第23話 あなたが心から笑える日まで①

 周りに側仕えの者しかいないときに兄に会えば、酷い仕打ちを受けるのはいつものことだった。そんな時、兄に侍る者は皆、エルがいないかのように振る舞った。

 兄から受ける苦痛も、いないかのように扱われることも怖かった。でも、本当に怖いのは、兄を止めようとした者、エルを庇おうとした者が王宮から――恐らくは、王宮からだけではなく――消えてしまうことだった。


 今より幼い頃、突き飛ばされ調度にぶつかりそうになったエルを咄嗟に受け止めてくれた侍女がいた。その侍女は兄に抗議することなく、ひたすら顔を伏せて、エルに言葉すらかけなかった。まだ幼かったエルをほんの少しだけ庇ったに過ぎない。

 翌日、それまでの侍女は全員いなくなり、新しく付いた侍女の誰もエルとは口をきかなかった。表情を殺して必要な世話だけをし、エルが余計なことをすれば叩いた。その手が震えていたのを忘れられない。

 その日以来エルは、王宮に仕える者はもちろん、自分の侍女すら顔も名前も憶えないようにした。口を閉ざし何も見ず何も聞かず、日々を淡々とやり過ごすことだけを考えた。両親に話そうとしたことはある。だが、酩酊していない母に会うことは難しく、父には会いたいと申し出ることすら叶わなかった。


 王宮の外では兄に会うことはなかった。だから、エルの特別クラスが作られ王立図書館に通うことになったときは本当に嬉しかった。三家のソラもイルもルヴィも消えることはなく、悪いことが何も起きないと気づいたときは、心からほっとした。それでも王宮でのことは誰にも漏らさなかった。少しでも漏らせば、どんな悪いことが起きるかわからなかったからだ。


 ロウエルガ・レシオに会った翌日、ルヴィは学校に来なかった。午後になって戻ると王宮は騒然とし不穏な空気に支配されていた。何か大変なことが起きたのだけはわかった。エルはすぐに自室に入れられ、外からは鍵がかけられた。生活に必要なことはいつも通りすべて不足なく世話をされたが、誰からも何も言われないまま自室への軟禁は何日も続き、ある日、急に正装をさせられ王の待つ執務室に連れ出された。

 そこには、やはり正装をした国王と、宰相、諫める者が並び、エルを待っていた。そんなに間近にその三人を見たのは初めてだった。そこで、通常は16歳になってからするはずの成年の儀式が非常に簡潔に執り行われ、まだ14歳の王女ルル・エルクルイラは成人となり正式に王位継承権が与えられた。

 その後に、ようやく何が起こったのかを説明された。


 王太子ルヴェリオネ・ファタは、諫める者ロウエルガ・レシオの諫言を拒否した。

 王家の罪を諫めることが許されているのは諫家だけだ。その諫言を拒否することは死罪を意味し、刑は諫家の手によって、その場で執行される。諫める者の諫言が双方ともに命懸けであるのはそのためだ。

 だが王太子は重傷を負ったものの、諫める者ロウエルガ・レシオを斬って生き延びた。諫言を拒否するなど、ましてや諫める者を斬るなど、栄光のファラナシア王国千年の歴史の中で誰一人犯さなかった大罪だ。

 かつて誰もそんなことをしなかったがために―――命を懸けてまで諫言を拒否する王家など民の支持を得られない、エルはそう教えられた―――王太子ルヴェリオネ・ファタの扱いは慎重に検討された。その結果、生き延びたことを重視し、諫められた罪を相殺、ただし、王家唯一の男子であることを理由に王位継承権こそ剥奪しないものの、王都から追放し、黒の辺境騎士団領の領主として封じることとする。これは罰であり、王都への立ち入りはいかなる場合でも禁じられ、帰還は今後の行いによってのみ判断される。

 ようやく動けるほどに怪我から回復したため、王太子は今朝早く夜明けとともに出立した。


 苦々しい顔をした国王と厳しい表情で冷たく言い渡す宰相を前に、エルに異論を挟む余地が与えられるはずも無く、その罪と罰の奇妙な嚙み合わなさに呆然としたまま、ただ、聞いているしかなかった。ロウエルガの兄である、諫家ハイエルガ・レシオの顔は見ることもできなかった。

 最後に付け足すかのように、宰相がエルに問いかけた。


「ルル殿下、母上の消息は聞いておられるか?」


 母上? なぜ、そんなことを聞くのだろう? 小さく首を振り、エルは戸惑いを隠せぬまま答えた。その声がとても小さく、かすれていたのは、部屋に軟禁されて以来、一度も声を出していなかったからだ。


「……いいえ。何も……存じ上げません」


「お母上も既に数日前に王都を出立されています」


 それまで黙っていたハイエルガ・レシオが初めて口を開いた。とても穏やかな声が、ロウエルガに似ていた。


「……そ…れは………」


「王太子殿下の罪を憂慮して早々にお姿を隠されたようです」


 それに、どんな意味があって、エルに何を言わせたいのだろう。言葉も無く俯いたエルに、宰相が遠慮もなく大きなため息をつくのがわかった。エルは退室を命じられ、自室へと戻された。


 成年の儀式のためか、それ以上に恐らくは王太子の王都追放の影響か、王の執務室を出たときから、身辺に侍る者の態度ががらりと変わった。

 それだけではない。

 まるで夢から醒めたかのように、王太子を称えた熱狂はたった一夜で霧散していた。その後に王宮に殺到した訴えは王都を震撼させることとなったが、エルがそれを知るのは、まだ先のことだった。

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