第1章 あなたの為 ( 2 )
16時半過ぎ。私は、舞台「奇神」が上演されている劇場の最寄りである、国立競技場駅まで来ていた。本当は外苑前駅の方が近いのだが、私が大江戸線ユーザーの為、こちらの方が都合が良い。
先ほど会社にいた時の、オフィスカジュアルで清楚を演出した服装とは違い、今の私は全身推しをイメージとした装いである。
作品の中で、春くん演じるゼウスのイメージカラーは「白」。理由は恐らく、原作のゼウスが白い長髪で、衣装も白をベースとした色合いだから。
なのでそれに合わせ、今日の私は服も髪もバッグも、全身全て白基調としていた。少し離れたところから見た私の印象は「なんか白い人」で、はっきり言うと浮いている。でもそれに恥ずかしさとか気まずさを感じることはなく、何でもないという感じでスマホを弄り、私はとある人を待っていた。
駅に到着して2〜3分くらい経った頃。
「あみ丸ちゃーん!」
改札を挟んで向こう側から、元気で可愛らしい声が飛んできた。その声の向いている方角から、明らかに私へ向けたものだと分かる。
「あみ丸ちゃん」という、本名とは全く別の呼び方に対して、特に違和感を感じる事もなく私は反応して振り返った。
「あみ丸」は私がSNSで使用してるニックネームなのだ。
「てみちゃん、おつー!」
「お待たせー!ごめん、待ったー?」
「ううん、私も今来たところだよ」
ピッと改札にICカードをタッチして、こちらに駆け寄ってきたのは、私の待ち人であり今日の観劇の連番相手でもある、てみちゃんという同い年くらいの女の子。SNSを通して知り合い仲良くなった友人だ。本名は知らない。
真っ白な私とはまた別で、彼女は全身から持ち物まで全て水色の装いをしていた。向かい合えば、茶髪のショートヘアに付いた水色のバレッタが目立つ。
それに目をやっていると、てみちゃんが私の髪型を指差してきゃぴっと跳ねた。
「てか、あみ丸ちゃん。髪かわいい!」
「ほんと?嬉しい!」
「うん、めっちゃゼウス様!」
「うわああ、分かってもらえたー!」
「分かるよーう」
会って早々、早速てみちゃんが私の欲しい言葉をくれて嬉しくなった。
ここへ来る前、私は美容室に寄ってきた。そこで、肩下くらいの長い黒髪を贅沢に束ねたツインテールを作って貰い、彼のイメージカラーの白リボンを丁寧に編み込んでヘアメイクしてもらったのだ。
白で華やかに彩られた私の髪から、すぐに「ゼウス」を連想してくれた事がとても嬉しかった。お返しで、私もてみちゃんが欲してるであろう言葉を言う。
「てみちゃんだって、めっちゃポセイドンの女って感じするよ!」
「きゃー、嬉しいー!」
両手で頬を覆い黄色い声を漏らす彼女は、まさに恋する女の子そのもの。多分、私も客観的に見たらこんな感じ。
水色をイメージカラーとするポセイドンは、てみちゃんの推しである。
正確に言えば、ポセイドン役の
「あみ丸ちゃん、今日はゼウスとポセイドンの女かまそ!」
キリッとした表情を浮かべるてみちゃんに、私もニヤリと乗った。
「もちろん、そのつもり!ゼウスのブロマイド枯らしたい」
「いんや、さすが過ぎる!」
「とりあえず物販行こうか!」
「うん、楽しみだねー!」
そんな冗談交じりの会話をしながら、私たちは劇場の方へ向かって並んで足を進める。あと数時間で春くんに会えるからか、胸がずっと熱くてワクワクしっぱなしだった。
駅から劇場までは歩いて約10分くらい。
到着するまで、私とてみちゃんは談笑した。テーマはもちろん、自分たちの推しについて。今日の舞台に限らず、溜まっていた自分たちの最近の推し活記録をお話しする。
「本当に春くんってこの世の人間なのかなって」
私はこの前行った、春くんとのチェキ撮影会のことを話す。
「チェキ撮る時にさ、まず最初に春くんとこれくらいの距離まで近付いたの」
歩きながら、てみちゃんと肩が触れ合うくらいまでの距離に近付いてみると「え、近過ぎ。やばいね」彼女は興奮気味な反応をした。
「んね、やばいよね」
伝わったことが分かった私は、再び身体を離して元の間合いを保つ。
「それでね、近付いた時の匂いが良すぎて」
「どんな匂い?」
