20

 『警察に、遺体はあります。帰って来るのに数日かかるようです。』

 姉の夫は、そんなようなことを言った。多分。おそらく。俺は動転していて、スマホから流れてくるその声を、上手く聞き取ることができなかった。

 「なんで、そんな、姉は、」

 切れ切れの言葉だけが無意味に口からこぼれ出た。

 『祐樹くんの方が、妻に関しては詳しいでしょう。』

 姉の夫はそう言った。嫌味な口調でもなく、静かに。

 『遺書はありませんでしたが、状況から見て自殺でまず間違いないそうです。』

 遺書は、ない。姉はまた俺を裏切った上に、今度は一言の言葉も残さず去って行ったというのか。とうとう、取り返しのつかないところまで。

 俺は、電話を切った。これ以上、姉の夫の声を聞いているのが苦痛だった。一度目に俺を裏切ったとき、姉は確かに、この男との生活を選んだのだ。

 電話はすぐ、一度だけ鳴った。俺が答えずにじっとしていると、呼び出し音は途切れた。そしてそれから二度目を鳴らすことはなかった。

 祐樹くんの方が、妻に関しては詳しいでしょう。

 そうとも言い切れなかった。確かに姉とは子どもの頃からずっと一緒に生きてきた。ただの姉弟が知る以上のことをお互いに知ってもいた。それなのに、俺は姉のことを知っているとは思えない。今回の決定的なそれを含めて二度も裏切られたし、なにも知らないうちに姉は、暗い所まで歩いて行ってしまった。俺を置いて、ひとりで。

 しばらく、暗闇の中で膝を抱えていた。子どもの頃に戻ったみたいだと思った。あの頃と違うのは、こうやって待っていても、仕事を終えた姉が帰ってくることはないということだけで。

 姉は、帰ってこない。もう、二度と。二度目の裏切りは、取り返しがつかない。一度目のそれみたいに、なにもなかったみたいな顔をして姉弟ごっこに努めたりもできない。

 俺は、よろよろと立ちあがるとアパートを出た。このままだと、俺も姉の後を追いそうだった。どうして後を追ってはいけないのかも、よく分からなくて。だって、俺たち姉弟にはもう生き残っている親族はいない。みんな、みんなあの世行きだ。あの世の入り口で顔を合わせて、家族の再会でもした方が健全なのかもしれない。

 外は、暑かった。湿気が体に絡みつく熱帯夜だ。呼吸まで苦しくなるような。

 俺は駅までの道のりを、足を引きずりながら歩いた。なんで自分が歩いているのかも、どこに向かって歩いているのかもよく分からなかった。ただ、あの部屋の中にいてはいけないと、そう思っただけだ。

 

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