっかみたい! こんなとこで時間無駄にして、余計なもんまで解放しちゃって! ねぇ、禁断の書とやらに戻ってくれない?」

 今更だが、このことが学校側にバレるとマズいのではないかと思えてきたのだ。

「はぁ? そんなの無理に決まってるだろっ」

「えええ、じゃ、妖魔を開放したってバレないためにはどうすれば……あ!」

 ポン、と手を叩く。

「オルドって怪しい術とかも使えるんだよねっ? 腐っても妖魔の末裔だもんね?」

「腐ってねぇ!」

「ああ、ごめん言葉の綾よ。ねぇ、うまいことこの学校の生徒に化けることってできる?」

「はぁ?」

「私と一緒に、学園生活を送るの! どう?」

「学園生活……、」

 学び舎で過ごす、学び舎で育む、愛の時間……なんて甘美な囁きであろうか。


「出来る! 完璧に!」

 二つ返事とはこのことか。


「じゃ、それでいきましょ! あ、でも私の恋路は邪魔しないでね」

 パン、と肩を叩き、にまっと笑った。

「グフッ」

 にまっと笑ったその素朴な笑顔に、ガッツリやられてしまうオルドである。


「あ、やだもうこんな時間! 早く宿舎に戻らないと叱られちゃうわっ」

 気付けば外は夕日で赤く染まっている。全寮制であるレグラントは由緒正しき貴族たちの学園だ。門限までに戻らなければペナルティが待っているのだ。

「うん? 困っているのか?」

 オルドが問う。

 夕日に照らされたオルドの姿は、惚れ惚れするほど美しいものだった。普通の人間であればイチコロだろうその美貌。しかしミシェルは揺るがない。顔色一つ、表情をピクリとも動かさず、

「困ってる。ここから宿舎まで走っても日没までに間に合わないもん」

「そうか。ならば」

 オルドはミシェルをひょい、と抱き上げると、そのまま地面を蹴った。

 ぴょ~ん、と空を駆ける。


「うわぁぁぁ! すごいすごい! オルドったらこんなこともできるんだ、すご~い!」

 無邪気に。ただ無邪気に思ったことを口にしただけである。が、オルドは口の端をだらしなく歪ませて、

「んふ、だろ? 惚れ直したか?」

「惚れてもないのに惚れ直さないわよ」


 サクッと玉砕なのであった。

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