「ふわっとしてて、樹木みたいな落ち着いた香り。あれ絶対ジョルジオアルマーニだわ」
男性用の香水といえばで、春くんが使用してる香水を適当に断定してみせる。
てみちゃんは「ブランドまで分かるんかい」と、明るい声でケタケタと笑ったので、私は「いや、知らんけど」と付け加える。
今度は2人でドッと笑った。
「それでさ、あみ丸ちゃんは春くんとどんなポーズでチェキ撮ったの?」
ひとしきり笑った後に、てみちゃんが聞いてくる。待ってました。
「聞いてよー、やばいの!」
私の声色は、これまでのピンク色を超えてヴィヴィッドピンクくらいになる。
「あのね、ポーズが3つの中から選べたんだけど。ひとつが普通に横並んでピース、ふたつ目が一緒にハート作るポーズ」
こんな感じと、ピースとハートを手で作って、てみちゃんに見せてやる。
「それで3つ目がね」私の声がワントーン上がった。
「なんと!春くんが後ろから抱き締めてくれるポーズだったの」
「きゃーっ!やばすぎ!」
スマートフォンケースに挟んだ春くんとのツーショットチェキを見せながら、空いた片方の手で赤くなった頬を抑える。あの時の情景を思い出して悶える私に釣られて、てみちゃんも興奮気味に両頬を抑えた。多分彼女は脳内で、自分の推しにそれをやられたら…を妄想して悶えてる。
「そんなの好きになっちゃうよお」
「だよね!もう匂い良すぎたし、抱きしめてくれた時の春くん優しくて彼氏過ぎて、本当好き…!」
ドバッと一気に感情が溢れて出てきて、言葉に脈絡がなくなる。だが、撮影会の時を思い出す度に、私はそれくらい壊れる。
「あーあ、本当に春くんのオタク幸せそう」
頭の中が春くんとふたりの世界に染まって帰ってこれない私に、てみちゃんが切り込んできた。
「ガチ恋営業、羨ましいなあ」
ガチ恋営業とは、推しが自分に対してまるで彼氏のように接してくれる事。
「まーでも、春くん何やってんだとは思うけどね」
春くんの本業は俳優なので、本来そんな地下アイドルみたいな売り方をする必要はない。多分事務所の方針なんだろう。でもそのお陰で、私はイベントがある度に随分良い思いをさせてもらってる。
「えー、光希くんもそういうイベントやって欲しいよ」てみちゃんがぼやく。
「光希くんは演技一筋って感じして良いじゃん」
「まあ、俳優だからそれで良いんだけどさ。1回くらいそういう接触イベントあっても良いと思うんだよね」
てみちゃんの推しの光希くんを含めて、他の俳優の大半はちゃんと演技1本で仕事をしている印象。つまり春くんが特殊寄りなのだ。
「でもガチ恋はガチ恋で辛いよ。私春くん好きすぎて彼氏とか考えられないもん」
「それは仕方ないよ。春くんは本当に理想の彼氏って感じするし」
てみちゃんの言う通り。正直、春くんは理想の彼氏過ぎるのだ。
180センチの長身に対して、女性的で柔和な顔立ち。いつも演劇の為にトレーニングをしてるから、程よく筋肉のある身体付きをしていて、全体的に「何だか守ってくれそう」な印象を与えてくれる。あとは匂いが良い。
そんなイケメンにガチ恋営業されたら、正直好きになるのも仕方ないと思う。
「もおーそうなの。まじ春くんて彼氏!」
「しかもこれから会うもんね」てみちゃんがニヤリと揶揄うように笑う。
そうだ、私はこれから春くんに会うんだ。
お話ししている間に、目の前に目的の劇場が見えてきた。ちょうど昼公演が終わって少し経ったくらいだろうか。観劇を終えた人たちが、まばらに劇場の入り口あたりに立っていて、感想を話ししたり公演グッズを抱えてウロウロしている様子が見て取れる。
「やばい、ドキドキしてきた」
「あみ丸ちゃんの彼氏に会えるよー」
「ちょっとー!照れるから!」
語尾に「笑」を付けながら、てみちゃんが私を揶揄って、わあっと身体が熱くなり始めた。今のひと言はガチ恋オタクに効く。
でも本当に付き合えたらどんなに幸せだろう。
そんな想いにふける私の横で、てみちゃんがふんっと鼻を鳴らして気合いの袖まくりをした。
「さあてと、闘いが近いわよ」
