第19話 諫める者①

 今日もまた、なんと神々しく麗しいお姿であることか

 従僕マグダは彼の仕える主が、よく晴れた昼下がりの王宮の庭園を雅やかに歩んでいく後ろから、決して視界を汚さぬよう、そして少しも遅れずに一定の距離を保ったまま従いながら、主の視界を汚していないがために気が大きくなって些か無遠慮にその後姿を堪能していた。

 気を抜けば腕が震え、捧げ持ったショールの端に縫い付けられた細やかな装飾がちりちりと音を立てたが、屋外を散策している間は他の雑音に紛れ微かな音は気にせずに済む。主の背中までは少し距離があるが、微かに鼻腔をくすぐる甘美な残り香は彼を酔わせるには十分だった。

 主の進む先では、皆が丁寧に頭を垂れ膝を落とす。そして僅かに視線を上げ、眼福を得ようとその美しい姿を盗み見ては、辺りに漂う香しい空気を身中に吸い込もうとする。従僕になど見向きもしない高貴なひとびとの、そんな滑稽で浅ましい様子を見ては胸の内でせせら笑うのもマグダの密かな楽しみだ。

 マグダ自身は従僕に過ぎないが、彼が仕えているのはファラナシア王国で最も高貴な存在だ。正確には、その上には国王と王妃がいるが、その二人ともが彼の主には決して逆らわない。唯一の気掛かりと言えば三家だが、恐らくは宰相家も諫家も、主には手を出せまい。

 それについては、マグダには確信に近いものがあった。2年前の王立図書館の火事では、湖で逢瀬を楽しんでいたなどという見え透いた嘘は早々に看破され王太子と言えども詰問を受けるか、あるいは遂に諫家が動くのではないか、そんな心配が恐怖にまでなって随分とマグダを苛んだものだが、結局は「不幸な事故」となり、追及どころか王太子の関与すら疑われなかったからだ。2年が経ちようやく、マグダは主の偉大さが、自分の想像以上であることに思い至った。

 仕え始めた頃は、その美しさに心奪われながらも同時に、その振る舞いに恐怖した。こんな悪逆は、どんなに巧妙に隠しても、いずれ必ず諫家の目に留まる。そうなれば、側仕えの自分も咎めを受けるのは間違いない。なんと浅薄で残虐な王子の下に仕える羽目になったのだろう。その審判の日まで従順に仕えるべきか、あるいは見限って早々に「恐れながら…」と諫家に訴え出るべきか。散々頭を悩ませたものの訴え出る勇気などあるはずも無く生き延びてみれば、彼の主は、その神々しさも美しさも少しも損なうこと無くひとびとを魅了し続け君臨し、思うさま振る舞い誰にも阻まれることがなかった。

 今でも、こうして王宮の庭園を散策しているだけで、声を掛けられるのを待つ貴族が次々と群がってくる。貴族でも身分の低い者は、マグダよりもずっと離れた場所からうっとりと主の姿を眺めることしかできない。それが愉快でならなかった。もし仕えているのが他の貴族であったなら、マグダはあの連中のさらに後方で跪いていなければならなかっただろう。たとえ従僕でも、最も高貴な者に仕えるものは、貴族よりも高みに立つのだと悟った。

 先を歩いていた主が、ふと足を止め、華やかに着飾った令嬢たちに言葉をかけた。主の顔が横を向いたため、マグダはさっと膝をついた。主の視界を汚してはならない。そうして跪いた位置からそろりと目を上げ、相手の令嬢が誰かを確かめた。

 言葉を交わしているのは、シスカティア・サマヨル。王家の姻戚である公爵家の令嬢。その身分の高さゆえか、いまだ王太子の『秘密の恋人』にはなっていないはずだが、行き会えば親し気に言葉を交わすその様子は社交界の公然の秘密になりつつある。身に着けているのは昼のドレスなのだが、どこか艶めかしく、どの令嬢よりも際立って美しく、特に今日の凝った髪型などは数日後にはこぞって他の令嬢が真似をして、この季節の社交界の流行となることだろう。見事に咲き誇る大輪の薔薇のように煌びやかな令嬢。

 それを囲み数人で群れているのは、どれもそれなりの身分の、それなりに美しい令嬢たちで、シスカティア・サマヨルの引き立て役以外の何者でもない。

 王太子は微笑みを浮かべながら左肘を持ち上げて誘い、シスカティア・サマヨルも少しも悪びれずに、その腕に自身の手を絡めた。今日の散策のお供は彼女に決めたようだ。

 王太子ルヴェリオネ・ファタの許嫁が、諫家のウルク・バーニェッタであることは誰もが承知しているが、あの気味の悪い髪の色をした不美人で気が強いばかりの陰気な娘よりは、見目麗しく、王太子の放つ光でより輝き艶やかに笑うシスカティア・サマヨルのほうがよほど隣において釣り合いが取れる。派手好きで享楽的、多少のことでは公爵令嬢としての価値にもその結婚にも瑕疵が付きそうにもない、お忍びの遊び相手としては、これ以上ないほどの上玉だ。妙齢でありながら未だ婚約をしておらず、王太子を狙っているとの噂もあるくらいだから、本人もまんざらでもないだろう。

 そんな風に主の相手をいちいち品定めするのもマグダの密かな楽しみでもあり、今の立場を保つための処世術でもあった。連れだって歩き始めた二人の後に音もなく従いながら、マグダは捧げ持ったショールに主が手を伸ばすタイミングを見誤らないよう神経を集中した。

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