第22話 諫める者④

 背後から右腕を刺し貫いたそれは、黒く巨大な爪に見えた。

 左手は剣にかけたままだが片手では抜けない。それを考えるより先に背に忍ばせていた短剣を抜き、逆手で王太子を斜め下から斬りつけた。だが、浅い……!

 切っ先は王太子の顔面を掠め頬から額にかけて裂いたに過ぎない。そのまま振り下ろそうとしたが、そこで遂に右腕を上腕から失った激痛がロウエルガの動きを鈍らせ、軽くなった右半身にバランスを崩した。体の重心が後ろに逸れるのを踏みとどまったとき、ロウエルガの身体を更に3本の爪が貫いた。

 爪はそのまま、ロウエルガの身体を背後に引きずり倒した。


「この私に……傷を負わせるとは」


 場違いなほど冷めた声がロウエルガの耳に届く。「そりゃ、こっちのセリフだろうが」と言ってやりたいが、もう言葉は出ない。床に叩きつけられ、喉につまった大量の血が呼気とともに吐き出された。


 ―――は、『魔法』などではありません!


 耳に残る王女の悲痛な声。封魔の術が効かない力。いや、炎は確かに封じられつつあった。それならば、その外にある力。これを『』と呼んだのか。この黒い爪を。

 だが、これは………

 くちゃっと濡れた靴音がした。王太子が穢れることも厭わずにロウエルガから流れ出た血だまりを踏みつけ傍らに立った。黒い爪はロウエルガの背面から身体を貫いたまま、その先端で四肢を床に縫い付けている。身動ぎできない瀕死の男を見下ろして、その上に無造作に、無残に斬り落とされた右腕を放った。


「封魔の術はお返しします」


 その美しい顔面を斜めに走る生々しい傷から血を滴らせながらも、ふわりと微笑んだ。


「どうやら、あなたの封魔の術も少しは効いたようだ。あなたの最期の苦痛をいくらかやわらげてやりたいが、もうそんな力は残っていない。……ああ、そうでしたね」


 身を屈め、ロウエルガの腰の剣を鞘ごと取り上げる。


「剣で刺せば死ぬ生き物に、魔法は使うまでもないのでしたね。さすがに諫める者を返り討ちにしたとあっては大騒ぎになるでしょうから、あなたには、ひっそりと消えてもらうことにしましょう」


 言いながら楽し気に剣を抜く。鞘は構いもせず床に落とし、剣身を灯火にかざした。


「見事な剣だ」


 その時、刃に光が走った。

 弾かれたように王太子は剣を取り落とした。柄を握っていた手を庇い飛び退る。黒い爪も驚いた獣のように不気味な擦過音とともに退き、ロウエルガの拘束が一瞬で解けた。だが、この好機にロウエルガはもう思うように動けなかった。中心を貫いた爪は既にロウエルガの身体の機能を奪っていたからだ。

 諫言することにこだわり過ぎたか。魔法封じなどと生易しい手段を挟まず、初手から剣を抜くべきだった。だが、躊躇わずに抜けただろうか。ヒトを殺傷するためのものではない、その剣を。剣を帯びてもいない王太子に向けて。

 かろうじて首を動かし王太子の姿を追った。手を庇い蹲るその姿に、影から伸びる黒い何かが纏わりつき蠢いている。影、か。影の中にが潜んでいたのか。

 乱れた黄金の髪の隙間から不気味な光を帯びた瞳が覗いた。


「忌々しい諫家めっ!」


 叫び声と共に獣のようにその身が高く跳ねた。

 天井に取りついたように見えた瞬間、転身天井を蹴って勢いをつけた黒い塊となってロウエルガ目掛けて突進した。

 そこで、恐らく二人ともが予想もしなかったことが起きた。

 たたっと軽い足音がロウエルガの霞む意識の中に響いた。その小さな影は王太子が取り落としたロウエルガの剣に飛びつき、柄を床に当てたまま、その切っ先を上に向けたのだ。

 勢いを増して降下した王太子の身体に抵抗もなく切っ先が滑り込む。影から滴り落ちる液体のようにのびた黒い触手がひたひたと床に落ち支えとなって、王太子の身体が、それ以上剣に貫かれるのを辛うじて防いだ。床に横たわるロウエルガと、黒い何かを纏わりつかせ覆いかぶさろうとした王太子の間に小さな人影が割り込んでいた。


「……ル………ヴィ」


 目を見開いた王太子が呟き、身体から黒い何かがずるずると伝い落ち影に沈んでいく。その腹に切っ先が埋まっていた。床を支えに身に余る剣を持ち上げる、その小さな背中をロウエルガは確かに認めた。灯火に透ける青い髪に淡い光が散っている。


「ルーヴェ」


 まだ10歳の少年とは思えない落ち着いた声が響いた。


「ルーヴェは間違ったことをしている」


 王太子の身体が剣から逃れるように一歩後退り切っ先が抜けた。更によろめくまま二歩下がり、その体が崩れようとしたとき黒い何かが爆ぜた。

 ロウエルガは持てる限りの最期の力で残った左腕を動かし小さな背中を抱き込んだ。

 衝撃が、再び宝物殿を揺らした。

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