奇神の台詞を抜粋した彼女は、肩に掛かった水色のトートバッグの面の向きを変えて持ち直す。表になったそこは、光希くん演じるポセイドンの缶バッジで埋め尽くされていた。痛バッグ、略して痛バというやつだ。私はそれを見てハッと現実に戻った。
「痛バすご!」
「でしょ、今回の缶バッジじゃないけどね」
今回の舞台「奇神」は第二弾なので、前回公演が存在する。これはその時に販売されていたグッズである。
「てみちゃん、ポセイドンの女すぎるよ!」
興奮気味にバッグを褒める私に、彼女は「ふふん」と鼻を鳴らした。
「じゃあ私も」
劇場まであと数十メートルくらいの所で、わたしもトートバッグの裏面をオープンした。同じく前回公演の春くん…ならぬゼウスの缶バッジが、一面に隙間なく並んで敷き詰められている。
「あみ丸ちゃんの痛バも綺麗!ゼウスの女だ!」
「意図せず前回公演のやつ、おそろだね」
「だねえ!」
痛バを見せ合い2人してきゃっきゃしてる間にもう劇場へ着いた。入り口のあたりにもいたが、中に入ると私たちと同じように痛バを持っている人たちがチラホラ散見される。
他のキャラクターのバッジを付けている人。そして、ゼウスの痛バッグやグッズを持っている、恐らく同じ同担だろうという人たちが視界に入った時。私の顔は歪んだ。
同担かよ、最悪。
心が自然と悪態を吐く。私は同じ春くんを推している人が嫌いだ。それに、春くんが演じているゼウスを好きという人も嫌い。いわゆる同担拒否である。だから、一緒に観劇やイベントに行く人には、絶対てみちゃんのような他担を選んでいる。
「あみ丸ちゃん!物販行こうよ!」
鋭い棘を刺すように周囲の人間ひとりひとりの持ち物を観察してる私。それに気付くことなく、てみちゃんが明るく声を掛けてくる。
「どうかした?」
「あ、ううん。何でもないよ、行こう!」
そのまま彼女に連れられて、私は物販会場があるロビーに向かうのだった。
ちょうど昼公演と夜公演の間の微妙な時間帯だったからか、私たちはかなりスムーズに物販でグッズ購入する事ができた。
「缶バッジ20点、アクリルスタンド20点、ブロマイド『ゼウス』のAとBが30セットずつ、パンフレット1点、ペンライト1本。以上でお間違いないですか?」
「はい、大丈夫です」
購入制限があるものは上限いっぱい買って、私はお会計をする。全て合わせて会計は7万2千円。仕事を辞めたばかりで痛い出費だが、春くんの為なら悔いはない。ちなみに、何故ペンライトが販売されているかというと、この舞台は最後の方にライブパートというものが存在するからである。
「ありがとうございました」
私は痛バッグの中に、いそいそと購入したグッズを全て入れた。そこには、ライブパートで使用する為の応援うちわも入っている。
「お次の方どうぞー」というスタッフの声を背に、私は物販エリアを出る。ひと足先に購入を終えたてみちゃんが待っていた。
「買ってきたあー」
「私もー!開封式楽しみ!」
「ねえ、てみちゃん。開封式の前に痛バ並べて写真撮ろうよ」
「いいね、あとペンラとブロマ待った後ろ姿の撮り合いっ子したい!」
「最高なんだけど!」
また2人でわいわいとしながら階段を下って外に出た。
舞台の開場までの間にやれる事は結構たくさんある。私たちは、人混みを外れた劇場の壁の前に立った。2人の痛バを壁に立てかけ並べ、位置調整をする。まずはこれの撮影会である。
「次はうちわとペンラも並べよう!」
続けてお互いが持ってきた応援うちわと、買ったばかりのペンライトを取り出して、全体的に良い感じに映えるように並べる。これも撮影会だ。
『ゼウス様 雷撃って』
『ポセイドンが最強』
写真の中に、蛍光色の太字が貼られた応援うちわ、白と水色に光るペンライトが加わってより華やかになった。後でSNSに上げよう。
「『雷撃って』ってなんか字の威力やばいね」
「ゼウス様のファンサ特殊だから」
ライブパートでは、キャラクター達が客席を回りながら歌唱する『客降り演出』がある。アイドルのライブように、応援うちわを持っていけば、演者がそれを見てキャラクターをモチーフにしたファンサービスをしてくれる事があるのだ。
私はもちろんゼウスならぬ春くんのファンサービスだけを狙っている。なので、このうちわの裏面には『ゼウス様 ハートちょうだい』と書かれていた。
