第18話 王女の覚悟②

「でも、ロウ様。どうか、お兄様をお諫めするのは、お止めください」


 零れる涙を構いもせずに、エルは続けた。


「お兄様は誰にも止められません。お兄様の望みは、のです。あの禍々しい力には誰も抗えない。 は、『魔法』などではありません!」


 それが曖昧で奇妙な言い方であることには気付いていたが、今のエルには他に表現のしようがなかった。兄の持つ抗い難い力、誰もが『すばらしい魔法』としか呼ばない、あの力。その前では、諫める者の強さすら信じることはできない。

 歴代王家の中で、諫める者の諫言に従わなかった者はいないという。それならば兄は、初めてそうなるに違いない。


「……『魔法』では、ない?」


 ロウエルガが、すっと目を細めた。

 エルの肩が竦んだ。『本当に使えない』王女の言葉など、まともに聞いてくれる大人は今までいなかった。ましてや、神格すら有すると称された栄光のファラナシア王国千年の御子、王太子ルヴェリオネ・ファタの『魔法』を疑う言葉など。

 だが、エルの持つ忌まわしい予感をどうしてもロウエルガに伝えたかった。それを伝えずに、ロウエルガを止めることなどできないと思った。


「はい。は、『魔法』ではありません」


 手も声も震えていた。それでもエルは、振り絞った勇気の消えぬうちに続けた。


「お兄様はを一度だけ、『精霊の王の力』と呼びました」


 エルはそれを、幼い頃に聞いた記憶のまま言葉にしたに過ぎない。ただ、ほんの一瞬でもロウエルガの穏やかな表情を歪めたのだけは確かだった。


「そう、言ったのですね?」


 胸が苦しいほど強く脈打っている。初めて言葉にしてヒトに伝えた。その取り返しのつかない重さが、そのまま胸を叩いているかのように苦しい。それでも、しっかりと頷いた。この時はまだわかっていなかった。その言葉に、どれだけ大切な意味があるのかを。


「では、ルル殿下」


 少しの間を置いて、ロウエルガは穏やかな表情に戻ってから問いかけた。


「あなたは、やはり、あの火事を王太子殿下の仕業と考えますか?」


 そう問われて、思わずまた、びくりと肩を震わせた。

 この男は、エルという子供の話を聞いていたのではない。王女ルル・エルクルイラの話を聞いている。そして、もう、エルの忌まわしい予感くらいでは止められない。


「………」


 ―――覚悟。エルは、ただの14歳の女の子でいることはできなかった。


「はい」


 声は震えていた。溢れる涙も止まらなかった。それでも、しっかりとロウエルガの瞳を捉えて答えた。


「あの火事は、お兄様の、兄ルヴェリオネ・ファタの起こしたことと思っています」


 改めて問われると、あの火事を兄の仕業と言うには、それをできるのが兄だけだとしても理由がわからず、あの日の僅かなやり取りにも思い当たることはない。だが、理由のわからない暴虐など、王太子ルヴェリオネ・ファタを知るエルにとっては少しも不思議ではない。

 ただ、一つだけ気になることを思い出した。ルヴィに手を引かれて収蔵庫を出たとき、エルを無視しなかったカルゴーダ館長のことが急に心配になって、開け放したドアの陰で少しだけ立ち止まった。『今日は……お尋ねしたい…が……』という断片的な言葉が微かに聞こえ、兄があの場にいたのはカルゴーダ館長に用事があったからだと、少しほっとして立ち去った。

 そこまでをロウエルガに話し、エルの告白は終わった。


 ロウエルガは目を閉じて僅かに顎を引いた。しばらくの沈黙のあとに再び目を開けたときには、ひどく優しい、ウイやソラのような柔らかい雰囲気になっていた。


「ルル殿下、あなたには何一つお約束することはできない。御身の安全も安楽も。ですが、信じて欲しい。あなたの勇気に報いることができなければ、我々ヤト家には存在する意味がない。あなたが心から笑える日まで、我々はあなたを護る」


 そう言ってロウエルガは、人懐こい笑みを浮かべた。その言葉の通り、それは王太子の悪行を告白したエルに対し、何の保証にも約束にもならない曖昧な言葉だ。それでも何故か不思議と、エルの涙だけは止めたのだった。

 その時、ぽすんッと何かがロウエルガの後頭部に当たった。


「エルを泣かせるなッッ!!!!」


 裏庭に帰ってきたルヴィが二人を見るなり、持っていたお菓子の包みを丸めて投げつけたのだ。

 それからエルは、ずっと胸の奥に閉じ込めていた恐ろしい告白をしたことも大粒の涙をボロボロ流したこともすっかり忘れてしまうくらいには、すごい剣幕で暴れるルヴィを宥めるのに必死になった。

 「ごめん、ごめん」などとすっかり気圧された風のロウエルガが、エルにハンカチを渡してから、何故かまた背の高い柵をひらりと飛び越えて退散してしまうまで、ルヴィは顔を真っ赤にして怒っていた。


「ごめんね、エル」


 ロウエルガが去ってしまうと、今度はルヴィが泣き出してしまった。


「叔父上のことは絶対絶対、僕が怒っておくから」


「いま怒ってくれたわ、泣かないで」


「秘密の場所、教えちゃってごめん」


「ええ、それは許さない。だから約束。叔父上と仲直りして、今度は三人で、ここで『自習』しましょう」


「わかった。叔父上にはちゃんと、お詫びのしるしをもらうからね」


「そうね、きちんともらいましょう。秘密の裏庭同盟の入会料よ」


 エルのハンカチでルヴィの顔を拭いてやり、エルはロウエルガが渡してくれたハンカチで涙を拭って、二人はようやく笑い合った。

 ルヴィは感心にも、怒っている間にもバスケットに入れてもらった瓶の中味は溢さなかった。エルの思ったとおり、それはルヴィの大好きな苺の入った甘いミルクだった。薄いピンク色が可愛らしい子供に大人気の飲み物だ。


「エルの髪の色だ、苺のミルクの色」


 ルヴィが楽しそうに瓶を掲げて笑った。

 エルの髪はどちらかというと、苺のピンクよりは、ごく淡いコーラルの溶けたオレンジに近いのだが、ニンジンが嫌いなルヴィはオレンジとは言わない。ルヴィがそう言うなら、エルの髪は苺のミルクの色だ。

 エルは、この日二人で楽しんだ、苺の入った甘いミルクの味を生涯忘れることはなかった。それはエルが、ロウエルガとルヴィに会った最後の日となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偽りの英雄王の末裔 珠福 @tamafuku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