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思い出したくなんてないのに、勝手に記憶が手繰り寄せられ、目の前に展開していく。
母親が死んだ夏、姉が高校を辞めて夜の店に働きに行く初日の夕方、俺は姉を抱いた。今でも、なにかの冗談ではないかと思うときもあるのだが、俺の手にはあまりにも生々しく姉の感触が残されている。姉の肌の表面だけじゃなくて、身体の内側まで触れた俺の手は、まだ大分小さく薄かった。
どうする? と、あの夏の夕暮れ、姉は歌うように囁いた。半分笑っているような口元をしていた。口紅を塗って、白粉をはたき、白いワンピースに身を包んでいた姉。あの姿は、正直にうつくしかった。素顔で高校の制服など来ていた姉とは比べ物にならないくらい。
どうする?
姉の柔らかな声は、こうやって姉の家に泊まれば必ず記憶の中に甦る。そして、時には夢の中でも。女を抱くときにも必ず脳裏にくっきりと浮かび上がるので、俺はそれにあらがうみたいに女を大勢抱いた後、全く女を抱かなくなった。あの頃、がむしゃらに抱いた女の顔は、もうよく覚えていない。顔も、身体も、声も。どれも、姉の顔が、身体が、声が、二重写しに重なって浮かんで。
どうする? と囁きながら姉は、部屋の入り口で棒立ちになっていた俺に手を伸べた。まっすぐに伸ばしたら、それだけで自重で折れてしまいそうな細い腕だった。俺は、震えた。なにを求められているのかは、本能みたいに分かっていたけれど、その方法までは分かっていなかった。性交について、俺はまだなにも知らない子供だった。
開いた窓から風が吹いて、姉の長い黒髪が踊った。人工的な、花の香りがした。姉は、向きあっていた鏡台を軽く覗き込み、髪を直した。そして、俺に手を伸べ直した。
どうする? どうする? どうする?
姉の声が耳の中で反響した。どうするもこうするもない。俺はもうなにも失いたくはなかった。手の中に残ったものは少なすぎたし、その中で一番大きなものは、当然姉だった。そしてその日の俺にとって、姉は、簡単に手の中から転げ落ちて行ってしまうものに見えた。あまりにうつくしくなりすぎたので。
俺は、強張って動かしずらい両脚を引きずるみたいに姉に歩み寄り、その手を握った。姉は、笑った。これまで見たことのない表情で。幼かった俺には分からなかったけれど、それは、色気に満ちた表情だったのだと思う。まだ未発達だった性感が煽られて、俺は焦ったし、困惑した。実の姉に持っていいような感覚ではないと、そのことは分かっていた。禁忌の意識は、確かにそこにあったのだ。
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