ファンサ、貰えるといいな。
「じゃあ次はお互いの後ろ姿を撮ろう!」
ひとしきり痛バの撮影会をした後、今度はお互いの撮影が開始される。
「どんな感じで撮る?」
「んー、じゃあこれで斜め後ろからお願い!」
てみちゃんが買ったばかりのブロマイドを、両手で扇子のように顔の前に広げる。私が彼女の右斜め後ろに立つと、ちょうど水色のバレッタと、ポセイドンのブロマイド扇子が正方形の枠の中に収まった。
顔が映らないよう角度をうまく調整しつつ、彼女の後ろ姿を写真に収める。
「あみ丸ちゃんはどうやって撮る?」
「同じ感じでよろしく!」
私もゼウスのブロマイドを扇子のように持って、てみちゃんと同じように斜め後ろから撮影してもらった。撮り合った写真は、すぐにAirDropでお互いのスマホに送る。
撮影会が終わると、次はふたりで購入したグッズの開封式を行った。
物販で販売されている缶バッジとアクリルスタンドはランダム商品だ。脇役も含め全キャラクター15種類の中からのランダムなので、春くんが出てくる確率は15分の1。正直かなり渋い。
「アテナ、アポロン、うわっアポロン被った」
「まじかー。あ、あみ丸ちゃん!ゼウス、ゼウス出た!」
「えっ嘘!」
てみちゃんが、こちらにキラキラした顔を向けてくる。その手にはゼウスの缶バッジが握られていた。白い長髪に柔らかい笑みを浮かべる推しの顔が、缶バッジの中からこちらを見ている。
「ぎゃー!かっこいい!」
「どうしよ、どうしよ」
「待って、待ってて!」
私は購入した20個の缶バッジに手を付けて、銀袋をどんどん開封していく。自分がこれでポセイドンを引けば、全てが丸く収まる。
違う。これも違う。そして6個目の缶バッジを開封した時。
「出た!てみちゃん、ポセイドン!」
「わー!」
何かすごい財宝を見つけたかのように、私たちは喜びの歓声を上げて、交換成立の握手をした。
開封式を終えた私たちは、自分の推しのグッズが何個手に入れられたかをさっと見直した。
てみちゃんと交換した分も合わせて、缶バッジ4個、アクリルスタンド2個。
まあ、こんなもんだよな。自分で春くんをこれだけでも引くことができて満足…、なんて思う訳がない。私は全然満たされてなんかいなかった。
私は喜びなんかよりもまず、当たった推しのグッズだけ痛バッグの中の小さいケースにしまう。そして今度は空の書類ケースを取り出した。
「交換行くー?」
「うん、並べたらいく!」
私は手慣れた手付きで、広げた書類ケースの上にささっと春くん以外のグッズを並べる。てみちゃんも同じように隣りで準備を始めていた。
ここからは、開場時刻が来るまで、観劇に訪れている見ず知らずのオタク達とグッズの交換会である。限られた時間の中で、如何にこの春くん以外のグッズを春くんに替えられるかが、何よりも重要なのだ。
私は痛バの中から小さいホワイトボードを出して『求→ゼウス、ポセイドン』と記載した。よし、準備完了である。
「わあ、ポセイドンもありがとう!私もゼウス交換できたらしてくるね!」
「全然良いよー、共闘しよう!」
ありがとうと感謝の手を合わせるてみちゃんに、私はグッと親指を立てた。
グッズ交換会で自然と人集りが出来ているところに行く。すると、早速私にひとりの女性が寄ってきた。
「あの、すみません。ポセイドン持ってるんですけど」
その手にはポセイドンのアクリルスタンドが握られている。
「アポロンと交換良いですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
私は快く快諾して、ケースの上に乗ったアポロンのアクリルスタンドをその女性に手渡した。代わりにポセイドンを受け取る。
「ありがとうございました」
頭を下げてその女性が立ち去った後、私はそれをバッグにしまいながら、ガクッと肩を落とす。
春くんじゃなかったかあ。
正直なところ、ゼウスは奇神の原作で1番人気なキャラクター。それに春くんという俳優も、この2.5次元界隈ではトップクラスに人気俳優である。つまり、人気過ぎるが故にグッズ交換が決まりにくい。
