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いつもよりずっと早い時間に、姉に布団に入れられる。早く寝なさい、と、姉は母親みたいな口をきく。
姉がリビングを出ていく。寝室の扉が開き、閉まる音がする。そこで姉の生活音は途切れる。
俺は、なにを望まれているのだろうか。多分、忠実な弟としてここでおとなしく眠ることを、全て姉に従い暮らすことを、求められているのだろうと解釈しているけれど、よく、分からなくなる。
俺は、なにを望まれてるのか。俺はなにを……。
闇の中で、きつく目を閉じる。もう、二度と開けたくないと思う。強く。
瞼の裏には、母の面影がよみがえる。姉の家で眠るとき以外では、思い出すことなどない、あの白い顔。
父親が借金を重ねてどこかに消えたのが、俺が小学二年生で姉が中学二年生の夏。その後母親は、女手一つで俺たちを育てた。飲み屋で働いていて、いつもうつくしく着飾っていた。今思えば、あの店は、飲み屋と言うにはいかがわしすぎたかもしれない。母は、父親が消えるまではごく当たり前の、なんなら地味な主婦だった。それが、だんだん派手に、うつくしく変わっていった過程を、俺は今でも記憶の中でたどることができる。香水の匂いをさせるようになった。髪にパーマをかけた。胸元の開いた服を着るようになった。煙草の臭いを纏わりつかせるようになった。あの夏着ていた赤いワンピース。あの冬来ていた青いニット。あの秋の短いスカートも。
母が飛び降り自殺を遂げたときも、彼女は髪をきれいにとかし、服装も気に入ってた黒いドレス姿だった。顔は、めちゃくちゃに潰れていたけれど。
忘れない、と思う。忘れられない。どの姿も。そして今、地味な主婦になっている姉の姿は、昔の母親に重なる。何年か前まで、姉は母親が働いていた店で働き、俺を養っていた。そのことも、忘れない、と思う、忘れられない。
母親が死んだ日、姉は泣いた。俺は、泣かなかった。全然現実味がなかったからだ。高校の制服姿の姉は、泣きながら俺に喪服を着せた。親戚から借りてきたと思しきその服からは、強い防虫剤の匂いがした。
俺があのとき泣かなかったのは、なにも分かっていなかったからで、姉があのとき泣いたのは、なにもかもを分かっていたからだろう。姉は、たった一人で、10歳だった俺を背負って生きて行こうとしていた。
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