対して、ポセイドンも光希くんという俳優も、今回の舞台の中では4から5番目くらいの人気。つまりゼウスよりも交換が決まりやすい。だから、こうして歩いていると声を掛けてもらえるのは、大体ポセイドンなのだ。
人集りの合間を縫って、ゼウスの交換を探している人はいないかと、私はキョロキョロ視界を動かす。
うわ、同担かよ。
たまたま少し接近した人のホワイトボードに、私のと同じく『求→ゼウス』と記載があって、条件反射で一気に不快感が気持ちを占めてくる。推しがいる会場に同担がいるなんて当たり前のことだが、嫌なものは嫌だ。そして、そう思ってしまう時は、いつも同時に自己嫌悪に苛まれた。
はあ、てみちゃんだったらこんな余計な事考えないのにな。
私はてみちゃんというオタクの事を、少し羨ましく思っていた。
彼女は同担拒否ではない。光希くんが良ければそれで良いという考えの持ち主で、同担の子なんかともどんどん仲良くなる。それに、私に対しても色々気遣ってくれるしノリも良くて、今日みたいに彼女と行く現場はいつも楽しかった。
私から見た彼女はいつも『太陽みたいなオタク』という印象である。
「あっ、いた。あみ丸ちゃーん」
その時。人混みの中から、てみちゃんがキラキラ笑顔でこちらに小走りで駆け寄って来た。その手には、ゼウスのアクリルスタンドが握られている。
「え、どうしてゼウス待ってるの?」
それを見てびっくりする私に、てみちゃんがニコニコ笑いかける。
「アテナと交換してもらえたの!あみ丸ちゃん欲しいと思って!」
「わあ、てみちゃんってやっぱり最高!神!」
「あはは、なによ突然!喜んでもらえたなら私も嬉しいよー!」
抱きつく勢いの私に、てみちゃんがケタケタと笑い声を上げた。
ああ、私もてみちゃんみたいに、キラキラ輝くオタクになれたら良かったのになあ。
平日の夜公演は大体19時開演である。私とてみちゃんは、ギリギリまでグッズ交換会に参加した後に客席に入った。
今日の座席の位置はかなり良い。前から3列目の通路側の席。よくこんな位置が取れたなと、我ながらこの強運を褒めたくなる。なぜ端の席なのに良いかと言うと、客降り演出の時に演者が真横を通ってくれるから。つまり春くんが真横を通ってくれるかもしれないのだ。私が今日、全身気合を入れてる理由はこれ。
春くん通れば良いなあ。そう思いながら、私は今日の戦利品のグッズを眺めていた。
てみちゃんの協力もあって、最終的にゼウス柄のグッズはまあまあな数揃った。残りの交換が決まっていない分は、SNSで探そうと思う。
「あみ丸様、本当にありがとうございます。神席すぎます」
「ふふん、我を讃えよポセイドン」
「ゼウス様〜!」
舞台と自分の座席が近過ぎて落ち着かないてみちゃんに、ゼウスのセリフを抜粋して返す。そういう私も、好きなアーティストのライブが始まる直前みたいに落ち着きがない。
「どうしよう、ドキドキが止まらないよ」
今から目の前この舞台の上で、春くんが立って演技をするんだ。腕時計の秒針を見ながら、開演時刻が1秒、また1秒と近付く度に心臓の脈がドクンドクンと波打つのを感じる。
「大丈夫、あみ丸ちゃん。私も」
「やばいよね」
「うん、やばい」
てみちゃんも手元がカタカタしてるので、私と同じ状態みたいだ。こういうのを分かち合える友だちがいるのはとても助かる。
『間も無く開演です。ロビーにいらっしゃるお客様は、座席にお戻りいただきますようお願いします』
開演前アナウンスの後、現場全体がじわっと薄暗くなる。
「生きてまた会おうぜ」
グッドラック。親指を立てて別れを交わした私とてみちゃんは、各々前方のステージに身体を向き直した。そして、ステージに視線を集中させる。
客のほぼ全員が自席に着いた頃。時刻は19時ぴったり。
劇場が暗転し、ステージから客席も通路まで全部が暗くなる。いよいよ、舞台が始まる。
ああ、どうしよう。私今から春くんに会えちゃうの…?
静寂した空間の中で、自分の心臓のドキドキ音だけが耳の奥まで響いてきた。
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